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一日目 夜
021 朧
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スピーカーから定時にアナウンスされていそうな文句で、手が肩を握る力が強くなった。
……肩、揉んでくれてる……。
デスクワークなら肩が凝っていることもあるだろうが、全身をフルに使い果たしたところで肩に特別疲労はたまらない。
それでも、未空の気遣いだけで気持ちよく感じた。乱雑なマッサージではなく、強弱に神経を使って、下から上へと移動していく。もみほぐされた筋肉たちの疲れが、和らいでいっていた。
何も言わず、しっかりとした力で体のメンテナンスをしてくれている未空。こういうことは本人が管理しなければならないのだが、今回ばかりは甘えさせてもらうことにしよう。
「……どーう? 寝れそう?」
「……うん、……最高……」
一揉みされるたびに元気を注入されて、それが全身に回っていくように感じる。専門店のマッサージの方が確実なのは百も承知だが、未空のそれは負けず劣らず丁寧だ。
未空を異性の幼馴染と取るか、家族の姉と取るか。それによって、事の意味合いは大きく変わってくる。
家族として見るならば、欲求の無い純粋な絆によるものだと言える。家族は助け合って生きていくものであり、疲れている弟がいれば未空はそれを並べく和らげてあげようとするだろう。
幼馴染としてだとすれば、どうなるだろう。もちろん絆というもので繋がってはいるのだが、もっと別の意味を持っているようでならない。
……何で俺は、未空にドキドキしてるんだよ……。
やましいことは一切考えていない。見る事の無かった未空の側面を発見できた嬉しさなのか、それともしっかりと見つめた時のおっちょこちょいさに愛情を感じているのか。いずれにせよ、普段抱くような感情とは一線を画していた。
彼女にそのつもりは無いだろうが、尽くしてくれているような感覚に陥った。風呂場で背中を洗い流してくれているような温かさを覚えた。
「……腕、貸してね」
肩と首筋が中心だったマッサージが、腕にまで移ってきた。ほのかな手のひらの温もりがじんじんと波打っていた。
……どうして、ここまでしてくれるんだ……?
いくら幼馴染とは言え、性別が違えば体の構造も思考回路も違う。羞恥心という自分らしく振舞えなくなる心を持つようになると、幼少期のように男友達と女友達を平等に扱えなくなる。当たりを強くしてしまったり、反対に隔離してしまうのだ。
幸いにも、家族ぐるみで接してきた寿哉と未空の間にひびがはいることは無かった。それ故こうしてお泊り会を安心して出来る仲にまで進化しているのだが、相手に気軽に触れられるかと問われればそうではない。そう易々と許せるものではないのだ。
人に尽くすことに依存している悲しい少年少女なら、全てを犠牲にしてでも好きな人の為に働く。やれと言われたことが犯罪であっても、止め切れずに実行してしまう。漫画や小説では、たいていその労力は報われないことが多い。
未空は、自炊が壊滅しそうなことを除けば一人でも生きていける。住所と身分証明書を忘れずに面接会場に行くだけで合格と太鼓判を押されるほど、目標に真っすぐ向かって行くひたむきさがある。
将来、どのような職業に就くのだろう。安宿アルバイト生活で満足はしないだろうし、世間がそれを許さない。溢れんばかりの根性で、サビているハシゴも登り切ってしまうこと間違いなしだ。
つまり、未空に依存する理由などこれっぽっちも存在しないのだ。人付き合いが万が一上手くいかなくとも、適度にストレス発散を発散できるのが彼女であり、むしろ誰も頼らず過労で倒れないかが心配になってくる。
……理由なんか何でもいい。未空の視界に俺が入ってることだけで、十分だと思ってる自分がいる。
料理以外何でもできてしまう未空に寿哉は要らないのではと、おびえながら過ごす日々があった。近所だから仲良くしてもらっているが、高校という大海に漕ぎ出した瞬間忘れ去られるのではないかと言う、恐怖心があった。自分は透明人間だと、自己を責めている時期もあったほどだ。
精神力の弱さから来ていると自分自身で気付けたのは、受験期が終わってからの事だった。しばらく会えない期間が続き、もう関係ないと縁を切られるとビクビクしていた寿哉。幻影が、歩く間にまとわりつき、目の前が見えていなかった。
受験の翌日のこと。気晴らしでもしようと家を出ると、同じくどこかに出かけようとしていた未空に遭遇した。待ち合わせはしておらず、偶然の再会になった。
『……寿哉!』
詰まらなさそうに足踏みや辺りを見回す動作をしていた未空が、目が合った瞬間明るくなった。
地域に一校しかない高校の受験など、フリーパスに等しかった。名前と志望動機をハッキリ声に出すだけで合格が決まると言われていたが、本当にその面接があったのだ。試験の出来自体は自信なしである。
受験の出来がどうだったと聞かれることはなく、久しぶりとテンプレのような返され方をされることもなく、ただ名前だけを呼んでくれた。ファストフード店員の作り笑顔では再現できない、喜びが爆発した時によく出る全身の揺れがあった。
その時に、散々苦しめられてきた空想の敵をついに打ち破ることが出来たのだ。未空の眼中に無いというのは、内心で彼女を慕っていることに対しての恥ずかしさが作り上げた真っ赤な嘘だった。
……自分を蔑むのは、もうやめにしたんだ。
負の感情は、負の結果しか呼ばない。堂々巡りに陥って、その内精神を病んでしまう。連鎖から自分で脱出しようと思わなければ、救えるものも救えないのだ。
「……こんな背中向きの状態で話すのも何なんだけど……」
未空の動きがピタリと止まった。向かい合っていた時よりも、さらに距離が縮まっている。囁き声が、耳元まで響いてくるようになった。
「……眠たいと思うけど、集中して聞いてほしいことがあるから」
手に、湯たんぽのようなものが挟み込まれた。試しに軽く握ってみると、それに反応して握り返される。未空の手であった。
散歩で散策していても、手を繋いで歩くというのは滅多にしてこなかった。少ないとは言え他人の目があるところで、いかにもカップルだと主張するような行動をするのには勇気がいるのだ。
小さい頃は迷子にならないようにと未空が繋いでくれていたようだが、それも小学校の高学年に進級する年齢には無くなっていた。
……『集中して、聞いてほしいこと』?
明日の計画は、まだ何も決まっていない。夜は今日と流れは似たようなものになるだろうが、朝昼は未定のままだ。
しかしそれは違う、と一センチもない賢い脳が可能性を否定する。
計画を立てるとして、この雑談が盛り上がりそうな深夜帯にするだろうか。寝て起きたら忘れてしまいそうなものを口頭で伝えるより、トランプで遊んでいた時間を使うのではないだろうか。行き当たりばったりという言葉からは離れている未空の特徴も重なって、不可解な点が出てくる。
……もしかして……。
考えもしなかったことが、急速に現実味を帯びてくる。これほど動悸を感じたのは生まれて初めてだ。
ギュッと、握られる力が強くなった。通常ならば男子が女子の手を覆い隠すようなことになるのだが、手のサイズがさして違わない二人だ。長い指が、手の甲にまで降りてきていた。
「……弟みたいで、幼馴染で。近所に住んでて、友達で。……顔に出ちゃいけないと思って、黙ってたけど」
呼吸音が、あからさまに大きくなった。勝利か敗北かを決める重要な決戦に身を置いているのよりも、精神が張りつめているようだ。
既に繋がれていた手に、新たなものが覆いかぶさってきた。半分出ている寿哉の手を、完全に握りこんでしまった。
眠たいはずなのに、意識がどんどん冴えていく。ブンブン我が物顔で外を飛んでいる蚊の羽ばたきさえも、しっかりと捉えられた。時間軸が歪み、時の流れがだいぶん遅くなったように感じる。
振り返ることの出来ないもどかしさが、余計に心音を増幅させる。魔法が解除されてしまいそうで、金縛りにあったように動けない。
いつまでも続いて欲しくて、続いて欲しくない。どっちつかずの感情が、脳の指揮系統を混乱させている。
もはや、神経も働くことをやめてしまったようだ。感覚という感覚が、自らのコントロールから離れているように感じた。囁いたときの息があたる耳も、固く結ばれている手も、宇宙の何処かに飛んでいっているように思える。温かみだけが、心の芯に降りかかっていた。
「……私、寿哉に恋してるんだ」
地球が、明日滅んでもいいと思えた。それくらい、幸せの絶頂に立っていた。
