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1話
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最悪だ、とため息を吐きながら普段なら飲まない冷酒を口に含んだ。米の甘味が口の中に広がる。
……これは酔う。
空良(そら)は、二十四にもなって自分は日本酒すら美味しく味わえないのかと更にため息を吐いた。
元々美味しくなんて感じられない状況ではあるが、一人で飲んでるから余計美味しくないのかもしれない。とはいえ友だちと飲む気にはなれなかった。
今日、職場を首になった。
自分が取り返しのつかないミスでもしたのなら仕方がないと思えたが、そうではない。いくつか理由をあげられたが、恐らくはただの人員整理だろう。とても優秀だったとも言えないので「この俺を解雇して後悔しても知らないからな」といった上から目線な捨て台詞は吐いていない。
ちなみに一番今、地味に瀕死の打撃を受けているのが社員寮の撤退だ。一週間の間に出るよう言われた。理不尽だと反論する暇は与えられなかった、というか空良が呆然とし過ぎていた。
とてつもなく落ち込んだが、基本的に前向きな性格なので早々に会社を出た足で不動産屋に向かった。だがこの時期に安くて手頃な物件などあるはずもなかった。
仕事がない上に住むところもなくなってしまう。ついでに貯金も敷金礼金を何とか出せるくらいしかない。とはいえ遠い実家に帰るのも情けない、というか言えない。
あまりに絶望した空良がとりあえずしたことが、空いている居酒屋に入り酒を飲むことだった。
友だちに言えば「お前、そんなだから首になったり住むとこなくなったりするんだぞ」と呆れられそうだ。だからこそ一人で飲んでいるのだが、カウンター席で一人、酒を堪能出来るほど内面が大人でもなかった。
「あ、れ……? もしかして空良先輩です、か?」
これ以上冷酒を飲めば嫌なことを何もかも忘れるどころか、もう嫌だと心底後悔するほどの二日酔いに襲われそうだと思いながら、空良が切子グラスもどきを睨んでいると名前を呼ばれた。
「うん、空良先輩ですよー」
適当に頷けば、「こんなところでお会いできるなんて」とやたら嬉しそうな表情で丁度空いていた空良の隣に腰かけて来る者がいる。人の良さそうな青年だが、見覚えがない。
「……どちらさん?」
「あ、すみません。空良先輩が行っておられた大学の後輩です」
聞くところによるとほんの少しだけテニスサークルで一緒だったらしい。しかも理解できないことに空良に憧れていたと言うのだ。思わず空良は三回は聞き直した。だがその度、律儀に肯定してくる。
空良の三歳下らしい爽やかなイケメンは友だち数名と飲みに来ていたらしいが、いつの間にかその友だちに断りを入れ、空良の隣で飲んでいた。そして「雪夜と呼んでください」とニコニコ名乗ってきた。
雪夜(ゆきや)は聞き上手なのか人の良さそうな笑顔を振りまきながら空良の話を聞いてくれた。
「……最悪だよな。俺が何したってんだよ。つーか、ごめんな」
「何がです」
「だってお前、俺に憧れてたんだろ? なのに幻滅させるよーなこと言ってさ。つか、何で憧れてくれてんのか全くもってわからないけどな」
実際、わからない。
確かにテニスは得意だったが、目の前にいる絶対勝ち組にしか見えないイケメンに憧れられるほどの凄技だったとは思えない。そして他には全く憧れ要素を空良は自分に見出だせない。
「今も憧れてますよ。外なので何とか抑えてるんです」
「……変なやつだな」
「そうですかね? とにかく空良先輩。住むところ困ってるんですよね? あの……とても差し出がましいですが、よかったら俺のところ、来ませんか……? 俺、独り暮らしなんです」
「え、いいの?」
「いきなり言われても戸惑われるかもですが」
雪夜が続けてきた言葉と空良の言葉が被った。
これ、友だちなら「考えもなしに、だからお前は──」と言われる流れだ、と空良はその後で自分に微妙な気持ちになる。だが雪夜は一瞬だけポカンとした後はニコニコと笑みを浮かべながら嬉しそうに「はい、是非いらしてください」と頷いてきた。
こいつ、めちゃくちゃいい人だ……!
