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祇音、15の春~15年前のこと
しおりを挟むそれは15年前の事・・・。
聞こえてくるのはポツンポツンと軒先から落ちる雨の音。
沈黙が長引くにつれてその音が大きくなるような気がした。
一年ぶりの再開。
けれど祖母が口を開いたのは午後の検温に看護師さんが出入りした後のことだった。
「その娘(こ)を連れて戻ってくんねんやったら今までの事はすべて許しまひょ。けどそうでないねんやったら、どこにでも行ったらよろし。あんたらの顔を忘れる用意は、もうちゃんとできてますさかい」
十二月の雨は冷たくて、そぼ降る雨の水滴が病院のくすんだ窓ガラスに二筋三筋、霜の糸を作っていた。
室内には壊れたエアコンの代用品として置かれたファンヒーターが小さい体の割にはブーンブーンと威勢のいい音を張り上げる。
久しぶりの母子の再会にしては整った舞台とは到底言えなかった。
家を飛び出してから一年、当然のことながら祖母とは連絡は一切途絶えた。
風の噂に暫くは体調も悪く臥せっていたという話も聞いた。
おそらく鋼のような心を持つ彼女にしても、よもやの愛娘の裏切りは相当に堪えたのだろう。
ただ、辛辣な言葉が並ぶ割には目の前にいる祖母の顔には不思議と怒りの表情は感じられない。
祇園を捨て、男に走った我が娘に哀れを感じこそすれ怒りは浮かんでいない
「こんな訳のわからんところで誰にも知られんとやや子産んで、これがあんたの生き様だすか?」
声は少し震えているものの穏やかな声だった。
いつもの一二三の店の暖簾を吹き飛ばさんばかりの勢いはもうそこにはなかった。例えて言うなら契約を不履行にされたどこぞの社長さんのような物言い。
それは彼女が守ってきたもの、守りたかったもの。それは”私達”じゃなかった事の証なのかもしれない。
怒りは首尾良く運ばない己の暖簾の行く末だけに向いている。
「お母はん・・・」
声をやっとのことで絞り出す。
帝王切開だった。
過度な疲労と其の上に栄養失調が重なった上での早産。
早々に逃げ出した彼を頼ることも出来ず、医者の「保護者の方に方に連絡しますよ」の声に首を縦に振るしかなかった。
2200グラム。
普通の子よりふた回りも小さく生まれた私は、それでも紅葉のような手を懸命に幼い母に向けた。母性を語るにはまだ若すぎるのかもしれない。
けれどこの子の小さな目や口は母を求めている。
年が明けても十六の春。母となるにはいかにも幼さなくて世の中は当然の様に法と言う名の十字架を私達に圧しつけてくる。
「法的にはあんたから有無を言わさずこの子を引き離すこともできる。弁護士の先生ともその事についてはもう相談済みや。けど其ではあまりにもこの子が不憫や。娘としてではなく母親として帰ってきたらどうえ?」
あんたはもう娘ではない、だからこの娘(こ)の保護者として帰ってくればいい、そんな祖母の提案に母は静かに小首を振るしかなかった。
そして母は次の朝、私だけを遺して師走の街へと消えた。
ひとつだけお願いがあります。
名前は祇音にしてください。
その名前であればここで生きていくしかない
そう思うしかないから
そんな手紙だけを残して。
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