光の剣

湯島晴一

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二十四年前のその日。
その日は、酷く暑かった。

俺は砂漠を貫く街道に巣食う盗賊だ。
以前は幾人かの他の盗賊と組み、隊商を狙っての強盗を働いていた。
隊商を相手の強盗は、首尾良く行けば、その収穫は実に素晴らしいものがある。
金銀の装身具やら貴重な香辛料やら手の込んだ織物やら、果ては西方からの珍奇な酒やら。
そういったものを手に入れて売り捌けば、当分の間は遊んで暮らすことが出来る。
けれども、隊商は護衛を付けていることも往々にしてあり、迂闊に襲えば返り討ちの危険すらある。
収穫が期待できるぶん、危険もまた大きいものなのだ。
そして、他の盗賊と組んでいると、収穫を得たところで、その分け前を巡ってのいざこざが絶えることも無い。
変な恨みを買い、命が危うくなったことすらある。
そのため、今では一匹狼として行動している。
 
今の俺は一匹狼なのだから、隊商などを狙う訳にもいかない。
狙うのは、専ら一人で移動する旅人だ。
獲物が一人だけだと言っても、決して見入りが少ない訳ではない。
むしろ、一人で旅する商人などは急ぎの用である場合が多く、意外な儲けのネタを、その腹に隠し持っていることも多いものだ。
俺は、街道沿いの岩陰、或いは朽ち果てた建物の陰などに姿を隠し、旅人が通り掛かるのを待ち受ける。
隊商などが通り掛かった時は、息を潜めてひっそりとやり過ごす。
一人で移動する旅人を見つけたら、気配を押し殺し、俺の前を通り過ぎるのをじっと待つ。
獲物が目の前を通り過ぎたところで、隠れ場所を出、後ろから音を立てぬようにそろりそろりそろりと忍び寄る。
そして、携えた短刀で以て死角から素早く襲い掛かるのだ。
大抵の場合、背後からの急所への一突きで事は済んだ。
そうでなくとも、程無くして事は済んだ。
背後からの一撃で即座に命は失わなかったまでも深手を負った獲物は、荒い息を吐きながら、そして、往々にしてその目に涙を浮かべながら、必死の形相で命乞いをしてきた。
急を要する大切な商売の途中であり、相手は首を長くして待っているだとか、結婚したばかりであり、妻に少しでも良い暮らしをさせるために無理をしてでも頑張らなければならないとか、或いは子どもを沢山抱えていて身を粉にして働かねばならないとか、はたまた病気の親を抱えていて自分だけが支えであるとか、それはもう、様々な理由を並べ立てては必死に命乞いをしてきた。
だが、俺はそんな命乞いに耳を傾けず、容赦無く止めを刺した。
生憎、俺は見知らぬ他人などに情けを掛けてやれる性分などではない。
世に対する絶望、そして憤怒に満ちた俺の心は、己の身も守ることも出来ず、今まさに命を落とそうとしている哀れな旅人の懇願なぞ受け入れる訳など無いのだ。
命乞いを冷たく拒み、淡々と止めを差した後は、荷物や金品、そして衣服などを有り難く頂戴する。
そして、哀れな亡骸は目立たぬ場所へと埋めるのだ。
そのような所業を俺は幾年も繰り返していた。
恰もこの褐色の荒野に、この身を馴染ませるようにして。
褐色の荒野に己を馴染ませるかの如く身を潜めて獲物を待ち受けていると、心まで褐色に染まり行く、そして、俺の心はますます干からびて行く、そのような心持ちだった。

 

二十四年前のその日。
その日は、酷く暑かった。

照り輝く太陽は怒りに震えるかのように光と熱とを撒き散らし、吹き抜ける砂塵混じりの熱風は道行く者を容赦無く打ち据える。
蒼空には雲一つ無く、太陽の暴虐たる仕打ちを止めるものなど何一つ存在しない、そのように思わされた。
だが、こんな時は、俺にとっては逆に好機でもあったりする。
普通の商人ならば、こんな時には街道を行き来したりはしない。
暑さの和らぐ早朝や薄暮のころに移動するか、あるいは暑さが収まる時期を待つか、だ。
こんなクソ暑い最中に敢えて道を急ぐ奴が居ようものなら、そいつは相当な儲け話を腹の中にしまい込んでいることが多いものだ。
そして、こうも暑ければ、商売敵たる他の盗賊どもも大抵は休業中だ。
つまり、誰に遠慮することも無く盗賊稼業に勤しむことが出来るというものだ。
そんな訳で、俺は街道沿いにある大きな岩の影に身を潜め、不運な獲物が通り掛かるのを只管に待っていた。
 