普段飲まない冷酒の魔法だろうかと、空良はふわふわした気持ちで日本酒のいるかいないかわからない神様に感謝した。
その後適当なところで切り上げて二人は雪夜のマンションへ向かった。今も大学生である雪夜だが、親の持つマンションに一人で暮らしているのだと言う。
「脛かじりで恥ずかしいですが」
「そんなの、かじられる脛があるだけ羨ましいよ」
へらへらと笑っていたが、マンションへ着くとその脛が特大らしいと空良は知った。
「……でけぇな」
いくら親の持つマンションでも大学生が一人で住むとは到底思えない。実際、上層階にある家の中に入るとかなり広かった。ワンルームに毛が生えた程度のものを想像していた空良はポカンと中を見回す。
酔いも覚めそうだ、とまだふらふらした頭で考えていると「はぁ……無理、ほんと無理」とため息が聞こえてきた。
「え、何が? 俺……?」
こんな凄いところに一時的だろうが住めることを既に脳内展開していた空良はハッと雪夜を見た。
「いえ……、あの憧れの空良先輩が俺の部屋にいる光景が尊すぎて息をするのも今辛くて。しかも先輩の様子、可愛いが過ぎる……」
「え?」
ごめん、ちょっと意味が分からない。
そう言いそうになって空良はまたハッとなった。
今、可愛いと言わなかっただろうか。
途端に走馬灯のように妹の愛読書たちが脳内に流れ出した。雪夜が言っていることは何一つ意味がわからないが、とりあえずどこかおかしいのはわかる。もしやこれは妹の愛読書にある数々の展開の一つなのではないだろうか。
この後、自分は「こんなところにのこのこ来たお前が悪い」とか言われながら押し倒され、嫌よ嫌よも好きのうちとばかりに初めてにも関わらず何度も達せさせられ、後ろの処女を奪われるのではないのか。
「エロ本みたいに……!」
「はい?」
脳内で展開していた筈が最後だけ口に出ていたらしい。雪夜がポカンとした顔をして、一人で勝手にドン引きしている空良を見てきた。
……これは酔う。
空良(そら)は、二十四にもなって自分は日本酒すら美味しく味わえないのかと更にため息を吐いた。
元々美味しくなんて感じられない状況ではあるが、一人で飲んでるから余計美味しくないのかもしれない。とはいえ友だちと飲む気にはなれなかった。
今日、職場を首になった。
自分が取り返しのつかないミスでもしたのなら仕方がないと思えたが、そうではない。いくつか理由をあげられたが、恐らくはただの人員整理だろう。とても優秀だったとも言えないので「この俺を解雇して後悔しても知らないからな」といった上から目線な捨て台詞は吐いていない。
ちなみに一番今、地味に瀕死の打撃を受けているのが社員寮の撤退だ。一週間の間に出るよう言われた。理不尽だと反論する暇は与えられなかった、というか空良が呆然とし過ぎていた。
とてつもなく落ち込んだが、基本的に前向きな性格なので早々に会社を出た足で不動産屋に向かった。だがこの時期に安くて手頃な物件などあるはずもなかった。
仕事がない上に住むところもなくなってしまう。ついでに貯金も敷金礼金を何とか出せるくらいしかない。とはいえ遠い実家に帰るのも情けない、というか言えない。
あまりに絶望した空良がとりあえずしたことが、空いている居酒屋に入り酒を飲むことだった。
友だちに言えば「お前、そんなだから首になったり住むとこなくなったりするんだぞ」と呆れられそうだ。だからこそ一人で飲んでいるのだが、カウンター席で一人、酒を堪能出来るほど内面が大人でもなかった。
「あ、れ……? もしかして空良先輩です、か?」
これ以上冷酒を飲めば嫌なことを何もかも忘れるどころか、もう嫌だと心底後悔するほどの二日酔いに襲われそうだと思いながら、空良が切子グラスもどきを睨んでいると名前を呼ばれた。
「うん、空良先輩ですよー」