笑いながらなのが、未空らしい告白の仕方だ。恥じらいを全面に押し出してくるのも胸がときめいたが、告げる時はあっさりなのも自分の意見を常日頃持っている彼女ならではで微笑ましい。
「……もう一回、言うね? みくは、としやとこいびとになりたいです」
恋心で完全に満たされるであろう未空は、もうバターを直射日光で当てたように溶けだしていた。
何度言われても、幸福感が胸の底から沸き上がってくる。水が入っていたとしても、一瞬のうちに沸騰して水蒸気になっただろう。
未空が、寿哉を必要としてくれている。そのことが、血液の循環を速くさせていた。熱い液体が全身にくまなく流れることで、体もほてってきた。
だが、それと同時に、突発的な衝動だけで受け止めてしまってもいいのかという冷血バカな自分もいた。手放しで喜んでもいいのだろうか、受け入れて後悔しないか、と。
「……へんじは、明日もらうことにするね。今日は、もう夜遅いから」
本当は今すぐにでも貰いたくてしょうがないが、戸惑いの気持ちも生まれていた寿哉を心配してくれたようだ。
「……手、つないだままでいい?」
「……いいよ」
普段は二本の足で立っている未空が甘えて、人に頼ることの多い寿哉がリードする側になっている。何もかも、あべこべだ。
もう、元には戻れない。受け入れようとも拒絶しようとも、これまでのような幼馴染としてわいわい盛り上がったり、姉弟のように連れ添うことは出来なくなる。漕ぎ出した船は、二度と出発港に帰ってくることは無いのだ。
しんとした室内にこもる、二つの独特な想い。他人が好きだという温和な愛と、告白をどうすればいいのか分からないと混乱する気持ち。お互いが感じ取っていて、何も言えない。
未空を受け入れる覚悟が出来ているのなら、即決で肯定する仕草を出している。それが出来ないと言う事だから、後は察する通りだ。
……未空とは高校に行っても、出来れば社会人になっても交流したい。
こんな人を楽しませる能力に長けた親友など、他に居るのだろうか。のんびりとした田舎に舞い降りた、奇跡の子。取り換えなどが効くはずもない。
未空は、これからもたくさんの友人と関係を構築していくことだろう。彼女側から積極的にアプローチすることは無くとも、話しかけれた側が放っておくはずがない。目的が何であれ、人を惹きつける何か重要なものに引っ張られるのだ。
自分に釣り合わない、と謙遜しているのではない。本当に自分は未空が好きなのか、全く分からないのだ。
憧れの感情を持つということは、その本人からの立ち位置は離れているという事。リーダーシップを抜群に発揮している委員長とそれを目の当たりにするクラスメートという学校内の関係だと、未空との距離は遠い。
そもそも、未空を異性として見たことがこれまでにあっただろうか。『親友』や『姉』は敬語が不要で気軽に話せる仲ではあるのだが、恋愛対象に入るのは『異性』だ。
生物学的な違いは、認識している。力仕事は主に寿哉が受け持っているし、相撲を取っても勝つことが多い。
……未空が、恋人……?
告白にOKを出すということは、つまりそういうことだ。バカ騒ぎが出来る親友という枠組みに加えて、生涯を共にしたいパートナーと仮の婚約を結んだ状態になると言うことだ。
一旦は不思議な力によって目覚めさせられたが、その効能が切れて再び睡魔が寿哉を襲った。すぐ後ろで未空が子守歌をうたっているのもあって、必死に回転している頭を闇に落とそうとしている。
根っこが優しい未空は、一日という猶予を与えてくれている。本格的に思考が回り始める明日に問題を後回しすると言うのも、悪くない。
それに、今日は色々と出来事が起こり過ぎた。肉体的にも精神的にも、疲労が限界まで溜まっている。無理せずに休息をとれと勧めた張本人が倒れては話にならない。
……未空……。
目の前には誰も寝転んでいないはずなのだが、未空が頬を赤く熟れたリンゴにしているのがぼんやりと見える。
これほどまでに記憶も思考も未空で埋め尽くされたのは前例がない。すべてが、彼女一色に染まる。
「……きょうは、ゆっくりしなよ……」
何処からともなく手が出てきて、ゆっくりと頭を撫でられた。ぎゃあぎゃあ泣いている赤ちゃんを安心させるように扱われていて、しかしすんなりと受け入れてしまう自分が居た。愛情が溢れておかしくなりそうでも、お姉ちゃんであることは崩さないらしい。
