光の剣

湯島晴一

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燦然と輝く太陽は、細やかな鏃の如き陽の光、そして、怒気を帯びたかのような凶暴な熱とを一切の容赦も無く地上へと投げ掛けていた。
熱気を孕んだ微風に運ばれるかのように、寺院からと思しき祈りの声が響いてくる。
哀感を含んだかのような切々たるその響き、それらはまるで今の私の心境を映しているかのようだった。

ここは砂漠のオアシス近くに位置する街。西の国々とを繋ぐ交易路の中継点でもあるこの街は、盗賊などから守りを固めるための城壁で四方を囲われている。
城壁に囲まれた市街地は、繁栄と賑わいとに満たされていた。
 
バザールに程近い安食堂、その中は猥雑な香りと賑わいとで溢れ返っていた。
香辛料の薫りや肉の焼ける匂いなどに満ちた店内では、露天商や行商人と思しき面々が慌ただしげに食事を掻き込みながら、喧々と会話を交わしている。
かと思えば隅のほうの席では、貧相な身なりの老人が雑穀入りのパンをゆっくりと噛み締めている。
そんな店の片隅にて、私は独り、いつものように豆と鶏肉とのスープを啜っている。
鶏肉の筋ばった歯応えや煮込まれた豆のホロホロした食感には、何とも郷愁をそそられる思いだ。
『この街有数の大商人であるご主人様が、
 こんな安食堂で食事を召し上がられる
 だなんて不釣り合いですし、
 それに物騒ですよ。』
と、私に常々苦言を呈していた番頭の、困り果てたような顔が脳裏に浮かぶ。
思わず、唇の端に微笑みが浮かび上がる。
食事を終えた私は、顔なじみである食堂の店主に「ご馳走さん、旨かったよ。」と声を掛け、カウンターの上に三枚の金貨を置いて食堂を出た。
銅貨三枚も払えば事足りる食事だが、今日はそれでいい。
大通りを歩み去ろうとする私の背中に、食堂から飛び出してきた店主が何やら大声で叫び掛けているが、私は挙げた右手を軽く振り、そのまま歩みを進める。

熱を孕んだ砂塵混じりの微風が、街の大通りを吹き抜ける。
 

バザールの喧噪が耳に入る。
予定の時間には、まだ少し間があるようだ。
これでバザールも見納めにしようと思い立った私は、大通りからバザールの中へと足を踏み入れる。
食料、香辛料、服、雑貨、日用品、装身具、その他諸々が所狭しと並べられたバザールの中は、熱気と喧噪に満ち溢れていた。
四方から押し寄せるかのような賑わいを浴びながら、私は迷路のようなバザールの中を漫ろ歩く。
最早馴染みの光景だが、今日は何とも感慨深く思えてしまう。
 
とある小さな露店が目に入る。
痩せ細った、そして、着ている服も見窄らしい、寂しげな面持ちの少年が一人で店番をしている。
売っているのは林檎にプラム、そしてイチジクといった果物だ。
切なげな少年の面差し、そして林檎の朱とが私の胸をチクリと刺す。
私は露店に歩み寄り、そして、少年に問い掛ける。
「店番は君だけかい?
 親御さんはいないのかね?」
少年は答える。
「親は母ちゃんだけだ。
 今日は弟が熱を出しちまって
 母ちゃんは看病しているから、
 俺が店番をしてる。」
頷いた私は、財布から金貨を十枚ほど取り出して少年へと差し出す。
「感心なお兄さんだ。
 この店の果物を全部買い取らせて
 貰いたいが、これで足りるかね?」
少年は目を丸くし、呆然とした表情をその顔に浮かべて私を見詰める。
そして、無言で何度も頷く。
恐らく、金貨などとは縁の無い暮しぶりなのだろう。
切々とした痛ましさが私の心を苛む。
少年は、押し頂くようにして私から金貨を受け取る。
私は少年に語り掛ける。
「お釣りは要らないよ。
 肉でも卵でも栄養のあるものを買って、
 弟さんに食べさせてあげなさい、
 感心なお兄ちゃん。
 果物は、代官所の隣の孤児院に
 全部届けておくれ。」
泣き出さんばかりな少年の、雨霰のような感謝の言葉を背に受けながら、私は露店を後にし、そして、バザールから歩み出る。




バザールから出た私を、燦然たる陽の光が包み込む。
真昼ともあって、街行く人影は疎らだ。
砂塵混じりの微風を浴びながら、私は代官所を目指して歩みを進める。
そこには王都から派遣されてきた代官がおり、この街の行政や裁判、そして防備などを司っている。
この街有数の大商人であった私と代官とは顔なじみの間柄だ。
もっとも、この私が商人であったのは昨日までのことだが。
営んでいた絨毯店の一切は、ここ十年以上の間、私に忠節を尽くしてきてくれた番頭に譲り渡してきたのだ。
家族も持たぬ私に、今や商いも、そして財産も必要無いのだ。
 
