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第一幕
一 銀の子犬
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「お嬢ちゃん、その花束いくらになる?」
初老の紳士がにこやかにマーナに声をかけてきた。
マーナは公園の片隅のベンチで小鳥相手に歌を歌っていたが、そう呼び止められて、振り返った。
「百合と薔薇と霞みそうの?銅貨三枚よ、おじさん」
無邪気な笑顔でそう答える。
「歌につられて来たんだが、花売りだとは思わなかったよ」
懐から銅貨を三枚取り出すと、マーナに手渡した。
「あんまり上手なんで、どこの歌姫かと思ったぞ?おじさんは」
にこにこ笑いながらマーナの頭をクリクリと撫でると、片目を瞑ってみせる。
マーナは目を見開き頬に朱を散らした。
「褒めてくれて有り難う!おじさん、マーナね、以前は街頭で歌うたっていたのよ」
マーナは貰った銅貨を小さな小袋に入れると、指定された花束を伸び上がる様にして紳士に渡した。
「ほーぅ。劇団か何かにいたのかい?」
「ううん、違う。歌姫じゃないもの。
一人でいつも歌ってたの。だって、マーナお歌が好きなんですもの」
にっこり笑ってクルクルッと黒い瞳を動かす。
「へーっ。それでもたいしたもんだ」
腕を組んで一人頷く紳士に、マーナは小さな小瓶を渡した。
「これは?」
「ポプリの小瓶。マーナのお歌を褒めてくれたお礼」
「いいのかい?…商売物だろう?」
マーナは首を振るとにっこり笑った。
「おじさんに貰って欲しいから」
紳士は嬉しそうにそれを胸のポケットに仕舞い込むのを見届けると、空を仰いだ。
何処からか重い鐘の音が響いてくる。
夕刻を告げる音だ。マーナは慌てて店じまいする。
「……それじゃ!おじさん。時間だから」
「おお、またこの公園においで。今度はおじさんの娘を連れてお花を買いにくるよ」
マーナは花籠を下げて町の商店街の方へ駆けだした。
帰る前に寄る所があった。
パン屋とお菓子屋である。
マーナが行くと、パン屋のおかみさんは、とれたての杏で作った特製のジャムを一瓶そっとしのばせてくれた。
かわりに最後に残った花束をプレゼントする。
次にお菓子屋へ行き、クッキーを百グラムほど買うと足取り軽く家路についた。
売上げの残りはだいぶあったが、それはこっそり貯金瓶に貯めていた。
仕立屋のショーウインドウに飾ってあるビロードのマントを一着買うためである。
後少しで手が届くほど貯まったので、その仕立物屋のお爺さんに訳を話し、とっておいて貰っているのだ。
「にいさまへのプレゼントなの。どうしても欲しいの」
涙を滲ませじっと見上げたその姿は、妙に父性本能をくすぐるらしい。
二の句も言わずに承知してくれた。
通りすがりに仕立物屋のショーウインドウを覗いた。
すると、飾られているマントに売約済の札が下げてある。
マーナは、ほっとした気持ちに成りながら、改めて空を見上げた。
空には細い月が登りはじめている。
マーナはその光景を見て顔を曇らせた。
急いで買い物を済ませたつもりだったのに、かなり遅くなったのだ。
彼女が兄と呼んでいるイシュタルは、だいたい朝方に眠り、夕方月が左四十五度ほどに登る頃、目を覚ます。
だから彼女がこの頃昼間、町で花売りをして働いているのを知らないはずだ。
時々付き合って昼間まで起きている事もあるが、たいてい眠っているか、書斎に閉じこもって調べ物をしている事が多い。
彼は、彼女が町へ出るのをよくは思っていなかった。
働かなくても自給自足出来るという理由もあるが、彼の知らない所で厄介事に巻き込まれるのを恐れているのである。だから、彼が眠る時、いつも彼女の部屋に来てその事を言い含めた。……この分じゃ、そろそろ屋敷を抜け出している事が彼にばれている事だろう。
月の登り具合を見て、マーナは深いため息をついた。
目の前に町への出入口である低い塀と木製の門が見えた。
