不機嫌な子猫

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114話

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 クライドはいつになく優しい声で囁いてくる。元々静かな声だがそこに優しさを加えるとその声はおそらくは甘く響くのだろう。もし実際そういう意味で囁き、そしてそれを聞いてうっとりと出来る者になら。
 うっとりなんて到底出来ない上に囁かれている内容が「血を寄越せ」だけにウィルフレッドは何故自分はこいつによって力を封じられているのだと改めて憤っていた。魔王として封印されたのはさておき、せめて力を封じられていなければ今すぐクライドに対し剣で払うなり魔法で吹き飛ばすなり出来て溜飲が下がっただろうにと思う。

「こ、この俺の血は貴重なものなのだぞ! なんてったって三番目とはいえこのケルエイダ王国王族の、スヴィルク家直系である正真正銘王子の血なのだ! しかも元魔王なのだぞ!」
「は。元魔王だからこそだ」
「煩い! 絶対に嫌だ!」

 ウィルフレッドの剣幕に、何を言っているのかは聞こえなくとも心配になったのだろう。レッドが再度ノックしてドアを開けてきた。

「王子──」
「安心しろ。痛くはしない。私に身を委ねろ。ゆっくり丁寧に抜いてやる」
「も、申し訳ありません」

 だがまたすぐに引っ込んでしまった。
 今は一体、と怪訝に思ったウィルフレッドはすぐにハッとなった。聞きようによってはクライドが言った「ゆっくり丁寧に抜く」という言葉はウィルフレッドの腕を切りつけ血を抜くのではなく、下品な話だがウィルフレッドのウィルフレッドを抜くといった風に聞こえたかもしれない。

「……お前だけは一生許さん」
「何の話だ」
「煩い! 先ほどにしても今にしても絶対レッドは勘違いした! 勘違いした! 最悪だ!」
「勘違い? 何故。私とお前の間に色などまずあるはずがないというのにどう勘違いするというのだ」
「俺だって意味が分からんわ! だが実際そういう噂はあるらしいし、レッドに至っては完全に俺と貴様が出来ていると思っている。あり得ないと再三言ってもだ! おまけにこれだ。絶対勘違いしている!」

 泣きそうだ。いや、さすがに実際泣きはしないが、泣きわめきたい気分だ。

「ありがたくもない話だが、実際私とお前の間にそんなものはない。なら放っておけばよいだろう。噂などいつか消える」
「他なら俺だってそう思えるわ! だがレッドにだけは勘違いされたくなどない……」
「……お前、体の関係があるだけでなくレッドが本当に好きなのか?」

 俯いているウィルフレッドを意味ありげに見てきたクライドがストレートに聞いてきた。

「な、お、俺、い、あ……」
「落ち着け」
「な、なん、何で! 何で、何で」
「いいから一旦黙れ」
「貴様が命令するな!」
「変に興奮してるとまたお前を心配のあまりレッドが入ってくるぞ。興奮しているお前を見てまた何か勘違いしないとも限らん」
「は、っぐ」

 ウィルフレッドがまな板の上の魚のように口をパクパクさせているとクライドがため息を吐いてきた。

「一旦話題を変えよう。そもそもお前が言うように魔王の頃例えばその人間の女に切りつけられたりしている訳だ。だが別に平気だったのだろう?」
「……魔王だからな」
「今のお前は元、魔王だからか? 何故そんなに血を取られることを恐れる」
「お、恐れてる訳じゃない! ただ、嫌なだけだ!」

 ムッとして言えば鼻で笑われた。
 確かに怖い。
 仕方ないではないかとウィルフレッドは内心思う。
 力がないウィルフレッドは未だに剣もまともに扱えない。よって反撃なども出来ないためか、切りつけられるといったことに対しても余裕ではいられない。おそらくはそういった絡みもあり「血」そのものに慣れていない。第三者としてならまだ見ていられたとしても、自分の体から血が出る状況など魔王時代のことをいくら覚えていても今のウィルフレッドとしては極力味わいたくないのだ。
 それでも戦いによって負傷するならまだ平気だっただろう。だが医療的な行為では戦うどころか歯向かうという感覚すら持ちようがない。よって中途半端に気が抜けるというか、気合いが入らない。怖さだけが残る。もしかしたら魔王だった頃でもあえて瀉血のような行為をされるのは嫌だったかもしれない。ちなみに瀉血とは人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を求める治療法の一つであり、ウィルフレッドとしては一切信用していない治療法でもある。

「分かった」
「分かったならよい」
「私の魔法で多少出血する程度の傷を負わせればいいのだな」
「同様に嫌だわ……!」

 即答したらクライドが、何をわがままなといった顔でウィルフレッドを見てきた。納得がいかない。結局言い聞かされ、腕を切られる羽目になった。
 クライドは外におとなしく待機していたらしいレッドを強引に引き入れてきた。その際基本的に表情を変えないレッドが少し困惑した顔をしていたので、クライドはろくに説明もせずにレッドを引き入れたのだろう。おそらくレッドは内心ドン引きなどしつつ焦っていたのではないかと思われる。ウィルフレッドはといえばぐったりとしてもはや何も言う気にもなれなかった。おまけに説明不足のまま、クライドは作業を進め始めた。

「……クライド殿はなぜウィルフレッド様をそのような小さな刃物で切りつけようとなさるのです」

 ウィルフレッドを押さえておくよう言われたレッドは、ウィルフレッドの腕を縛り出すのを見た時にはさらに怪訝な顔をしていたが、小さなツールナイフを出してきたクライドに対しとうとう質問してきた。

「刃物というか医療用ナイフだ」
「医療用……? とにかく王子に対して妙なことをされる訳ではないのですね?」
「当たり前だ。これは必要なことだしこの方も納得されている。いいからレッドはウィルフレッド王子を固定しててくれ。主人の安全のためにも」
「し、仕方ない。分かりました」

 妙なこと、とは。

 少なくともレッドの目からはクライドがウィルフレッドに対し「何故か」するどい小さな刃物で切りつけようとしている風に見えたようだ。医療行為ではなくただの傷害ということか。まさかプレイの一環などと思われなければいいがとウィルフレッドはそっと思ったりした。
 優秀なレッドの、妙に純粋というか普通というかといった反応に対し、何だかよく分からないが心臓がほんの少しきゅっと縮むような感じを覚え、なんとなくホカホカとした気持ちを味わっていたウィルフレッドの腕に、ナイフが容赦なく切りつけてくる。

「き、さま! 始めるなりなんなり一言くらい言えんのか!」
「ぼんやりとして力が抜けている時を狙ったんだ、怖くなかっただろうが。むしろ感謝して欲しいくらいだが?」
「するか!」
「王子……大丈夫なのですか? 痛みは? 具合は悪くなっていませんか? クライド殿。本当にこれは必要なことなのですか? というか今すぐ止血するべきでは? だというのに何故そのような容器に王子の血を……? あなたは一体何ということを……」

 いつものレッドを思えば予想外な反応を目の当たりにしただけでなく、いつもは無駄なほど冷静で淡々としたレッドがおかしいくらい動揺している様に、切りつけられ出血する怖さよりもウィルフレッドは妙な動悸のほうが上回った。
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