京都ファンタジー四条寺町侘助堂 四代目音羽沙羅陀のサラダな人々

リトルマナ

文字の大きさ
2 / 15

沙羅柁と鶴さん

しおりを挟む




河原町通りの人並みを自転車で縫うように走っていく。

自転車は押してください、のアナウンスも今日の私には聞こえない。

もうすぐ日が暮れる。できればあやつとの初のご対面は明るいうちに済ませたい。電球の淡い灯りの下で小首を傾げたりされた日にはもう二度とあそこには足を踏み入れられない。

(考えすぎやん、誰かが虫干しにでも置いてくれたんやろ)

ラインに踊るの姉の文字は私にはなぜか楽しそうに見えた。
姉の沙南無は私とは違って理屈に合わないものを怖がることはない。
説明のつかない霊現象や科学的根拠のないお化けの類いは鼻で笑う。
何でも数式に仕立て答えを出そうとする典型的な理系女の姉。
研究者志望であのIPS細胞の山中教授に憧れ京大理Ⅲに入ったものの結婚が決まるとあっさりとその夢を捨て専業主婦に収まった。

夢の確率を計算するのは馬鹿げてる,

それがこの八つ年上の姉の口癖。
そんなことをぼーっと考えていたら目の前の赤の信号を見落とす。通り過ぎてから飛んでくる強烈な連射のクラクションに肩を竦める。

(そんなに鳴らさんでも・・・)

京都人は実は人一倍せっかち。車に乗るとみんな性格が変わってしまうほど。だから夜の京都市バスは恐くて乗れないのは有名だ。
バス停は急ブレーキ急発進だし、堀川通りの160Rは毎回ほぼほぼ強烈なGが背中にかかる。

(京都人ってみんなはんなり生きてるって思われてるけど、ほんまにお門違いやわ)

舞妓ちゃんはこっぽり履いて超速で走ってるし、お坊さんの足はマジェスティやPmaxのビッグスクーターが主流、お寺の鐘の連打はエイトビートを刻んでるみたい。

(あかんあかん、私なにしょうもない事考えてんねんやろ)


気を取り直して目を東の方にやる。もう東山の稜線にはきれいにクオーターに割れた上限の月が顔を出し始めていた。
丸太町通りから寺町通りに入るともうそこは狭い歩道に家路を急ぐ人が溢れていた。
ここは流石に危ないので自転車を降りて押しながら人混みを縫うように早足で歩を進める。店まではもう普通に歩いても三分とはかからない。通りには暮れなずむ空の裾野を彩るようにレトロなオレンジ色の街灯がぼんやりと灯り始めている。

(なんとか陽が沈まへんうちに着けそうや)

額から流れ落ちる汗を手で拭う。北白川からここまで、いつもは30分はゆうにかかるところを20分で来たことになる。

安心したら急にお腹が思い出したようにクゥと鳴った。そう言えば今日はお昼から何も口にしていない。いつもはお決まりの菜月との買い食いもそんなこんながあってできなかった。

もう夕飯時、通りのお店やさんからここそこでいい臭いが漂ってくる。

「さらちゃん、大変やったなぁ」

大きな声で行く手を塞ぐように声をかけたのはおばんざい屋「てまりや」の鶴子おばさん。

ここは私が音羽屋に居座るときはほぼほぼマイダイニングルーム。朝昼晩と私の旺盛な食欲をそのおふくろの味で満たしてくれる。

「鶴さん・・」

「あらあら、こんなにぎょうさん汗かいて、別嬪さんが台無しや」

鶴さんのひんやりとした掌がうなじを濡らした私の汗をそっと拭う。料理の途中なのだろう、その手からは千枚漬けのつんと鼻をつく匂いがした。

「じっちゃんが・・・」

「うん、うん、聞いてる、聞いてる。軽い脳梗塞やろ。発見が早かったから良かったって、ママさん電話で言うてはったえ」

「ママが見つけてくれはったんは近所のひとやって言うてたけど、もしかして鶴さん?」

「いいや、それは私やあらへん。私が気がついたんは救急車が来てからやし」

「ほんなら、連絡してくれたんは誰なんやろ?」

「ここら辺はみんな家族みたいなもんやし。音羽屋が昼まで開いてなかったら、そら、誰なと心配するやろ」

「そうなんかなぁ」

そこんところは私のなかではずっと腑に落ちていなかった。ママへの連絡はショートメール、ここらあたりの商店主はほとんどがおじさんやおばさんが多い、急な連絡をするなら迷わず、面倒なメールより電話を選ぶのが道理のはず。

「あっ、それと旬さん、来てはるみたいやで」

「旬兄さんが?」

「うん、今さっきお惣菜買うて帰らはったん、大好物の生姜の天ぷら」

朱雀旬。私の姉の夫。つまり私のお義兄さん。

「相変わらずええ男ぷりやなぁ、旬さん。色が白おて、しゅっとして、京大の先生言うよりも南座で舞台に立った方がお似合いやわぁ」

鶴さんの頬がぽっと紅を差したように赤らむ。まだ40路を下ったばかりの鶴さんやけど、惚れっぽいところは昔から。けど去年、長年連れ添った旦那さんを病でなくしてひとりもんになってからはまたそれに拍車がかかったような気がする。

「危ない危ない。相変わらずやなぁ鶴さんは。ひとのもんに手出すのは天下一品やから」

「いやー、えらい言われかた。さらちゃんもそないな事言えるようになったんや」

「まぁね、これでも女性としての経験はいちおう終わってるから」

「沙羅陀ちゃん?・・・」

辺りを憚りながら、咎めるように小さな声を絞り出す鶴さん。
人を疑うことなく情け深くてお人よし、性善説を絵に描いたように生きてる私の鶴おばさん。


「ほらぁ、またそうやってすぐ騙されるぅ」

「さらちゃんっ?!」

また後で行くからね、後ろ手で手を振りながら私はひとまず愛すべき隣人に別れを告げる。

「旬さんも一緒にね~~!」


夕暮れの寺町通りに響く、お酒焼けした鶴さんのハスキーボイス。

私にとっては何も変わらない、いつもの姉小路界隈の日常だ。






    
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...