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二章 妖屋敷と冷たい結婚生活
1
それからとんとん拍子に話は進み、あっという間に紫音が御影家に嫁ぐ日がやってきた。
紫音の手には、小さな巾着が握られているだけで、他には何もなかった。
嫁入りの準備をしなくちゃ、なとど言っていた文江だが、当然そんなものの用意はせず、紫音はほぼ身一つで御影へと嫁ぐことになった。
着古したぼろぼろの着物を身に纏い、手には小さな巾着。髪も肌も荒れていて、凡そ嫁ぐような恰好では全くなかった。
「紫音、また結納などについては御影とやり取りすることもあるだろうが、お前がこの家に戻ることはないだろう」
戻ることはないだろう。そう言った道元の言葉には、逃げ出して戻ってくることは許さない、という意味が含まれていることに、聡明な紫音は気が付いてしまう。
文江はわざとらしく寂しそうな表情を作り目元を抑えているが、どう見ても口元が笑っていた。
「お姉様……!」
弥生は可愛らしく駆けてくると、傷だらけの紫音の手を乱暴に握った。
「弥生……」
「お姉様、こちらをお持ちになって!」
弥生に渡されたのは、手作りのお守りのようなものだった。
縫い目がちぐはぐで、不器用な弥生が手作りしたものだとすぐにわかる。
「お守り! 弥生は、お姉様の幸せを願っていますわ!」
「弥生……」
弥生は今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、紫音の手にぎゅっとお守りを握らせた。
「きっと遊びに行きますから! 寂しいかもしれないけれど、これを肌身離さず持ってたまに弥生のことを思い出してくださいね!」
真剣な瞳でそんなことを言うものだから、紫音は少し昔の優しかった弥生に戻ったのではないかと弥生の手を優しく握り返した。
「ありがとう、弥生」
そうして三人に見送られた紫音は北条院家をあとにし、列車と車を乗り継ぎ、小さな山の麓へとやって来た。
(御影のお屋敷は、この上……)
紫音は擦り減った草履で必死に脚を動かしながら、歩みを進める。
北条院家から御影家までは五時間以上もかかり、出る頃は高かったはずの陽も御影の屋敷に到着する頃には黄昏時に差し掛かっていた。
(ここが、御影家……?)
ゆっくりと敷地内に足を踏み入れると、何か肌にぴりっとした感覚が走る。
(結界……かしら?)
紫音の陰陽師としての力はすっかりなくなっていたのだが、結界が貼られていたり、妖が近くにいる気配くらいなら、まだなんとなくわかった。
木々に覆われた屋敷はどことなく薄暗く、人が住んでいるような気配が感じられなかった。
(まさか本当に、妖屋敷……?)
この戸を開けたら、もしかしたら有象無象の妖共が溢れ出てくるのかもしれない。そうなれば、能力のない紫音では対抗するすべもなく、命を落とすだけだ。
(わざわざ私を選んだのも、何かの実験に使うためかもしれない……)
陰陽師の家系に生まれていながらなんの能力もなく、あまつさえ聴力すら失っている紫音を嫁に迎え入れようなどと、普通の人間では考えまい。道元のことだから、紫音に陰陽師の力がないことを伏せている可能性もあるが。
何か理由があると勘ぐってしまうのは当然だった。
ずっと心を殺して生きてきた紫音であっても、この戸を開けば死が待ち受けているかもしれないと思うとさすがに脚が竦んだ。
しかし道元にも言われているように、紫音はもう後戻りができなかった。
この戸を開ける以外、紫音に道はない。
紫音は覚悟を決める。
(どっちにしても私には行くところがない。ここで死んだとしても、それはきっと私の運命だ……)
紫音は握りしめていた巾着を持つ手に力を込め、その戸を叩こうとして。
ガラッと音を立てて、戸が先に開いた。
驚きで目を見張る紫音の目の前に、形容し難いほどに美しい容姿をした着物の男性が立っていた。
鼻筋がすっと通っており、鋭い瞳は藤色に光っている。薄い唇は一文字に引き結ばれ、真っ白な肌からはあまり生気が感じられない。整った顔のせいもあり、その表情は酷く冷たく見えた。
(この方が、御影家の当主様……?)