門に向かって足を向けた時、黒いきっちりとしたスーツを来た男一人と猟銃を背負った男五名…総勢六名が門を潜って町に入って来た。
そうして、町を出ようとしているマーナを見咎めると、声をかけてきたのだ。彼らがいうには、狼が出たので、一人歩きは危ないという。
「銀色の狼の群れを見なかったかね。この町に逃げ込んだ事は確かなのだが……」
白髪が幾分混じった黒いスーツの男がにこやかな笑顔で尋ねてきた。
その首に銀の十字架が鈍く光っているのが見える。
「銀色?…ううん。マーナ、見てない」
「見かけたら、すぐおじさん達に教えるんだよ。凶暴でとても危険だからね」
「うん」
にっこり笑って見上げながら答える。
男は、マーナの頭を撫でると、他の者達を引き連れてそのまま町の中へ消えていった。
マーナはそれを黙って見ていたが、視線を感じ、キョロキョロ辺りを見渡す。
すると、道路の脇に大きな木製の樽があって、そこから足が見えていた。不思議に思い近づくと、そこに幼児と言っても可笑しくない年齢の子供が、似通った顔だちの男の人に抱かれて座っていた。
抱いていた男の人は、腹部に負った怪我により、既に死相が現れている。
マーナはその事に対し顔を曇らせた。
マーナに気付かれた事で、その者は身を固くして警戒した様子を見せる。
「神父さん達が猟犬使ってなくて良かったねぇ…おじさん」
屈んでにっこり笑う。
「猟師さんと神父さん達は町の中に入っていったよ」
彼は子供を庇う様に抱いていたが、マーナのその言いように、驚いた表情を見せた。
「…わたし達の事情を…知っているのか?」
「人狼……でしょ?探している様子の神父さんと狩人さん達は銀色の狼っていってたけど、ただの狼さんだったら、神父さん、いらないよねぇ……」
にこにこにこっと笑顔で答える。
警戒心とか、悪意とか感じさせない笑みだ。
彼はホッと息をついた。
普通ここまで相手に悟られてしまうと、相手は恐怖と嫌悪で悲鳴を上げるものだ。
だから、いつもならば人を呼ばれる前に相手を殺していた。
…が、彼はマーナの目を見て、不思議な事に安堵を覚えたのだ。
と、何処からともなく羽音が聞こえた。空を仰ぐと、こうもりが六羽ほどヒラヒラ舞っている。
それらはマーナを見咎めると、キィキィ抗議しながら彼女の周囲を回った。
「…迎えに来るって?」
マーナは困った様子で首を傾げる。
「あのね、神父さん達がこの町に来ているのよ?マーナは一人で大丈夫って伝えて」
コウモリが四羽、もと来た方向へ帰っていった。二羽はまだ残っている。まだ何かキィキィ言っていた。それに対し、苦笑する。
「……お小言でしょ?帰ったらいくらでもお付き合いしますって、にいさまに伝えて」
残りの二羽は渋々といった体で戻っていった。その様子を見ていた彼は驚愕に目を見開く。
(……使い魔?…まさか、いや、でも……)
彼…人狼の青年は、目の前の少女を人外の者なのかと疑った。
しかし、気配は人の物。困惑した表情で目の前で彼を見つめるマーナを見た。
マーナは微笑む。
温かい眼差しのまま……
「……この子だけでも、助けたい」
今まで庇う様に抱いていた幼子をマーナに見せた。
薄暗いあたりにも係わらず、その姿ははっきりと判る。
淡い金髪、白磁の肌、煙る様なエメラルドの瞳がきょとんとした様子で父親である青年を見上げていた。
「たった一人の息子なんだ。……妻が身をていして守ったわたしと彼女の子……」
マーナの立っていた場所には月明かりがさしていた。
差し出されるままにその幼子を受け取った時、月光に反応してマーナの腕の中でゆっくり変化し、生後五ヵ月ほどの大きさの狼になった。
毛並みは艶やかで親譲りの見事な銀である。
「スティン……御免な。父さん、お前と共に行けないんだ……」
マーナにスティンを預けた事で安心したのか、震える手で息子の頬を撫でると力尽きたのかその場にうずくまる様に倒れた。
「おじさん!」
マーナは真っ青になり小さな悲鳴を上げる。
「息子を……」
「うん、判ってる!マーナが連れていく……マーナの弟にするの」
