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父の家へ
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私は母子家庭で育った。物心ついた頃から母と二人だけ。母は子供の私から見ても綺麗な人で、足が悪く、あまり外へ出ずに家で内職をしていた。生活は苦しかったはずだ。けれど絵本やおもちゃ、服もたくさん買ってもらった記憶がある。私はきっと愛されていたのだ。
母の静枝(しずえ)は気の短い人だった。私が飲み物をこぼしたり、言うことを聞かなかったりするとすぐに叩かれた。それでも、生活費をやりくりしても、幼い娘のための出費は惜しまなかった。
「美沙(みさ)のためだから。お母さん頑張るからね」
私を抱きしめた母がよく言っていた。まるで自分に言い聞かせるように、何度も。
通った保育園はキリスト教の私立だった。母子家庭の子なんて私だけしかおらず、父の日のイベントはいつも居心地が悪かった。友だちもできなくて、よくいじめられた。その原因は自分に父親がいないからだ。そう思った。
みんなお父さんがいるのに、なぜ私にはいないのか。モヤモヤしていた気持ちと疑問を母にぶつけたら、
「遠くにいるの。いつか会えるから」
その謎めいた答えは私を満足させなかった。私が生まれてすぐに離婚したのだと教えてくれたのは祖母だ。母と祖母は親子なのに仲が悪かった。母のその気持ちの影響なのか、私も祖母があまり好きではなかったので、同じ街に住んでいた祖父母とは疎遠だった。
地元の公立小学校へ入学し、四年生だったと思う。夏休みのある日、母から突然に、東京に住んでいる父に会いに行くように言われた。青天の霹靂だった。びっくりしている私へ、母は明らかに不機嫌な顔でこう言ったのだ。
「あの人が美沙の服とか文房具とか買ってくれるからね」
「お母さんは行かないの? 私だけなんて嫌だよ。別に会いたくないし、行きたくない」
駄々をこねたら、不機嫌な顔がさらに険悪な表情になった。
「いいから行きなさい。お父さんの家に泊まってくるのよ」
ピシャリと言われ、
ああこれは命令なんだ。
私には拒否できないんだ。
従うほかはないのだと、私は悟った。それ以上、母に逆らって、またほっぺたを叩かれるのも嫌だ。
「美沙はまだ小さくて覚えていないかもしれないけど、お父さんに抱っこされたこともあるんだよ」
そう言われても、赤ちゃんの頃のことなんて覚えているはずがない。
普段はどこかに仕舞われているアルバムには、赤ん坊の私を抱いている男の人の写真がいくつかあった。けれど一緒に暮らしていない、身近にいたことのないその人が父親だなんて。それを受け入れろと迫られても困惑するしかない。
とにかく行け、会いに行きないと、
「これをお父さんに渡して。買い物のメモだから」
渡されたメモにはびっしりと文字が書いてあった。ノートやペンやスカート、下着も、みんな私が使うものばかりだ。
「あなたのためだから」と母が言った。
「お父さんの言うことを聞くのよ。あっちの家にはお父さんの家族がいるからね」
「えっ……」
「だから向こうにいる間はお父さんの言うことを聞きなさい。わかった?」
うなずいたものの、ますます気分が萎えた。父とはいえ、知らない男の人に、さらにその見知らぬ父に家族がいて、これからその人たちに会わねばならないなんて。
着替えが入ったバッグをぶら下げ、重い足を引きずるように駅まで歩き、電車に乗る。普段から、母から頼まれた物を買いにスーパーやコンビニへ行っていたので、一人で出かけるのは苦ではなかった。けれど電車は一人で乗ったことがない。
母から渡された、父の家までのルートを書いた紙を握り締め、心の中は不安だらけだった。
母の静枝(しずえ)は気の短い人だった。私が飲み物をこぼしたり、言うことを聞かなかったりするとすぐに叩かれた。それでも、生活費をやりくりしても、幼い娘のための出費は惜しまなかった。
「美沙(みさ)のためだから。お母さん頑張るからね」
私を抱きしめた母がよく言っていた。まるで自分に言い聞かせるように、何度も。
通った保育園はキリスト教の私立だった。母子家庭の子なんて私だけしかおらず、父の日のイベントはいつも居心地が悪かった。友だちもできなくて、よくいじめられた。その原因は自分に父親がいないからだ。そう思った。
みんなお父さんがいるのに、なぜ私にはいないのか。モヤモヤしていた気持ちと疑問を母にぶつけたら、
「遠くにいるの。いつか会えるから」
その謎めいた答えは私を満足させなかった。私が生まれてすぐに離婚したのだと教えてくれたのは祖母だ。母と祖母は親子なのに仲が悪かった。母のその気持ちの影響なのか、私も祖母があまり好きではなかったので、同じ街に住んでいた祖父母とは疎遠だった。
地元の公立小学校へ入学し、四年生だったと思う。夏休みのある日、母から突然に、東京に住んでいる父に会いに行くように言われた。青天の霹靂だった。びっくりしている私へ、母は明らかに不機嫌な顔でこう言ったのだ。
「あの人が美沙の服とか文房具とか買ってくれるからね」
「お母さんは行かないの? 私だけなんて嫌だよ。別に会いたくないし、行きたくない」
駄々をこねたら、不機嫌な顔がさらに険悪な表情になった。
「いいから行きなさい。お父さんの家に泊まってくるのよ」
ピシャリと言われ、
ああこれは命令なんだ。
私には拒否できないんだ。
従うほかはないのだと、私は悟った。それ以上、母に逆らって、またほっぺたを叩かれるのも嫌だ。
「美沙はまだ小さくて覚えていないかもしれないけど、お父さんに抱っこされたこともあるんだよ」
そう言われても、赤ちゃんの頃のことなんて覚えているはずがない。
普段はどこかに仕舞われているアルバムには、赤ん坊の私を抱いている男の人の写真がいくつかあった。けれど一緒に暮らしていない、身近にいたことのないその人が父親だなんて。それを受け入れろと迫られても困惑するしかない。
とにかく行け、会いに行きないと、
「これをお父さんに渡して。買い物のメモだから」
渡されたメモにはびっしりと文字が書いてあった。ノートやペンやスカート、下着も、みんな私が使うものばかりだ。
「あなたのためだから」と母が言った。
「お父さんの言うことを聞くのよ。あっちの家にはお父さんの家族がいるからね」
「えっ……」
「だから向こうにいる間はお父さんの言うことを聞きなさい。わかった?」
うなずいたものの、ますます気分が萎えた。父とはいえ、知らない男の人に、さらにその見知らぬ父に家族がいて、これからその人たちに会わねばならないなんて。
着替えが入ったバッグをぶら下げ、重い足を引きずるように駅まで歩き、電車に乗る。普段から、母から頼まれた物を買いにスーパーやコンビニへ行っていたので、一人で出かけるのは苦ではなかった。けれど電車は一人で乗ったことがない。
母から渡された、父の家までのルートを書いた紙を握り締め、心の中は不安だらけだった。
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