入学初日に告白してきた美少女には、『好き』がないらしい。~欠けた感情を追い求めて~

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Chapter4 安全地帯の防衛

File44:大切なもの

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 無機質な冷たさが、龍太郎の額を刺している。逃れようにも、ガタのきた身体は起動しそうにない。油を差さないロボットよりも上手く動けない。
 ふんわりとした白シーツに横たわって、防音の施された天井を見つめる。どの教室も構造は違わないはずなのに、クリーム色で塗られている。

(……あいつらの腐臭が赤く染まってたのか、遮光された太陽の光だったのか……)

 お化け屋敷の生ぬるい風など、比べるまでもない。利権と自己顕示にまみれたもろもろの悪が、あの教室に集中していた。色を感じとる細胞を騙すまでに。

 ことが片付くが早いか、龍太郎は付き添いに預けられて保健室へと運ばれた。美紀にひとつも慰めの言葉をかけてやれなかったのが心残りでならない。

 『絶対安静』と壁紙の貼られた病室には、龍太郎ひとりぼっち。保健教師は出ていったっきりだ。この高校で静寂に触れるのは初めてである。

(美紀が壊れてしまってなきゃ、それでいいんだ。それが達成されてくれていれば……)

 情緒豊かな少女が、引きこもりにならないために。回りだした歯車の歯が折れないように。龍太郎たちの計画は、完遂されたのだろうか。

 内部と外部が隔てられた部屋に、情報は入ってこない。筋繊維がヘルプコールを鳴らす痛みが巡回するだけである。

 空白の世界で、人は意識を保っていられない。まぶたに重りをつけられ、記憶と想像が混濁していく。

(やれることはやったんだ、あとは結果を待つだけ……)

 カツン、カツンと廊下をつたわる足音が、心地のいい入眠時計のカウントになっていた。

 美紀が川に連れ出された、休日のひととき。力づくで購買部を制圧した成瀬。降りしきる雨の屋上で、淡々と決意を積みあげる、いつもは見られない女王の内面。時系列が統合されては分けられ、近い出来事のように吸収された。

 我ながら、女子たちの暴力に負けてしまうとは名が廃る。バーベルを持ちあげる筋肉があれば、人脈の海に飛びこんで説得させられるコミュニケーション能力があれば、格好を付けられた。

(でも、そんなこと、過去に遡らないと修正できない)

 小学校、中学校と、連絡役の友人がいることに丸投げして、自身を磨いてこなかった。高い勉強料を、成長してから払わされている。

 あの暴走機関車のエンジンを止める役割は、成瀬が担っていた。

 龍太郎に課せられた任務は、『美紀に傷をつけさせないこと』。自らの身体を張るまで崖に立たされるとは思いもよらなかったが。

(成瀬、うまく立ちまわってくれてるよな……?)

 彼女の治世あっての安全確保。かの少女へ付け入るスキを与えないための欠かせない一ピースが、成瀬と名乗る絶対君主なのだ。

 電気信号の沼に全身を浸っていた龍太郎へ、終わりの鐘が突かれた。

 確認すらされなかった部屋の引き戸が、車輪のゴロゴロと共に開かれた。

「龍太郎クンはまだい……た。……なにを、そんなにマヌケ面で天井眺めちゃって。絶望してても、終わったことは終わったまま」

 開口一番、ねぎらいの一言もかけてくれない女王様であった。教師に頼みこんで、面会謝絶の紙をマスクにすべきだった。
 髪はまとまりを失ってバラけているが、傷跡は目につかない。刃物の嵐を、無傷で乗り越えた屈強な戦士である。

 可動域を限界まで使い、成瀬の裏側を覗こうとした。いつも連れている大事な子分は見つからなかった。

「美紀のことなら、もう帰した。今龍太郎クンに会わせても、自分を責めちゃいそうだし」
「帰した、って言われても……。美紀だけにしたんじゃ……」
「ないない、ナッシング。龍太郎クンが美紀にする心配、この成瀬はなんでも知ってる。成瀬がじきじきに、家まで送ったから大丈夫」

 自信満々に語られると、疑う気力を奪われる。彼女が詐欺師に転向しなさそうなのは幸いだ。

 暴動を抑えたとはいえ、美紀へのヘイト指数は未だ高い。一週間ほどは、護衛をつけて帰らせなくてはならないだろう。

(……美紀と一緒に行って、また戻ってきた……?)