迷いを抱えた少年は、愛してくれている彼女に寝かしつけられ、安眠へといざなわれて行った。
……肩、揉んでくれてる……。
デスクワークなら肩が凝っていることもあるだろうが、全身をフルに使い果たしたところで肩に特別疲労はたまらない。
それでも、未空の気遣いだけで気持ちよく感じた。乱雑なマッサージではなく、強弱に神経を使って、下から上へと移動していく。もみほぐされた筋肉たちの疲れが、和らいでいっていた。
何も言わず、しっかりとした力で体のメンテナンスをしてくれている未空。こういうことは本人が管理しなければならないのだが、今回ばかりは甘えさせてもらうことにしよう。
「……どーう? 寝れそう?」
「……うん、……最高……」
一揉みされるたびに元気を注入されて、それが全身に回っていくように感じる。専門店のマッサージの方が確実なのは百も承知だが、未空のそれは負けず劣らず丁寧だ。
未空を異性の幼馴染と取るか、家族の姉と取るか。それによって、事の意味合いは大きく変わってくる。
家族として見るならば、欲求の無い純粋な絆によるものだと言える。家族は助け合って生きていくものであり、疲れている弟がいれば未空はそれを並べく和らげてあげようとするだろう。
幼馴染としてだとすれば、どうなるだろう。もちろん絆というもので繋がってはいるのだが、もっと別の意味を持っているようでならない。
……何で俺は、未空にドキドキしてるんだよ……。
やましいことは一切考えていない。見る事の無かった未空の側面を発見できた嬉しさなのか、それともしっかりと見つめた時のおっちょこちょいさに愛情を感じているのか。いずれにせよ、普段抱くような感情とは一線を画していた。
彼女にそのつもりは無いだろうが、尽くしてくれているような感覚に陥った。風呂場で背中を洗い流してくれているような温かさを覚えた。
「……腕、貸してね」
肩と首筋が中心だったマッサージが、腕にまで移ってきた。ほのかな手のひらの温もりがじんじんと波打っていた。
……どうして、ここまでしてくれるんだ……?
いくら幼馴染とは言え、性別が違えば体の構造も思考回路も違う。羞恥心という自分らしく振舞えなくなる心を持つようになると、幼少期のように男友達と女友達を平等に扱えなくなる。当たりを強くしてしまったり、反対に隔離してしまうのだ。
幸いにも、家族ぐるみで接してきた寿哉と未空の間にひびがはいることは無かった。それ故こうしてお泊り会を安心して出来る仲にまで進化しているのだが、相手に気軽に触れられるかと問われればそうではない。そう易々と許せるものではないのだ。
人に尽くすことに依存している悲しい少年少女なら、全てを犠牲にしてでも好きな人の為に働く。やれと言われたことが犯罪であっても、止め切れずに実行してしまう。漫画や小説では、たいていその労力は報われないことが多い。
未空は、自炊が壊滅しそうなことを除けば一人でも生きていける。住所と身分証明書を忘れずに面接会場に行くだけで合格と太鼓判を押されるほど、目標に真っすぐ向かって行くひたむきさがある。
将来、どのような職業に就くのだろう。安宿アルバイト生活で満足はしないだろうし、世間がそれを許さない。溢れんばかりの根性で、サビているハシゴも登り切ってしまうこと間違いなしだ。
つまり、未空に依存する理由などこれっぽっちも存在しないのだ。人付き合いが万が一上手くいかなくとも、適度にストレス発散を発散できるのが彼女であり、むしろ誰も頼らず過労で倒れないかが心配になってくる。
……理由なんか何でもいい。未空の視界に俺が入ってることだけで、十分だと思ってる自分がいる。
料理以外何でもできてしまう未空に寿哉は要らないのではと、おびえながら過ごす日々があった。近所だから仲良くしてもらっているが、高校という大海に漕ぎ出した瞬間忘れ去られるのではないかと言う、恐怖心があった。自分は透明人間だと、自己を責めている時期もあったほどだ。
精神力の弱さから来ていると自分自身で気付けたのは、受験期が終わってからの事だった。しばらく会えない期間が続き、もう関係ないと縁を切られるとビクビクしていた寿哉。幻影が、歩く間にまとわりつき、目の前が見えていなかった。