青年は弱々しい微笑みを浮かべると縋る様にマーナを見た。
「にいさまも判って下さる。大丈夫……だから……」
マーナはボロボロ涙を零しながら懸命に頷く。
「お嬢ちゃん……息子を……スティンを、お願いします……」
マーナの小さな手を一度キュッと握り締め、そっと送り出す様に背を押した。
マーナは腕の中の小さな命を抱きしめて、ワアワア泣きながら、町を飛び出した。
青年は、息子が無事、逃げ果せたのを確認すると、幸せそうに目を閉じた。そ のまま姿を銀色の狼に変えて、生きる物の温もりを失っていった。
空の細い月が既に中央まで登っていた。イシュタルは堀を渡った向こうの、屋敷の外壁に当たる石塀の唯一の門に背を預けていた。
マーナの帰りを待っているのである。
門の外には、小さな草原があり、その向こうには森が広がっていた。その森を抜けた所にまた草原が広がっていて、その向こう側に、ここから一番近い町が広がっているのだ。
風がそよそよと草を靡かせた。
イシュタルの黒髪もフワフワと靡く。
町の方に視線を固定し、何処か不安げな様子でマーナを待っていた。
彼を不安にさせているのは、彼の放った使い魔が伝えた、破魔の法を操る神父と狩人が、マーナが出向いた町先で、人狼狩りを行っていると聞いたからだ。
(一族皆殺し……嫌な響きだ)
本当は危険を承知で迎えに行きたかったのだが、彼女一人なら疑われる全ての要素から逃れる方法があるとでもいわないばかりに彼が来るのを拒否した。 苦い思い出が脳裏をセピア色の映像と共に訪れる。
忘れかけていたその記憶。
振り上げる木の杭、鈍く光る銀の十字架、苦悩と絶望、憎悪に染まる目と目が交わされ、赤い血に染め抜かれる。
命の赤、死の赤。彼の一族が住んでいた古びた大きな城跡に、悲鳴と怒声が入り乱れ、彼と従兄弟達はどうにかその修羅場から逃げだした。
大勢の足音、少なくなっていく同胞。
気が付くと、逃げ込んだ町の路地裏で、一人荒い息をついていた。
ブルッと寒そうに身震いして、遠くを見る。
空には星が瞬いていた。冷たい冷たい光だ。ホウッと白い息を吐いた時、何処からか子供の泣く声が聞こえてきた。
「……マーナ?」
イシュタルはもたれ掛かっていた門の柱から背を起こすと、目を眇めて声の聞こえた方へじっと視線を向けた。
すると、町の方角から、背の高い草を分けつつこちらに向かう影が見える。 彼の待ち人であったマーナだ。
「…マーナ……マーナ!」
名前を呼びながら、初めは歩いて…だが、次第にそれが速くなり、末は駆けだしていた。
「……イシュタル……にいさま?」
名前を呼ばれて、顔を上げる。止まりかけていた涙が頬を伝い、ホロリと流れた。
幼い狼は、抱き上げているマーナの顔をその澄んだエメラルドの瞳で見つめながら小さく鳴いた。
「マーナ!心配したんだぞ」
駆け寄り、屈んで腕を開いたその中へ、マーナは躊躇う事なく飛び込んだ。 イシュタルは、マーナの抱いている幼い狼ごと抱き締める。
彼は、軽々とマーナの持っていた花籠や荷物、そして抱えていた幼い狼ごと抱き上げると、門へ向かった。
足元ではカサカサ草を踏みしめる音と吹き抜ける風の音、そしてイシュタルの耳元では、マーナの嗚咽が聞こえていた。
「……マーナ、その狼は?」
暖炉の前に敷かれたラグの上で、身体を丸くして眠る幼い狼へ視線を向けた。
「……スティン……」
ポツリと呟く様に答えた。マーナの目は泣き過ぎて、赤くなっている。
「……何で認めないんだろう。何で繰り返すんだろう。みんな悲しい。優しい心を持っているはずなのに……どうして?」
イシュタルはソファに深く座ったまま、隣に座るマーナの独白を聞いた。片手で彼女の肩を抱きながら、その黒髪を梳いてやる。
「……スティン、可哀相。まだ、あんなに幼いのに、パパもママももういない」
そう呟いて黒い瞳を髪を梳いてくれているイシュタルに向けた。マーナはイシュタルの頬に、その小さな手を添える。
「……にいさまのパパとママもいない。みんな、わたし達人間のせいだね……」
