サンタの願いと贈り物

紅茶風味

文字の大きさ
36 / 53

【葵編】1話-1

しおりを挟む

 十月初旬、夏の暑さが過ぎ、秋の気候が見え始めた。夕方の空は明るく、次第に短く、その時間を刻んでいく。

 マンションの一室に着き、学校指定の鞄から鍵を取り出した。キーホルダーには二つの鍵が付けられており、その片方を使って開け、中に入る。

「ただいま」

 玄関に靴が無いのでまだ帰っていないことは分かっていたが、一応、部屋の中へと声を上げた。案の定返事はなく、それを然程気にせず靴を脱ぐ。

 少し物が散乱しているリビングに入り、鞄を放り投げて制服のブレザーを脱いだ。手を洗ってうがいをし、冷蔵庫からペットボトル飲料を取り出すとダイニングテーブルの椅子に腰を下ろす。慣れた一連の動作は、本来、この場所で行われるものではない。

 教科書を広げ、今日出た課題を進めていると、玄関の鍵の開く音がした。時計を見ると、十九時を周る頃だった。げ、と嫌そうな声が小さく聞こえてくる。足音が近づき、リビングのドアが開くと兄が俺を見てぎょっとした顔をした。その目がすぐに細められ、重々しく低い声で言う。

「……言いたいことが二つある」
「おかえり」

 気にせず迎えれば、更に睨まれた。

「なんで毎週毎週、うちに来るんだ」
「べつにいいじゃん」
「ちゃんと帰れよ、父さん心配してるぞ」
「兄ちゃんちにいるんだから、心配することなんか無いって」
「だから、それを予め父さんに伝えろって言ってるんだよ。あと、僕にも」

 そんなことを言われても、急に来ようと思いついたのだから仕方がない。それがたまたま、毎週金曜日なだけだ。口に出したら小言が増えるから、言わないけれど。

「もう一つは?」
「その顔はなんだ」

 その顔、とは、口元に貼られている大きなガーゼのことだろう。唇の際まで被せられている為、ペットボトル飲料が飲みづらくて煩わしい。

「口が切れた」
「なんで」
「殴られたから」
「……相手は」

 それが、相手は誰なのだ、という問いではないことは分かっている。

「打撲と捻挫」

 呆れたようにため息をつく兄に、思わず口を尖らせた。

「俺がやったんじゃないよ。勝手に転んで階段から落ちたの」
「階段って……!」
「だから、打撲と捻挫だけだってば。喧嘩売られて殴られて、避けたら落ちてったんだよ。俺悪くないじゃん」
「お前そんなんばっかだろ……」

 兄の言う通り、こういういざこざは学校内でたまに起きる。なぜ喧嘩を売られるのか自分でもよく分からないが、クラスメイトいわく、俺の直球な物言いが相手を不快にさせるらしい。

「シャワー浴びてくるから、ごはんとおかず温めておいてくれ」
「わかった」
「あ。あと、父さんにちゃんと連絡しろよ」
「はいはい」

 スーツを脱ぎながら風呂場に向かっていく後ろ姿を見て、そっと息を吐く。兄の小言は、年々増してきているように感じる。以前は小さなことでいちいち口を出してくるようなことはなかったし、幼い頃はもっと甘やかされていた記憶すらある。

 課題を進めていた手を止めてシャーペンを置いた。近くにある背の低い棚の上には、写真立てがいくつかある。立ち上がり、そこに近づいた。

 父と母、兄の三人で映った写真。父と兄、自分の三人で映った写真。兄弟二人きりの写真。それぞれ家族同士で撮ったものだが、四人揃っている写真は無い。俺が産まれたのと同時に母が亡くなっているからだ。

 どれも実家に飾ってあるものと同じような写真だが、一つだけ、異色なものがある。人物の映っていない写真だ。

 それは公園の砂場を撮ったもので、中央に拙いながらも立派なお城が作り上げられている。覚えていないが、これは俺が四歳の頃に作ったものらしい。兄と日野と、三人でカバの公園に行った時のことだ。

 あの事件があった日から、十二年が経っていた。俺は十六歳になり、兄は二十八歳になった。日野は生きていれば……、と考え、首を振った。当時の彼女が一体いくつだったのか分からない。

 事件当日のことはあまり覚えていない。保育園でいつも通りに過ごしていたのに、気づいたら病院にいて、全て事が終わっていた、そんな感覚だった。ただ、兄と父の悲痛な表情だけは今でも思い出すことができる。

 日野の葬儀には参列させてもらえなかった。それどころか、親族に会うことも、墓の場所を教えてもらうことすらも叶っていない。避けられているのだろうと思った。俺の存在が彼女の命を奪ったのだから、当然だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

ハチミツ色の絵の具に溺れたい

桃本もも
青春
大学生になったばかりの梅若佐保には、ひとつだけ悔やんでも悔やみきれないことがあった。 高校で唯一仲良くしていた美術部の後輩、茜谷まほろが事故に遭うきっかけを作ってしまったことだ。 まほろは一命を取りとめたものの、意識不明がつづいている。 まほろがいない、無味乾燥な日々。 そんな佐保のもとに、入院しているはずのまほろが現れる。 「あたし、やりたいことがあって、先輩のところに来たんです」 意識だけの存在になったまほろとの、不思議なふたり暮らしがはじまる――

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

僕《わたし》は誰でしょう

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...