自分の事を兄だと慕ってくれる無口系箱入り娘(物理)を、闇の沼底から救い出せ! ~留年、回避、ゼッタイ!~

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2日目

015 忘れもの

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 玄関で靴を脱ぎ、かかとを揃える。幼少期の教育が人を決めるとはよく言ったもので、無意識に手がそうするのだ。真剣で来客を真っ二つにする訓練をしていれば、涙を流さず斬れるようになるだろう。

 ストレスを発散させては溜め込む単純作業を繰り返され、疲労困憊で帰宅した陽介。曲がり角を二つ曲がるだけで、三分も要した。想像以上に彩との絡みで体力を消耗していたのである。

 土足と素足の境界線を越え、振りローリングが剥き出しの床に突っ伏せた。誰も通過していない板材は、ひんやりとしていて頬が気持ちいい。狙っていなくとも表情が柔らかくなる。

 疲れが電圧の低い地底へと流れたところで、疲労物資が占有していた空間に今日の思い出が入り込んできた。数年後、後悔の念に駆られて思い出すのか奇跡の始まりと記憶しているのか、未来を変えるのは陽介次第だ。

 ……まさか、楽器が出てくるなんて……。

 外の公園でよく遊んでいて、屋内の遊戯の記憶が薄い。双方の家に上がったことも、数えるほど。それも親の用事のついで扱いで、単独で家にお邪魔したことは無かった。

 彩の部屋へ招かれるようになったのは、引きこもりが加速してから。ようやく心の許しがもらえた達成感と、周りの子とルートを外れていく彼女への困惑で粉塵爆発しそうだった覚えがある。

 彩が漫画棚の後ろから取り出してきたのは、調弦されていないギター。金属製の弦がややたるんでいて、久しぶりに世に出たことを示していた。

 ここで、驚くべきことが起きた。

『おい、スティール弦なんだから、ピックがいるだろ? あと、弦がたるんで……』
『……いつも……、こうだった……』

 スティール弦とは、金属製の弦だ。指で弾くには固く、ピックを使って音を鳴らすのが普通である。指先をケガしたくなければ、ピックを推奨する。

 彩は、強靭な脂肪と筋肉を持つ人差し指で弦を引き延ばした。無理矢理弦を張り、超音速で弾くことにより音波を発生させたのだ。暗記系科目が苦手なのは、脳まで筋肉に浸食されているからだろう。

 ……その後、俺も弾かされて……。

 金属の弦を弾いて赤み一つつかない全身筋肉少女と違い、陽介は人間だった。筋力は人並みで、最新技術でATフィールドを敷く資金力も無い。二人が同じことをするとどうなるかは、想像するだけで察しが付く。

 陽介の指先は、くっきりと弦の跡がついている。児童による児童虐待の証拠として提出して、認められるのだろうか。彩に接近禁止命令が下されるのなら、訴えない方がいいかもしれない。

 仰向けになった陽介は、カバンの中を探った。手探りで、携帯電話以外の邪魔な物を排除していく。蛇でも仕込まれているのではないかとも勘ぐったが、表面がヌメヌメした生き物の感触は無かった。

 床に散乱したものを、目視で確認する。元々物騒な品物はしまっていなかったので、流し見しようとした。

 ジグソーパズルのピースが一欠けら、風穴を空けていた。整理して出発前の内容と照らし合わせて、物体が一つ消えている。

 おにぎりを包んでいたビニールが、忽然といなくなっていた。纏めてチャック付きの容器に移し替えているので、不潔にはならない。

 十分にバッグを点検したつもりだったが、一階の台所までチェックはしていなかった。下で一人彩から避難して昼食を取っていたことを忘れていた。

 ……取りに行くか……? まだ親が帰ってきてないと思うし……。

 山を越えた隣町の女の子ではなく、地図上で確認すると十センチも無い。徒歩一分の物件である。

 ビニールのゴミは、家庭ごみとして廃棄できる。ゴミ袋の容量を何ミリか圧迫することにはなるだろうが、余計に袋を買わなければいけない事態を引き起こすとは思えない。

 しかしながら、ゴミを他所の家に残していく行為は脇腹が痛む。ゴミ収集場のように扱っている気がして、彩の価値を貶めているようだ。

 脳からの伝達物質が届かなくなりつつあった筋肉を奮い立たせ、陽介は折角揃えておいた靴を乱すことにした。彩に会える機会を増やす口実も、幾ばくか含まれているのは認める。