泣き笑いにも似た表情。イシュタルは目を見開く。
「人は臆病。とっても弱い。自分達と違う物に恐れを抱く。たとえ無害なモノであっても、ちょっとした事で悪いものだと決めつけてしまう……みんな、それぞれ生きてそこにいるって事は、互いがどんなに嫌っていても、必要だからあるのに、理解出来ていない」
イシュタルから視線を暖炉の火へ向けた。
酷く悲しい目でじっと炎を見つめている。
「……マーナ?」
「…とっても愚かだよね。感情がまだ未熟だという事に気付いていないんだろうね……」
そうして、目を閉じた。
「なんで、互いを認めようとしないのだろう。
ずっと、ずっと平行線」
悔しそうに唇を噛むと俯いた。
「にいさま……」
「……ん?」
「愚かで……本当に愚かでごめんね。でも、人を…マーナ達人間を嫌わないでね?」
泣きだしそうな声で、それだけ言った。
イシュタルは、それまで黙って聞いていたが、無言でマーナを膝の上へ抱き寄せる。彼の種族独特の妖艶で冷たい容貌に、それと判る暖かな微笑を浮かべた。
「……マーナ、わたしは嫌いではないよ?」
顔を寄せ、額に接吻る。
「わたし達を引き取ってくれて、居場所を与えてくれたターナとミネバに出会う事が出来たから」
「……うん」
「……わたしから何も彼も奪い去った彼らと違う人間がいると知った……だから」
背中を軽く叩く。ゆっくりとしたテンポで慰める様に。
「憎しみだけでは何も生まれない…だろう?互いに歩み寄りが必要だけど、それは難しい。
でも、自分に相対する相手のいい所を出来るだけ多く見つけようとわたしは思っている。
それを評価し、認めようと思っている。
……それを、教えてくれたのは、マーナ、君だったね」
イシュタルの琥珀の瞳が優しく和む。マーナの黒い瞳に再び涙が宿った。
「なにを心配しているんだい?マーナが気に病む事は一つも無いんだよ」
そう言って微笑んだ。
「いつでも側で君に笑っていて欲しい。わたしはね、いつもそう願っているんだよ」
マーナは笑った。涙を瞳に宿したまま、笑顔をイシュタルに向けた。そうして何度も頷いたのだ。優しい優しい吸血鬼に向けて。
初老の紳士がにこやかにマーナに声をかけてきた。
マーナは公園の片隅のベンチで小鳥相手に歌を歌っていたが、そう呼び止められて、振り返った。
「百合と薔薇と霞みそうの?銅貨三枚よ、おじさん」
無邪気な笑顔でそう答える。
「歌につられて来たんだが、花売りだとは思わなかったよ」
懐から銅貨を三枚取り出すと、マーナに手渡した。
「あんまり上手なんで、どこの歌姫かと思ったぞ?おじさんは」
にこにこ笑いながらマーナの頭をクリクリと撫でると、片目を瞑ってみせる。
マーナは目を見開き頬に朱を散らした。
「褒めてくれて有り難う!おじさん、マーナね、以前は街頭で歌うたっていたのよ」
マーナは貰った銅貨を小さな小袋に入れると、指定された花束を伸び上がる様にして紳士に渡した。
「ほーぅ。劇団か何かにいたのかい?」
「ううん、違う。歌姫じゃないもの。
一人でいつも歌ってたの。だって、マーナお歌が好きなんですもの」
にっこり笑ってクルクルッと黒い瞳を動かす。
「へーっ。それでもたいしたもんだ」
腕を組んで一人頷く紳士に、マーナは小さな小瓶を渡した。
「これは?」
「ポプリの小瓶。マーナのお歌を褒めてくれたお礼」
「いいのかい?…商売物だろう?」
マーナは首を振るとにっこり笑った。
「おじさんに貰って欲しいから」
紳士は嬉しそうにそれを胸のポケットに仕舞い込むのを見届けると、空を仰いだ。
何処からか重い鐘の音が響いてくる。
夕刻を告げる音だ。マーナは慌てて店じまいする。
「……それじゃ!おじさん。時間だから」
「おお、またこの公園においで。今度はおじさんの娘を連れてお花を買いにくるよ」
マーナは花籠を下げて町の商店街の方へ駆けだした。
帰る前に寄る所があった。
パン屋とお菓子屋である。
マーナが行くと、パン屋のおかみさんは、とれたての杏で作った特製のジャムを一瓶そっとしのばせてくれた。
