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Chapter2 春日和
File10:日本甘党
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大通りをぶらつき、目に品物が入っては雑談が挟まる。ドラマの鑑賞で無駄だと思っていた冗長な時の流れも、現場にいると心地良かった。
四月とは思えない、直射日光の熱気。ビル街のガラスが、蒸気を上げて蒸発してもおかしくない。雲も仕事を怠けて、太陽のワンマンショー状態である。
「……もう一本、アイスでも食べようかな……」
「性懲りもなく……。必ず当たりを買ってくるなら、賛成だけど」
「太るよー、それは。横に大きくなって肉のついた美紀なんて、想像もしたくない」
男子禁制の体重関連を、快刀乱麻で踏み込んだ亜希神。崇めても崇め足りない。
陽も高く舞い上がり、関数の頂点に達さんとしている。高校入試で、時刻の計算をさせられたのを思い出した。
土曜の昼前とあって、歩道をひた歩くカモネギを迎え入れようと、各店舗がのろしを上げている。写真、価格、キャッチコピー……。時期を取り違えた鯉のぼりが混ざっているのは、ご愛嬌だ。
広告につられて、胃袋の容積が膨れてくる。
(……財布、持ってくるの忘れた……)
定期券と小銭の入った袋はあるが、公衆電話でクレームを流すだけのはした金しかない。誘惑に負けようとも、龍太郎は何もできない。
美紀はと言えば、上京した翌日の田舎育ちのごとく、あちらこちらに目を寄せていた。映画の撮影か、不審者かの二択だ。
「……あれとか、どうかな……? セットに、ソフトクリームをつけて……」
「聞いたこと無いぞ、デザートにデザートを上乗せするのは……」
主食でも、主菜でもなく、嗜好品。練乳に白砂糖を振りかける荒業と同レベルである。
砂糖を含むものは、それ相応の代償を要求してくる。最たる例が、『肥満』だ。女子の大敵、男子にも大敵、憎まれっ子を押し付けてくるのだ。
暴走機関車美紀のブレーキを担当しているのは、亜希。目隠しをしていても平均棒から落ちない、平衡感覚が優れた人である。
「まずは、その手にあるソフトクリームを食べ終わってから。……美紀のお母さんになった覚えはないんだけどなぁ……」
彼女でも、非常ブレーキとアクセルの位置をランダムで設置してくる、デザート系少女の制御は難しそうだ。ゲーム化されたとすれば、クソゲー認定されること間違いなしだ。
昼飯の前の段階で、美紀の腹にはアイスバーとソフトクリーム。ブラックホール化しているとしか考えられない。
「……甘いものは、体のエンジンになるって、知ってるよね? ……だから、甘いものはいくら食べても……大丈夫……」
「ダイエット食品の謳い文句くらい信用できないな……」
「エネルギーに変換するにしても、本人が動かないんじゃあ、ねぇ……」
一発の重い追撃砲で、儚く撃墜された。カロリーから目を背けたところで、身に貯まるだけである。
何遍も美紀の食べ物観を追っていくと、ある結論にたどり着く。
『甘いもの好き』である。ただし、砂糖を含むもの限定だ。
彼女の味蕾は、甘さを感じさせる物質のみに反応するらしい。これは他の味が感じ取れないのではなく、味の増幅倍率が桁違いということだ。
当の本人は、『歯医者で診察を受けたことが無い』と豪語していた。ダイヤモンドか何かで作られた、特注製品なのだろうか。
(……訳が分からない……)
ベールを脱いでみて、特徴の薄まった奥手少女だと思っていた。その考えが誤りであることが、今証明されたのだ。
「……龍太郎、お腹減ってない? さっきから、歩くの遅いよ?」
「……お金、すっからかんなんだよ……。そろそろ、帰ろうかな……」
「なるほど、なるほど……。そういうことか……」
「……のけ者にされてない……? 空腹なのは、私だって……」
「「まさかぁ」」
おやつを二つも胃の中に入れている美紀が何を言っても、詭弁にしか聞こえない。
スーパーコンピュータ亜希が、緻密な演算で答えを導きだそうとしている。初めて、彼女の歩みが止まった。
「……どこか、食べに行こうよ。龍太郎の分、おごったげる」
拳で、胸を叩いた。同じ年齢にしては、頼もしさに開きがあるのはどうしてなんだろう。
一人、時代の流れに取り残された少女が、甘いものに目が無い、フィルターが掛かっていなくとも偏っている美紀がいた。
「……美紀のも出す」
