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ギルド『夢の国』の可憐な一日

41 問われる資質

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 越境すべきか、せざるべきか――。

 連合国の議会は迫られた決断を前に、今正に真っ二つに分かれていた。

「帝国の越境を確認しておきながら何故そうも臆するのだ!」

 全身を短い毛に覆われた獣人の男は叫ぶ。

「ふざけるな! 我々は臆してなどいない! 機会を待てと、そう言っているのだ!」

 特徴的な長い耳を持つ亜人はそれに反論する。

 時間だけが無為に消費されていくだけの終わりの見えない平行線。

 決議のために設けられた投票の場は、最早各自がそれぞれ違った正義を盾に、その正当性を主張するだけの混沌と化していた。

「話にならんな……」

 全身を灰色の鱗で覆い、その上に無数の傷を歴戦の証として残す竜人の男は、誰に言うでもなく静かにそう吐き捨てた。

「何!?」

 しかしそれを運悪くというべきか、耳ざとい連中に聞かれたのは彼からしてもいい機会だったのかもしれない。

「聞こえなかったのか? 私は話にならないと、そう言ったんだ」

「貴様――!」

「待て。これ以上ややこしくするでない」

 激昂する全身を包帯でグルグル巻きの男。議長である老齢の木人は、そこに収拾がつかなくなる前にと、一度議会に水を差す。

 それから目だけで周囲に数秒の沈黙を求めたのち、ゆっくりと竜人の男へと向き直り、両者の間を取り持つ形で正面から忠告する。

「竜人の。主の言いたいことも良く分かる。だが亜人の解放に一役買ったぐらいでそう上から目線になられては、不用意に相手の神経を逆撫でるというもの。私の顔に免じて少しはその横暴な態度を自重してくれないか」

 木人な穏やかな口調。しかし竜人の男からしてみればそれは棘のある嫌味でしかなかった。

 強硬派である竜人の男にとって、穏健派の筆頭である議長は、今正に機能不全を起こしている連合国にとっての取り除かなければならない膿そのものだったからだ。

「ふっ」

 鼻で笑う竜人の男。そして言われた通りの低姿勢を自身に課しては、どこまでも挑発的な眼差しを議長へと向ける。

「申し訳ない。つい、南部にとらわれていた我らが同胞のことを思うばかりに」

「それは我らとて同じこと。当てつけにもならんよ、竜人の」

「おっと、これは失礼しました。しかしこうも温度差があるとは、やはり同族に対する思い入れの差ですかな?」

「国というものを勘違いしてもらっては困るのだよ。竜人の。帝国は強大だ。連合国よりもな」

「だから? だから我々は戦わないというのですか? 活路が目の前にあるのにも関わらず、ただ指をくわえてその後にある滅びを受け入れろというのですか?」

「竜人の。主の言い分はいささか発想が飛躍しておるようだ。そこに活路があると主は言うが、それが活路であると何故分かる? 何故その後の滅びが滅びであると何故分かる? 主は己がただの竜人であるということを忘れておるようだ。確かに今回の亜人の解放については主の功績が大きい。しかしそのていどで英雄を気取られては、それに扇動され、付き合わされる側の身にも悪影響を及ぼすというもの。主はもう少し己を俯瞰して見れる者だと思っておったが……見当違いだったかの?」

「何が飛躍ですか。何が英雄気取りですか。議会を私物化し、あまつさえ連合国に悪影響を与えているのは議長、あなた本人ではありませんか」

「議長を愚弄する気か!」

「議会を私物化しようとしているのはお前のほうじゃないか!」

「よさぬか。議会とは討論の場。すべては国とそこにある民を考えてのこと。そうだろう? 竜人の」

「何が討論の場ですか……今回こうして議会が開かれたのは――」

「私は貴方が英雄であることには同意しますが、少し口が過ぎますよ。竜人の代表さん」

「人魚の……」

 平静でいようとしながらもいつの間にやら感情的に話の本筋から脱線しそうになる竜人の男。

 それを冷たい声で引き留めたのは、穏健派でもなければ強硬派でもない、あくまでも中立を保持する人魚の若い女性だった。

「熱くなる気持ちもわかります。しかし頑なに帝国を敵視し、戦いを挑んだところで勝ち目が薄いのもまた事実。可能性としての滅びに怯え、勇敢であることに自己を求めるのであれば、それに伴うだけの勝算がなければそれはただの逃げでしかない。いくら綺麗な死に場所を選ぼうとも、いくら満足できる死を望もうとも、その後に残されるのが負の遺産だけではあまりにも無責任というもの。勇猛であることは否定しませんが、それが無謀であっては意味がないのです」

 人魚の若い女性は淡々と語る。

 その冷たく刃のように研ぎ澄まされた声は、その場に居る全員の耳を強制的に傾けさせた。

「失礼」

 人魚の若い女性はその場で椅子に座ったまま、軽く頭を下げる。

「ほっほ。若いのにこれは中々」

 感心したように笑う木人。

「ヤナは……ヤナはどうした」

 まるで人魚の若い女性が話している間中、心臓の鼓動が止まっているかのような。そんな嫌な息苦しさを感じていた竜人の男は、そこで初めて喉に詰まっていた声を形にする。

「さあ? 私には分かりかねますが」

「連邦に行ったはずだろ」

「連絡も特にありませんので」

「どうなってるんだ……まったく……」

「ああ、ただ道中クラーケンが出たそうです」

「何? クラーケンだと?」

「はい。それで船が沈んだところまでは私共のほうでも確認しております」

「ヤナのやつ……生きてるんだろうな……」

「それもまたすぐに分かることかと」

「何……?」

 思わせぶりな人魚の若い女性。それに怪訝な表情を浮かべる竜人の男。

「まぁ、待て」

 その二人のやり取りにまたしても横から水を差す議長。

「一度休憩としよう。続きはその後にでもゆっくりとやればよい」

「議長。あなたは事態を甘く見過ぎている」

「竜人の。そうは言っても私は疲れた。他のものにも休息は必要だ」

「そんな悠長な――」

「まぁまぁ。ここは一旦休憩にしましょうよ。ね? 竜人の代表さん?」

「っ……」

 竜人の男をまたも襲う息苦しい感覚。それを是と見てか、議長がおもむろに立ち上がる。

「それでは休憩と――」

「――議長!」

 それは突然の来訪者だった。

「落ち着け。一体何事だ」

「ぐっ、軍が……帝国国境線に配備された軍が……帝国領へと――越境しています……!」

「何……?」

 それは議長の言葉にならなかった声を竜人の男が代弁した瞬間だった。
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