太陽は中天にて燦々と輝いていた。
情け容赦も無く光の礫を地に投げかけ、一切の慈悲も無く熱を地に溢れさせていた。
熱風が砂塵を巻き上げて荒野を吹き抜ける。
見渡す限り動くものなど無い乾き切った茶褐色の風景。
生有る者を拒むような殺伐とした情景。
その情景は俺にとって、何故か心地良かった。
待つ者も、そして心を暖めてくれる者も持たぬ俺にとって、その景色は俺の心そのものであるかのように感じていた。
他者を拒み、無遠慮に行き交うものの命を奪う。
そんな俺の生き様を代弁しているようにすら思えた。
俺は砂礫の狭間に身を潜め、只管に旅人の姿を待ち続けた。
恰も獲物を待ち受ける蠍のように。
 
熱気で揺らめく街道の彼方に、一つの人影が姿を現わした。
茶色のフードを頭から被った、やや小柄な旅人だ。
旅人は、その小柄さに似つかわしくない速さで街道を歩み、見る見る間にこちらへと近付いてくる。
そして、俺が身を隠す岩の前をあっという間に通り過ぎた。
旅人のその背丈は子ども程であり、その体型は随分と頼り無さげだった。
商人が携えているような大荷物など持っておらず、獲物としては期待薄だった。
けれども、子どもならば何の苦労も無く仕留められると気安い気持ちを抱いた俺は、身を潜めていた岩陰を離れ、旅人の背後へと忍び寄る。
音一つ立てることの無い俺のその動きは、我ながら至極滑らかなものだった。



俺は、思わず息を呑んだ。
いつの間にかその足を止めた旅人は、忍び寄ろうとする俺の方へと向き合っていたのだ。
俺がこれまで幾度となく旅人に襲い掛かってきた中で、そのような事は一度も無かった。
砂塵混じりの熱風は、近寄る者の気配、そして足音を隠しおおせてくれるものなのだ。
それなのに、俺はこの旅人に、近付きつつあることを気取られていたのだ。
驚きが水面を伝う波紋のように俺の心の中へと拡がっていく。
とは言え、所詮相手は非力な子どもだろう。
気付かれたところでどうと言うことも無い。
俺は気を取り直し、そして、再び短刀を構えて旅人へにじり寄ろうとした。
その時だ。耳が痛くなる程の大音声が唐突に響き渡った。
「おいおい、物騒なもの抱えやがって。随分とまぁご挨拶だな、このクサレ外道が!」
俺は、呆気に取られる。
そして、狼狽しながら周囲を見渡す。
この大音声が、俺の目の前に佇んでいる、子どもの背丈ほどしかない旅人から発せられたものとは到底思えなかったのだ。
大音声がまたも響き渡る。
「何キョロキョロしてんだ、バカはお前は?こっちだ、こっち。暑さで頭でもヤラれちまったのか?」
虚を突かれた俺は、改めて正面の旅人を見遣る。
茶色のフードで覆われたその顔、その顔に浮かんでいるであろう表情、それらを伺い知ることは出来ない。
けれども、この旅人の顔には、俺への嘲りを湛えた蔑みの表情が浮かんでいるに違いない、そのように思った。
俺の心に昂然とした怒りが湧き起こる。
おちょくりやがって、と。
けれども、怒りを覚える一方、困惑もまた抱きつつあった。
何故、この旅人は、俺が近付きつつあることに気が付いたのだ?
周囲に響く、地を震わせるようなこの大声は一体何なんだ?
疑問は次から次へと湧き起こり、そして、戸惑いを呼び起こす。
俺は湧き起こる疑問、そして戸惑いを押し殺すかのように怒鳴り声を上げる。
「ふざけんな、このクソガキ!ぶっ殺して身ぐるみ剥ぎ取ってやる!」
そして、短刀を構え、早足で旅人に歩み寄ろうとする。
けれども、その旅人との距離は全く縮まらない。
「待ちやがれ、このクソガキ!
 とっととぶっ殺されやがれ!」
俺はそう叫び、旅人に駆け寄ろうとする。
けれども、何故か一向に近付くことが出来ない。
駆けても駆けても旅人に近寄ることが出来ないのだ。
旅人は相変わらず俺の方を向いたままなのに、そして、見たところ身動き一つしていないように見えるのに。
それなのに、何故か距離は一向に縮まらない。
変だ、明らかに変だ。
ふと、横を見遣る。
そこには、つい先程まで、その影に俺が身を潜ませていた岩があった。
先程からあれだけ駆けたのに、俺の場所は全く変わっていないのだ。
ヒッ!と声にならない驚きの悲鳴が喉の奥から込み上げる。
俺は思わずゴクリと唾を呑み込み、そして改めて旅人を見つめる。
刹那、突風が吹き抜ける。突風は旅人が纏う茶色のフードを煽り、その顔を露わにした。
癖のある柔らかそうな金髪、白い肌、そして端正なその顔立ちとが俺の目に飛び込んでくる。
その瞳の色は極めて印象的だった。
旅人の瞳の色、それは蒼だった。
その瞳の色合いは、恰も空の蒼を映しているかのようだった。