かわりに最後に残った花束をプレゼントする。
次にお菓子屋へ行き、クッキーを百グラムほど買うと足取り軽く家路についた。
売上げの残りはだいぶあったが、それはこっそり貯金瓶に貯めていた。
仕立屋のショーウインドウに飾ってあるビロードのマントを一着買うためである。
後少しで手が届くほど貯まったので、その仕立物屋のお爺さんに訳を話し、とっておいて貰っているのだ。
「にいさまへのプレゼントなの。どうしても欲しいの」
涙を滲ませじっと見上げたその姿は、妙に父性本能をくすぐるらしい。
二の句も言わずに承知してくれた。
通りすがりに仕立物屋のショーウインドウを覗いた。
すると、飾られているマントに売約済の札が下げてある。
マーナは、ほっとした気持ちに成りながら、改めて空を見上げた。
空には細い月が登りはじめている。
マーナはその光景を見て顔を曇らせた。
急いで買い物を済ませたつもりだったのに、かなり遅くなったのだ。
彼女が兄と呼んでいるイシュタルは、だいたい朝方に眠り、夕方月が左四十五度ほどに登る頃、目を覚ます。
だから彼女がこの頃昼間、町で花売りをして働いているのを知らないはずだ。
時々付き合って昼間まで起きている事もあるが、たいてい眠っているか、書斎に閉じこもって調べ物をしている事が多い。
彼は、彼女が町へ出るのをよくは思っていなかった。
働かなくても自給自足出来るという理由もあるが、彼の知らない所で厄介事に巻き込まれるのを恐れているのである。だから、彼が眠る時、いつも彼女の部屋に来てその事を言い含めた。……この分じゃ、そろそろ屋敷を抜け出している事が彼にばれている事だろう。
月の登り具合を見て、マーナは深いため息をついた。
目の前に町への出入口である低い塀と木製の門が見えた。
門に向かって足を向けた時、黒いきっちりとしたスーツを来た男一人と猟銃を背負った男五名…総勢六名が門を潜って町に入って来た。
そうして、町を出ようとしているマーナを見咎めると、声をかけてきたのだ。彼らがいうには、狼が出たので、一人歩きは危ないという。
「銀色の狼の群れを見なかったかね。この町に逃げ込んだ事は確かなのだが……」
白髪が幾分混じった黒いスーツの男がにこやかな笑顔で尋ねてきた。
その首に銀の十字架が鈍く光っているのが見える。
「銀色?…ううん。マーナ、見てない」
「見かけたら、すぐおじさん達に教えるんだよ。凶暴でとても危険だからね」
「うん」
にっこり笑って見上げながら答える。
男は、マーナの頭を撫でると、他の者達を引き連れてそのまま町の中へ消えていった。
マーナはそれを黙って見ていたが、視線を感じ、キョロキョロ辺りを見渡す。
すると、道路の脇に大きな木製の樽があって、そこから足が見えていた。不思議に思い近づくと、そこに幼児と言っても可笑しくない年齢の子供が、似通った顔だちの男の人に抱かれて座っていた。
抱いていた男の人は、腹部に負った怪我により、既に死相が現れている。
マーナはその事に対し顔を曇らせた。
マーナに気付かれた事で、その者は身を固くして警戒した様子を見せる。
「神父さん達が猟犬使ってなくて良かったねぇ…おじさん」
屈んでにっこり笑う。
「猟師さんと神父さん達は町の中に入っていったよ」
彼は子供を庇う様に抱いていたが、マーナのその言いように、驚いた表情を見せた。
「…わたし達の事情を…知っているのか?」
「人狼……でしょ?探している様子の神父さんと狩人さん達は銀色の狼っていってたけど、ただの狼さんだったら、神父さん、いらないよねぇ……」
にこにこにこっと笑顔で答える。
警戒心とか、悪意とか感じさせない笑みだ。
彼はホッと息をついた。
普通ここまで相手に悟られてしまうと、相手は恐怖と嫌悪で悲鳴を上げるものだ。
だから、いつもならば人を呼ばれる前に相手を殺していた。
…が、彼はマーナの目を見て、不思議な事に安堵を覚えたのだ。
と、何処からともなく羽音が聞こえた。空を仰ぐと、こうもりが六羽ほどヒラヒラ舞っている。
それらはマーナを見咎めると、キィキィ抗議しながら彼女の周囲を回った。
