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第六章

尊き御方【シェンナ視点】

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「苦しい?大丈夫だよ。すぐ治してあげるから」

初めてお会いした時、とっても苦しくて倒れそうになった私に、あの方は優しくそう仰ってくれた。

「人の心は自由であるべきだから」

『魅了師』と言う方々は、自分の欲で心を縛る邪悪な存在だと聞いていたのに、あのお方はまるで真逆だった。

「将来旦那さんになる人に食べて貰えるよう、頑張ろうね」

コリン様に食べて頂きたくて教示を乞うた私に、あのお方はパンケーキという美味しいお菓子の作り方を教えて下さった。

「心配しないでね。君の大事なグリフォンもコリン王太子も、俺が助けるから」

オンタリオへの道中、あのお方は疲労と心細さで弱っていた私に治癒を施し、何度も励まして下さった。

最初は白い仮面を被った恐ろしいお方と思ったけれど、あのお方の底がない優しさと美し過ぎる魂に触れて直ぐ、間違った認識だと分かった。

聖獣様に口止めされているのだけれど、私が聖獣様から受け継いだのは容姿だけではない。人限定だけど、聖獣様のように魂の輝きが視えるのだ。

あのお方の魂は、神々しくて綺麗…なんて単純な言葉では表せられない位の輝きだった。

守護獣である聖獣様の血を色濃く受け継ぐ私を、カルカンヌの人々は巫女姫と敬い大事にしてくれた。

自国の民は皆、穏やかな魂を持っている。でも、外の国の人達は親切そうな顔をしているけど、その大多数は魂が煤けていて、酷い人になると、淀んで嫌な色をしている事もあった。

だけどコリン様は違った。

奇異の目で見られる私の見た目を「綺麗だ」と褒めてくださり、好意を伝えてくださったのだ。

私はコリン様の清らかで優しい魂が、コリン様の全部が大好き。

だから、聖獣様をお助けする為、コリン様の真意を知る為に頑張ってオンタリオに赴いた。
あのお方が、お兄様と一緒に聖獣様とコリン様、そして私を守ってくれると言ってくださったから。

聖獣様に真摯に対応してくださり、無償で私達を助けようとしてくださるあのお方に、どれ程勇気を頂いた事か。

聖獣様みたいに威厳があったり、いつも護ってくれるお兄様みたいに格好良かったり、それから…まるでお母様みたいに優しく温かな『黒の魅了師』様。

私のお母様は、私を産んですぐに亡くなってしまわれたから、乳母を含めた育ての母はお兄様と聖獣様だ。そしてお兄様は、私が物心つく頃から、よく私のお母様との思い出話を聞かせてくれた。