旅人は、その端正な顔には似つかわしくない、嘲るような笑みを浮かべる。
何処からとも無く声が響き渡る。
「そこのクサレ外道、
 そのお粗末な代物で何をしようって言うんだ?
 そんな貧乏臭いもん偉そうに振りかざして
 恥ずかしくないのか?
 手前の皺首で切れ味でも試してから
 粋がってみやがれ、このヘタレ外道!」
俺は反射的に怒鳴り返す。
「ふざけんな、クソ餓鬼!
 偉そうな口叩いてんじゃねぇ!
 今すぐブッ殺してやるから
 そこを動かず待っていやがれ!」
そして、旅人に向けて改めて駆け寄ろうとする。
けれど、幾ら駆け寄ろうとしても、相も変わらずその距離は一向に縮まろうとしない。
旅人の顔に浮かぶ嘲りは、その色を愈々濃くする。
「おぅおぅ、何やってんだ、そこのクサレ外道?
 こちとら動かず待ってんだけどな?
 早くこっち来てブッ殺してみろよ。
 さっきから同じところで
 足踏みしてばかりねぇじゃねぇかよ。
 ビビってんのか?」
嘲りの声が空気を震わす。
俺の心を怖れに似た気持ちがじわじわと侵し始める。
こんなに走っているのに、何故、全く前に進まないんだ?
仄かに形を為し始めた怖れの気持ちを押し殺すかのように俺は叫ぶ。
「クソが!
 変な手品を使ってんじゃねぇぞ!
 こっち来やがれ!
 ブッ殺してやる!」
嘲るような旅人のその態度は相変わらずだった。
「はぁ、そっちに来いだぁ?
 寝惚けてんのか、このクサレ外道が。」
罵りの声も相変わらずだ。
そして、旅人はニヤリと微笑んだ。
「で、どうするよ、そこのクサレ外道?
 多分だけどな、お前、生きていること
 後悔するぞ。
 今のうちに死んじまったほうが、
 まだマシだと思うけどな。」
辺りの空気を歪ませるかのような哄笑が響き渡る。
俺の心は次第に恐怖に染まりつつあった。
幾ら旅人に近付こうとしても、その距離は一向に変わらない。
幾ら駆け寄ろうとも、俺の場所は全く変わらない。
そして、身を打ち据えるかのような大音声は、どこからともなく響いてくる。
その声は、まるで天から降り注いでいるかのようにすら思えてしまう。
最早、一種の怪異としか思えない。
片や、憤怒の念もまた急速に膨らみつつあった。
獲物の分際で、訳の分からんことをしやがって!
黙って聞いていれば、好き勝手なことばかり抜かしやがって!
「ふざけんな!死ぬのは貴様だ!」
そう叫んだ俺は、短刀を逆手に構え、そして、旅人に向けて投げ放った。
剣を投げ付けて獲物を仕留めるのは俺の得意な技の一つだ。
俺が幾ら駆けても近付けぬのは、そして、声がどこからともなく響くのは、恐らくは何かの手品の類なのだろう。
随分とまた手の込んだことをするものだ。
しかし、幾ら妖しげな手品を使うにせよ、所詮は子どもだ。
首尾良く胸元にでも命中すれば、あっさりとその身体を貫くだろう。
旅人の口から迸り出るであろう断末魔の声を思い浮かべ、俺は内心にてほくそ笑む。
しかし、旅人の胸元目掛けてまっしぐらに飛んでいくはずの短刀は、気が付けば俺の足下に転がっていた。
俺は慌てて短刀を拾い上げ、再び旅人目掛けて投げ付けようとする。
けれども、力を込めて短刀を投げ付けようとしたその瞬間、腕や肩、そして短刀を握る掌の力が急に抜けてしまい、短刀をポロリと取り落としてしまうのだ。
何度繰り返そうとも、投げ放とうとするその度に腕の力は何故か抜けてしまい、短刀は虚しく俺の足下にて「カラン」という乾いた金属音を響かせるばかりだった。


「どうした、気は済んだか?」
嘲りの声が俺を包み込む。
俺は最早、恐怖しか感じていなかった。
歯の根が細かく震え始めていた。
冷や汗が滴り落ちつつあった。
俺は、何かとんでもないものに出くわしてしまったのではないだろうか。
深々とした恐怖の念に俺の心は染め上げられつつあった。