「…迎えに来るって?」
マーナは困った様子で首を傾げる。
「あのね、神父さん達がこの町に来ているのよ?マーナは一人で大丈夫って伝えて」
コウモリが四羽、もと来た方向へ帰っていった。二羽はまだ残っている。まだ何かキィキィ言っていた。それに対し、苦笑する。
「……お小言でしょ?帰ったらいくらでもお付き合いしますって、にいさまに伝えて」
残りの二羽は渋々といった体で戻っていった。その様子を見ていた彼は驚愕に目を見開く。
(……使い魔?…まさか、いや、でも……)
彼…人狼の青年は、目の前の少女を人外の者なのかと疑った。
しかし、気配は人の物。困惑した表情で目の前で彼を見つめるマーナを見た。
マーナは微笑む。
温かい眼差しのまま……
「……この子だけでも、助けたい」
今まで庇う様に抱いていた幼子をマーナに見せた。
薄暗いあたりにも係わらず、その姿ははっきりと判る。
淡い金髪、白磁の肌、煙る様なエメラルドの瞳がきょとんとした様子で父親である青年を見上げていた。
「たった一人の息子なんだ。……妻が身をていして守ったわたしと彼女の子……」
マーナの立っていた場所には月明かりがさしていた。
差し出されるままにその幼子を受け取った時、月光に反応してマーナの腕の中でゆっくり変化し、生後五ヵ月ほどの大きさの狼になった。
毛並みは艶やかで親譲りの見事な銀である。
「スティン……御免な。父さん、お前と共に行けないんだ……」
マーナにスティンを預けた事で安心したのか、震える手で息子の頬を撫でると力尽きたのかその場にうずくまる様に倒れた。
「おじさん!」
マーナは真っ青になり小さな悲鳴を上げる。
「息子を……」
「うん、判ってる!マーナが連れていく……マーナの弟にするの」
青年は弱々しい微笑みを浮かべると縋る様にマーナを見た。
「にいさまも判って下さる。大丈夫……だから……」
マーナはボロボロ涙を零しながら懸命に頷く。
「お嬢ちゃん……息子を……スティンを、お願いします……」
マーナの小さな手を一度キュッと握り締め、そっと送り出す様に背を押した。
マーナは腕の中の小さな命を抱きしめて、ワアワア泣きながら、町を飛び出した。
青年は、息子が無事、逃げ果せたのを確認すると、幸せそうに目を閉じた。そ のまま姿を銀色の狼に変えて、生きる物の温もりを失っていった。
空の細い月が既に中央まで登っていた。イシュタルは堀を渡った向こうの、屋敷の外壁に当たる石塀の唯一の門に背を預けていた。
マーナの帰りを待っているのである。
門の外には、小さな草原があり、その向こうには森が広がっていた。その森を抜けた所にまた草原が広がっていて、その向こう側に、ここから一番近い町が広がっているのだ。
風がそよそよと草を靡かせた。
イシュタルの黒髪もフワフワと靡く。
町の方に視線を固定し、何処か不安げな様子でマーナを待っていた。
彼を不安にさせているのは、彼の放った使い魔が伝えた、破魔の法を操る神父と狩人が、マーナが出向いた町先で、人狼狩りを行っていると聞いたからだ。
(一族皆殺し……嫌な響きだ)
本当は危険を承知で迎えに行きたかったのだが、彼女一人なら疑われる全ての要素から逃れる方法があるとでもいわないばかりに彼が来るのを拒否した。 苦い思い出が脳裏をセピア色の映像と共に訪れる。
忘れかけていたその記憶。
振り上げる木の杭、鈍く光る銀の十字架、苦悩と絶望、憎悪に染まる目と目が交わされ、赤い血に染め抜かれる。
命の赤、死の赤。彼の一族が住んでいた古びた大きな城跡に、悲鳴と怒声が入り乱れ、彼と従兄弟達はどうにかその修羅場から逃げだした。
大勢の足音、少なくなっていく同胞。
気が付くと、逃げ込んだ町の路地裏で、一人荒い息をついていた。
ブルッと寒そうに身震いして、遠くを見る。
空には星が瞬いていた。冷たい冷たい光だ。ホウッと白い息を吐いた時、何処からか子供の泣く声が聞こえてきた。
「……マーナ?」
イシュタルはもたれ掛かっていた門の柱から背を起こすと、目を眇めて声の聞こえた方へじっと視線を向けた。
