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オーブンより取り出す前から、辺りはバニラとラム酒の香りに満ちていた。焼き上がったものは艶々としており、柚斗(ゆうと)はにっこりと微笑んだ。
元々はフランス人と日本人のハーフであった祖父が洋菓子の店をやっていた。大好きな祖父の作る本格的な焼き菓子が柚斗は小さな頃から同じく大好きだった。
その祖父が亡くなった時に、この店を畳もうという話になった。父も母も全く違う仕事をしていたし、学生である弟はあまり菓子に興味はなかった。既に社会人だった柚斗は洋菓子を作るのも好きとはいえ、店に出せるほど色んな種類を作ることなど到底できそうになかった。
だが大好きだった祖父との思い出の店がなくなるのが嫌で、悩んだ挙げ句柚斗は思いきって脱サラすることにした。
もちろん祖父のように様々な菓子は作れない。ただ、一つだけ得意な焼き菓子があった。それの専門店にしよう。そう思い、柚斗は脱サラを渋る親を説得し、独立した。
最初の頃は中々上手くいかなかった。菓子には自信があったが、ネームバリューがない。祖父の頃からの客も一旦途絶えていた。店舗があった分、完全に一からという訳ではなかったので借金もそれほど抱えることにはならなかったが、やはりサラリーマンとは違って大変だと思い知らされた。それでも地道に頑張り続けた結果、大盛況とまではいかなくとも今はそれなりに日々何とかやっていっている。
「へえ、カヌレ専門のお店なんだねー」
常連客もでき、たまたま好奇心などで入ってくれる客もいる。
今日は客の一人が「ここ来る途中で喧嘩見ちゃって……」と少し元気なさそうに言っていたので「どうぞ」と味見用に切ってあるいくつかのカヌレと共にコーヒーを出すと喜んでくれた。こういうことができるのも小さな店ならではだとは思っている。
「嬉しいし美味しい。コーヒーも美味しいんですね。イートインもされたらいいのに」
「それはちょっと手が回らなさそうで」
「残念。でも元気出ました。……喧嘩なんですけど、とある女性に絡んでた人たちに向かっていった人がいて……それはいいことかもだけどやっぱり怖くて」
「ですよね。巻き込まれなくてよかった。お帰りの際もお気をつけくださいね」
店はそれなりに来客があるが、こうしてゆっくりと話す時間もある。
「ありがとうございました。是非またどうぞ」
その後、柚斗は笑みを浮かべて恐らく今日最後であろう客を見送った。
もちろん味で勝負しているが、たまにふと、弟みたいな容姿だったらなあと思うことがある。
祖父がハーフで父親がクォーターであり、柚斗と弟はワンエイスだ。フランス人の血が八分の一、混じっている。
フランス人とのワンエイスでありカヌレ専門店の店主。一見聞えもよさそうだ。だというのに柚斗はどこをどう見ても純日本人だった。ストレート過ぎるストレートな黒髪にあっさりとした平凡な顔立ち。身長はそれなりにあるが、大してつかない筋肉。
対して弟は、髪は同じく黒髪だがパーマをあてなくとも綺麗なカールをしている。そして日本人にも外国人にも見えるラテン系のはっきり整った顔立ち。体格も弟のほうがいい。性格はわりと無愛想だが、それでもお釣りがくるくらい見目がいい。
あの顔がカウンターに立っていれば客とゆっくり話す暇もないくらい、もっと客を呼べたかもしれない、などと少々純粋でない想像もついしてしまう。
まぁ、俺の作ったカヌレを好いてもらえたらそれでいいし、ゆったりした時間、好きだけどね……。
店を閉め、苦笑しながら柚斗は裏側のドアからゴミを捨てに出た。
そしてギョッとする。
ゴミ袋をクッションに、男が眠っている。
浮浪者? と一瞬思ったが、普通に小綺麗な若者の格好をしている。眠っているのでさほどわからないが、実際若そうだ。酔っ払いだろうか。
「ちょっと、ここで眠らないで」
少々恐々とだが声をかけてみた。しかし反応はない。
まさか死んでるとかはないだろうな?
