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第9章

執事が要求している身に付けるべき「マナーの原則」とは何か?-第九の課題:会食前のマナー講座ー

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オフィスだろうが自宅だろうが
長時間のデスクワークは、体にはよくないとつくづく思う。

まだ人間の年齢でも若手のはずの僕でも
腰を中心に全身がビキビキと痛む。

パソコン画面でTwitterやYoutubeを眺めていた僕は
立ち上がって、軽くストレッチをしてみた。

前屈してみると、やっぱり体が固くなっていたので
今度はうんと背筋を伸ばしてみる。

「ううーーーーん、よいっしょっと」

思ったより、掛け声がじじくさくなってしまったが
なかったことにして、急いでシャワーを浴びることにした。

徹夜明けの朝、少しよれてしまったノートを鞄にしまって
僕はオフィスへと駆け足で向かった。

「おはようございます!」

自分の眠気を吹き飛ばすためにも
あえて声を張って挨拶をする。


「朝から元気じゃな。よいことじゃ」


僕の様子を見て、魔王様は笑みを浮かべながら挨拶を返してくださった。

状況をうかがうに、ちょうど執事さんと
何かしらの打ち合わせ中だったようだ。

魔王様に話があった僕だったが、急ぎの案件ではない。
お二人の邪魔にならないように、デスクにつくことにしよう。

としたのだが、あっさりと執事さんに呼び止められる。


「ちょうどええタイミングやったなあ」


にんまりと執事さんが笑っている。
なんとなく嫌な予感がして、思わず後ずさりしそうになった。


「そう怯えずともよかろう」


魔王様が苦笑しながら、話を続けていく。


「実は、おぬしに再度チャンスをやってもよいのでは、と話しておったのよ」


チャンスとは何のことだ?
思い当たるのは一つだけ、先日同行できなかった会食の件だ。

くわしく事情を聞くと、先日の課題で不合格になった後も
めげずに自分なりの努力を積み重ねていた僕に対して
魔王様たちはある程度評価して下さっていたらしい。

もう一度チャンスを与えてもよい頃合いだろうと判断して下さったとのことだ。

僕は飛び上がりそうな気分だった。

評価されたくてがんばっていたわけではないけれど
それでも認められればやっぱりうれしい。


「とはいえ、今のままだと同行させるわけにはいかんのやけどな」


魔王の会社はやっぱり甘くない。
どうやら、またもや何かの条件付きのようだ。

どんな課題でもどんとこい!という思いで僕は話の続きを待った。


「お相手は大切なお客様じゃ。失礼があってはならぬ」


魔王様の言葉にごくりとつばを飲み込む。
今度は、一体どんな課題が課せられるのだろう。


「というわけで、執事からマナーのレッスンを受けるように」


魔王様の言葉に、僕は少し拍子抜けした気分だった。
レッスンを受けるだけでいいなら、よっぽど楽じゃないか。

会食のお相手の情報や日時について、与えられた情報をメモしていく。

会食の日まではちょうど1週間。
その間、終業後に執事さんがマナーを叩き込んで下さるということだ。


「さっそく今夜からや。初回は魔王様にも同席やで、せいぜい気張りや?」


執事さんはケラケラといつものように笑っていた。

いつもの風景のはずだ。そしてレクチャーを受けるだけのはずだ。
なのに、ぞくりと悪寒が走ったのはなぜだろう。

今思えば、このときの背筋が震える感覚はどうしようもなく正しかったのだ。




「さーて、まだまだ覚えることは山のようにあるで」


とっぷりと日が暮れたオフィスの応接室に、執事さんの掛け声が響く。

急遽開催されたマナー講座に何の備えも出来ていなかった僕は
マナー講座とは名ばかりの鬼のようなトレーニングに泣きそうになっていた。

魔王の会社に入るきっかけとなった執事さんは基本的にいつも陽気で
とんでもない魔物だということは知りつつも、フレンドリーで気安い印象を持っていた。

でも、今なら言える。
その印象だけで執事さんを判断したら、ひどい目にあう。


「あ、悪魔だ…」


講義中は執事さんは、まさしく鬼であり悪魔だった。

仕事の鬼と化した執事さんは普段の執事さんではない。
あれはもう、「執事サマ」というべき生き物だ。