すると、町の方角から、背の高い草を分けつつこちらに向かう影が見える。 彼の待ち人であったマーナだ。
「…マーナ……マーナ!」
名前を呼びながら、初めは歩いて…だが、次第にそれが速くなり、末は駆けだしていた。
「……イシュタル……にいさま?」
名前を呼ばれて、顔を上げる。止まりかけていた涙が頬を伝い、ホロリと流れた。
幼い狼は、抱き上げているマーナの顔をその澄んだエメラルドの瞳で見つめながら小さく鳴いた。
「マーナ!心配したんだぞ」
駆け寄り、屈んで腕を開いたその中へ、マーナは躊躇う事なく飛び込んだ。 イシュタルは、マーナの抱いている幼い狼ごと抱き締める。
彼は、軽々とマーナの持っていた花籠や荷物、そして抱えていた幼い狼ごと抱き上げると、門へ向かった。
足元ではカサカサ草を踏みしめる音と吹き抜ける風の音、そしてイシュタルの耳元では、マーナの嗚咽が聞こえていた。
「……マーナ、その狼は?」
暖炉の前に敷かれたラグの上で、身体を丸くして眠る幼い狼へ視線を向けた。
「……スティン……」
ポツリと呟く様に答えた。マーナの目は泣き過ぎて、赤くなっている。
「……何で認めないんだろう。何で繰り返すんだろう。みんな悲しい。優しい心を持っているはずなのに……どうして?」
イシュタルはソファに深く座ったまま、隣に座るマーナの独白を聞いた。片手で彼女の肩を抱きながら、その黒髪を梳いてやる。
「……スティン、可哀相。まだ、あんなに幼いのに、パパもママももういない」
そう呟いて黒い瞳を髪を梳いてくれているイシュタルに向けた。マーナはイシュタルの頬に、その小さな手を添える。
「……にいさまのパパとママもいない。みんな、わたし達人間のせいだね……」
泣き笑いにも似た表情。イシュタルは目を見開く。
「人は臆病。とっても弱い。自分達と違う物に恐れを抱く。たとえ無害なモノであっても、ちょっとした事で悪いものだと決めつけてしまう……みんな、それぞれ生きてそこにいるって事は、互いがどんなに嫌っていても、必要だからあるのに、理解出来ていない」
イシュタルから視線を暖炉の火へ向けた。
酷く悲しい目でじっと炎を見つめている。
「……マーナ?」
「…とっても愚かだよね。感情がまだ未熟だという事に気付いていないんだろうね……」
そうして、目を閉じた。
「なんで、互いを認めようとしないのだろう。
ずっと、ずっと平行線」
悔しそうに唇を噛むと俯いた。
「にいさま……」
「……ん?」
「愚かで……本当に愚かでごめんね。でも、人を…マーナ達人間を嫌わないでね?」
泣きだしそうな声で、それだけ言った。
イシュタルは、それまで黙って聞いていたが、無言でマーナを膝の上へ抱き寄せる。彼の種族独特の妖艶で冷たい容貌に、それと判る暖かな微笑を浮かべた。
「……マーナ、わたしは嫌いではないよ?」
顔を寄せ、額に接吻る。
「わたし達を引き取ってくれて、居場所を与えてくれたターナとミネバに出会う事が出来たから」
「……うん」
「……わたしから何も彼も奪い去った彼らと違う人間がいると知った……だから」
背中を軽く叩く。ゆっくりとしたテンポで慰める様に。
「憎しみだけでは何も生まれない…だろう?互いに歩み寄りが必要だけど、それは難しい。
でも、自分に相対する相手のいい所を出来るだけ多く見つけようとわたしは思っている。
それを評価し、認めようと思っている。
……それを、教えてくれたのは、マーナ、君だったね」
イシュタルの琥珀の瞳が優しく和む。マーナの黒い瞳に再び涙が宿った。
「なにを心配しているんだい?マーナが気に病む事は一つも無いんだよ」
そう言って微笑んだ。
「いつでも側で君に笑っていて欲しい。わたしはね、いつもそう願っているんだよ」
マーナは笑った。涙を瞳に宿したまま、笑顔をイシュタルに向けた。そうして何度も頷いたのだ。優しい優しい吸血鬼に向けて。
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