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5 贖罪
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目覚めた私の視界を占めていたのは、抜けるような青空、そして、暴力的なまでに光や熱をばら撒く灼熱の太陽だった。
私は砂漠に仰向けに倒れ、そして、天を仰ぎ見ていた。
一体何が起きたのか、まるで理解出来なかった。
つい先程、「兄」や「弟」、そして妻や息子達に看取られて息を引き取ったばかりだったというのに。
私の傍らには短刀が落ちていた。
ようやく思い出した。
そうだ、私はあの旅人に、この短刀を投げつけようとしていたのだった。
少年のような姿をした、空のように蒼い目をしたあの旅人に。
身を起こすと大きな岩が視野に入った。
私がつい先程まであの影に身を潜め、通り掛かる獲物を待ち受けていた、あの岩だ。
混乱していた記憶がようやく繋がってきた。
私は、通り掛かった子どもの背丈ほどの旅人を襲おうとしたのだ。
けれども、襲おうとして幾ら駆け寄ろうとも、その距離は一向に縮まらなかった。
短剣を投げ付けようとしても、それを足下に取り落とすばかりだった。
旅人から散々に罵られた挙句、彼が天から降り注がせた『光の剣』に、この身を貫かれたのだった。
それから私は、しばらくの間、気を失っていたのだろう。
そして、気を失っている最中、過去の夢でも見ていたのだろう。
けれども、夢はその途中から、実際の記憶とは異なるものとなっていた。
夢の中の私は、父親によって棄てられたバザールにて林檎を奪うことなく、果実商の家にて養われ、そして、絨毯商の店にて奉公人として働いていた。
実際の私は、露店から林檎を奪ったことを切掛として暗がりへと足を踏み入れ、その挙句、こうして盗賊に手を染めているのだが。
不思議なことに、私の心の渇きはすっかり消え失せていた。
私の心に渦巻いていたどす黒い絶望、そして憤怒は跡形も無く消え失せていた。
「気分はどうだね?」
慈しみに満ちた声が俺の耳朶を打つ。
私の正面に青年が立っていた。
背丈は私より幾分か高いくらいだろう。
癖のある金髪に透けるような白い肌、空の色を映すかの如き蒼い瞳。
端正なその顔には慈しみ、そして仄かな悲しみの色が浮かんでいた。
そして、その右手首には、金色の腕輪が輝いていた。
それは、幾つもの小さな金色の剣が連なった意匠の腕輪だった。
それらの特徴は、先程の旅人と同じだった。その背丈、そして、その表情を除いて。
俺は、理解した。この青年は、先程の子ども程の背丈の旅人と同じ人物なのだ、と。
私は、何時しか彼の前に跪いていた。
青年は慈しみ、そして悲しみを湛えた目で私を見遣る。声が響く。
「つい先程、君がその身に受けた『光の剣』。
それは、その人の記憶を過去に遡らせ、
辛かった記憶を幸せなものに作り替える
ものなんだ。
辛い記憶に縛られた人を、
その縛めから解き放ち、
幸せに生きることが
出来るようにするものなんだ。」
そう、その通りだ。
この青年の言う通りだ。
私は、気を失っている間に、これまでの人生をやり直したのだ。
私がバザールにて林檎を奪おうとしたあの日から。
夢の中であれ人生をやり直した結果、私の心は自由になっていた。
バザールに棄てられ、そして林檎を奪おうとしたあの日から抱き続けてきた、私を取り巻く世界に対する、滾るような絶望と憤怒から解き放たれていた。
その代りに、「家族」から受け取った暖かな優しさが私の心を満たしていた。
けれども。
青年の端正なその顔を、哀切に満ちた表情が覆い尽くす。声が響く。
「けれども、君は・・・。」
その声色は悲しみに満ちているように思われた。
私の心には、これまでの盗賊稼業で己が為した、様々な所業が蘇りつつあった。
盗賊稼業の中で、私が命を奪った幾多の人々の今際の声が、そして今際の表情が蘇りつつあった。
私が彼らに為した非道極まりない数々の仕打ちが、私か彼らに対して吐いた冷酷極まりない数々の言葉が蘇りつつあった。
私の胸に痛切な罪の意識が込み上げる。
私がこれまでに命を奪ってしまった幾多の人たち。その人たちそれぞれに、日々の平穏な暮らしがあっただろうに。
