ホンモノの恋

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36話

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 もうすぐ夏休みに入るというある日、恵は飲み会に誘われた。いつもなら大抵断っているのだが、その飲み会に聖恒の兄である遥希が来ると聞いて参加することにした。
 遥希とは前に聖恒の家での家庭教師の仕事を辞めた時に話して以来だった。さすがに遥希に「あなたのかわいい弟さんとおつき合いしてます」とは言えない。少なくとも今は。ただ、もっと親しくなれたらとは思っていた。
 恵としてはそういう風に思うのは珍しいことだ。大抵はできるだけ無難に過ごすことを選択する。

 ……きよのお兄さんだもんな。

 ただ、酒を飲むのは止めておこうと一旦家へ帰った。車で来れば周りも酒を勧められない。
 別に酒に弱いわけではない。かなり強い、とも言わないが普通程度に飲めるし、普通程度に酒は好きだ。ただ万が一酔って、遥希に変なことを喋ってしまうといった恐ろしい展開になってしまったらと思うと全力で飲まないことを選ぶ。
 店へ向かうと既に遥希は来ているようだったが、隣には誰かがいたし年上であり人気のある、だが硬派そうな雰囲気の相手に友だちでもないのに気軽に近寄れず、恵は仕方なく適当なところへ座った。
 しばらく近くの相手と話していると「大月くん、来てたのか」という声がする。見れば遥希がすぐそこにいた。

「あ……」

 名前を呼ぼうとして、何と呼べばいいのか一瞬わからなくなった。普通なら松原くん、だろうか。だが年上なら松原さんのほうがいいのだろうかとオーラすらありそうな相手を見て思う。そしてその後に聖恒もそういえば松原なんだなと思うと何故か妙に呼びづらい気持ちになる。

「? どうかしたのか」

 恵の隣に座っていた男子が遥希に気をきかせたのか、違うところへグラスを持って向かっていった。そこへ遥希は座ると少し不思議そうな顔で恵を見てくる。

「い、いえ」
「久しぶりだな。今も家庭教師は続けているのか」
「はい」

 頷くと「それはよかった」と遥希が笑みを浮かべた。周りから少しそわそわとした様子が伝わってくる。

 ……この人、本当にモテそうだもんな。

 聖恒も整った顔しているが、つき合っている欲目関係なしにその顔立ちはかわいい。そしてその兄である遥希は聖恒とは違う系統の整った顔立ちで、とても男らしい。背も恐らく百八十くらいあるかもしれない。その上噂によればとてつもなく頭がいいらしい。性格は詳しく知らないが、何度か話をして顔立ちと同じように男らしい印象を受けていた。
 こんな相手に「あなたの弟さんとおつき合いさせてもらっています」などとやはり言えない。そんな勇気など持ち合わせていないと恵は微妙な気持ちで思った。

「何か考えごとでも?」
「いえ……」
「にしても大月くん、飲んでないじゃないか。酒、苦手なのか」
「ああ、俺はその、車で来てるので」

 本当に車で来ていてよかったと思った。酒など飲んでいたら余計に緊張するか、逆に緊張解れすぎるかして粗相しそうでしかない。
 こういう場で話でもして少しは仲よくなれたらと思っていたが、どうにも中々難しい。多分気の持ちようなのだろうが、恵は落ち着かなかった。おまけに系統が違う顔立ちとはいえ、どこか聖恒に似ているところもある気がして、余計に落ち着かない。
 どのみち遥希は少し話したらまた前のようにどこか別のところへ行くかと思っていたら、この場に留まりいかに弟がかわいいかを語ってくる。

「俺の周りに言ってもな、聖恒のこと知らないやつも多いからさ、張り合いがなかったっていうか。その点大月くんはよく知ってるだろうから何か楽しくて」

 よく知っていると言われ、過剰反応してしまいそうになる。居たたまれない。
 だが改めて「ブラコンなんだな」と少し緊張が解けた。そしてその後にブラコン兄に、弟とつき合っていますなどとなおさら言えるか、とまた微妙になる。