危なっかしい水色少女に、世の全てを知り尽くす大親友も折れたようだった。
----------
幸いにも、休日の昼時間にしては空いた店に入ることができた。ボックス席を案内され、我先にと美紀が窓側へ収まった。
お品書きの最終ページから、美紀がめくっていく。主要なメニューには目もくれない。
制服姿の女子高生が、横を通りすぎた。自信なさげに引きこもる校章に、肩の流れに合わせただけの白線。紛れもない、龍太郎と美紀の通う高校だ。勉強も制服もやる気が無い、と地元では評判である。
(睨みつけられたような……)
フラットな目線で龍太郎たちを覗けば、なるほど不自然である。高校生の男女が人数不揃いで席に着いていること自体、おかしな話だ。
「パフェにプリン、クレープ……」
「ここをデザート専門店だと勘違いしてるんじゃないか、美紀は……」
「こればっかりは、手出しできないから、ね……」
品定めをするが早いか、美紀は注文用のタブレットをいじくりだした。何を注文したのかは、届いてみるまで分からない。
続いて、亜希と龍太郎もオーダーを済ませる。彼女の財布に負荷がかからない程度に止めておいた。
固定されなくなった意識は、自然と本題へと向く。
「……結局、『好き』ってどういうことなの、かな……。食べ物とか、飲み物とかの趣向は理解してるんだけど……」
恋愛視点の『好き』は、世界でいうエベレストに相当する。誰でも挑戦できる山と違い、確固たる意志をもってしても挫折する登山者が後を絶たない。
ましてや、その山の存在すら知らない美紀が登ろうとするのは、自殺行為そのもの。補助具があっても、満足に歩けない。
こればかりは、成功者でないと経験語りが出来ない代物だ。
(……いないんだけど……)
美紀はおろか、龍太郎も経験が無い。一方的に好意を持っていただけでは、恋愛開始にならないからだ。
頼みの綱である亜希も、この手の話題については避けてきた印象がある。多忙を理由に断っているらしいが、実際は不得手な分野なのかもしれない。
亜希が、コップに口をつける。
「そうだねー……。例えば、何処にいても気になって。何をするにも手がつかない、とか」
「……飼ってる伝書鳩も、そう……?」
「あれは帰ってこないのが一定数いるから違う」
物事を『忘れた』人が覚え直すのと、未学習の人に『教える』のとでは難易度の差が激しい。前者はもう一度呼び起こすだけなのに対して、後者は理屈から叩き込まねばならない。もちろん、美紀は染まったことのない人だ。
恋愛を、知らない。交友関係の損得はともかくとして、人生の価値が半分は損なわれていそうだ。
世の中にある作品は、『恋』という不確かでぼんやりとした感情を巻き込んで進展することが多い。微妙なバランスを保ち、ゴールまで運ぶ過程のドラマは、涙をしばしば伴う。
美紀は、その話についていけない。最初の段階で躓いてしまうのだ。
「……私が考えてるのは……。美紀に、自信がなさそうなこと、なんだよね」
「……そうかも、しれない……」
美紀の目が、ももに深く打ち付けた拳に落ちる。語尾の失速を聞けば、誰でも彼女の無力を感じ取る。
だから、と亜希は続ける。
「一日一善、してみたらどうかな?」
「……どういう、こと……?」
初耳ではないが、恋愛の文脈で見たことはない。龍太郎が美紀であっても、頭に疑問符しか浮かばなかっただろう。
「一日に一個、プラスなことを見つけるの。ゴミ拾いした、難問が解けた、体を動かした……。何でもいいから、ノートに記録していく」
前を向け、という話である。気になって過去を反省するよりも、未来へと続く道を確かに踏みしめた方が良い。理にかなっている。
龍太郎にも、当てはまりそうな実践方法だ。もったいぶって一歩も動けない現状を徘徊するための、画期的な手段となり得るものである。
『一日一善』のネーミングセンスは棚に上げておいて、動機の強化剤としては上出来そうなものだ。
「……何でも、って? ……自動販売機の十円玉を見逃した、でもいい?」
「ちょっとズレてるかな。それでも悪くはないんだけど、出来る限り人間関係のことで……。『いつもより一言会話を多く繋げられた』、みたいに」
小学生の算数ドリルを毎日解き、それをノートに記して逃れる技を封印する掟である。継続性の怪しい人にとって、必要な縛りだ。
美紀のことは、出会って一週間の傍観者龍太郎よりも、部活仲間で付き添ってきた亜希が把握していることだろう。細かい判断は、彼女に任せる。
『一日一善』ノート、龍太郎も一冊作ってみた方がよさそうだ。水面下で勝手に進めておこう。
