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最終節 擬似デートをしました。 

017 波にもまれている彼女に、手を差し伸べた。

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 『休日に異性と買い物に行く』と言われて、それはどのようにうけとられるだろうか。ある人は『デートだ』と答え、また別の人は『友達付き合いだ』と返答する。

 今日に関しては、どちらも不正解。正答は、『擬似デート』だ。

「……それで今日は、何処に行くの?」
「ショッピングモールにでも行こうかな。それか公園」

 ターミナル駅から降り立った広海と幸紀。いつもの華の無い黒一式で身を覆っているのではなく、爽やかなライトブルーのTシャツにベージュのジーパンという服装をしている。

 買い物に行くためだけに二人で隣町に来たわけではない。昼には、適当なレストランを見つけてそこで昼食を取るつもりだ。

 ついに二人は、カップルとなってデート……という設定でわざわざ遠征しに来たのだ。

「擬似デート、だっけ? 広海は、その好きな人とどこまで進んでるの?」
「丁度、初めてデートするくらいまで」

 広海は、元から意識していたクラスの女子に思い切って告白し、相手からも了承を貰えた。何度かの交友を経て、ついに念願の初デートへと結びついたということである。

 ……というのは口実で、ただ幸紀とどこかへ出かけたかっただけなんだけどな……。

 水入らずで仲が良いとはいえ、やはり幸紀は異性だ。表立ってプライベートで付き合ってもらうというのは恥ずかしさが勝る。

 そこで、この擬似デートという手法を取った。練習をして欲しいと土下座をしてまで頼み込んだら幸紀も断らないだろうと言う目論見だったが、見事に成功した。

 ……幸紀をだまして連れて来てるわけだけど……。

 今回に関しては、罪悪感が余りない。予定も入っていない様子で、なにより隣にいる幸紀は高層ビルの立ち並ぶ大都会に目の輝きがいつまでたっても衰えていない。

 これがもし幸紀が嫌がるのを無理やり承諾してもらったというのであれば、事実をばらして謝罪しただろう。純粋な気持ちで協力してもらっている彼女が、不憫すぎる。

 ……幸紀も楽しもうとしてるみたいだし、まあいっか。

「……私がアドバイスするってことで、いい?」
「うん、頼む」

 両手を合わせて、幸紀に頼み込んだ。出発前にもお願いしていたのだが、彼女にとってはやりづらいポジションだ。改めて感謝の念を示しておくものが吉と言うものだろう。

「……行く場所はハッキリと決めておいた方がいいよ。誘ったのは、広海なんでしょ?」

 自分からデートに誘っておいて行き当たりばったりで行動するのでは、連れて来られた方は何をしに来たのか分からない。それで愛が成就するはずがない、ということか。

 ……デートのベタな場所って、どこらへんなのかな……?

 インターネットで一応の情報収集はしてきたつもりだが、それでも女子の気持ちが手に取るようにわかるわけではない。人の気持ちを透視できる眼鏡があれば、どれだけいい事だろうか。

 遊園地やテーマパークというのは有力な場所だが、如何せんお金が無い。社会人になって収入があるなら別なのだが、現状の親だよりの身では敷居が高い。

「……それじゃあ、今日はショッピングモールに行って、それからご飯でも食べに行こう」

 ショッピングモールに行くと言っても、高価な買い物が出来るわけではない。小学のワンコインで済むものならおごってやれないことも無いのだが、都合の悪い事に手持ちも少ない。

 ……何で、男の方が奢るんだろうな……。

 相手にお金を出させないことは、自分のカッコよさを見せつける機会に繋がるのだろう。だがそれは、最低限の財源がある場合だけである。

 金欠であることを分かっていながら奢られようとするのは無理だと言うものだし、また見栄を張ってなけなしの金をつぎ込もうともしなくていいはずだ。

「……広海が気を抜けないように、私も彼女気取りで動いてみるからね!」

 そう広海の目をじっと見つめる幸紀は、平常運転だった。つかみどころがなく、しかし可愛さは光っている。

「……人、多いね……」
「それは、ターミナル駅の目のまえだし。旅行客もいるんじゃないのかな?」

 旅行客は何も観光名所がある京都にばかり集中するのではない。遊園地が無くとも、絶景スポットが無くとも、賑わいを見せる大型施設が乱立していればそこそこの集客は見込めるのだ。