歳は紫音よりも数個上くらいだろうか。冷たい瞳が、紫音を捉える。
「誰だ?」
あまりの美しさに言葉を失っていた紫音は、そう動いた口元にはっと我に返る。
「あ、わ、私は、」
家族以外の者と話すのは酷く久しぶりのことであり、自分の声すら自分の耳で拾えない紫音にとっては口を開くことすら容易なことではなかった。
(しっかり、発音しないと……)
しどろもどろに話し出そうとする紫音に、男性はスッと手を伸ばす。
何をされるのかとびくっとする紫音の耳元の髪をさらっと流すと、男性は呟いた。
「耳が聞こえないのか?」
形の良い唇がそう言葉を紡ぎ、紫音はこくりと頷いた。
(どうしてわかったんだろう……? もしかして、うまく発音できていなかったのかな……)
紫音の不安そうな反応に、男性は眉間に皺を寄せた。
(ああ、きっと、この人にも面倒だと思われる……)
家族がそうだったように、きっと耳の聞こえない紫音を目の前の男性も面倒に思う。
そう思っていたのだが、男性が眉間に皺を寄せたのには別の理由があった。
「それはなんだ?」
「え……?」
男性は紫音の持つ巾着を指差す。
小さな巾着には、櫛や手鏡、ぼろぼろの簪など、紫音の日用品が入っている。
それと、弥生から貰ったお守りも。
不思議に思いつつも、紫音が巾着の中を男性に見せようとすると、男性はその中に容赦なく手を突っ込み、迷いなく弥生から貰ったお守りを取り出した。
男性が何か小さく呟くと、そのお守りがボッと青白い炎を上げ、燃え尽きた。
「な……ど、どうして……」
虐げられていたとはいえ、見送りの際に実の妹から手渡されたお守りを目の前で燃やされ、紫音は目を見開く。
「どうして、だと? 気が付いていないのか? 呪いがかかっていたんだぞ?」
「え……?」
男性の口が確かに「呪い」という言葉を形作った。
「それに……」
男性は紫音の顎をくいっと持ち上げ、息がかかりそうなほどに顔を寄せ、まじまじとその瞳を見つめる。
「君にも呪いがかけられている」
「え……?」
男性の言った言葉がすぐには理解できず、紫音はぽかんとしてしまう。
「私に、……呪い、が……?」
信じられなかった。自分に呪いがかけられているとは露程も思っていなかったのだから当然だ。
耳が聞こえない以外には、特に体調の不良などはない。ただ栄養不足と睡眠不足はあるだろうが、呪いに身体が蝕まれているとは思いもしなかった。
男性はすっと紫音から離れる。
「可哀想な娘だ」
感情のないような冷たい声で呟いた男性は、紫音に背を向け家に入ろうとしてしまう。その背中に紫音は慌てて声を掛けた。
「あ、あの……っ!」
「なんだ?」
振り返った男性は興味がないというように、無表情で紫音を見下ろす。
「わ、私は、ほ、北条院 紫音と、申します……っ。あの、今日からお世話になる、と父から連絡が来て、いませんか?」
長い言葉を紡ぐ自信は紫音にはない。故に少しずつ区切りながらゆっくりと言葉を紡いだ。
(私、ちゃんと話せているのかしら……)
当然呪いの件も気になるが、このままではこの家を追い出されかねない。後戻りのできない紫音は御影家にいるしかないのだ。
紫音の言葉に、「ああ……」と呟いた男性は、紫音に向き直る。
「そうか。北条院の娘か」
「は、はい……!」
紫音は大きく頷く。
「今日が嫁いでくる日だったか、すっかり忘れていた」
男性は素直にそう口にする。そうして紫音をしっかりと見つめた。
「御影家が当主、御影 黒稜だ」
目の前の氷のように冷たい雰囲気を持つ男性は、そう名乗った。
(やはり、この方が、現当主様……)
浮世離れした美しさではあるものの、見た目は普通の人間のように見える。
黒稜はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「いいか、北条院の娘よ」
「は、はい」
「これは単なる政略結婚にすぎない」
「え?」
「私は北条院の長女である君と、結婚するよう命令されたのだ。その命令には逆らえない。故に君と婚姻することにした」
(命令……?)
紫音は黒稜の言葉を取り零さないよう、必死で口元を見つめ続ける。
「君がここにいることはもちろん許可する。しかし余計なことはするな。互いに干渉せず、ただここで共に生活するだけだ」
黒稜から紡がれる冷たい言葉達に、紫音はただただ頷き続ける。
(……最初からわかっていた。どこに行っても、私の居場所なんてないことくらい)
妖屋敷と噂される御影家に来て、命があるだけでも有難いことだった。
紫音は深々と頭を下げる。
「これから、どうぞよろしくお願いいたします……、だ、旦那様……」
紫音が顔を上げるのを待っていたのか、黒稜は表情一つ変えず、「入れ」と紫音を屋敷に招き入れた。
「部屋はどこを使ってもいい」、それだけ言い残すと、黒稜はさっさと屋敷の奥に消えてしまった。
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