入学初日に告白してきた美少女には、『好き』がないらしい。~欠けた感情を追い求めて~

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Chapter3 内からの蝕み

File17:バスチャレンジ

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 楽園を築いていただろう微生物のニオイが、部屋中に蔓延している。蒸気と混ざり合って、一種の毒ガスが形成されていた。

 勢いの無いシャワーで、髪の毛にこびりついた泥を落としていく。排水溝から直下で管の広い下水道に流れていくので、詰まる心配はしなくても良い。オンボロな設備がメリットに働くとは思わなかった。

 ぼやけた扉の向こう側に、動く人影は見つからない。着替えらしき服の層が、地面から投影されている。

 女子用と思われし、トリートメント。いくら髪が汚れていると雖(いえど)も、異性の専用グッズを使う気にはなれない。

(……まさか、成瀬がね……)

 現役番長、成瀬の放った右フックは、力を伝達させるに留められていた。骨にめり込む痛みもなく、作用で龍太郎がよろけただけだった。
 転ばぬ先の杖と成瀬が仕掛けていた網に、思惑通り引っかかった龍太郎。ここまでは、成瀬のストーリー通りだっただろう。

 分岐ルートは、いつも不意な行動から。

 埋め立てられた挙句スクラップにされることを危惧した龍太郎が、取っ組み合いで押し倒してしまった。バランスを崩して、自らは後方へ。

 その結果が、手伝いの前に浴室を貸切るザマになったというわけだ。

(亜希が丁度駆けつけてくれなかったら、どうしてたことか……)

 勝手に原因を作り、泥団子になった美紀以外の二人。龍太郎はもちろんの事、成瀬も食費すら調達出来ていない彼女に追加の何かは求めづらかった。言い合う気力もなく、無言で泥をはたき落とす地獄と化していた。

 それが、亜希の登場で全て浄化されてしまった。亜希マジックの真骨頂である。潤滑油としても、彼女は一級品なのである。

『……龍太郎!? ドジっ子……にしては奥に倒れすぎかぁ。……それで、その泥だらけの子は……?』

 龍太郎の流され具合に、亜希の扱いの上手さを感じる。放っておいても自動的に復活するキャラと、傷つきやすいキャラ(美紀)の見極めが抜群だ。龍太郎としてはもの悲しい。

 若干歯切れが悪い原因は、彼女に『学年の支配者成瀬が伴侶になっている』を伝えそびれていたことである。電話代をケチって連絡しなかった龍太郎が悪い。おかげで、説明する手間が掛かってしまった。

 何はともあれ、亜希の仲介でシャワーを使わせてもらえることになり、今に至っている。感謝様様だ。余分な水道代が二人負担になったのは言及するまでもない。

 頭髪に浸透させたシャンプーを、流れるお湯で一気に洗い流す。いつもと異なって、泡が中々排水溝に吸い込まれていかない。

 初めて来た異性の家で、シャワーを借りて体を洗っている。一つ一つの品詞はよくある事柄でも、複数合わさるとこれ程までにあり得ない事になってしまう。

(何やってるんだ、俺……)

 少なくとも、美紀に大きい背中を見せつける観点からすると大失敗なことは確かだ。印象を改善させるどころか、要らぬ負荷までかけさせてしまった。

『……私のせい、かもしれない……』

 ヘルプを求めたのは彼女でも、強引な手段を取ったのは龍太郎。偽『カノジョ』事件にける亜希と美紀が置き換わったと考えれば、難しくない。

 胴体の汚れを落とそうとボディタオルを手に取ったところで、動きを止めた。

 成瀬はもう洗浄済み。『龍太郎は待てるいい子だから』と、亜希が成瀬を優先させたのだ。図星を突かれて反論できないのがもどかしい。
 龍太郎が何を言いたいのか。それは、水洗いが挟まっているとは言え、この浴室内のタオルは使用済みということだ。

 このまま押し切るのか、一歩引いて妥協するのか。

 龍太郎に、はっちゃけて誤魔化す気力は無かった。手洗いに決定した。

 しばらくして、浴室の扉がノックされた。龍太郎にすっぽり収まりそうな身長の影は、美紀か成瀬だ。

「……登川くん、変に気遣わなくてもいいよ……。……あと、早めに上がってきてね……」

 『シャワーに水を取られ水道が一切使えない』と、家の古さを嘆いていた。下手に悩むな、と釘を刺したということだろう。

 彼女の譲歩を快く受け取りたい気持ちはやまやま。

(……男として、なぁ……)