 駅前ホテルに荷物を預けようと、真っすぐに向かって行くキャリーケースを引きずる群衆が、アメリカバイソンの群れのようにすぐ五メートルほど前方を走っていく。

 ……巻き込まれたら、たまったもんじゃないな……。

 動物のように考えなしではないだろうから横断できると思うと、大間違いだ。ドミノのように倒れていき、ニュースに取り上げられるような大惨事になってしまっては意味が無い。

 キャリーケースを引っ張っていく旅行客を観察していた広海の袖口を、クイクイと催促してくるものがある。

「……行こうよ、広海? もう、待ちきれないなぁ……」

 遠くを見据えている幸紀の目には、何が映っているのだろうか。付き合っている彼女の演技だとすれば、今すぐにでも演劇部にスカウトしてもらいたいものだ。

「はぐれないようにだけ、気を付けてな」

 人が密集しているのは、ホテルへの流れだけではない。目的地である大型商業施設に向かう人と駅へ戻ってきて来る人の動きが、丁度ぶつかって混雑しているのだ。

 一人行動ならばゆったり回り道をして向かってもいいのだが、今日は幸紀が横についている。いたずらに長い距離を歩かせるのは、相手を考えているとは言えない。

 ……それに、今日はデートなわけだし。

 デートは口実である広海にとって、今のこの瞬間は幸紀とのデートでしかない。彼女がそう思ってくれていないのは残念な限りだが、正面からぶつかっていけなかった広海が悪い。

 まだ、幸紀は同居人と言う関係しか縁が無い。何かのはずみで彼女が自立するなどと言うことになれば、たちまち繋がりを失って知宇編むのだ。

 ……今日まで、幸紀のいろんなところを見てきたけど……。

 感嘆にはへこたれない不屈の精神は、そのまま幸紀の力強さを支えている。芯の強さが、彼女の行動に自身を植え付けている。

 ……俺は、幸紀のことが……。

 特別扱いするわけでもなく、誰とでも平等に接する幸紀が、広海だけには違った表情を見せるのが、とても愛おしくて。どうしようもなくなった時に甘えてくるそのしぐさを、もっと見ていたいと思って。

 恥ずかしすぎて、気持ちを伝えたことは一度も無い。

「……広海? どうかした?」
「いや、なんでもない」

 さっさとショッピングモールに行きたくてうずうずしている幸紀に手を引っ張られて、成されるがままに広海も歩き出した。

「……彼女目線で言うけど、……なんだか頼りない人に思われちゃうよ、この感じじゃ」

 彼女役という勝手の分からない役割を与えられている幸紀に指摘されてしまうようでは、実際に誰かとデートしたとしても道のりは険しそうだ。

「私なら、率先して前を歩いてほしいな……?」

 期待するような輝かしい目で、広海の様子をうかがっている。

 女の子側としては、体格も大きくがっしりとした男子に行く道を開いて行って欲しいのだろうか。安心感があるのだろうか。幸紀に聞けば全て解決するが、そんなことをデートの相手に言えるはずがない。

 ……それに、幸紀はそう思ってるっていうことだから……。

 幸紀に喜ばれるようになりたい。その思いが、広海の体を前へ一歩進ませる原動力となった。

 声掛けも無しにずんずんと進んでいった広海だったが、少し焦り過ぎた。今度は幸紀を置いてけぼりにしてしまったのだ。

 彼氏に放って行かれて怒らない彼女などいるはずがない。もしいれば、電話で連絡してきて欲しい。

「……前を歩いて欲しいとはいったけど……。知らないところに置いていく彼氏なんて、最悪だよ?」

 やはり、説教を食らってしまった。相手が幸紀でなければ、この瞬間にハートが割れて失恋してしまっていただろう。

「……私は許してあげるけど、次は気を付けてね?」

 にっこりと目を細めた幸紀は、何処からどう見てもアイドルにしか見えなかった。

 ……ダメダメすぎるな……。

 付け焼刃の知識ではいずれボロが出てしまうとは思っていたが、駅について五分でダメだしを複数個も受けてしまうのは想定外だった。

 デートというものは、もっとロマンティックな印象があった。二人並んで夕陽をバックに自撮り写真を撮り、ビーチでパラソルを広げて海の家に売られているおそろいのものを二人で食べる。

