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第9章

マナーを身に付けるならまずは根幹の考え方を押さえるべしー第九の課題解答編ー

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ふらふらとした足取りで家に帰り着いて
そのままベッドに倒れ込んだ。

どっぷりと疲れているのに、神経がやたら冴えている。


「今日は本当に盛りだくさんだったなあ」


マナーの特訓は初日から恐ろしい情報量の詰め込みだった。

今日の指導を一つ一つ、指折りながら振り返っていく。

とはいえ、多分忘れてしまっていることもあるだろう。
そして明日からもさらに特訓は続く。

「マナーの原則を身につけろ」と魔王様は仰った。

原則、つまりあらゆることに通じる基本のことだ。

学んだこと全てを身に付けることは現実的に無理だ。
だからこそ、土台となる部分を確実に押さえる。


「っていう理屈は分かるんだけど、原則って何なんだ…?」


マナー講座の中で聴いたフレーズがいくつも脳裏に浮かんでは消えていく。
手がかりはきっと、もう僕の手の中にあるはずだ。


「トーク以前の所作、場面ごとの動き、常に思考を巡らせる…あっ!!」


点が線になっていくような感覚が走った。
がばっとベッドから起き上がって、デスクへと向かう。

どうせ意識は冴えて眠れない。
なら、今浮かんだひらめきを残さず書き残しておきたい。

ペンをとって、走り書きを無駄紙に記していく。


「もしかして、こういうことか」


今までの気付きノートも見返しながら、僕のひらめきは
少しずつ確度を増していく。

会食の場でまず考えるべきは相手のこと。
相手のための場を作り、互いに信頼関係を築くための一手。


「明日、答え合わせをしよう」


答えはきっと、とっくの昔に僕の目の前に置かれていた。
ただ、気づかないでいただけだ。

翌日の夜遅く、マナー講座が始まる前に
僕は執事さんに答え合わせのための時間を取って頂くことにした。

昨日の指導に対する感謝をお伝えしてから、僕はこう切り出した。


「マナーって、相手のための行動をどれだけ徹底できるか、ってことなんですね」


僕は執事さんから所作の細かな部分まで徹底した指導をしていただいた。
特訓についていこうと必死になっていた僕は、細かな枝葉にばかりを追いかけていた。

けれど、根幹の部分は相手にとって心地よい場をいかに作るかということだ。
細部にばかり目がいって、本質を忘れてしまったら元も子もない。

僕の言葉に執事さんは大きく頷いてみせた。


「言葉で言うのは容易いが、問題は実践やな。さあて、今夜もビシバシやるで?」


僕の考えには間違いはなかったらしい。
けれど、考えを実践するためには当然猛特訓が必要なことに変わりはないわけで…


「オニがいる…」


僕が小さくぼやいた泣き言は、執事さんの耳に幸い届かなかったらしい。

そうして残りの日数全て、僕は通常業務が終わった後
体でマナーを覚えられるようにひたすら注力することになった。

毎日へとへとになって、泥のように眠りにつく。

若干ふらふらしながら、ついに会食前日を迎えた。
今夜最後の仕上げをして、いよいよ本番を迎えることになる。

まだまだ不安だらけだけれど、出来る限りはやれたと思う。
あとは当たって砕けるしかない。


「あれ?魔王様と執事さん??」


廊下を歩いていると、魔王様と執事さんが立ち話をしている光景に出くわした。

それ自体は珍しいことじゃない。
問題は、会話の端々に「新人」という単語が含まれていたことだ。

今の会社で新人と呼べるポジションにいるのは僕だけだ。
思わず物陰に隠れて、お二人の話に耳をすませる。


「あやつを見ていると昔を思い出すの…未熟で、それでいてがむしゃらで」


魔王様の言葉に、執事さんは小さく笑いを返す。


「昔の私たちは今より無茶苦茶でしたからね。熱量だけを頼りに、夢を必死で追いかけて」


ずっと関西弁の執事さんから指導を受けていたので
魔王様に相対するときの丁寧な言葉遣いにはちょっと違和感がある。


「時は流れ、人材も条件も揃ってきた。我らの夢をさらに加速させていかねばな」


執事さんに語りかける魔王様の口調はどこか柔らかい。
それこそ、ビジネスパートナーではなく、気心のしれた親友同士のような空気感だ。

壁からちらりと顔を出して、二人のやりとりを僕はずっと眺めていた。


とんでもない実力の魔王様、そして片腕ともいうべき執事さん。
彼らにだって、かつて未熟だった過去があるのだろう。


「お二人の、夢か」


彼らの夢とは何なのだろう?
そもそも、魔王様と執事さんはどんな経緯をたどって今に至ったのだろう?

僕は、何も知らない。


「知りたいなあ」


知らないことはあまりにも多い。

魔王様と執事さんのことをもっと知りたい。
魔王の会社のことだって、もっともっと知りたい。


「少しでも、近づきたい」


お二人の姿は今の僕には遠い。
それでも、僕はこの願いをあきらめたくない。


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<×月×日 気づきノート>

会食の結果は、さんざんだった。

執事さんの教えを活かしきれずに
待ち合わせ場所までの道に迷って、遅刻。

結果的に、お相手を待たせてしまった

会食中のトークや振る舞いも…
フォローして頂いたとはいえ、あまりに情けない。

もう、失敗は二度としたくない。

正直、怖い。

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