不機嫌な子猫

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79話

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 本当にいつも登っていたのかと再度聞くが、レッドは当たり前かのように頷く。

「こんな登りにくいところに……? 俺は猿だったのか?」

 見上げながら思わず呟くと少し吹き出すような音がレッドから聞こえてきた。だがそちらを見るとレッドは無表情のままだ。

「……うーん。まぁいい。登ってみるか」
「いえ、躊躇されているようですし止めておかれたほうが。行きましょう」
「え、あーうん……」
「……お気に入りの場所でもピンとこないなら逆に……」
「何か言った?」
「いえ。次は地下牢へ行きましょうか。以前ラルフ様と……まぁ堪能されてました」
「俺が? 地下牢を?」

 胸壁を嬉々として登り、地下牢がお気に入りで堪能って、俺は一体どういうやつなの?

 自分に唖然となるしかなかった。そして地下牢は暗くて雰囲気があり過ぎて元々の自分が何をどう堪能したのか全く分からなかったし出来れば早々にそこから出たくて堪らなかった。
 結局その日は特にめぼしい出来事はなかった。
 その後も数日、ウィルフレッドは自分がよく向かっていたらしい場所をレッドに案内してもらっていた。だがどこもピンと来ない。クライドのいる場所もそうだった。クライド自身にはやはり妙な懐かしさを感じるというのに、過ごしている場所はやたらおどろおどろしい上にちっとも込み上げるものがない。
 ところで仕事場はともかく図書室では一体自分はどういう知識をもってして読んでいたのかというくらい古く難しそうな古文書にまで手を出していたようだ。自分のことを勉強家なのだろうかとすら思えていたくらいにはそこそこ知識があるようだと考えていたが、古文書などはもはや外国語どころか現代の言葉とも全然違っており、本当に読んでいたのか謎なくらい意味が分からなかった。だがレッド曰く「たまに仕事絡み以外でも何か調べものがあるとそういった本も読まれてました」らしい。
 別のところでは眼鏡をかけた、おそらくレッドと衣装が似ているので兄どちらかの側近であろう男に興奮気味に声をかけられた。

「ご記憶については誠に……しかしきっとルイ様の愛で元に戻ると思います」
「は、はぁ」
「あと例の──ああ、覚えておられないかもですが赤い石は誠に興味深い代物でした。かなりの魔力が込められてまして、実際ゴーレムが出たことからも分かるようにあれだけで様々な装置の役割を果たしていたようです。ただ残念なのはおそらくフェルが飲み込んだゴーレムのコアとも対をなしていたのではないかということ。今ではもうどういった動作や指示が組み込まれていたか確認の仕様がなく。いえでも改めてウィルフレッド様の知識はさすがでした。元々言動のわりに頭脳明晰な方だとは思っておりましたが魔物に対する知識なども本当に──」
「……エメリー。その辺で」
「ああ、そうですね、レッド。申し訳ございませんウィルフレッド様。興奮してつい。また改めて赤い石についてはウィルフレッド様にもご報告がいくかと思います。それまでにご記憶が戻っておられることを祈っております」

 圧倒されそうな勢いで話してきたエメリーと呼ばれた男は、だがとても礼儀正しい様子で頭を下げるとウィルフレッドたちから去って行った。

「な、なにがなんだか」
「申し訳ありません王子。普段はとても冷静なんですが興味のあることになるとエメリーは少々タガが……」

 少々?

 というかサラッと流しそうだったが「言動のわりに頭脳明晰」と言われたような気がする。
 胸壁や地下牢を思うと改めて自分はいったい普段どんな行動をしていたのだろうかと気が気でない。というか言動だけに、行動だけでなく会話もおかしかったのだろうか。顔が平凡な分、言動で奇抜さをアピールしていたのだとしたら痛すぎるのでこのまま封印したい。
 ちらりと横にいるレッドを見て、ウィルフレッドは顔が熱くなった。レッドに対してもおそらく上から目線だったであろうだけでなくおかしな言動をする自分を思うと居たたまれない。よくレッドはそばにいてくれたなと思う。
 いっそ思い出さないほうがいいのではと思ってみたが、時折見せてくるレッドの反応を見ているとやはり思い出すべきなのだろうなとも思った。
 ウィルフレッドが「魔物が王宮内にいるってだけで大問題のはずだもんな、普通は」と言った時も黙ったままじっと見てきたように、ちょくちょくそういったことがあった。おそらくだが、元々のウィルフレッドがする反応との違いなどに違和感を覚えるか何かをしているのじゃないだろうか。ただでさえ、ちっとも悪くないというのに記憶障害に関して責任を感じているのだ。ウィルフレッドとしては元の自分がおかしいやつかもしれないと恐れつつもレッドを思えば早急に記憶を取り戻すべきなのだろうなと思った。
 ほとんどずっとそばについていてくれたレッドだが、騎士団の小隊長でもあるようだ。最初の頃に思わず「騎士様」と呼びそうになったのもあながち間違いではないらしい。
 ある日「申し訳ありません。どうしても抜けられない演習が」と言ってきたレッドに対し、ウィルフレッドは快く見送りをした。

「フェル。俺はちょっと例の狭間胸壁のところへ行ってくるよ」
「レッドに止めておかれてはと言われたのでは」
「うん。そうなんだけど」

 最初はとてつもなく驚いたフェルとのやり取りも慣れてきて、ウィルフレッドはレッドもいないのをいいことに普通に会話していた。

「俺はあの場所がすごく好きだったみたいだけどピンとこなかったんだ。でも好きなのはクレネルの部分に腰かけて外の世界を眺めることだったみたいだし、もしかしたらそうすることで思い出すかもしれないって思って」

 狭間胸壁の凹凸部分の凹をクレネル、凸をマーロンと言うのだが、ウィルフレッドはそこに上手く体を預けて風景を堪能していたらしい。それも十歳くらいの頃からずっとらしいので、おそらくよほど好きだったのだろう。あんなところに登るなどやはり堪能するどころか怖さしか湧かない気がするが、レッドのためにもどうしても早く記憶を取り戻したかった。

「……私をこっそり連れていき、首輪を外してくだされば万が一あなたが上から落ちても必ず助けられますが」
「ありがたいけど、フェルやレッドが咎められるかもしれないことはしたくない。でもありがとう。もしレッドが戻ってきたら適当に言っておい……って、フェルは喋られないことになってるんだったな」

 あはは、と笑うとウィルフレッドは部屋を出た。少し考える様子を見せていたフェルがするりと部屋を抜け出したことには気づかなかった。
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