 時計も窓も付いていない小スペースで、時間感覚が狂っている。もう太陽が暮れる時刻になっていたとは、何時間意識もうろうとしていたのだろう。

「……それで、美紀は……? ここに呼べないからには、万全じゃないんだろうけど」

 一言に顔が躍動する、彼女の豊富な色合い。洗濯しても色落ちせず、みずみずしさが付加される。未発見だったものを吸収して、さらに成長する少女である。

 美紀を襲ったのは、周りが気にもとめない『好き』だった。自分だけが、その人間らしさを持っていない。焦燥で頭がいっぱいになり、愚行にまででてしまった。教唆犯が別にいるにせよ、彼女が決行したことには変わりない。

 龍太郎が望んだのは、彼女が救済されることだ。それ以上のことは求めない。

 口から聞きたいことは、もう記すまでもない。

「そうくると思ってた。ほら、これ。……って、体が動かせないんだったっけ」
「けっこう休んでるから……動かそうと思えば」

 ポケットから、四つ折りにされた手紙が出てきた。
 アゴで促され、手渡された手紙をゆっくりと開く。

『龍太郎くんへ』

 鉛筆で書かれた、寸分の狂いもない文字。教科書のお手本になる、輝くような字である。

『私をかばってくれたのは、龍太郎くんだけだった。龍太郎くんも怖かったと思うのに、私を守ってくれてた。ありがとう、って今度伝えさせてください』

 美紀の心からしみ出る感謝と、書き慣れないがための丁寧語。この手紙を読んで、波風が立たない人はいない。

 美紀の痕跡を、映像として再現できるまで読みかえす。少女がとなりで氷のうをぶら下げている感じがした。

 思考から抜けなかった筋肉の張りが和らいだ。傷んだ組織が気力で結びつけられたようだ。

 成瀬は保健室を物色している。注射針のような、物騒なものを探しているのだろうか。

「……棚ばっかりあさって、見つかったら面倒くさいことに……」
「来ないよ、先公は。『美紀と一緒に連れて帰った』って報告してきたから」

 用意周到さはおてのもの。一軍女子を統率する力をもってすれば、バリアフリーにして転ばないようにできるのだ。

 彼女が引き棚から取り出したのは、厚めのタオル。水道で濡らし、小さめの氷のうに巻き付けた。
 包んだタオルが、顔に押しつけられる。

「殴られたところ、熱っぽくない? 家に帰ってから、もっかい冷やした方がいい」

 サラサラ流れる小川のような言い切りだ。耳に残らない。

「『気合で治せ!』とかじゃないんだな……」
「戦うことに関しては、成瀬がいちばん。そう言ったよね。手当くらいできないと、やってけない」

 戦地に身を置く苦労を、彼女は身に染みて覚えている。根っからの戦闘教徒だ。

 成瀬の手当てによって、また冷静な脳が帰ってきた。

(……俺の背中は、すこしでも頼りになってたのか……)

 美紀に安心をもたらせたのなら、今はそれでいい。

 議題が浮かんでは沈み、やる方のない意識だけが空中浮遊する。共通しているのは、美紀がおじゃまして思考を突っついてくることだ。

 いくら、成瀬に看護してもらっていたのだろう。うずく顔のあざと放たれる熱量は、低温の暴力で鎮圧されていた。

 成瀬は肩を高く持ち上げ、ストンと落とした。

「ほら、立った、立った。『来ない』とは言ったけど、あんまり長居すると怪しまれるかもしれないから」

 催促に応じて、ベッドから起き上がる。が、接地すると筋肉から力が抜けてしまう。

 成瀬が手を差しのべてくれているのだろうが、龍太郎にはなにも捉えられなかった。水滴に光が反射しほうだいで、どこが肌色かも分からない。
 熱を帯びた滴が、まつ毛をこえて走っている。水源を突きとめる間もなく、どっと湧いてきた。

「……あれ、どうして……」

 龍太郎から、涙があふれだしていた。下まぶたに溜まっては、川を作っていく。
 ただただ、ベッドに座りこむばかりだった。

「龍太郎クン……? ……もうすこし、待ったほうがよさそう、か」

 そう肩に手をかけた成瀬の発声も、薄れていた。

 美紀に感情を取り戻してほしい。『ふつう』の女の子を実感してほしい。恋心も混じった信念は、貫き通す柱に変わった。少女は、もはや友人の枠を飛び越していた。

(……美紀が、本当に大切だったんだ……)

 これまでに、体を賭して守り通すべき人間はいなかった。亜希は助けがなくとも自己解決してしまう。ある意味、自由人だった。

 龍太郎の心に、美紀が定住しはじめたのである。

 軽はずみに、『責任を取る』なとどはもう言えない。どの言葉も平坦であったのが、重みづけされていた。

(……これから、どうなっても)

 かたちがどう定まろうが、彼女とは末永い付き合いをしていきたい。

 ―――ベッドのシーツには、シミができあがっていた。
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