 一つ、二つ。数えるまでも無い曲がり角を通過すると、第一関門のインターホンがそびえ立つ彩の家へと着いた。驚くことなかれ、ここまで経過時間は二分だ。パンフレットの情報には嘘偽りがありそうだ。

 ……もう一回押すの、抵抗が……。

 口実を付けて再会しに来た、と安っぽく思われたくない。一つ下の女の子には、まだ威厳を保っていたいのだ。

 全ての光を吸収する黒いボタンから、いつのまにかトゲが生えていた。入りたくば血を流せと言う、彩からの伝言なのかもしれない。

 脊髄の反射に逆らって、痙攣する筋肉を伸ばす。しょうもないことで訪問して罵倒されないか心が反論するが、不確定な未来を呪っても仕方がない。後悔するのは、行動を起こしてからだ。

 『ピンポーン』と、呼び鈴が鳴った。彩の家では、来訪者の出現がアナウンスされている。セキュリティ費を削ったおかげで顔が分からないのは、全て自己責任だ。

 玄関から素直に顔を出してくれることを、密かに胸に秘める。ささやかな願いくらい、ノーリスクで叶えてほしいものである。

『……宅配ですか……、来客ですか……?』

 人工の機械音声が、スピーカーから流れる。苗字の表札をが張り出していて自己紹介の必要はなく、必要以上の情報は漏らさないスタイルだ。

 進行に則って事情を打ち明けてもいいのだが、陽介の信号を荒らしたくなる心がここで飛び出した。実際の信号機を消灯させると鉄の檻に入れられるので止めておきましょう。

「……宅配です……。ハンコを用意してもらえると有難いです……」

 ロゴが前面に入った帽子も、上下統一された制服も着用していない陽介。検問を突破出来てしまいそうなのは、ザル身元確認システムによるものだ。

『……少々、お待ちください……』

 彩でも人間らしいやりとりを外部の人物と出来たことに、感激の渦が腹の奥底から込み上がってくる。引きこもっていても、対人能力は衰えていない。未だ、陽介を僅かに上回る実力を有している。

 窒素と酸素が良く混じったガスを注入した成果が出たのか、声色では気付かれなかった。変装の達人を名乗ってもいい頃合いなのかもしれない。国境警備隊でも、忍んですり抜けられる根拠のない自信が湧いてきた。

 インターホンの通話が切れ、辺りは風が覆っていた。背中を後押しするそよ風が、陽介を敷地内へと踏み入れさせた。風のせいなのであって、不可抗力である。住居侵入罪には問われない。

 静まり返った、コンクリートの住宅街。出勤通学の朝晩を除くと、この地域は静けさが道を歩くようになる。大声でカラオケ大会をしても、苦情を言う者は一人として現れない。空き巣の一等地にふさわしい。

 ……すぐ出てはこないんだな……。

 玄関のすぐ横には、印鑑が置かれてあった。宅配物を迅速に収容する目的なのであろうが、それにしては鍵が解除される物音が聞こえない。

 勉強には必死に食らいつく彩も、悪知恵はよく働く。廊下の足元に糸を張っていたり、今日被害にあったようにたらいを天井から吊るしてみたり……。兄弟姉妹の契りを交わして血縁関係を結んだ方が正しい説が浮上している。