その人たちそれぞれに、家族や友人達との幸せな繋がりがあっただろうに。
その人たちそれぞれに、幸せな生があったろうに。それを、私は、私は。
何時しか私は絶叫していた。
私の心の中から込み上げる罪の記憶と罪の意識、それらが凍てついた闇色の刃となり、体の中から私を次々と刺し貫いていく、そのような思いだった。
私は理解した。
この方が、『光の剣』を降り注がせる前、私に告げた言葉の意味を。
「多分だけどな、
お前、生きていること後悔するぞ。
今のうちに死んじまったほうが
まだマシだと思うけどな。」
そう、私は、死ねば良かったのだ。
あの時、この方が言った通り、死ねば良かったのだ。
私の足下に転がるこの短刀で、自分の喉を突くなりして死ねば良かったのだ。
そうすれば、心の深奥から噴き上がるような罪の記憶や罪の意識に身を灼かれるような思いをせずに済んだのだ。
もう、死のう。
そう思った。
跪いたまま、私は短刀を拾い上げる。
これまで私が幾多の旅人たちの命を奪ってきた、私の罪の記憶そのもののような短刀を。
短刀の切っ先を私の喉元に当てる。
目を瞑る。
これでもう、楽になれる。
これでもう、罪を思い出さずに済む。
私など、始めからこの世に存在しなければ良かったのだ。
短剣を握る両の手に力を込める。
けれども、小刻みに震える短刀のその切っ先が、私の喉元を刺し貫くことは無かった。
短刀を握る私の両の手は、まるで何か別の意思を持っているかのように、その動きを止めていた。
短刀を握る私の両の手は、自身の心の戦慄きを映すように小刻みに震えるばかりだった。
私の心に根を下ろす罪の意識、そして、罪の記憶。
それらが私が生から逃げだそうとするのを阻んでいる、そのような心持ちだった。
哀れむような声が響く。
「辛いな、可哀想に。」
項垂れたまま、私は口を開いた。
「私は…
私は、一体どうしたらいいのでしょう?」
声が響いた。
「今の君ならば分かっているはずだ、
君が何を為すべきか、を。
分かっているからこそ、君のその手は、
君の生を終わらせないのだ。」
跪き、項垂れた私の肩に手が置かれる。
そして、私の体は抱きしめられた。
耳元で声が響く。
「その日には君を迎えに行く。だから」
砂塵混じりの熱風が吹き抜ける。
私は目が覚めたかのように気付く。
私は、あの岩の前に跪いていた。
足下には短刀が転がっていた。
旅人の姿は何処にも無かった。
街道の果てに幾ら目を凝らそうとも、人影など、もう何処にも見当たらなかった。
太陽の日射しは相も変わらず容赦が無かった。
だが、その苛むような激しさは、今の私にとって相応しいように思えた。
私は立ち上がった。
身を屈め、足下に転がる短剣を拾い上げた。
その短剣をしばし見詰めた後、砂漠の果てに投げ捨てようと思って身構えた。
けれども、それは止めた。
私は短剣をしまい込み、砂塵混じりの熱風が吹き荒ぶ中を歩み始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
幾日かを費やして街道を歩み、見知らぬ街へと辿り着いた私は、絨毯店を探し求めた。
そして、ようやく探し当てた絨毯店にて、私を雇ってくれるようにと頼み込んだ。
無頼の風体をした得体も知れぬ、年齢も二十をとうに過ぎた私を雇うことについて、私とそれほど年齢も変わらぬと思しき店主は当然ながら難色を示し、門前払いをしようとした。
しかし、私は、給金は要らない、住み込みで食事さえ与えてくれればそれで十分だと述べ、地に伏すようにして何度も何度も頼み込んだ。
そして、もし悪さをするようだったら、その時はすぐにでも殺してくれと告げた。
私の必死の願いが通じたのが、あるいは無給でいいという条件に魅力を感じたのか、俺はその絨毯店にて働かせて貰えることとなった。
私は必死で働いた。
それこそ寝食を惜しむようにして働いた。
絨毯店での仕事は、夢の中とは勝手が違う部分も多少はあったものの、不思議なことに概ね一緒だった。
夢の中にて得た知識、そして培った経験によって、私はめきめきと業績を上げることができた。
寝食を惜しまぬ精力的な仕事ぶりと相俟って、数年のうちに、私は店主の信頼を勝ち得ることが出来た。
私が絨毯点に雇って貰ってから十年の歳月が過ぎ、店主からの信頼が愈々揺るぎないものとなったところで、私は彼に提案した。