 芝生の上で寝転びながら、ハートマークを空に描く。人気の無い場所で、抱き着き合ってお互いの愛を確かめる。憧れではあるが、実現でき無さそうなのも事実だ。

「……そんな広海のことも、好きになっちゃうんだけどね……」

 これは独り言のようなので、触れておかないでおこう。

 気を取り直して、広海と幸紀はショッピングモールへと出発した。が、先刻と混雑度は変わっておらず、時々流れに引っ張られて脇道に逸れてしまいそうになる。

 それは幸紀も同じであるようで、ぶつかられてはバランスを崩しそうになっている。

「……こんなに人がいるなんて、聞いてないよ……!」

 体力の消費が激しく、泣き顔になっている。

「まあまあ有名な旅行スポットだぞ、ここ? ……言ってなかったけど」
「そういうことは先に言うの!」

 事前申告があったとしてもこの状況が変わることはないが、幸紀としては不満だったようだ。

 誤解し泣いていただきたいのは、何も無駄に情報を隠していたわけではないということである。擬似とはいえデートに付き合ってもらうのに、嘘を吹き込むのは幸紀を道具か何かだと思っているに違いない。

 そしてここは学校で知らない人がいないほどの、名の知れた旅行や暇つぶしに最高な街なのである。幸紀がそのことを知っているのが規定事実だと思い、何も伝えずにここまで来てしまったのだ。

「……あと、どれくらい?」
「そこに見えてるのが、ショッピングモール。だいたい五百メートルくらいだから、もう少しの辛抱だ」

 物量作戦の圧力は耐えにくいものの、それもあと少しなのだが。

 急激に、幸紀の足取りが重たくなった。

 ……苦しそうだな、幸紀は……。

 雑踏にもまれて、もう前へ進むのも難しそうだ。力尽きはしないとは思うが、目を離すとどこかへ流されて行ってしまいそうだった。

 幸紀の辛い表情を見るのは、もうこりごりなのだ。原因が不可抗力なものであってもそうであっても、彼女が苦しむ姿は似合わない。

「……幸紀、つかまれ」

 広海は、手を差し伸べた。

 幸紀が、きょとんとなった。頭の処理が追い付いていないのか、差し伸べられた手を食い入るように見ていた。

 彼女の体の、なんと小さなことなのだろう。人ごみに紛れ込んでしまうともう見つけられなさそうなくらい、小柄である。

「……ありが、とう……」

 顔を赤らめて、幸紀が広海の手をゆっくりと取った。唇をギュッと噛みしめて、腕で表情が見えないようにしている。

 ……そんなに恥ずかしそうに俺を見てくるなよ……。

 幸紀にとって広海は、命の恩人であれ恋愛感情を抱く恋人ではないだろう。そう決めつけていたのが、大きく揺らいだ。

 温かみのある、幸紀の手。人ごみの中にいるとあって風はだいぶん抑えられているが、それでも肌寒さは健在だ。ほのかな安らぎは、宝物そのものなのだ。

 ……心臓がバクバクして、止まらない。

 感じたことの無かった動悸を、はっきりと手から手に伝わっていくのが分かった。風呂上がりのような熱気が、顔の周辺を覆う。

 見ている世界が同じだと言うことだけで、一心同体になれている気がした。

「……広海、ドクドクしてるよ?」

 さらに残っていた方の手で、広海の手を包み込んだ。固く結ばれて、決して離れない。

 ……幸紀にも、伝わってる……。

 何気ないひとときが、永遠に思えた。転倒しそうになっている彼女に手を差し出しただけの何でもないシーンが、映画のクライマックスであるように見える。

 広海の心の中に、明確な感情が生まれた。

 ……俺は、幸紀が好きなんだ。

 言葉にしてこなかったその文章が、広海を沸き立たせる。曖昧から確信へと変わったその想いは、だんだんと自信を生み出した。

「……行くぞ?」

 自己の気持ちをさらけ出したくなかった。幸紀の手を引き、吹き荒れる嵐の中を行こうとした。が、幸紀がテコでも動かない。

「……もうちょっと、このまま……」
「ここだと邪魔になっちゃうから、せめて開けてる場所まで行こう」

 少し進めば、ショッピングモールに行く列が逸れて混雑度がマシになる。

 流れる集団の中で止まっていたのでは、川の真ん中で水流に削られる岩になってしまう。流れを阻害することで、事故を誘発してしまうかもしれない。

 無言で、幸紀のロックが取れた。
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