代官所に至る道筋の所々に物乞いの姿を見掛ける。
陽を避けるべく建物の影に身を寄せ、そして地に座り込んだ彼らの姿には、嘗て砂漠にて送った無為の日々を思い起こさせられるような心持ちだ。
物乞い達に歩み寄り、そして、銀貨を渡す。
物乞い達は信じられないといったような表情を浮かべ、地に伏すようにしてお礼を述べてくる。
 

代官所に入る前、その隣にある孤児院へと足を向ける。
自分の名を伏せ、毎月のように支援をしてきた孤児院だ。
そもそも、代官所に密かに資金を提供して、この孤児院を設立したのも私なのだ。
代官、そしてごく一握りの側近以外は、誰もその事を知らないが。
孤児院の前に辿り着いた私は、音を立てぬように注意しながら入口の扉をそっと押し開く。
昼寝の時間なためか、誰も出て来る様子は無い。
私は袂から財布を取り出す。
恐らく、あと三十枚くらいは金貨も残っているはずだ。
開いた扉の隙間から財布を放り込み、そして、音を立てぬようにそっと扉を閉める。
財布の中には前もって書き置きを入れておいた。
「子ども達のために使って下さい。」と。



身一つになった私は、ようやく代官所へと足を踏み入れる。
警衛の兵士は私に恭しくお辞儀をし、代官の部屋へと先導する。
この代官所には、ここ五年ほどの間、毎週のように顔を出してきたものだ。
この警衛の兵士とも、最早、顔なじみの間柄だ。
孤児院を設立するための密かな話し合いのために訪れたことは数知れぬし、周辺の街とを結ぶ街道の治安が悪いため、そのパトロールの実施について仲間の商人たちと一緒に何度も陳情を重ねてきた。
パトロールに関しては、陳情するだけではなく、経済的な支援も惜しまなかった。
兵を雇う資金、その兵に持たせるための武器や防具、そして、砂漠のパトロールに必要となるラクダの手配等々。
私のささやかな支援もあってか、この街周辺の治安は改善して交易も盛んとなり、この街はより一層繁栄しつつあった。
その甲斐あってか、つい先日、代官は国王からお褒めの言葉を賜ったという。
 
予定通りの私の来訪を知った代官は、相好を崩して私を彼の執務室へと招き入れた。
代官の年齢は四十半ば、私より幾分か若いくらいだ。
やや太り肉の体躯に豊かな頬髭を蓄えている。
代官はにこやかな笑みをその血色の良い顔に浮かべ、給仕に運ばせてきた茶をいそいそと勧めながら私に話し掛ける。
「今日は、どうなさいました?」
一瞬の躊躇の後、私は口を開く。
「お忙しいところお邪魔してしまい申し訳ありません、代官さま。実は・・・」
いざ、言葉にしようと思ったら、やはり口籠もってしまうものだ。
この時を二十四年の間、ずっと夢見続けてきたのだが。
訝しげな表情をその顔に浮かべながら、代官は私に尋ねる。
「『実は・・・』って、如何なさいました?もしお困りのことがありましたら、何でも仰って下さい。他ならぬ貴方の為ならば、何なりと力になりますよ。」
嗚呼、ますます話し辛くなってしまう。
この代官は、二年前にこの街へと赴任してきた。
ともすれば気難しい面のあった前任の代官と比べると、遙かに付き合いやすい人物だ。
態度は公平であり、私腹を肥やそうとする姿勢も無いため、街の商人達からの信頼も大変に篤い。
孤児院への密やかな支援の願いも快く受け入れてくれている。
そんな彼を、これから苦悩に陥れてしまうであろうことは、心苦しくてならない。
しかし、ここは、心を鬼にせねばなるまい。
私のこの二十四年間は、この時の為にあったようなものなのだから。
 
私は一呼吸置き、そして、一気に話す。
「代官さま、私は。二十四年前の私は、この街近くの街道に巣くう盗賊で御座いました。」
代官が息を呑み込むのが分かった。
私は言葉を続ける。
「盗賊だった頃の私は、この手で多くの罪も無き方々の命を奪ってしまいました。私自身の身勝手な欲望のために。」
代官はその目を見開き、そして、呆然としたような表情となる。
私は伏し拝むようにして代官に語り掛ける。
「代官さま、どうか、この私をお捕え下さい。
 代官さま、どうか、この私をお裁きください。
 そして、罪深きこの私を、この街の人々の前にて磔に処して下さい。
 どうか、どうかお願いします。」
何時の間にか、私の目からは涙が零れ落ちていた。
何時の間にか、私の喉からは嗚咽の声が込み上げつつあった。
私は嗚咽しながら、代官に繰り返し己の罪を打ち明け、そして、裁きを求めた。
代官は黙したまま、そんな私の様を見遣っていた。
彼のその顔からは、表情が消え失せているかのように思えた。
 
私の言葉が冗談でも何でも無いこと、そして、私の意思が真剣そのものであることを悟ったのだろう。
暫しの沈黙の後、彼は寂しげに頷いた。
彼のその瞳は潤みを帯びているようにも見えた。
細かく震える私の肩を、彼は二、三度柔らかく叩いた。
その後、部下の筆記官を呼んだ。
そして、代官自らによる取り調べが始められた。
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