他の街に支店を出したらどうか、と。売り上げが伸びるのは勿論のこと、それぞれの街で仕入れを行い、それを相互の街で販売すれば品揃えが増えたことで店の客も喜ぶに違いない、と。
店主は快諾し、そして、支店を設けることについて私に一任してくれた。
私は、嘗て過ごしたあの街に支店を構えることにした。
その街に足を踏み入れたのは、実に十年振りのことだった。
十年の歳月は、私の風体をすっかり変えていた。
何よりも、十年前と比較して、私の人相は別人と言えるまでに変わっていた。
十年前の私の心に渦巻いていたのは絶望、そして憎悪だった。
けれども、今の私を突き動かす感情は、それとは全く異なるものとなっていた。
以前の顔見知りであっても、今の私を見、嘗ての姿を思い出すものは誰一人として居なかった。
新たな支店の運営に、私は寝食を忘れるかのようにして取り組み、程無くして経営を軌道に載せることができた。
その頃には、私もそれなりの給金を貰うようにはなっていた。
実入りが多いのだから、食事や酒などに贅を凝らすことも出来よう。
けれども、私は珍味佳肴にも、そして遊びにも興味は持てなかった。
結婚を勧められたことも幾度と無くあった。けれども、私は悉く断った。
そして、給金の殆どを蓄財に廻した。
支店を構えてから五年の月日が過ぎた。
ある程度の蓄財が出来たところで、私は独立し、自分の店を持つこととした。
勝手知ったる街での勝手知ったる商売。
それは、上手く行かない筈は無かった。
いつしか私はその街での指折りの有力な商人となっていた。
有力な商人となってからも、私の暮しぶりは以前と何ら変わらなかった。
食事は奉公人達と変わらぬ質素なもので済ませた。
服装も体面を損なわぬ程度の、華美でないものだった。
酒を嗜むことも無かった。
賭け事やらの遊びにも手を出さなかった。
また、妻も娶らなかった。
勿論、女遊びなどに縁も無かった。
普通なら、私程度の商人ならば、妾の二、三人は抱えているものなのだろう。
けれども、私は一切、そのようなものには手を出さなかった。
そんな私の暮しぶりを、私の店にて最も古くから働いてくれていた番頭は、まるで修道僧のようだと時折からかってきたものだった。
また、主人である私の暮しぶりがつましいものだと、店で仕える者達も贅沢などする気にもなれず、お陰で蓄財が捗りますと、苦情とも感謝ともつかぬ言葉を彼から時折聞かされたものだった。
私は、十分に満たされていた。
砂漠の中にて、空のように蒼い瞳をしたあの旅人が見せてくれた夢。
その中で味わった幸福な人生。
「家族」を得、その繋がりの中で心を暖め合った生。
それが私を支えてくれていた。
例え、それが一瞬の夢の中の出来事であったとしても、その思い出は、私にとって身に余る程の幸せをもたらしてくれていた。
それが幻であったとしても、一度、満ち足りた生を送った私にとって、現実の生の意味は他の所に在ったのだ。
そして、無情にも罪無き方々の命を奪ったこの身に、贅沢など許される訳も無かったのだ。
富を蓄えた私は、ようやく私の本願に取り掛かることが出来た。
私は密かに代官所へと相談に赴いた。
資金は私が出すから孤児院を設立してもらえないか、と代官に頼み込んだ。
私が資金を出したことは内密にし、代官所が撫民のために行ったことにしてくれ、とも申し述べた。
代官は私の申し出を快諾した。
街の治安を預かる代官としては、親から棄てられた子ども達が街中の至る所にたむろし、そして万引きなどを繰り返すことに常々頭を痛めていたのだ。
そんな棄てられた子ども達を収容するための施設を、代官所の経費を費やすことなく設けられることは、まさに渡りに舟であったのだ。
そうして、街中にたむろする、行き場のない子ども達は、日々の食事、そして、安心して過ごすことができる場所を得ることが出来た。
また、商人達が交易のために行き交う街道の安全の確保についても尽力した。
街道に跳梁する盗賊の存在、それは街の間を行き来する商人たちの大きな悩みの種となり続けていたのだ。
荷物を奪われることはしばしばであったし、命を落とす者も少なくなかったのだ。
そのため、仲間の商人たちと共に代官所へと陳情を行い、警備の兵を増やして街道をパトロールしてもらうよう頼み込んだ。
