次の桜が咲き乱れるまで

七瀬 蒼

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「柊羽....」
深夜2時を回った頃。隼瀬は柊羽の名前を呼ぶ。
「ん...どうした?」
柊羽は元々眠りが浅く、隼瀬の咳だけでも目が覚めてしまうこともあった。
「きもちわるい....」
隼瀬は控えめにそう言った。柊羽は直ぐに洗面器に袋をつけると、隼瀬の口元へ当てた。
「う.......っ」
隼瀬は夜な夜な吐くことが増えた。先生は、病気が悪化したせいだと言っていた。柊羽はただひたすらに隼瀬の背中を摩った。
『こんな病気なんてなくなってしまえ』
何度そう思ったことか。
「うぅ......」
すすり泣く隼瀬の声。
お腹がすいても、何かを食べるとすぐに気持ちが悪くなる。隼瀬はそんな体質になってしまった。それを見兼ねた看護師さんが栄養のある点滴を入れてもらったが、お腹がいっぱいになるはずもなく。ゼリーを30分、1時間掛けて食べれば吐き気は襲ってこない。しかしその生活を繰り返していれば、本人ももちろん周りの支えている人も大変になってしまう。
「大丈夫だからな、隼瀬...」
半ば自分に言い聞かせるようにそう言った。
「げほっ、こほっ...んっ、ぁ....」
吐いて泣いて、余程体力を消耗したのだろう。隼瀬は何も言わず眠ってしまった。隼瀬の腕は常に点滴で結ばれており、自由に身動きすることすらもできない。
「隼瀬...」
柊羽は隼瀬の手を握ると、額に押し当てた。
「ごめん、本当に...」
柊羽はそう言うと、もう一度眠りについた。

翌朝。
「あの、柊羽...昨日は、ごめん...」
「起きたらまずは “おはよう” だろ?」
「あ...うん、おはよう」
ベットの上で上半身だけを起こした状態の隼瀬は、柊羽に向かって笑顔で挨拶をした。
「ああ、おはよう」
それに釣られて柊羽も笑顔で答える。
「気分はどうだ?」
「大丈夫。ありがとう」
柊羽は机の上にゼリー3つとスポーツドリンク、水を置くとベッドの横にある椅子に腰をかけた。この食べ物が、隼瀬の一日のご飯だ。
「お腹空いた...ねぇ柊羽。今日のご飯なあに?」
「今日はな、マスカットのゼリーがあったから買ってきた。隼瀬、ぶどう好きだろ?」
「うん、大好き」
隼瀬が笑うのを見ると、自然と柊羽の表情も柔らかくなる。
「水か、栄養ドリンク。どっちがいい?」
「俺、オレンジジュース飲みたい...」
珍しく隼瀬がワガママ言うものだから、柊羽はなんだか嬉しくなって「もちろん」と返して直ぐに病室をかけていった。
「ありがとう、柊羽!」
500mlのペットボトルに入ったオレンジジュースを受け取ると、にっこり笑って「飲みたい」と言った。柊羽は隼瀬からペットボトルを受け取ると、キャップを開けコップにほんの少しだけ注いだ。そのコップを受け取った隼瀬は、ちびちびと少しづつ飲む。
「美味しい」
果汁100%のオレンジジュースを飲むのは久しぶりのようで、隼瀬は飲む度に「美味しい」と言った。
「げほ、げほ!」
突然隼瀬が咳き込むものだから、柊羽は慌てて洗面器を取ろうとするが、隼瀬は笑いながら「変なところに入っちゃった」と言った。
「全く。しっかりしろよな、隼瀬...」
柊羽はホッと胸を撫で下ろすと、まだ咳き込んでいる隼瀬の背中をさする。
「ゼリーも食べるか?」
「うん、食べたい」
ゼリーの蓋を開けると、スプーンでほんの少しすくって隼瀬に渡す。一口で食べられる量も厳しく決まっていて、それを管理しているのは柊羽だ。隼瀬は受け取ったスプーンに乗っているゼリーを一口で食べると、ゆっくり噛んで食べた。
「美味しいか?」
「うん!美味しい」
「良かった。もう一口食べる?」
「食べたい」
柊羽はまた隼瀬からスプーンを受け取ると、次は果肉をすくった。
「ゆっくり噛んで食べろよ」
スプーンを渡すと隼瀬は喜んだ顔で頷くと、スプーンを受け取り1口、2口に分けて食べ始めた。そんな調子を一時間。隼瀬は満足したように食べ終わった。
「ありがとう、柊羽!すごく美味しかった」
最後に水を1口飲むと、隼瀬は疲れたように背もたれた。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。しっかりお腹いっぱいだよ。」
隼瀬は笑ってみせると、欠伸をひとつ零す。
「眠いんだな。なら寝ててもいいぞ。先生来たら起こしてやる」
「うん、そうする...おやすみ、柊羽」
「あぁ、おやすみ」
そう言うと隼瀬は夢の中へ入っていった。