 交友構築の上手な亜希ならば、遠慮なく美紀の所有物を使うのだろうか。とても恥ずかしく、尋ねられない事柄である。

 シャワーの元気が衰えてきた。水勢は弱くなるばかりで、水温もぬるま湯から転落しかけていた。

 扉一つ隔てた向こう側でタムロしている美紀に、助言を求める。

「……だんだん冷たくなってきてないか……」
「……ボイラーがへばってきてるから……」

 彼女の言う通りだった。じきに、水洗い中のチキンになってしまう。

(……もう、出ないといけないな……)

 龍太郎はシャワーを止め、体を拭く用の小タオルで水分を飛ばし、浴室の傍に置いていたバスタオルを取りに行こうとした。

 扉を少し開くと、充満して行き場を失っていた蒸気が我先にと脱出していく。視界が白く染まり、一寸先が光で見えない。

 タオルに体をくるませ、バスマットの無い床へと一歩踏み出す。体重をかけると、床の木材が軋んだ。和製お化け屋敷である。
 視界が晴れてくるにつれ、固まった一つの人影が現れてきた。黒一色から、徐々に色を帯びてくる。

「……登川くん……!? ど……、ど……」

 緊急事態から逃げ遅れた少女だった。顔に視線を持っていくことで精一杯、過呼吸で顔が熟れたリンゴになっていた。

 龍太郎の頭は真っ白になった。布一枚の姿で、特別親しくない異性が目の前に出現しているのだ。何かを動かそうにも、経験値不足で固定されたままだ。

(……終わった……)

 浴室に戻れば、簡単に解決できる話。それすら、龍太郎の足の筋肉は聞き入れてくれなかった。腰を抜かして、コントローラーを紛失してしまっていたのだ。
 血管が振動を起こし、心臓が止まりそうになる。脳の血流が不足して、僅かに上方が暗く見えてきている。
 幸いなのは、バスタオルからあぶれた部分が肩より上なことだろうか。全く事態の解決になっていない。

 美紀はその場にしゃがみ込み、顔を手で押さえて左右に振っていた。

「……い……、いまのは……。ちょっと、……待って……」

 辛うじて、日本語が出せている。

 凍り付いた体をどう動かすか。冷温停止しそうな脳を回転させ始めた、その刹那。

 バン!

 脱衣所兼洗面所の、スライド式のドアが勢いよく開け放たれた。龍太郎も美紀も触れていないのに。警察に突撃されたら最期、パトカーに連れていかれるかもしれない。

「……ありゃりゃ……」

 苦笑いを浮かべ二人の間に滑り込み、予期せぬ加害者とうずくまる被害者を交互に観察する。彼女の名は、亜希だ。

 龍太郎の上から下まで一瞥し、両方の腕の付け根にロックをかけた。

「……言いたいことは、目を見たら分かる。……分かるけど、いったん退こう?」

 亜希に促されるがまま、龍太郎は安全地帯へと歩みを戻した。戸惑いの支配を解除する、不思議な力である。

 浴室の中に体ごと入りこんだ亜希は、手早く扉を閉じた。
 靴下を履いていたはずの足元は裸足。ただくつろいでいただけなのか、あり得ない事態までも見越していたのか。

 彼女の龍太郎を注視する瞳に、軽蔑の感情は一切籠っていなかった。写真にして切り取れば、何の変哲もない通常の亜希である。

 含みのあるすらりとした手が、龍太郎の露になっている肩にかかった。

「積極的に、とは言ったけど、まさかここまでするなんて……。男の子として、こういうことは失格だよ?」

 軽く胸の辺りを払われた。

「そうじゃなくて……」
「うん、知ってる。龍太郎が、自分からセクハラ仕掛ける汚いヤツじゃないことくらい」

 反論しようとするも、亜希の千里眼には敵わない。

「……正しい対処法、伝授してあげよう」

 亜希がノリに乗っている。浴室の外にいる美紀はそっちのけだ。

 耳を澄まして、彼女の『対処法』とやらを聞いてみる。

「……僕がやりましたぁ……、すみませぇん……」
「思いっきり認めてるじゃないかよ!」

 いつもの調子で悪ノリした親友にツッコミを浴びせようとして、浴室外に放り出された少女が隙間から覗いているのに気づいた。



 血の気が引いた。
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