頼み込むだけでなく、経済的な支援も惜しまなかった。
兵を雇う資金を負担もしたし、その兵に持たせるための武器や防具についても寄贈した。
パトロールに必要となるラクダも手配した。
このようにして、街の安全、そして街道の治安は次第に向上していった。
私があの砂漠にて、『光の剣』を受けてから、いつの間にか二十四年の歳月が過ぎ去っていた。
私は心に決めていた。
あの『光の剣』を受けた時、私は二十四歳だった。
それと同じだけの期間、私は生きようと決めていたのだ。
私の犯した罪を見据えながら二十四年の間、生きようと決めていた。
そして、財を蓄えて贖罪に充てよう、とも決めていた。
二十四年の間、私は夜毎にあの短剣を取り出しては、あの日のことを思い返していた。
あの日、『光の剣』を受けた後、私は死ぬことが出来なかった。
この短剣で自らの喉を刺し貫き、この穢れた命を絶つことが出来なかった。
それは、己が犯した罪に向かい合い、そして、自分なりのやり方で贖わねばならぬと思ったから。
そして、二十四年が経ったその日には、私は代官所に自首して己の罪を告白し、然るべき刑に処されようと決めていた。
人を殺めた罪人に課せられる、磔刑に。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の告白を具に聞き取った代官は、声を潜めて私に告げた。
貴方が嘗て為したこと、そして、貴方の気持ち、それらは良く分かった。
けれども、貴方はこの街に十二分なまでに貢献している。
多くの子ども達、そして多くの商人達が貴方のお陰で救われた。
今の貴方は十分過ぎる程に反省もしている。
そもそも二十四年も前のことだ。
今更、貴方の犯した罪が事実か否かを確かめる術もない。
この話を知っているのは私、そして、この口の固い書記官だけだ。
だから、できれば何も聞かなかったことにしたい、と。
これからも、私の友人として付き合って欲しい、と。
私は代官の提案を丁重に断り、そして述べた。
犯した罪は贖わねばならない。
私は、罪人として、この街の人々の前で磔刑に処されなければならない。
それが、私が命を奪ってしまった者たちに為すことが出来る唯一の贖罪であるから、と。
代官は、悲しげに溜息を吐いた。そして、力なく頷いた。
私は砂漠に仰向けに倒れ、そして、天を仰ぎ見ていた。
一体何が起きたのか、まるで理解出来なかった。
つい先程、「兄」や「弟」、そして妻や息子達に看取られて息を引き取ったばかりだったというのに。
私の傍らには短刀が落ちていた。
ようやく思い出した。
そうだ、私はあの旅人に、この短刀を投げつけようとしていたのだった。
少年のような姿をした、空のように蒼い目をしたあの旅人に。
身を起こすと大きな岩が視野に入った。
私がつい先程まであの影に身を潜め、通り掛かる獲物を待ち受けていた、あの岩だ。
混乱していた記憶がようやく繋がってきた。
私は、通り掛かった子どもの背丈ほどの旅人を襲おうとしたのだ。
けれども、襲おうとして幾ら駆け寄ろうとも、その距離は一向に縮まらなかった。
短剣を投げ付けようとしても、それを足下に取り落とすばかりだった。
旅人から散々に罵られた挙句、彼が天から降り注がせた『光の剣』に、この身を貫かれたのだった。
それから私は、しばらくの間、気を失っていたのだろう。
そして、気を失っている最中、過去の夢でも見ていたのだろう。
けれども、夢はその途中から、実際の記憶とは異なるものとなっていた。
夢の中の私は、父親によって棄てられたバザールにて林檎を奪うことなく、果実商の家にて養われ、そして、絨毯商の店にて奉公人として働いていた。
実際の私は、露店から林檎を奪ったことを切掛として暗がりへと足を踏み入れ、その挙句、こうして盗賊に手を染めているのだが。
不思議なことに、私の心の渇きはすっかり消え失せていた。
私の心に渦巻いていたどす黒い絶望、そして憤怒は跡形も無く消え失せていた。
「気分はどうだね?」
慈しみに満ちた声が俺の耳朶を打つ。
私の正面に青年が立っていた。
背丈は私より幾分か高いくらいだろう。
癖のある金髪に透けるような白い肌、空の色を映すかの如き蒼い瞳。
端正なその顔には慈しみ、そして仄かな悲しみの色が浮かんでいた。
そして、その右手首には、金色の腕輪が輝いていた。