隼瀬が寝たあと、すぐに先生が入ってきた。隼瀬を起こそうとしたが、先生がそれを止めた。
「あぁ、隼瀬くんは寝ていても大丈夫だよ。点滴を変えに来ただけだから」
「あっ、そうですか...」
どうやら気を張りすぎてしまったらしい。
「柊羽くんも疲れているでしょう?ありがとうね、看病ばっかり...本当なら、高校にも通えていたのにね」
「勉強面に関しては大丈夫です。他の友達から教えて貰っていますし...でも俺は、隼瀬の方が心配です。先生...隼瀬って、治るんですか...?」
恐る恐る尋ねてみると、先生は首を縦にも横にも降らなかった。
「それは、隼瀬くん次第なんだ。隼瀬くんが本気で治したいと願うのならば、我々も精一杯力を貸すし、応援だってする。でも、もし隼瀬くんが生きる希望を失ってしまったら、我々が最善を尽くしても本人の願望で全てが決まってしまうんだ。」
先生が言った言葉が、後半頭に入ってこなかった。生きる希望?願望?それが隼瀬に全てかかっているというのだろうか。
「えっと、その、つまり、どういうことですか?」
俺は先生が何を言っているのかわからなかった。
「...ごめんね、柊羽くんに話すことではなかったかもしれない。」
「それって、どういうことですか」
柊羽はいつもより低い声が出た。まるで柊羽には関係ない、と言われているようで。
「すみません、俺やっぱ頭に血が上ってたみたいです。頭冷やしてきます」
柊羽はそう言うと病室を後にした。
少し薄暗い廊下を歩く。窓を覗くと太陽が沈みかけていた。紅く広がる空は吸い込まれそうなほど綺麗だった。そして柊羽は、先程の言葉を思い出す。確か先生は、「生きる希望を失ってしまったら、我々が最善を尽くしても本人の願望で全てが決まってしまう」と言っていた。隼瀬が生きる希望を失う?それは一体何故?柊羽は廊下にしゃがみこみ、混乱する頭で考える。
「もし、俺のせいで、隼瀬が....」
言葉にした途端、頭が酷く痛んだ。
(もう考えるのはやめよう)
少し肌寒い廊下で膝を抱え顔を埋める。
(もういい...なんかもう眠いや、)
そのまま目を閉じる。


「柊羽くんもきっと疲れていたんでしょうね...」
「......」
「隼瀬くんもよ、ストレスの溜めすぎは体に良くないし、心にも良くないのよ。」
看護師さんは隼瀬のベッドの横にある椅子に腰をかける。本来なら、柊羽がいつもここに座っている。
「ほんとに、」
絞り出した声はとてもか細かった。
「俺、やっぱり柊羽に迷惑かけてるんだなって...ははっ、俺、やっぱり...」
隼瀬は上半身を起こした状態だったが、膝を曲げその間に顔を埋めた。
「隼瀬くん、しっかりしなさい。」
響いたのは、看護師さんの声。
「柊羽くんだってしんどくて辛い時はあるのよ。その時に、そばで支えるのは誰?」
「え...」
隼瀬は返答に詰まる。
「考えてる場合じゃないわよ、貴方よ、隼瀬くん。」
看護師さんと目が合った。その瞳は力強く、そして輝いていた。隼瀬も力強く頷くと、ベッドを飛び出した。「走っちゃダメよ、」という看護師さんの声なんて耳にもくれず、ただ走る。