『側室の子だった私を疎む事も虐げる事もなく、慈しみ大事に育ててくださった。シェンナが産まれるのを、とても楽しみにしておられたよ』

姿絵と兄の思い出話で想像していたお母様。

魅了師様は風貌も性別も全く違う。

だけど、お母様が生きていたら…きっと魅了師様みたいにお優しいのだろうなと思ってしまった。

お兄様が、魅了師様に想いを寄せていらっしゃるのを知ったのは、私達が和解してすぐの事だ。
私と聖獣様を守る為、お兄様は命をかけて魅了師様と対峙した。

でも逆に諭され、命を救われてから、あのお方に惹きつけられてしまったのだそうだ。

あのお方への恋慕を気恥ずかしそうに打ち明けたお兄様に、私は妹としてその恋を応援したいと強く思った。

でもきっと、お兄様の初恋は叶わない。
だって、魅了師様とベル様は特別な関係でいらっしゃるに違いないから。

黒蛇の従魔に擬態されてらっしゃるけれど、あれはベル様の本来のお姿ではないと本能で感じられた。
そしてベル様の魅了師様への強い想いも。

私が感じられたのだ。聖獣様はベル様の本来のお姿を察しておられるのだろう。
だって『魅了師は憧れるだけに留めておけ』と、お兄様に釘を刺しておられたから。

意気消沈していたお兄様がお気の毒だった。とても心が痛んだけど、「想えるだけで幸せだ」と言って微笑んだお兄様は、やっぱりとても格好良いと思った。

人となりもだけど、仮面越しでもこれだけ私達を惹きつける魅了師様。

その隠された仮面の内は、一体どんな容貌なのだろう。一度だけでも御尊顔を拝んでみたいと、不謹慎にもお兄様共々思っていた。

お声を聞く限り、まだお若いのだろうと思っていたのだけれども、魅了師様は何百年もご存命されているお方なのだとお兄様から聞いた時は驚いた。

もしかすると、魅了師様は人族ではなく長命種のエルフなのだろうか。
それとも…ううん。聖獣様の血を継ぐ私にとって、そんなのどうでもいい事だ。

物腰を見れば、男性である事は間違いない。魅了師様は美しい烏羽玉うばたまの髪をしていて、声もよく通る透き通った音色。手足も長く綺麗で、細すぎずしなやかな体躯。

それらに見合う魅了師様のお顔って、優しい面差しなのかしら?それとも凛々しく精悍な顔立ち?美しい魂と同じでとっても綺麗なのかしら?

接する時間が長ければ長いほど、私とお兄様は魅了師様に魅せられていく。

『魅了』というのは『目』が見えなければ使用不可能というのは嘘で、本当は魂から滲み出るものなのだろう。だから、仮面をつけていようが魅了師様が万物を畏怖したり、惹きつけられたりするのだ。

そう信じるようになっていった私だけれども、後にそれが大きな間違いだったと知る事となる。




「しっかりなさって下さい、魅了師殿!!」

膝をつかれた魅了師様に、お兄様と私は蒼白になった。私達を守って下さっていたベル様が真っ先に魅了師様の側に這い寄り、私達もそれに続く。

謁見の間で対峙した恐ろしい悪魔によって呪いを受け、傷つき血を吐かれるお姿に頭が真っ白になる。

だけど、真っ赤な滴が仮面から流れ落ちるのを見て、苦しむ魅了師様を見ても、私とお兄様は側で声をかけ続けるしかできなくて…。ベル様が必死に介抱しているけれど、私達は何もして差し上げられない。

「魅了師さ、ま!!」

更には、悪魔が国王陛下とコリン様に無体を働こうとしている。
このままお兄様達が殺され、私も戦争の道具とされてしまうのか…。

いえ、私達は最悪死んでもいい。けれどせめて、なんの罪もない人達やベル様、そして誰よりも魅了師様が助かる道はないのか。

絶望に打ちのめされて涙していた私は、俯いていた魅了師様が急に仮面に手を掛け、取り外したのを見て目を瞬かせる。

喉を焼かれ、お苦しいのだと胸が痛み、声をかけようと口を開いた……その時だった。

「……!!」

ゆっくり顔を上げた魅了師様を見て私は言葉を失った。

だって、そこには女神様ミューズがいらっしゃったのだもの。

『なんて…綺麗…!』

玉座に在る上位悪魔ラウルの人工的なそれなど、足元にも及ばない。

こんな『美』を目にする機会など、今までも…そしてこれからもきっと有り得ないだろう。
そう確信してしまう程、魅了師様は言葉で表せない程に麗しかったから。

仮面を外された魅了師様のかんばせは、美しく輝く魂そのもの。

中性的で完璧に均整が取れた容貌は、見る者全てを虜にする蠱惑こわくさを秘めている。

艶やかな黒髪に縁取られたかんばせ。すっと通った鼻梁、麗しい唇もだけれど、何よりけぶるように長い睫毛の下にある双眼は…あぁ……。

「なんと…お美しい…!」

お兄様が感極まりながら魅了師様に見惚れている。

蕩けそうな表情は、正に心奪われたと言わんばかり。侍女達も周りにいる人達も、魅了師様のお顔を見た途端、お兄様と同じ状態になっていた。

痛みに顔を歪め、口から血を流していようとも、このお方の美しさがそこなわれる事はない。

容姿のあり得ない美しさもだけれど、何よりも素晴らしいのは強い意志を孕んだ、聖獣様の羽よりも眩しい金の色に染まり、煌めく双眼だった。

ーー無条件でこのお方に平伏したい。従いたい。このお方に全てを捧げたい。

自分の意思とは違う衝動が沸き上がり、心を突き動かされそうになる。

仮面の時とは比較にならない強制力。これが…魅了師様の『魅了』で、本来のお力だというの!?

魂、容姿、そして『目』。それらが織り成し、絶対的な美の化身を創り上げている。

お兄様も侍女達も、周囲の者達全てが熱に浮かされ惚ける中、魅了師様は蹌踉よろけながら立ち上がった。
そして絶対的な輝きを、真っ直ぐ玉座の悪魔に向けたのだった。
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