それは、幾つもの小さな金色の剣が連なった意匠の腕輪だった。
それらの特徴は、先程の旅人と同じだった。その背丈、そして、その表情を除いて。
俺は、理解した。この青年は、先程の子ども程の背丈の旅人と同じ人物なのだ、と。
私は、何時しか彼の前に跪いていた。
青年は慈しみ、そして悲しみを湛えた目で私を見遣る。声が響く。
「つい先程、君がその身に受けた『光の剣』。
それは、その人の記憶を過去に遡らせ、
辛かった記憶を幸せなものに作り替える
ものなんだ。
辛い記憶に縛られた人を、
その縛めから解き放ち、
幸せに生きることが
出来るようにするものなんだ。」
そう、その通りだ。
この青年の言う通りだ。
私は、気を失っている間に、これまでの人生をやり直したのだ。
私がバザールにて林檎を奪おうとしたあの日から。
夢の中であれ人生をやり直した結果、私の心は自由になっていた。
バザールに棄てられ、そして林檎を奪おうとしたあの日から抱き続けてきた、私を取り巻く世界に対する、滾るような絶望と憤怒から解き放たれていた。
その代りに、「家族」から受け取った暖かな優しさが私の心を満たしていた。
けれども。
青年の端正なその顔を、哀切に満ちた表情が覆い尽くす。声が響く。
「けれども、君は・・・。」
その声色は悲しみに満ちているように思われた。
私の心には、これまでの盗賊稼業で己が為した、様々な所業が蘇りつつあった。
盗賊稼業の中で、私が命を奪った幾多の人々の今際の声が、そして今際の表情が蘇りつつあった。
私が彼らに為した非道極まりない数々の仕打ちが、私か彼らに対して吐いた冷酷極まりない数々の言葉が蘇りつつあった。
私の胸に痛切な罪の意識が込み上げる。
私がこれまでに命を奪ってしまった幾多の人たち。その人たちそれぞれに、日々の平穏な暮らしがあっただろうに。
その人たちそれぞれに、家族や友人達との幸せな繋がりがあっただろうに。
その人たちそれぞれに、幸せな生があったろうに。それを、私は、私は。
何時しか私は絶叫していた。
私の心の中から込み上げる罪の記憶と罪の意識、それらが凍てついた闇色の刃となり、体の中から私を次々と刺し貫いていく、そのような思いだった。
私は理解した。
この方が、『光の剣』を降り注がせる前、私に告げた言葉の意味を。
「多分だけどな、
お前、生きていること後悔するぞ。
今のうちに死んじまったほうが
まだマシだと思うけどな。」
そう、私は、死ねば良かったのだ。
あの時、この方が言った通り、死ねば良かったのだ。
私の足下に転がるこの短刀で、自分の喉を突くなりして死ねば良かったのだ。
そうすれば、心の深奥から噴き上がるような罪の記憶や罪の意識に身を灼かれるような思いをせずに済んだのだ。
もう、死のう。
そう思った。
跪いたまま、私は短刀を拾い上げる。
これまで私が幾多の旅人たちの命を奪ってきた、私の罪の記憶そのもののような短刀を。
短刀の切っ先を私の喉元に当てる。
目を瞑る。
これでもう、楽になれる。
これでもう、罪を思い出さずに済む。
私など、始めからこの世に存在しなければ良かったのだ。
短剣を握る両の手に力を込める。
けれども、小刻みに震える短刀のその切っ先が、私の喉元を刺し貫くことは無かった。
短刀を握る私の両の手は、まるで何か別の意思を持っているかのように、その動きを止めていた。
短刀を握る私の両の手は、自身の心の戦慄きを映すように小刻みに震えるばかりだった。
私の心に根を下ろす罪の意識、そして、罪の記憶。
それらが私が生から逃げだそうとするのを阻んでいる、そのような心持ちだった。
哀れむような声が響く。
「辛いな、可哀想に。」
項垂れたまま、私は口を開いた。
「私は…
私は、一体どうしたらいいのでしょう?」
声が響いた。
「今の君ならば分かっているはずだ、
君が何を為すべきか、を。
分かっているからこそ、君のその手は、
君の生を終わらせないのだ。」
跪き、項垂れた私の肩に手が置かれる。
そして、私の体は抱きしめられた。
耳元で声が響く。
「その日には君を迎えに行く。だから」
砂塵混じりの熱風が吹き抜ける。
私は目が覚めたかのように気付く。
私は、あの岩の前に跪いていた。
足下には短刀が転がっていた。
旅人の姿は何処にも無かった。