怖れ戦慄きつつある俺の耳に、無情な声が飛び込んでくる。
「時間切れだ。
 さっさと死んどけばよかったのにな。」

旅人は右手を天へと伸ばし、その掌を広げる。
その様は、まるで空を、そして、燦然と輝く太陽を掴もうとするかのようだった。
旅人の右の手首には、小振りの金色の腕輪が輝いていた。
幾つもの小さな金色の剣が連なった意匠の腕輪だった。
腕輪を彩る幾つもの金色の剣は、照り付ける陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
 

高らかな声が、雲一つ無い蒼空に響き渡る。

「降り注げ、光の剣!」

その声音は、先程までの下卑た調子などではなかった。
その響きは、厳かさ、そして清らかさとに満ちたものだった。
俺は、思わず天を見上げる。
天の彼方で何かが煌めく。
その煌めきは失せることなく、俺の視界の中であっという間に大きくなって行く。
俺は思わずその場を飛び退いた。
刹那、光の塊が視界を過ぎる。
俺がつい今しがたまで立っていた場所。
そこには人の背丈ほどの、細い光の柱が突き立っていた。
その光の柱は、暖かな金色に輝いていた。
光の柱の上端付近は十字状になっている。
あの旅人が『光の剣』などと言っていたことからすると、それは鍔と柄といったところだろう。
危なかった。
本当に、危なかった。
咄嗟に飛び退かなければ、俺は今頃、この『光の剣』とやらに刺し貫かれていたところだった。
危機を切り抜けた安堵は俺の口を軽くさせ、そして、旅人に罵声を浴びせ掛けさせる。
「何が『降り注げ、光の剣!』だ?!
 掠りもしなかったぞ。
 しかも降ってきたのは一本だけかよ!
 ビビらせやがって、このクソガキが!」

俺の罵声に答えるかのように、嘲るような声が響き渡る。
「何を勘違いしてんだ、このクサレ外道!
 相変わらずおめでたい奴だな。
 安心しろ。
 これからたんまり降ってくるから。」
旅人のその言葉に思わず息を呑んだ俺は、再び天を見上げる。
幾つもの、いや、数十もの煌めきが天に瞬いていた。
幾十ものその煌めきは、見る見る間にその大きさを増していく。
俺は無意識のうちに悲鳴を上げていた。
そして、その場から逃れようとして必死に足を動かす。
けれども、俺の場所は全く変わらなかった。
俺は焦り、そして恐れ戦く。
このままでは、あの『光の剣』とやらに串刺しにされてしまう。
焦りと恐れ故か、俺の足はもつれ、そして、その場へと俯せに倒れ伏した。
這いつつもその場から逃れようと、必死になって腕を、そして足を動かす。
砂塵が容赦無く地べたを這う俺の顔へと襲い掛かる。
目に、鼻に、そして口へと砂塵が押し入って来る。
砂塵に噎せ、涙を流し、そして喚き声を上げながら、俺は必死になってその場から這い逃れようとする。
そんな這い足掻く俺の目の前に、音も無く光の剣が突き刺さる。
俺の右にも、そして左にも、次々と音も無く光の剣が突き刺さる。
俺の心を恐怖と絶望とが満たしていく。
俺は内心にて呟く。

もう、駄目だ、と。

俺は思わず仰向けとなり、そして天を仰ぎ見る。
俺の視界の中で、煌めきが見る見る間に大きくなっていく。
仰向けに倒れ、周囲に光の剣を突き立てられた俺には、一切の逃げ場も、そして一切の為す術も残されてはいなかった。
煌めきが視界一杯に拡がる。
そして。
音も無く、俺の臍の下に光の剣が突き刺さった。
痛みを感じる暇も、悲鳴を上げる隙もなく、今度は右の脇腹へと光の剣が突き刺さる。
そして、立て続けに胸の真ん中へと光の剣が突き刺さる。
不思議なことに、痛みは全く感じなかった。
しかし、これまで感じた事など無い程の凄まじい熱が、俺の全身を包み込む。
俺の口は、知らず知らずのうちに絶叫を迸らせていた。
それは、体のあらゆる部位が押し寄せる熱に戦慄いているようでもあった。
光の剣が伝える熱に身体を灼かれながら、頭を左右に打ち振りつつ、俺は叫び続けた。
体中の全ての空気、そして精魂を吐き出してしまうかのように。
 
糸はふっつりと切れるかのように、俺の肺腑は絶叫を絞り出すことを唐突に止めた。
 

俺の意識は暗闇の中へと四散し、そして、吸い込まれるようにして溶けていった。
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