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第57話『マニュアル図書館』

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■ マニュアル図書館

 地球一家6人が新しい星に到着し、道を歩いていると、何台かの自動車が通り過ぎた。よく見ると、運転している人はみんな、何かの本を読んでいる。あの人も、この人も、運転しながら本を読むなんて、危険極まりない。この星の交通ルールは緩いのだろうか?

 その時、女性が本を読みながら運転するミニバンが少しずつ速度を落とし、地球一家のすぐそばで止まった。車の運転席の窓が開き、女性が顔を出した。
「地球の皆さんですね。お迎えに参りました。私が今日のホストを務めます。どうぞよろしく」
 この女性が今日のHM(ホストマザー)ということだ。6人は会釈をして車に乗り込んだ。

 HMは、車を運転しながら本のページをめくっている。
「あのー、何を読んでらっしゃるんですか?」
 ミサが遠慮せずに尋ねると、HMは答えた。
「これは運転マニュアルよ。つまり、運転のやり方が細かく書いてあるの」
「運転マニュアル? もしかして運転初心者ですか? 今日初めて運転するとか?」
「いいえ、とんでもない。運転歴20年のベテランよ。しかも、毎日運転しているから、マニュアルなんて読まなくても運転できるわ」
「じゃあ、どうしていちいちマニュアルなんか……」
「この星の交通規則で決まっているのよ。マニュアルなしで乗ることは許されない。そんなことをしたら、運転免許をはく奪されるわ」

 赤信号で車が止まったタイミングで、HMは逆に質問してきた。
「地球ではマニュアルを持たずに運転することが許されているんですか?」
 地球一家がうなずくと、HMは一気にまくし立てた。
「それは非常に危険です。人間の記憶だけに頼るのは無謀ですよ。だって、とっさに運転の仕方をど忘れしたらどうするんですか? 地球の交通ルールは甘すぎます。もっと厳しくすべきです」
 まあ、それもそうなんだけど……。HMの言い分に一理あるような気がしてきた。

 やがて、車は一軒の家の前に到着した。外科クリニックの看板が表に立っている。HMは言った。
「申し遅れました。私はここで外科医をやっています。今日は休診日ですので、皆さんと一緒に過ごせますよ。さあ、家の中に入りましょう」

 全員で家に向かおうとした時、外科の玄関の前に一人の男性が立っていることに気付いた。HMの患者のようだ。
「あら、どうなさいました? 明日、腕の手術をする予定の方ですよね。今日は休診日ですよ」
「実は、明日都合が悪くなってしまったんです。それに、さっきから腕が痛くなってしまって。今から手術していただけないでしょうか?」
 HMは困った表情で地球一家の顔色をうかがった。
「私たちはかまいませんよ」
 父がそう答えると、HMは言った。
「では、一時間で済みますから、これから手術を始めましょう。図書館に行って手術のマニュアルを借りてきますから、もうしばらくお待ちくださいね」

 外科クリニックの真向かいに大きな建物があり、図書館の看板があった。HMは、地球一家に説明しながら図書館の入口に向かった。
「ここがマニュアル図書館です。24時間開いているんですよ。一緒に入りましょう」

 HMと地球一家は、図書館の一室の入口に立った。室内には人がまばらにいる。
「この部屋一帯が全てマニュアルです」
 とても広いので、目的のマニュアルを探すのに苦労しそうだ。
「すぐに見つけられなければ、あそこに司書カウンターがあるから、聞いてみるといいのよ。医者が使うマニュアルなら、私は全部場所を覚えているわ」
 HMはそう言いながら、一つの棚に向かった。
「外科手術のマニュアルは、全部この辺にそろっています。腕の手術は……。これだわ」
「腕の手術はやったことないんですか?」
 ミサが尋ねると、HMは胸を張って言った。
「毎週のようにやっているわよ」