受験の翌日のこと。気晴らしでもしようと家を出ると、同じくどこかに出かけようとしていた未空に遭遇した。待ち合わせはしておらず、偶然の再会になった。
『……寿哉!』
詰まらなさそうに足踏みや辺りを見回す動作をしていた未空が、目が合った瞬間明るくなった。
地域に一校しかない高校の受験など、フリーパスに等しかった。名前と志望動機をハッキリ声に出すだけで合格が決まると言われていたが、本当にその面接があったのだ。試験の出来自体は自信なしである。
受験の出来がどうだったと聞かれることはなく、久しぶりとテンプレのような返され方をされることもなく、ただ名前だけを呼んでくれた。ファストフード店員の作り笑顔では再現できない、喜びが爆発した時によく出る全身の揺れがあった。
その時に、散々苦しめられてきた空想の敵をついに打ち破ることが出来たのだ。未空の眼中に無いというのは、内心で彼女を慕っていることに対しての恥ずかしさが作り上げた真っ赤な嘘だった。
……自分を蔑むのは、もうやめにしたんだ。
負の感情は、負の結果しか呼ばない。堂々巡りに陥って、その内精神を病んでしまう。連鎖から自分で脱出しようと思わなければ、救えるものも救えないのだ。
「……こんな背中向きの状態で話すのも何なんだけど……」
未空の動きがピタリと止まった。向かい合っていた時よりも、さらに距離が縮まっている。囁き声が、耳元まで響いてくるようになった。
「……眠たいと思うけど、集中して聞いてほしいことがあるから」
手に、湯たんぽのようなものが挟み込まれた。試しに軽く握ってみると、それに反応して握り返される。未空の手であった。
散歩で散策していても、手を繋いで歩くというのは滅多にしてこなかった。少ないとは言え他人の目があるところで、いかにもカップルだと主張するような行動をするのには勇気がいるのだ。
小さい頃は迷子にならないようにと未空が繋いでくれていたようだが、それも小学校の高学年に進級する年齢には無くなっていた。
……『集中して、聞いてほしいこと』?
明日の計画は、まだ何も決まっていない。夜は今日と流れは似たようなものになるだろうが、朝昼は未定のままだ。
しかしそれは違う、と一センチもない賢い脳が可能性を否定する。
計画を立てるとして、この雑談が盛り上がりそうな深夜帯にするだろうか。寝て起きたら忘れてしまいそうなものを口頭で伝えるより、トランプで遊んでいた時間を使うのではないだろうか。行き当たりばったりという言葉からは離れている未空の特徴も重なって、不可解な点が出てくる。
……もしかして……。
考えもしなかったことが、急速に現実味を帯びてくる。これほど動悸を感じたのは生まれて初めてだ。
ギュッと、握られる力が強くなった。通常ならば男子が女子の手を覆い隠すようなことになるのだが、手のサイズがさして違わない二人だ。長い指が、手の甲にまで降りてきていた。
「……弟みたいで、幼馴染で。近所に住んでて、友達で。……顔に出ちゃいけないと思って、黙ってたけど」
呼吸音が、あからさまに大きくなった。勝利か敗北かを決める重要な決戦に身を置いているのよりも、精神が張りつめているようだ。
既に繋がれていた手に、新たなものが覆いかぶさってきた。半分出ている寿哉の手を、完全に握りこんでしまった。
眠たいはずなのに、意識がどんどん冴えていく。ブンブン我が物顔で外を飛んでいる蚊の羽ばたきさえも、しっかりと捉えられた。時間軸が歪み、時の流れがだいぶん遅くなったように感じる。
振り返ることの出来ないもどかしさが、余計に心音を増幅させる。魔法が解除されてしまいそうで、金縛りにあったように動けない。
いつまでも続いて欲しくて、続いて欲しくない。どっちつかずの感情が、脳の指揮系統を混乱させている。
もはや、神経も働くことをやめてしまったようだ。感覚という感覚が、自らのコントロールから離れているように感じた。囁いたときの息があたる耳も、固く結ばれている手も、宇宙の何処かに飛んでいっているように思える。温かみだけが、心の芯に降りかかっていた。
「……私、寿哉に恋してるんだ」
地球が、明日滅んでもいいと思えた。それくらい、幸せの絶頂に立っていた。
笑いながらなのが、未空らしい告白の仕方だ。恥じらいを全面に押し出してくるのも胸がときめいたが、告げる時はあっさりなのも自分の意見を常日頃持っている彼女ならではで微笑ましい。