このまま警察に連絡したほうがいいのだろうかと思いつつ、柚斗は恐る恐る近づいた。すると呼吸をしているのに気づき、少しホッとした。
「……おい」
あまり触れたくないが放っておくこともできなくて、渋々揺すってみた。するとようやく目を覚ましてくる。
「……あ?」
あ? じゃないよ何だよその第一声、などと思いつつもゆっくり声をかけてみた。
「具合、悪いの? 立てる?」
「……? あー……ふつーに寝てたっス」
普通に寝てた?
ごみ捨て場で?
一体どういう状況になったら普通に?
怪訝な顔が隠せてなかったのか、相手が座ったままじっと見てきた。
「普通、は寝ない、よ?」
「正確には女に絡むようなクソ共と喧嘩して相手ぶっ殺したところで疲れてぶっ倒れたっス」
「ええっ? こ、殺したの……」
「あぁ? んな訳ねェ。ぼこぼこにしたっつってんっスよ」
とりあえず関わるのをよそう。微妙な顔でそう思ったところで見なければよかったものを見てしまった。
「お前、怪我……」
「……あー」
何で気づくの、俺。気づいちゃったら放っておけないだろ?
左腕に滲んでいる血にドン引きしつつも仕方なく「……立てる? 消毒くらいならできるから」と声をかけていた。いっそ、その失礼な様子のまま「そんなのいっス」とでも断って立ち去ってくれないかなと少し思ったが、男は「うス」と素直についてくる。
仕方なく店内へ入れた。喧嘩で怪我をしたり態度が失礼だったりの相手だが、強盗などの可能性は考えなかった。
本人が言っていただけでなく、今日コーヒーを出した客も「とある女性に絡んでる人たちに向かっていった人がいて」と言っていた。そして目の前の男はひとりで倒れていた。他にも派手な喧嘩をした人がさらに存在しない限り、恐らくその当人だろう。
……多分、そんなに悪いやつじゃない、はず……多分。多分。
柚斗は祈るように自分に言い聞かせるかの如く脳内で繰り返した。
元々はフランス人と日本人のハーフであった祖父が洋菓子の店をやっていた。大好きな祖父の作る本格的な焼き菓子が柚斗は小さな頃から同じく大好きだった。
その祖父が亡くなった時に、この店を畳もうという話になった。父も母も全く違う仕事をしていたし、学生である弟はあまり菓子に興味はなかった。既に社会人だった柚斗は洋菓子を作るのも好きとはいえ、店に出せるほど色んな種類を作ることなど到底できそうになかった。
だが大好きだった祖父との思い出の店がなくなるのが嫌で、悩んだ挙げ句柚斗は思いきって脱サラすることにした。
もちろん祖父のように様々な菓子は作れない。ただ、一つだけ得意な焼き菓子があった。それの専門店にしよう。そう思い、柚斗は脱サラを渋る親を説得し、独立した。
最初の頃は中々上手くいかなかった。菓子には自信があったが、ネームバリューがない。祖父の頃からの客も一旦途絶えていた。店舗があった分、完全に一からという訳ではなかったので借金もそれほど抱えることにはならなかったが、やはりサラリーマンとは違って大変だと思い知らされた。それでも地道に頑張り続けた結果、大盛況とまではいかなくとも今はそれなりに日々何とかやっていっている。
「へえ、カヌレ専門のお店なんだねー」
常連客もでき、たまたま好奇心などで入ってくれる客もいる。
今日は客の一人が「ここ来る途中で喧嘩見ちゃって……」と少し元気なさそうに言っていたので「どうぞ」と味見用に切ってあるいくつかのカヌレと共にコーヒーを出すと喜んでくれた。こういうことができるのも小さな店ならではだとは思っている。
「嬉しいし美味しい。コーヒーも美味しいんですね。イートインもされたらいいのに」
「それはちょっと手が回らなさそうで」
「残念。でも元気出ました。……喧嘩なんですけど、とある女性に絡んでた人たちに向かっていった人がいて……それはいいことかもだけどやっぱり怖くて」