美紀が交互に指を組んで、もみくちゃにしていた。かみ砕き、飲み込み、日本語として理解しようとしている。
「……やってみる。今日の分は……、まだ……」
「焦らなくても、大丈夫。いざとなったら、私が何とかする」
ダンベルでも重機でも託してこい、と胸を張る亜希。高校をも引っ張っていく強靭な肉体の持ち主は、背の幅も大きく見える。気掛かりなことは、その『何とかする』が龍太郎に牙を剥きそうなことくらいか。
一仕事を終えて、亜希が早速水をお代わりしようと席を立つ。
「……お待たせしましたー。トールパフェと、レギュラーパフェです……」
ウェイターの運んできた盆には、大小二つの生クリームタワー。期間限定でも何でもなく、甘さの暴力を詰め込んだデザートだ。作り置きの疑惑が胸に浮かんでもおかしくない程、提供が早い。
亜希の瞳は、角を取り払った円になっていた。涼し気な横長に流した目は、どこに消えたのだろうか。前にも、後ろにも動かない。
テーブルに、立て続けに二本の塔が並んだ。
亜希のおごりが思考にこびりついて、デザートまでは遠慮した龍太郎。注文した人の一人に、謙虚な心は無かったのだろうか。
美紀はいそいそとスプーンを取り出し、てっぺんのカールしたアイスクリームに手を出した。ブロック崩しの始まりである。
急ブレーキをかけて、お目当ての品が到着した亜希もUターンしてきた。
「……龍太郎、食べるよね……?」
普通サイズのパフェを指し、光という光を全て集めていた。照明の色ガラスがやかましそうだ。
食べ残す前提、ということなのだろう。彼女なりのプレゼント、とでも受け取っておく。かなり遠回しで、はっきりしないのが疑問ではあるが……。
「……ありがとう。それじゃあ、喜んで」
言い慣れない、感謝の一文句。間接的な事柄に直で返すのは血流が全て逆流しそうな想いだが、言い切ってしまうと悪くない。
「よろこ、んで……? あれ、龍太郎が頼んだんじゃないの……?」
「流石にそこまでは求めてない。亜希の親切、気持ちだけ受け取っとく」
富士山の地下に根の帝国を築いている亜希の幹が、僅かづつだが傾いている。変調したメロディの中で、不協和音が流れている。
彼女が龍太郎に差し出していたパフェが、とある甘党崇拝者の手によって奪われた。
「何言ってるのか、分からないけど……。人の頼んだもの盗るのは、どうなの……?」
……『ほどほど』という単語は、美紀の中に無いようだ。
四月とは思えない、直射日光の熱気。ビル街のガラスが、蒸気を上げて蒸発してもおかしくない。雲も仕事を怠けて、太陽のワンマンショー状態である。
「……もう一本、アイスでも食べようかな……」
「性懲りもなく……。必ず当たりを買ってくるなら、賛成だけど」
「太るよー、それは。横に大きくなって肉のついた美紀なんて、想像もしたくない」
男子禁制の体重関連を、快刀乱麻で踏み込んだ亜希神。崇めても崇め足りない。
陽も高く舞い上がり、関数の頂点に達さんとしている。高校入試で、時刻の計算をさせられたのを思い出した。
土曜の昼前とあって、歩道をひた歩くカモネギを迎え入れようと、各店舗がのろしを上げている。写真、価格、キャッチコピー……。時期を取り違えた鯉のぼりが混ざっているのは、ご愛嬌だ。
広告につられて、胃袋の容積が膨れてくる。
(……財布、持ってくるの忘れた……)
定期券と小銭の入った袋はあるが、公衆電話でクレームを流すだけのはした金しかない。誘惑に負けようとも、龍太郎は何もできない。
美紀はと言えば、上京した翌日の田舎育ちのごとく、あちらこちらに目を寄せていた。映画の撮影か、不審者かの二択だ。
「……あれとか、どうかな……? セットに、ソフトクリームをつけて……」
「聞いたこと無いぞ、デザートにデザートを上乗せするのは……」
主食でも、主菜でもなく、嗜好品。練乳に白砂糖を振りかける荒業と同レベルである。
砂糖を含むものは、それ相応の代償を要求してくる。最たる例が、『肥満』だ。女子の大敵、男子にも大敵、憎まれっ子を押し付けてくるのだ。
暴走機関車美紀のブレーキを担当しているのは、亜希。目隠しをしていても平均棒から落ちない、平衡感覚が優れた人である。
「まずは、その手にあるソフトクリームを食べ終わってから。……美紀のお母さんになった覚えはないんだけどなぁ……」
彼女でも、非常ブレーキとアクセルの位置をランダムで設置してくる、デザート系少女の制御は難しそうだ。ゲーム化されたとすれば、クソゲー認定されること間違いなしだ。