適当に頷けば、「こんなところでお会いできるなんて」とやたら嬉しそうな表情で丁度空いていた空良の隣に腰かけて来る者がいる。人の良さそうな青年だが、見覚えがない。
「……どちらさん?」
「あ、すみません。空良先輩が行っておられた大学の後輩です」
聞くところによるとほんの少しだけテニスサークルで一緒だったらしい。しかも理解できないことに空良に憧れていたと言うのだ。思わず空良は三回は聞き直した。だがその度、律儀に肯定してくる。
空良の三歳下らしい爽やかなイケメンは友だち数名と飲みに来ていたらしいが、いつの間にかその友だちに断りを入れ、空良の隣で飲んでいた。そして「雪夜と呼んでください」とニコニコ名乗ってきた。
雪夜(ゆきや)は聞き上手なのか人の良さそうな笑顔を振りまきながら空良の話を聞いてくれた。
「……最悪だよな。俺が何したってんだよ。つーか、ごめんな」
「何がです」
「だってお前、俺に憧れてたんだろ? なのに幻滅させるよーなこと言ってさ。つか、何で憧れてくれてんのか全くもってわからないけどな」
実際、わからない。
確かにテニスは得意だったが、目の前にいる絶対勝ち組にしか見えないイケメンに憧れられるほどの凄技だったとは思えない。そして他には全く憧れ要素を空良は自分に見出だせない。
「今も憧れてますよ。外なので何とか抑えてるんです」
「……変なやつだな」
「そうですかね? とにかく空良先輩。住むところ困ってるんですよね? あの……とても差し出がましいですが、よかったら俺のところ、来ませんか……? 俺、独り暮らしなんです」
「え、いいの?」
「いきなり言われても戸惑われるかもですが」
雪夜が続けてきた言葉と空良の言葉が被った。
これ、友だちなら「考えもなしに、だからお前は──」と言われる流れだ、と空良はその後で自分に微妙な気持ちになる。だが雪夜は一瞬だけポカンとした後はニコニコと笑みを浮かべながら嬉しそうに「はい、是非いらしてください」と頷いてきた。
こいつ、めちゃくちゃいい人だ……!
普段飲まない冷酒の魔法だろうかと、空良はふわふわした気持ちで日本酒のいるかいないかわからない神様に感謝した。
その後適当なところで切り上げて二人は雪夜のマンションへ向かった。今も大学生である雪夜だが、親の持つマンションに一人で暮らしているのだと言う。
「脛かじりで恥ずかしいですが」
「そんなの、かじられる脛があるだけ羨ましいよ」
へらへらと笑っていたが、マンションへ着くとその脛が特大らしいと空良は知った。
「……でけぇな」
いくら親の持つマンションでも大学生が一人で住むとは到底思えない。実際、上層階にある家の中に入るとかなり広かった。ワンルームに毛が生えた程度のものを想像していた空良はポカンと中を見回す。
酔いも覚めそうだ、とまだふらふらした頭で考えていると「はぁ……無理、ほんと無理」とため息が聞こえてきた。
「え、何が? 俺……?」
こんな凄いところに一時的だろうが住めることを既に脳内展開していた空良はハッと雪夜を見た。
「いえ……、あの憧れの空良先輩が俺の部屋にいる光景が尊すぎて息をするのも今辛くて。しかも先輩の様子、可愛いが過ぎる……」
「え?」
ごめん、ちょっと意味が分からない。
そう言いそうになって空良はまたハッとなった。
今、可愛いと言わなかっただろうか。
途端に走馬灯のように妹の愛読書たちが脳内に流れ出した。雪夜が言っていることは何一つ意味がわからないが、とりあえずどこかおかしいのはわかる。もしやこれは妹の愛読書にある数々の展開の一つなのではないだろうか。
この後、自分は「こんなところにのこのこ来たお前が悪い」とか言われながら押し倒され、嫌よ嫌よも好きのうちとばかりに初めてにも関わらず何度も達せさせられ、後ろの処女を奪われるのではないのか。
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