 彩と顔を合わせられる幸福は、ハンコの準備が長引く間に反撃の恐怖へと色味が変化していった。とっておきの番犬を押し入れから引っ張り出されて家の中に監禁される未来までもが、脳裏に焼き付く。

 更に待つこと、数分。審判の時が、訪れた。身体の痛覚神経が働くようなら、有罪。そうで無いのならば、無罪判決だ。

「……陽介なら……、そう言えば……」

 答えは、三角印。日本人が優柔不断な民族と称される理由は、この家にもあった。決断をしばし保留する、どっちつかずの色である。

 扉を半開きにした彩は、陽介が家を出た時から何も変わってはいなかった。外界の洗礼に遭い、おまけばかりの長髪がゆらゆら揺れる。階段に躓いて青紫の痣を作るヘマは犯していないようだ。

「……はんこ……!」

 開口一番、陽介は手に何かを握りしめらされた。ビニール製で、手触りは良くない。

 手を開いてみると、それは昼食の残骸。もっとも、米粒は一つたりとも残していないが。

 ……彩も、気付いてくれてたのか……。

 徒歩で渡しに来てほしいと思うのは陽介の願望であり、彩からすればゴミを外に出て届けること自体が困難。彼女の行動に、矛盾点は見られない。

 おにぎりの袋は、台所の最奥に置き去っていたはずだ。彩が自分の部屋に引きこもっていたとすれば、まず発見できない。後片付けを、一人できっちりこなしていた裏付けになっている。

「ごめんな、こんなもの残しちゃってて……。ありがとう、彩」

 お礼は、押し売りしても損にならない。感謝の言葉を大安売りのバーゲンセールで出品する者は胡散臭く見えるものだが、滅多に口にしない意思薄弱者よりはよっぽど信頼できる。

 彩の唇も、自然とほころんでいた。些細な事象でも、幸福をかみしめられるいい例だ。何も壮大なプロジェクトを完成する必要はなく、落ちた消しゴムを拾うだけでも感謝は貰える。

 一見、朗らかな一風景にしか見えない。青春の画そのものであり、一点の曇りも無い、と。

 ……そんなことは、まだ言えない。

 彩の瞳は、相も変わらず真っ黒。光の反射を許さず、陽介の顔はそこに映っていない。一昔前の隅田川よろしく、腐敗したヘドロが底に溜まっている。

 遥か先を見つめるその目は、幸せな道を維持できる日が狭まっていくざわめきに支配されていた。並大抵の努力では、この危機を逃れられないと。

 これらは、全て彩が高校に登校すれば終わる話だ。仮病でここまで休んできたのなら、隕石の一つや二つ落としてでも説教と垂れなければ気が済まない。

 現実は、小説よりも奇なり。彩の体は、外気に負ける構造に変質してしまっている。トラウマと虚無感が全身を覆いつくし、万有引力に引き寄せられて自室へと戻ってしまうのだ。

「……これで、……終わり……」

 別れの挨拶も無しに、彩は扉を閉めた。『武士に二言はない』の使い方が誤っている。できれば、もう一度彼女の『ばいばい』を録音しておきたかった。

 ……越えなくちゃいけない壁は、何枚もあるんだよな……。

 彩の不安要素を全て取り除き、高校へ彼女がすすんで登校させられるだろうか。出来るかどうかは分からない。努力はいつも報われるとは限らず、失敗する可能性も少なくない。

 しかし、やってもみないで諦めるのでは何も始まらない。九割九分敗北が決まっていたとしても、一掴みの藁に全財産を賭けていかなければならない時がある。

 彩は、助けを求めている。言葉にはしなくとも、行動がそう訴えかけてくる。平凡な高校生活を送る明日を、切に願っている。

 陽介が手伝える事は、限られている。それならば。その範囲で最大限暴れていくだけだ。

 体を反転させて自宅へと戻る陽介には、水ごときで消せない炎が宿っていた。
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