「……もう一回、言うね? みくは、としやとこいびとになりたいです」
恋心で完全に満たされるであろう未空は、もうバターを直射日光で当てたように溶けだしていた。
何度言われても、幸福感が胸の底から沸き上がってくる。水が入っていたとしても、一瞬のうちに沸騰して水蒸気になっただろう。
未空が、寿哉を必要としてくれている。そのことが、血液の循環を速くさせていた。熱い液体が全身にくまなく流れることで、体もほてってきた。
だが、それと同時に、突発的な衝動だけで受け止めてしまってもいいのかという冷血バカな自分もいた。手放しで喜んでもいいのだろうか、受け入れて後悔しないか、と。
「……へんじは、明日もらうことにするね。今日は、もう夜遅いから」
本当は今すぐにでも貰いたくてしょうがないが、戸惑いの気持ちも生まれていた寿哉を心配してくれたようだ。
「……手、つないだままでいい?」
「……いいよ」
普段は二本の足で立っている未空が甘えて、人に頼ることの多い寿哉がリードする側になっている。何もかも、あべこべだ。
もう、元には戻れない。受け入れようとも拒絶しようとも、これまでのような幼馴染としてわいわい盛り上がったり、姉弟のように連れ添うことは出来なくなる。漕ぎ出した船は、二度と出発港に帰ってくることは無いのだ。
しんとした室内にこもる、二つの独特な想い。他人が好きだという温和な愛と、告白をどうすればいいのか分からないと混乱する気持ち。お互いが感じ取っていて、何も言えない。
未空を受け入れる覚悟が出来ているのなら、即決で肯定する仕草を出している。それが出来ないと言う事だから、後は察する通りだ。
……未空とは高校に行っても、出来れば社会人になっても交流したい。
こんな人を楽しませる能力に長けた親友など、他に居るのだろうか。のんびりとした田舎に舞い降りた、奇跡の子。取り換えなどが効くはずもない。
未空は、これからもたくさんの友人と関係を構築していくことだろう。彼女側から積極的にアプローチすることは無くとも、話しかけれた側が放っておくはずがない。目的が何であれ、人を惹きつける何か重要なものに引っ張られるのだ。
自分に釣り合わない、と謙遜しているのではない。本当に自分は未空が好きなのか、全く分からないのだ。
憧れの感情を持つということは、その本人からの立ち位置は離れているという事。リーダーシップを抜群に発揮している委員長とそれを目の当たりにするクラスメートという学校内の関係だと、未空との距離は遠い。
そもそも、未空を異性として見たことがこれまでにあっただろうか。『親友』や『姉』は敬語が不要で気軽に話せる仲ではあるのだが、恋愛対象に入るのは『異性』だ。
生物学的な違いは、認識している。力仕事は主に寿哉が受け持っているし、相撲を取っても勝つことが多い。
……未空が、恋人……?
告白にOKを出すということは、つまりそういうことだ。バカ騒ぎが出来る親友という枠組みに加えて、生涯を共にしたいパートナーと仮の婚約を結んだ状態になると言うことだ。
一旦は不思議な力によって目覚めさせられたが、その効能が切れて再び睡魔が寿哉を襲った。すぐ後ろで未空が子守歌をうたっているのもあって、必死に回転している頭を闇に落とそうとしている。
根っこが優しい未空は、一日という猶予を与えてくれている。本格的に思考が回り始める明日に問題を後回しすると言うのも、悪くない。
それに、今日は色々と出来事が起こり過ぎた。肉体的にも精神的にも、疲労が限界まで溜まっている。無理せずに休息をとれと勧めた張本人が倒れては話にならない。
……未空……。
目の前には誰も寝転んでいないはずなのだが、未空が頬を赤く熟れたリンゴにしているのがぼんやりと見える。
これほどまでに記憶も思考も未空で埋め尽くされたのは前例がない。すべてが、彼女一色に染まる。
「……きょうは、ゆっくりしなよ……」
何処からともなく手が出てきて、ゆっくりと頭を撫でられた。ぎゃあぎゃあ泣いている赤ちゃんを安心させるように扱われていて、しかしすんなりと受け入れてしまう自分が居た。愛情が溢れておかしくなりそうでも、お姉ちゃんであることは崩さないらしい。
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