「あー君、大月くんって言うの? こいつにあまり飲ませないほうがいいよー」

 トイレにでも行っていたのか、どこからから戻ってきた風の知らない男子が一旦通りかかった後に戻ってきておかしそうに言ってくる。

「……え? な、ぜですか?」
「松原ってさ、すげー酒強そうにしか見えねーでしょ? それがさあ、強くねーんだわー」
「お前は藪から棒に失礼だな。俺は別に弱くない。ただいい気分になるだけだ」

 その男子の言葉に遥希がムッとしたように言っている。その様子を見ても恵は特に酔っている感じがしなかったのだが「あっは、もう酔ってる」と遥希の友人らしき相手が他人事のようにおかしそうに言っている。

「えっ、これ、酔っておられるんですか?」
「酔ってるよー。普段はもっと寡黙だよ。普段クールぶって女子からモテてんだから俺にもわけて欲しいよねー。どうせいかに弟がかわいいか語ってたんじゃね」
「…………はい」
「ぶは。おい、松原。後輩に絡んでんじゃねーよ。もう帰れば」
「……まあ、そうだな。十分聖恒のかわいさについて教えたしな。ではそうしよう」

 酔っていると聞けば、確かにどこか話し方が仄かにおかしい気もする。

「あ、帰られるんでしたら、俺、車だし、送りますよ。本当に酔ってるんだったら危ないし」
「こいつに不埒なことするヤツいるわけないじゃん。あーでも襲われたい子ならいるわな」

 思い切り吹き出した相手に苦笑していると「ゆっくり楽しんでいかないでいいのか」と遥希が聞いてきた。

「はい、十分楽しかったですよ」

 今度は苦笑ではなく、本当に笑って答えた。

「そういえば大月くん、俺の名前覚えてないのか」

 車で移動中、不意に遥希が聞いてきた。ちなみに一人暮らしをしているらしいが、今日は実家に送って欲しいと言われた。本人から「酒飲んだし、明日の朝は母親の味噌汁飲みたくなりそうだから」だと言われ、本気か冗談かわからなかったので「はぁ」と適当に相槌を打ちつつも聖恒の家へ向かった。少しだけでも聖恒の顔が見られたら嬉しいなと密かに思う。

「あ、っと、いや知ってますよ、その、松原さん、です」

 いざ口にすると遥希相手に「松原くん」とは言えず、一つしか年齢は違わないが「松原さん」と呼んでいた。

「店でも全然俺の名前呼ばないからもしかして覚えられてないのかと思った。でもまあ考えたら聖恒でわかるよな」
「はい」

 確かにいつもの印象からしたらよく喋るのかもしれない、と恵は密かに笑う。

「ていうか聖恒と仲よくしてくれているんだろう?」

 だが遥希が言った今の言葉で一気に血の気が引きそうになった。動揺しつつも運転中ということもあり、何とか気持ちを落ち着けさせる。

「大月くん?」
「あ、ああ、はい。仲よく……させて、もらってます」
「聖恒のことは何て呼んでる? やっぱり松原くんとか? それとも名前? あいつ下の名前かあだ名で呼ばれること多いし」

 仲よくという言葉に全然含みがないことにとりあえず安心しながらも、恵はおずおず答えていた。

「えっと、きよ、と……」
「へえ。じゃあ俺もあだ名にしよう。はる、とかどう?」
「は? え、な――」

 何で、と言いそうになって留まる。酔っているらしい相手に何でもへったくれもないかもしれない。

「決定な。じゃあ俺も恵って呼ぼうかな。いい?」

 いい、という言葉が聖恒の声をもう少しだけ低くした感じだったからだろうか。なんとなく煽情的に聞こえてしまい、恵は思わずドキリとした。

「家の前まで送ってもらって悪いな。せっかくだから寄っていくといい」
「あ、いえ。俺は……」
「いいからいいから。あ、車な、うちの駐車スペースに停めるといい。親父、今丁度車検らしくて。最近は一時間もあれば返してくれるとこ多いけど、何でも必要な部品の発注に時間かかるらしくて数日車、預けるんだってさ。だから遠慮するな」

 車を停めることを遠慮したわけではないのだがと思いつつ、改めてやはり遥希は酔っているのかなと恵はまたそっと笑った。
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