40 / 53
【葵編】2話-2
しおりを挟むその日の夜、夕飯を終えて風呂を上がると、父の部屋の方から物音が聞こえてきた。何かが倒れたような大きな音だったので、急いでパジャマに着替えると濡れた頭もそのままに脱衣所を出て駆け出した。
「……なにしてんの」
顔を覗かせて見れば、そこにはベッドに大の字になって脱力する父の姿があった。具合でも悪いのかと様子を窺うが、きょとんとした顔を向けられてしまう。
「頭びしょびしょじゃないか。ちゃんと拭きなさい」
「……心配して損した」
「心配?」
「なんでもない」
部屋の隅には、大きなプラスチック製の収納ケースが乱暴に四つ置かれ、押し入れが全開になっている。それを見れば、何をしていたのかは聞かなくてもわかる。近づいてケースの蓋を開けると、中には暖かそうな冬物の衣類が収まっていた。
「もう出すの。早くない?」
「こういうのは思い立った時がいいんだよ」
「それにしたって、平日にやらなくても」
「平日に思い立っちゃったからなぁ」
こういうマイペースな性格は昔からだ。俺も兄も、しっかりとそれを受け継いでいる。厚手の衣類をなんとなく捲っていると、ぽたりと雫がそこに落ちた。そういえば髪を乾かしていなかった。脱衣所に戻って手早くドライヤーで乾かし、生乾きのまま再び部屋に戻る。
「葵も手伝ってくれるか?」
復活した父がベッドから離れ、衣類を取り出し始めていた。言われた通り、他のケースを開け、中身を取り出していく。空になったそこに、いつの間にか纏めてあった夏物の衣類をしまった。つい最近まで着ていた服もあったので迷ったが、べつにいいかと、そのまま雑に放り込んでいった。
「よし、じゃあ押し入れに戻そう」
「俺やっとくからいいよ。早く風呂入れば」
「えっ」
何故か驚いたように父が声を上げる。
「やだ、かっこいい」
「早く入れよ」
かっこいい、どうしよう、かっこいい、とふざけているのか本気なのか分からない顔で繰り返しながら父が部屋を出て行った。
重さを覚悟して収納ケースを持ち上げてみれば、思いのほか軽くて少しふらついた。冬物と比べれば軽いのは当然だ。そう思いながらも、父との差が生まれているのだろうかと感じて物悲しくなった。
ケースを押し込もうと棚に一度置き、ふと奥に何かがあるのに気付いた。小さな段ボール箱だ。
持ち上げていたケースを下ろし、それを奥から引きずり出す。蓋にガムテープは貼られておらず、上面に綺麗な字で『捨てるな』と書いてあった。なんとなく見覚えのある筆跡は、おそらく兄のものだ。
好奇心を抱きながら、蓋を開いた。白いスーパーの買い物袋が見え、中身が薄っすらと透けて見える。取り出してビニール袋を剥ぎ取れば、それは子供用のバケツとシャベルだった。
頭の中で何かが弾けたような気がした。遠く、遥か遠くで小さく弾けただけで、すぐに感覚は消えて無くなってしまう。けれど、このおもちゃには、言葉にしがたい何かを感じる。
収納ケースを全て元に戻し、部屋を出た。段ボール箱ごとおもちゃをリビングに持っていくと、ちょうど父が風呂から上がって出てくるところだった。
「あれ、それどうしたんだ? 懐かしいなぁ」
濡れた頭を拭きながら、父がのんびりと言った。
「これって俺の?」
「そうだよ。お前は砂遊びが好きだったから」
兄の家に飾ってある写真が脳裏に蘇る。
「この字って、兄ちゃんの字だよね」
上面の文字を指さして聞けば、少し神妙な顔になって頷いた。
「葵のおもちゃはほとんど人にあげたり処分しちゃったんだけど、それだけは淳平がとっておくって言って聞かなかったんだよ」
「なんで?」
「分からないな。理由を言わなかったし、なんか聞いちゃいけない雰囲気だったから」
バケツもシャベルも、新品のように真新しくてあまり使っていたようには見えない。砂場でよく遊んでいたのは覚えているが、このおもちゃを本当に使っていたのだろうか。
「そういえば、それを買った覚えがないんだよなぁ。淳平は自分で買ったりはしなかったし、じいちゃんばあちゃんかなぁ」
父が遠い記憶を呼び戻すかのように、ぼんやりと呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ハチミツ色の絵の具に溺れたい
桃本もも
青春
大学生になったばかりの梅若佐保には、ひとつだけ悔やんでも悔やみきれないことがあった。
高校で唯一仲良くしていた美術部の後輩、茜谷まほろが事故に遭うきっかけを作ってしまったことだ。
まほろは一命を取りとめたものの、意識不明がつづいている。
まほろがいない、無味乾燥な日々。
そんな佐保のもとに、入院しているはずのまほろが現れる。
「あたし、やりたいことがあって、先輩のところに来たんです」
意識だけの存在になったまほろとの、不思議なふたり暮らしがはじまる――
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
僕《わたし》は誰でしょう
紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※表紙イラスト=ミカスケ様
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる