俺と向日葵と図書館と

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08.それぞれの感想 前半

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 寝坊した恭佑。普段より高く上がった太陽の下を走った。吹き出した汗は、服を濡らすより先に蒸気になりジリジリとむき出しの肌を焼いていく。

「ごめん、寝坊した」

 図書館に着いた時、既に本を読んでいた向日葵だったが、息の上がった恭佑に気づいて顔をあげる。頬を緩めて、ほっとした表情を浮かべている。

「こんにちは。今日はいらっしゃらないのかと思いました」
「そんなわけない!」

 恭佑が思ったよりもその声は大きく、慌てて当たりを見回したが、幸いなことに周囲に人はいなかった。

「家で読んでたら寝るのが遅くなっちゃって」

 恭佑が本を取り出してテーブルに置く。目敏く栞紐の位置を見た向日葵が笑顔を浮かべた。

「随分と読まれましたね。昨日は、この半分にも達していなかったのに」
「話が進む毎に面白くて、やめ時がなくてさ」
「わかりますその気持ち。だから私、借りる本は短いものにしようって決めていて」

 今日はこれを借りようと思ってと向日葵は見せてくれたが、とてもではないが恭佑には短い話には見えなかった。苦笑いを浮かべていると、向日葵は早く座るようにと恭佑を促す。

「きっと、このペースなら今日中に読み終わるのではないでしょうか。終わったら、ぜひ感想を聞かせてください。
この本を読んだ人がどういう感想を抱くのかを聞きたいのです」

 声のトーンは抑えてあるものの、隠しきれない弾んだ声は、恭佑にも喜びをダイレクトに伝える。

「それは楽しそうだな」

 本を開けばそれまでのお喋りは嘘のように静まり、二人とも集中する。聞こえるのは遠くで誰かが歩く足音と、控えめな呼吸のみ。毎時刻0分を告げる重苦しい鐘も耳には入ってこない。
 ぱたりと向日葵が本を閉じても、恭佑の視線は文字に向けられたままで、その表情は穏やか。本人は気づいていないのだろうが、少し前に恭佑が向日葵を見て思ったことを、向日葵も今、感じていた。
 少しの間、恭佑の表情を堪能して、向日葵はゆっくりと立ち上がる。恭佑の邪魔をしないように、静かに。
 新しい本を持ってきて、再び腰掛ける。ほんのわずかだが、恭佑のページをめくる速度も上がっている。これなら、本当に今日中には読み終わりそうだと、向日葵は口元を緩めた。手には『いつかの明日に君が来る』。恭佑と感想を語り合う前に、もう一度読み直そうと思ったのだった。
 それから数時間、恭佑が本を閉じた。深く長い息を吐く。
 暖かい話だったな……。
 ずっと同じ姿勢でいたせいで凝り固まった体を伸ばす。横目で向日葵を見ると、恭佑の視線には気づいていないようだった。
 相変わらずの百面相だな。
 そんな様子に自然と笑みが浮かんでいた。壁に掛かった時計を見ると、あと三十分もないほどの時間で閉館時間だった。恭佑は少し体勢を変えて座り直すと、本の冒頭を再び読み始める。
 ここでこんな会話してたんだ……だから、最後に。
 最後まで読んだからこそ、冒頭にあった出来事の意味が繋がっていく。初めての感覚に、恭佑は酔いしれた。

「時間ですよ、恭佑さん」

 一度読んだ場面を流し読みしているからか、向日葵の呼び声はすんなりと耳に届く。
 顔を上げると向日葵が読んでいた本が目に入り、知ったタイトルに驚いた。

「同じ本を読んでたの? さっきは違う本だったのに……」
「はい。今日は早く読み終わったので、復習がてら」
「そうだ。次読む本を選ぶの、またおすすめ教えてもらってもいい?」
「もちろんです!」

 こほん、と近くでわざとらしい咳払いが聞こえ振り向くと、司書が厳めしい顔つきで腕組みをしている。気がつけば閉館を知らせる蛍の光も流れていない。

「閉館時間です」

 念押しするようにそう告げられ、二人は慌てて荷物をまとめる。読んでいた本は、片付けておきますと取り上げられ、新しい本を借りる余裕はあるはずもなかった。

「怒られちゃったね」
「はい。明日からは気をつけましょう」

 恥ずかしさを誤魔化すように二人で笑い合い、図書館を出たところで足が止まった。
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