昼飯の前の段階で、美紀の腹にはアイスバーとソフトクリーム。ブラックホール化しているとしか考えられない。
「……甘いものは、体のエンジンになるって、知ってるよね? ……だから、甘いものはいくら食べても……大丈夫……」
「ダイエット食品の謳い文句くらい信用できないな……」
「エネルギーに変換するにしても、本人が動かないんじゃあ、ねぇ……」
一発の重い追撃砲で、儚く撃墜された。カロリーから目を背けたところで、身に貯まるだけである。
何遍も美紀の食べ物観を追っていくと、ある結論にたどり着く。
『甘いもの好き』である。ただし、砂糖を含むもの限定だ。
彼女の味蕾は、甘さを感じさせる物質のみに反応するらしい。これは他の味が感じ取れないのではなく、味の増幅倍率が桁違いということだ。
当の本人は、『歯医者で診察を受けたことが無い』と豪語していた。ダイヤモンドか何かで作られた、特注製品なのだろうか。
(……訳が分からない……)
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「……龍太郎、お腹減ってない? さっきから、歩くの遅いよ?」
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「なるほど、なるほど……。そういうことか……」
「……のけ者にされてない……? 空腹なのは、私だって……」
「「まさかぁ」」
おやつを二つも胃の中に入れている美紀が何を言っても、詭弁にしか聞こえない。
スーパーコンピュータ亜希が、緻密な演算で答えを導きだそうとしている。初めて、彼女の歩みが止まった。
「……どこか、食べに行こうよ。龍太郎の分、おごったげる」
拳で、胸を叩いた。同じ年齢にしては、頼もしさに開きがあるのはどうしてなんだろう。
一人、時代の流れに取り残された少女が、甘いものに目が無い、フィルターが掛かっていなくとも偏っている美紀がいた。
「……美紀のも出す」
危なっかしい水色少女に、世の全てを知り尽くす大親友も折れたようだった。
----------
幸いにも、休日の昼時間にしては空いた店に入ることができた。ボックス席を案内され、我先にと美紀が窓側へ収まった。
お品書きの最終ページから、美紀がめくっていく。主要なメニューには目もくれない。
制服姿の女子高生が、横を通りすぎた。自信なさげに引きこもる校章に、肩の流れに合わせただけの白線。紛れもない、龍太郎と美紀の通う高校だ。勉強も制服もやる気が無い、と地元では評判である。
(睨みつけられたような……)
フラットな目線で龍太郎たちを覗けば、なるほど不自然である。高校生の男女が人数不揃いで席に着いていること自体、おかしな話だ。
「パフェにプリン、クレープ……」
「ここをデザート専門店だと勘違いしてるんじゃないか、美紀は……」
「こればっかりは、手出しできないから、ね……」
品定めをするが早いか、美紀は注文用のタブレットをいじくりだした。何を注文したのかは、届いてみるまで分からない。
続いて、亜希と龍太郎もオーダーを済ませる。彼女の財布に負荷がかからない程度に止めておいた。
固定されなくなった意識は、自然と本題へと向く。
「……結局、『好き』ってどういうことなの、かな……。食べ物とか、飲み物とかの趣向は理解してるんだけど……」
恋愛視点の『好き』は、世界でいうエベレストに相当する。誰でも挑戦できる山と違い、確固たる意志をもってしても挫折する登山者が後を絶たない。
ましてや、その山の存在すら知らない美紀が登ろうとするのは、自殺行為そのもの。補助具があっても、満足に歩けない。
こればかりは、成功者でないと経験語りが出来ない代物だ。
(……いないんだけど……)
美紀はおろか、龍太郎も経験が無い。一方的に好意を持っていただけでは、恋愛開始にならないからだ。
頼みの綱である亜希も、この手の話題については避けてきた印象がある。多忙を理由に断っているらしいが、実際は不得手な分野なのかもしれない。
亜希が、コップに口をつける。
「そうだねー……。例えば、何処にいても気になって。何をするにも手がつかない、とか」
「……飼ってる伝書鳩も、そう……?」
「あれは帰ってこないのが一定数いるから違う」
物事を『忘れた』人が覚え直すのと、未学習の人に『教える』のとでは難易度の差が激しい。前者はもう一度呼び起こすだけなのに対して、後者は理屈から叩き込まねばならない。もちろん、美紀は染まったことのない人だ。