 HMは、腕の手術のマニュアルを持って貸出カウンターに向かいながら、補足説明した。
「手術の種類にはいろいろあって、全てのマニュアルをクリニックに置いておくのは無理だから、その都度こうやってここに借りに来ているの。そもそも、ここの向かいに外科クリニックを建てたのも、この図書館が近いという理由が大きいのよ。とても便利でしょ。本屋で買ったマニュアルは、毎日使う自動車運転マニュアルだけ。ほかのマニュアルは、仕事も家事も趣味も、全てその都度図書館で借りている」
 ミサは、HMへの質問を重ねた。
「そもそも、この星のお医者さんはみんな、マニュアルを読みながら手術をするんですか?」
「そりゃそうよ。当たり前よ。人間の記憶だけに頼って手術するのは危険だわ。地球の医者は何も見ないで手術をするんですか?」
「はい。それが普通だと思いますけど。というより、マニュアルを読みながら手術をしている医者なんて怖くて」
「何も読まないで手術をするほうがよっぽど怖いわよ。とっさにやり方を思い出せなかったらどうするんですか! この星では絶対に許されません」
 HMはミサに厳しい表情を見せた後、急に優しい表情に戻って話し続けた。
「さあ、ほかに借りる物はないかしら。そうだ、今日はみんなでおいしいデザートでも作りましょう。料理のマニュアルも借りていきましょう。レシピだけではなくて、初心者でも料理できるように、全ての手順が書いてあるわ」
 HMは、料理のマニュアルを一冊選んで手に取った。
「さあ、この2冊を借りて帰りましょう」

 HMは貸出カウンターで本を借りると、地球一家と一緒に図書館を後にした。クリニックの入口では、患者の男性が座って待っていた。
 HMは一時間ほどで手術を終え、ホストハウスに戻ってきた。
「さあ、料理マニュアルを見ながら、みんなでフルーツゼリーを作りましょう」

 地球一家は笑顔でキッチンに入った。イチゴがたくさん用意されているのを見て、イチゴが大好物のリコは特にうれしそうだ。それを見て、HMはリコにナイフを渡した。
「じゃあ、リコちゃんはイチゴを切ってくれるかしら」

 リコはナイフでイチゴを不器用に切り始めたが、しばらくして叫んだ。
「痛っ!」
 ナイフで指を切ってしまったようだ。ミサがバッグから一枚のばんそうこうを取り出し、すぐにリコの人差し指に貼った。
 出血は止まったので、大事には至らなかったようだが、指の色が少し良くない。
「薬をつけたほうがよさそうね」
 HMが言った。
「クリニックに薬があります。ただ、薬をつけることは医療行為になるので、マニュアルを読みながらやらないと……」
「指の切り傷に薬をつけるだけなのに、マニュアルがいるんですか?」とミサ。
「それが決まりなのよ」とHM。
「僕、図書館で借りてきますよ。先生はリコを見ていてください」とタク。
「タクだけじゃ心配だ。僕も行くよ」とジュン。
「一人で大丈夫だよ」とタク。
 しかし、タクが断るのも聞かず、ジュンはタクの後を追い、二人で図書館に入った。

「切り傷を治すマニュアルはどこにあるのかな。そうだ、司書カウンターで聞こう」
 タクは、司書カウンターに向かった。ジュンはタクの背中を見送りながら、つぶやいた。
「待っている間、退屈だな。本を読みながら待つとするか」
 ジュンが本棚を見ると、電気製品の修理マニュアルがあることに気が付いた。
「ちょうど僕の興味があるマニュアルがあるな。これでも読みながら待とう」

 ジュンが修理マニュアルを手に取り、パラパラと見始めた時、その近くにタクと司書の女性が一緒に来た。司書は本棚を探しながら言った。
「切り傷を治すマニュアルはここですけど、一冊もないわね。人気のあるマニュアルなので、10冊は置いてあるはずなんだけど、全部貸し出し中かしら。コンピューターで調べてみるから、ちょっと来てください」