「ですよね。巻き込まれなくてよかった。お帰りの際もお気をつけくださいね」
店はそれなりに来客があるが、こうしてゆっくりと話す時間もある。
「ありがとうございました。是非またどうぞ」
その後、柚斗は笑みを浮かべて恐らく今日最後であろう客を見送った。
もちろん味で勝負しているが、たまにふと、弟みたいな容姿だったらなあと思うことがある。
祖父がハーフで父親がクォーターであり、柚斗と弟はワンエイスだ。フランス人の血が八分の一、混じっている。
フランス人とのワンエイスでありカヌレ専門店の店主。一見聞えもよさそうだ。だというのに柚斗はどこをどう見ても純日本人だった。ストレート過ぎるストレートな黒髪にあっさりとした平凡な顔立ち。身長はそれなりにあるが、大してつかない筋肉。
対して弟は、髪は同じく黒髪だがパーマをあてなくとも綺麗なカールをしている。そして日本人にも外国人にも見えるラテン系のはっきり整った顔立ち。体格も弟のほうがいい。性格はわりと無愛想だが、それでもお釣りがくるくらい見目がいい。
あの顔がカウンターに立っていれば客とゆっくり話す暇もないくらい、もっと客を呼べたかもしれない、などと少々純粋でない想像もついしてしまう。
まぁ、俺の作ったカヌレを好いてもらえたらそれでいいし、ゆったりした時間、好きだけどね……。
店を閉め、苦笑しながら柚斗は裏側のドアからゴミを捨てに出た。
そしてギョッとする。
ゴミ袋をクッションに、男が眠っている。
浮浪者? と一瞬思ったが、普通に小綺麗な若者の格好をしている。眠っているのでさほどわからないが、実際若そうだ。酔っ払いだろうか。
「ちょっと、ここで眠らないで」
少々恐々とだが声をかけてみた。しかし反応はない。
まさか死んでるとかはないだろうな?
このまま警察に連絡したほうがいいのだろうかと思いつつ、柚斗は恐る恐る近づいた。すると呼吸をしているのに気づき、少しホッとした。
「……おい」
あまり触れたくないが放っておくこともできなくて、渋々揺すってみた。するとようやく目を覚ましてくる。
「……あ?」
あ? じゃないよ何だよその第一声、などと思いつつもゆっくり声をかけてみた。
「具合、悪いの? 立てる?」
「……? あー……ふつーに寝てたっス」
普通に寝てた?
ごみ捨て場で?
一体どういう状況になったら普通に?
怪訝な顔が隠せてなかったのか、相手が座ったままじっと見てきた。
「普通、は寝ない、よ?」
「正確には女に絡むようなクソ共と喧嘩して相手ぶっ殺したところで疲れてぶっ倒れたっス」
「ええっ? こ、殺したの……」
「あぁ? んな訳ねェ。ぼこぼこにしたっつってんっスよ」
とりあえず関わるのをよそう。微妙な顔でそう思ったところで見なければよかったものを見てしまった。
「お前、怪我……」
「……あー」
何で気づくの、俺。気づいちゃったら放っておけないだろ?
左腕に滲んでいる血にドン引きしつつも仕方なく「……立てる? 消毒くらいならできるから」と声をかけていた。いっそ、その失礼な様子のまま「そんなのいっス」とでも断って立ち去ってくれないかなと少し思ったが、男は「うス」と素直についてくる。
仕方なく店内へ入れた。喧嘩で怪我をしたり態度が失礼だったりの相手だが、強盗などの可能性は考えなかった。
本人が言っていただけでなく、今日コーヒーを出した客も「とある女性に絡んでる人たちに向かっていった人がいて」と言っていた。そして目の前の男はひとりで倒れていた。他にも派手な喧嘩をした人がさらに存在しない限り、恐らくその当人だろう。
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