街道の果てに幾ら目を凝らそうとも、人影など、もう何処にも見当たらなかった。
太陽の日射しは相も変わらず容赦が無かった。
だが、その苛むような激しさは、今の私にとって相応しいように思えた。
私は立ち上がった。
身を屈め、足下に転がる短剣を拾い上げた。
その短剣をしばし見詰めた後、砂漠の果てに投げ捨てようと思って身構えた。
けれども、それは止めた。
私は短剣をしまい込み、砂塵混じりの熱風が吹き荒ぶ中を歩み始めた。
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幾日かを費やして街道を歩み、見知らぬ街へと辿り着いた私は、絨毯店を探し求めた。
そして、ようやく探し当てた絨毯店にて、私を雇ってくれるようにと頼み込んだ。
無頼の風体をした得体も知れぬ、年齢も二十をとうに過ぎた私を雇うことについて、私とそれほど年齢も変わらぬと思しき店主は当然ながら難色を示し、門前払いをしようとした。
しかし、私は、給金は要らない、住み込みで食事さえ与えてくれればそれで十分だと述べ、地に伏すようにして何度も何度も頼み込んだ。
そして、もし悪さをするようだったら、その時はすぐにでも殺してくれと告げた。
私の必死の願いが通じたのが、あるいは無給でいいという条件に魅力を感じたのか、俺はその絨毯店にて働かせて貰えることとなった。
私は必死で働いた。
それこそ寝食を惜しむようにして働いた。
絨毯店での仕事は、夢の中とは勝手が違う部分も多少はあったものの、不思議なことに概ね一緒だった。
夢の中にて得た知識、そして培った経験によって、私はめきめきと業績を上げることができた。
寝食を惜しまぬ精力的な仕事ぶりと相俟って、数年のうちに、私は店主の信頼を勝ち得ることが出来た。
私が絨毯点に雇って貰ってから十年の歳月が過ぎ、店主からの信頼が愈々揺るぎないものとなったところで、私は彼に提案した。
他の街に支店を出したらどうか、と。売り上げが伸びるのは勿論のこと、それぞれの街で仕入れを行い、それを相互の街で販売すれば品揃えが増えたことで店の客も喜ぶに違いない、と。
店主は快諾し、そして、支店を設けることについて私に一任してくれた。
私は、嘗て過ごしたあの街に支店を構えることにした。
その街に足を踏み入れたのは、実に十年振りのことだった。
十年の歳月は、私の風体をすっかり変えていた。
何よりも、十年前と比較して、私の人相は別人と言えるまでに変わっていた。
十年前の私の心に渦巻いていたのは絶望、そして憎悪だった。
けれども、今の私を突き動かす感情は、それとは全く異なるものとなっていた。
以前の顔見知りであっても、今の私を見、嘗ての姿を思い出すものは誰一人として居なかった。
新たな支店の運営に、私は寝食を忘れるかのようにして取り組み、程無くして経営を軌道に載せることができた。
その頃には、私もそれなりの給金を貰うようにはなっていた。
実入りが多いのだから、食事や酒などに贅を凝らすことも出来よう。
けれども、私は珍味佳肴にも、そして遊びにも興味は持てなかった。
結婚を勧められたことも幾度と無くあった。けれども、私は悉く断った。
そして、給金の殆どを蓄財に廻した。
支店を構えてから五年の月日が過ぎた。
ある程度の蓄財が出来たところで、私は独立し、自分の店を持つこととした。
勝手知ったる街での勝手知ったる商売。
それは、上手く行かない筈は無かった。
いつしか私はその街での指折りの有力な商人となっていた。
有力な商人となってからも、私の暮しぶりは以前と何ら変わらなかった。
食事は奉公人達と変わらぬ質素なもので済ませた。
服装も体面を損なわぬ程度の、華美でないものだった。
酒を嗜むことも無かった。
賭け事やらの遊びにも手を出さなかった。
また、妻も娶らなかった。
勿論、女遊びなどに縁も無かった。
普通なら、私程度の商人ならば、妾の二、三人は抱えているものなのだろう。
けれども、私は一切、そのようなものには手を出さなかった。
そんな私の暮しぶりを、私の店にて最も古くから働いてくれていた番頭は、まるで修道僧のようだと時折からかってきたものだった。
また、主人である私の暮しぶりがつましいものだと、店で仕える者達も贅沢などする気にもなれず、お陰で蓄財が捗りますと、苦情とも感謝ともつかぬ言葉を彼から時折聞かされたものだった。