 司書はカウンターにあるコンピューターをタクの目の前で操作した。
「10冊のうち9冊が貸し出し中です。残りの一冊は館内にあるはずだけど、きっと、館内で誰かが読んでいるんだわ。誰が読んでいるかはわからないので、本棚の所で戻ってくるのを待ちましょう」

 タクが本棚の所に戻ると、ジュンは近くで相変わらず立ち読みしていた。
「タク、どうだった?」
「館内に一冊だけあって、誰かが読んでいるから、戻ってくるのを待てってさ」
「仕方ないな」
「ジュン、その本は何?」
「電気製品の修理マニュアルさ。結構面白いよ。タクも面白そうな本を探して、読みながら待てばいいじゃないか」

 タクは本棚を見て回り、すぐにジュンの所に戻ってきた。
「どう? 面白そうなのは見つからなかったかい?」
「海の生物の飼育マニュアルが面白そうだった」
「じゃあ、待っている間に読んでいればいいじゃないか」
「でも、一冊しかなかったから」
「一冊しかないとまずいのかい?」
「もしも、たまたまその本を借りようとしている人がいて、僕が読んでいたら借りられなくなってしまうから」
「そんなに気が小さくてどうするんだよ。それじゃ図書館なんて利用できないじゃないか」

 そしてジュンは修理マニュアルを読み続け、タクは何を読まずにいるうちに、一時間近く経過した。切り傷の治療マニュアルの棚は常に目を配っているのだが、いっこうに戻ってこない。
「駄目だ。みんな心配しているよ。いったん戻ろう」
 ジュンはタクにそう言って、読んでいた修理マニュアルを閉じて元の棚に戻した。するとその瞬間、一人の男性が駆け寄ってきて、その修理マニュアルを手に取りつぶやいた。
「やっと戻ってきた。これが借りたかったんだ」
 ジュンは男性に話しかけた。
「もしかして、この本を借りるために待っていたんですか? ごめんなさい。僕がずっとここで読んでいました。僕は機械の修理に興味があって、つい……」
「わかりました。僕は、今すぐこの本が必要なんです。家のテレビが壊れてしまって」
「どうもすみませんでした」
「おっと、そうだ。待っている間に読んでいた本を本棚に戻さなきゃ」
 男性がそう言いながら本棚に戻した本は、切り傷のマニュアルだった。それを見て、ジュンは思わず声をあげた。男性はジュンに言った。
「もしかして、この本が必要だったんですか? 僕が今、ずっと読んでいました。僕は将来、外科医になりたくて興味があって……」
 男性とジュンは、どちらからともなく笑い始めた。

 ジュンとタクは、治療マニュアルの貸出手続きを済ますと、大急ぎで図書館を出た。
「だから僕一人でいいと言ったんだよ」
 タクにそう言われて、ジュンはタクに頭を下げた。
「そうか。もとはといえば、僕が修理マニュアルなんか立ち読みしたから、こんなに遅くなっちゃったんだね。ごめん」

 二人が家に戻ると、ジュンはHMに申し訳なさそうに言った。
「お待たせしてすみません。本が貸し出し中で、時間がかかってしまいました」
「お疲れ様。でも、戻りがあんまり遅いので、もう治療は済ませてしまったわ」
「え? マニュアルを読まずに治療ができたんですか?」
「当然よ。私が外科医を何年やっていると思うの?」
「それもそうですね」

 そして翌朝、HMは地球一家6人を車に乗せて出発した。マニュアルを読みながら運転するHMは、地球一家に話しかけた。
「さあ、皆さん。今日は一緒に観光しましょう」
「あら、いいんですか? 今日は病院勤務ですよね」
 母が不思議そうに尋ねると、HMは首を横に振った。
「いいえ、しばらく休診です。あとで警察に出頭して、マニュアルを読まずにリコちゃんの指の治療をしたことを正直に申告します。医師免許停止一か月ってとこかしら」
 HMが笑いながら言うのを聞き、地球一家は申し訳なさそうに肩をすくめた。
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