恋愛を、知らない。交友関係の損得はともかくとして、人生の価値が半分は損なわれていそうだ。
世の中にある作品は、『恋』という不確かでぼんやりとした感情を巻き込んで進展することが多い。微妙なバランスを保ち、ゴールまで運ぶ過程のドラマは、涙をしばしば伴う。
美紀は、その話についていけない。最初の段階で躓いてしまうのだ。
「……私が考えてるのは……。美紀に、自信がなさそうなこと、なんだよね」
「……そうかも、しれない……」
美紀の目が、ももに深く打ち付けた拳に落ちる。語尾の失速を聞けば、誰でも彼女の無力を感じ取る。
だから、と亜希は続ける。
「一日一善、してみたらどうかな?」
「……どういう、こと……?」
初耳ではないが、恋愛の文脈で見たことはない。龍太郎が美紀であっても、頭に疑問符しか浮かばなかっただろう。
「一日に一個、プラスなことを見つけるの。ゴミ拾いした、難問が解けた、体を動かした……。何でもいいから、ノートに記録していく」
前を向け、という話である。気になって過去を反省するよりも、未来へと続く道を確かに踏みしめた方が良い。理にかなっている。
龍太郎にも、当てはまりそうな実践方法だ。もったいぶって一歩も動けない現状を徘徊するための、画期的な手段となり得るものである。
『一日一善』のネーミングセンスは棚に上げておいて、動機の強化剤としては上出来そうなものだ。
「……何でも、って? ……自動販売機の十円玉を見逃した、でもいい?」
「ちょっとズレてるかな。それでも悪くはないんだけど、出来る限り人間関係のことで……。『いつもより一言会話を多く繋げられた』、みたいに」
小学生の算数ドリルを毎日解き、それをノートに記して逃れる技を封印する掟である。継続性の怪しい人にとって、必要な縛りだ。
美紀のことは、出会って一週間の傍観者龍太郎よりも、部活仲間で付き添ってきた亜希が把握していることだろう。細かい判断は、彼女に任せる。
『一日一善』ノート、龍太郎も一冊作ってみた方がよさそうだ。水面下で勝手に進めておこう。
美紀が交互に指を組んで、もみくちゃにしていた。かみ砕き、飲み込み、日本語として理解しようとしている。
「……やってみる。今日の分は……、まだ……」
「焦らなくても、大丈夫。いざとなったら、私が何とかする」
ダンベルでも重機でも託してこい、と胸を張る亜希。高校をも引っ張っていく強靭な肉体の持ち主は、背の幅も大きく見える。気掛かりなことは、その『何とかする』が龍太郎に牙を剥きそうなことくらいか。
一仕事を終えて、亜希が早速水をお代わりしようと席を立つ。
「……お待たせしましたー。トールパフェと、レギュラーパフェです……」
ウェイターの運んできた盆には、大小二つの生クリームタワー。期間限定でも何でもなく、甘さの暴力を詰め込んだデザートだ。作り置きの疑惑が胸に浮かんでもおかしくない程、提供が早い。
亜希の瞳は、角を取り払った円になっていた。涼し気な横長に流した目は、どこに消えたのだろうか。前にも、後ろにも動かない。
テーブルに、立て続けに二本の塔が並んだ。
亜希のおごりが思考にこびりついて、デザートまでは遠慮した龍太郎。注文した人の一人に、謙虚な心は無かったのだろうか。
美紀はいそいそとスプーンを取り出し、てっぺんのカールしたアイスクリームに手を出した。ブロック崩しの始まりである。
急ブレーキをかけて、お目当ての品が到着した亜希もUターンしてきた。
「……龍太郎、食べるよね……?」
普通サイズのパフェを指し、光という光を全て集めていた。照明の色ガラスがやかましそうだ。
食べ残す前提、ということなのだろう。彼女なりのプレゼント、とでも受け取っておく。かなり遠回しで、はっきりしないのが疑問ではあるが……。
「……ありがとう。それじゃあ、喜んで」
言い慣れない、感謝の一文句。間接的な事柄に直で返すのは血流が全て逆流しそうな想いだが、言い切ってしまうと悪くない。
「よろこ、んで……? あれ、龍太郎が頼んだんじゃないの……?」
「流石にそこまでは求めてない。亜希の親切、気持ちだけ受け取っとく」
富士山の地下に根の帝国を築いている亜希の幹が、僅かづつだが傾いている。変調したメロディの中で、不協和音が流れている。
彼女が龍太郎に差し出していたパフェが、とある甘党崇拝者の手によって奪われた。
「何言ってるのか、分からないけど……。人の頼んだもの盗るのは、どうなの……?」
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