私は、十分に満たされていた。
砂漠の中にて、空のように蒼い瞳をしたあの旅人が見せてくれた夢。
その中で味わった幸福な人生。
「家族」を得、その繋がりの中で心を暖め合った生。
それが私を支えてくれていた。
例え、それが一瞬の夢の中の出来事であったとしても、その思い出は、私にとって身に余る程の幸せをもたらしてくれていた。
それが幻であったとしても、一度、満ち足りた生を送った私にとって、現実の生の意味は他の所に在ったのだ。
そして、無情にも罪無き方々の命を奪ったこの身に、贅沢など許される訳も無かったのだ。
富を蓄えた私は、ようやく私の本願に取り掛かることが出来た。
私は密かに代官所へと相談に赴いた。
資金は私が出すから孤児院を設立してもらえないか、と代官に頼み込んだ。
私が資金を出したことは内密にし、代官所が撫民のために行ったことにしてくれ、とも申し述べた。
代官は私の申し出を快諾した。
街の治安を預かる代官としては、親から棄てられた子ども達が街中の至る所にたむろし、そして万引きなどを繰り返すことに常々頭を痛めていたのだ。
そんな棄てられた子ども達を収容するための施設を、代官所の経費を費やすことなく設けられることは、まさに渡りに舟であったのだ。
そうして、街中にたむろする、行き場のない子ども達は、日々の食事、そして、安心して過ごすことができる場所を得ることが出来た。
また、商人達が交易のために行き交う街道の安全の確保についても尽力した。
街道に跳梁する盗賊の存在、それは街の間を行き来する商人たちの大きな悩みの種となり続けていたのだ。
荷物を奪われることはしばしばであったし、命を落とす者も少なくなかったのだ。
そのため、仲間の商人たちと共に代官所へと陳情を行い、警備の兵を増やして街道をパトロールしてもらうよう頼み込んだ。
頼み込むだけでなく、経済的な支援も惜しまなかった。
兵を雇う資金を負担もしたし、その兵に持たせるための武器や防具についても寄贈した。
パトロールに必要となるラクダも手配した。
このようにして、街の安全、そして街道の治安は次第に向上していった。
私があの砂漠にて、『光の剣』を受けてから、いつの間にか二十四年の歳月が過ぎ去っていた。
私は心に決めていた。
あの『光の剣』を受けた時、私は二十四歳だった。
それと同じだけの期間、私は生きようと決めていたのだ。
私の犯した罪を見据えながら二十四年の間、生きようと決めていた。
そして、財を蓄えて贖罪に充てよう、とも決めていた。
二十四年の間、私は夜毎にあの短剣を取り出しては、あの日のことを思い返していた。
あの日、『光の剣』を受けた後、私は死ぬことが出来なかった。
この短剣で自らの喉を刺し貫き、この穢れた命を絶つことが出来なかった。
それは、己が犯した罪に向かい合い、そして、自分なりのやり方で贖わねばならぬと思ったから。
そして、二十四年が経ったその日には、私は代官所に自首して己の罪を告白し、然るべき刑に処されようと決めていた。
人を殺めた罪人に課せられる、磔刑に。
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私の告白を具に聞き取った代官は、声を潜めて私に告げた。
貴方が嘗て為したこと、そして、貴方の気持ち、それらは良く分かった。
けれども、貴方はこの街に十二分なまでに貢献している。
多くの子ども達、そして多くの商人達が貴方のお陰で救われた。
今の貴方は十分過ぎる程に反省もしている。
そもそも二十四年も前のことだ。
今更、貴方の犯した罪が事実か否かを確かめる術もない。
この話を知っているのは私、そして、この口の固い書記官だけだ。
だから、できれば何も聞かなかったことにしたい、と。
これからも、私の友人として付き合って欲しい、と。
私は代官の提案を丁重に断り、そして述べた。
犯した罪は贖わねばならない。
私は、罪人として、この街の人々の前で磔刑に処されなければならない。
それが、私が命を奪ってしまった者たちに為すことが出来る唯一の贖罪であるから、と。
代官は、悲しげに溜息を吐いた。そして、力なく頷いた。
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