「はぁ、はぁっ!」
走ったのは何年ぶりだろうか。いつも車椅子で移動していたから、走り方がおぼつかない。少し心臓が痛んで、抑えながらも走る。
──柊羽が1人になりたい時はきっと。
隼瀬は目的地に向かって走る。

「はぁ、はぁ...」
病院から少し離れた場所。桜が完全に散ってしまって、枝だけとなった木。
「は、隼瀬...?」
「柊羽、どこ行って...」
ぢく、と痛む心臓も今は関係ない。
「まさかお前、ここまで走って...」
「来たよ、柊羽が勝手なことするから」
隼瀬が柊羽を睨む。
「それは、お前が...」
と、続けようとしたとき。
「..........っ」
突然隼瀬が膝を着いた。両手で心臓あたりを強く押さえつけながら。
「隼瀬!!」
「大丈夫っ、発作じゃ、ない...」
発作じゃないということは、急に走ったことによる心拍数増加のせいだろう。
「ふぅ....」
暫く深呼吸を続けると、隼瀬は段々と落ち着いてくる。
「えっと、その、ごめん」
「柊羽が謝ることじゃない。でも、絶対一人にしないで、俺を...」
隼瀬は柊羽を抱き締めながらそう言った。
「あぁ、分かった。お前を絶対一人にさせない。」
お互い約束をかわすと、目を合わせてくしゃっと笑った。

「あらまぁ」
看護師さんは微笑ましく笑った。柊羽が隼瀬をおんぶし、おんぶされている隼瀬は柊羽の背中でぐっすりと眠っている。
「隼瀬、やっぱ疲れてたみたいで。あの、本当に、ごめんなさい。心配かけて...」
「いいのよ、私は気にしてない...は嘘だけど。もう。何があったかは聞かないけど、隼瀬くんにも相談はすることね。」
「はい、分かりました」
柊羽はしょぼんと頭を下げる。
「そして。隼瀬くん降ろしてもいいわよ、車椅子で運ぶから」
看護師さんはそう言いながら車椅子を差し出してくれる。
「いえ、大丈夫です。隼瀬、軽いですし。」
柊羽は軽く跳ねて隼瀬の姿勢を治しながらそう言った。
「そう?まぁ、大丈夫そうね。じゃあ頼んだわね。」

隼瀬の個室へ着くと、ベッドに隼瀬を降ろした。相変わらず隼瀬はずっと眠ったまま。
(かわいいな...)
無防備なほっぺを突きたいが、起こしてしまっても悪い。
(ちょっとなら、いっか)
人差し指で隼瀬のほっぺを触る。
「んっ...」
隼瀬が寝返りを打ったところで突くのをやめた。
「はーやせ、そろそろ起きないと夜寝れないぞ?」
俺がそう言うと、隼瀬は偶然目を開ける。
「あれ、俺...」
「お前、俺の背中で寝たんだよ。」
「えっ、重かったでしょ。別に起こしてくれても良かったのに...」
「いやいや、お前軽すぎだから。まぁ、最近あんま食べれてないもんな...」
「う、それはそうだけど...なんか力がないって言われてるみたい」
男なら誰しも「かっこいい」と言われたいように、隼瀬も体が弱い分「力が強いね」などと言われてみたいものだ。
「ははっ、それは違うよ。」
柊羽は笑いながら拒否する。
「じゃ、夜ご飯にしよっか。」
窓から空を見ると、日が落ちて少し暗くなり始めていた。
「今日のゼリーは何食べたい?」
「あるのでいいよ、大丈夫」
「んとね、蜜柑と桃、葡萄があるけど、なにがいい?」
「んー、蜜柑がいい」
少し悩んだ後、隼瀬は蜜柑ゼリーにすることにした。
いつもの如く、スプーンですくったゼリーを隼瀬に渡しそれを隼瀬が食べる。その横では柊羽がオムライスを食べている。いつもと変わらない風景。
今日もまた、「一日」が終わって行く。

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