「トーク以前に所作が悲惨やな」
「場面ごとの動きをとにかく体で覚えるまで終わらんからな」
「体を動かしながら、常に思考を巡らせるんや!」

一挙一動にとことんダメ出しを食らって修正される。
はっきり言って、容赦がない。なさすぎる。


執事さんいわく、立ち方や歩き方、目配り、小物の扱いなど
ある程度実績がある人であれば自然とそれなりの振る舞いが求められるのだという。

それこそ普段はぐうたらしていたとしても、いざというときには
完璧な振る舞いができるからこそ、一流を相手に仕事ができるらしい。

一言も発しなかったとしても、第一印象の振る舞いで9割以上が決まる世界。

それが魔王様や執事さんがいるステージであり、僕はそこに会食の同行というかたちで
飛び込むことになるわけだ。


「所作から人間が見えるんやで。お前なんかすっかすかに見抜かれるやろ」


執事さんの言葉に、僕は何も言えなかった。


「くっそーっ」


短い休憩時間の間、僕はソファに倒れ込んだ。
うめきが口から漏れる。

注意事項があまりに多すぎてメモをとる手も間に合わないし
頭も体もとっくにパンク寸前だ。

指導を受ければ受けるほど改善点が増殖していくなかで
僕の不安も同じくらい増えていく。


「これ、1週間で本当に間に合うのか…?」


心に浮かぶ不安を、思わずぼやいてしまう。
ただの泣き言に返事が返ってくるはずもない、と思っていた。


「今のままなら、まず無理じゃろうなあ」


思わぬところから、言葉が降ってきた。
ご自分の仕事をしながら僕の悪戦苦闘を横で見ていた魔王様だ。


「執事の要求レベルはかなりハイレベルじゃから、1カ月でも厳しかろうよ」


あやつは昔から本当に容赦がない、と魔王様がどこか懐かしそうに笑う。

お二人の思い出話も気にならないわけではないけれど
僕が注力すべき問題は別にある。

1カ月でも厳しいものをどうやって1週間で身につけろというのだろう。
多少の無理はがんばれるけれど、無茶なものは無茶なのだ。


「それってどうやっても無理ってことですか…?」


若干涙まじりの声で、僕は魔王様に問いかけた。
期待をさせておいてから、実はどうやっても無理でしたというのは酷がすぎる。

僕の問いかけに、魔王様はため息をついて、こう返した。


「目的を見誤るな。今回全てを身につけるなど、執事もハナから求めておらぬ」


僕は目を見張った。
あれだけ厳しく指導されたのに、求められていないとはどういうことだ。


「マナーの原則を身につけよ。最低限ではあるが、それさえできれば会食は問題なかろう」


魔王様はそれ以上は何も言葉を発することなく
再び自分の仕事に戻ってしまった。


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<第九の課題>

Q.身につけるべきマナーの原則とは何か?

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初回の特訓はついていくのが精一杯で、魔王様の問いに対する答えを最後まで見出すことはできなかった。


「ほな明日またな」


執事さんに見送られて、僕は帰路につく。
帰り道をとぼとぼ歩きながら、僕はひたすら魔王様の言葉を考えていた。


「マナーの原則って何なんだ?」


時間はいつだって有限だ。
一週間まるまるをマナーの学習に使えるわけでもない。

明日からも続く執事サマの特訓の中で、どこを重点的に押さえていくのか
ポイントを絞って身につけなければきっと無駄に消耗していくばかりだ。

疲れた体を引きずって歩く。
明日はきっとさらに疲れてしまうだろう。


「早く、答えを見つけなくちゃ」


僕のつぶやきは、夜空に吸い込まれて消えていった。


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<第九の課題のヒント>

①細かい所作ではなく、マナーとはそもそも何のためにあるのか?という観点に立ち戻った。

②音声収録の課題のときに気付かされた答えが一つのヒントになっていた。

今回の課題はやや難しいだろう。
初心者の新人が身につけるべきマナーの原則をぜひ一緒に考えてみてほしい。

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