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二章 妖屋敷と冷たい結婚生活
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ぽつんと一人残された紫音は戸惑いつつも、ゆっくりと広い屋敷内を歩き回る。
(ここがお台所、こちらに続く廊下がお風呂場に繋がっているのね)
紫音は警戒しながら屋敷内を歩く。
しかし、妖屋敷と言われる噂とは違って、妖のような気配は感じられなかった。
(妖とは違う、なにか不思議な感覚はあるけれど、悪い妖はいないみたい……?)
紫音は少しほっと胸を撫で下ろした。
そして庭に面した廊下へとやってくると、その庭に咲く色とりどりの花々に目を奪われる。
「きれい……」
鮮やかな紫陽花と、その前にある大きな花壇には見たこともないような花々が咲き誇っていた。
「これは、つゆ草……? えっと、これは……? 見たことのない花ばかりだわ」
屋敷を歩いてみると、どの部屋も埃をかぶっていて全く手入れがされていなかった。
しかしこの庭の花々だけは、毎日水をあげられているのか、生き生きとその花弁を紫音に向けている。
(旦那様が、手入れされているのかしら……)
屋敷が全く手入れされていない状況を見ると、使用人や使役している妖などもいないように見える。身の回りのことは、黒稜が自分でやっているようだった。
(明日から忙しくなりそうだわ)
余計なことはするな、と黒稜には言われているが、屋敷の掃除くらいなら迷惑に思われることもないだろう。
縁側に腰を下ろした紫音は、右側が黒く欠けている月を見上げる。陽はとうに落ち、辺りは真っ暗になっていた。
(……私、まだ生きている……)
黒稜は冷たいが噂と違い、ただの人のようである。悪い妖もいない。思っていたよりも、紫音にとっては嫌な環境ではなかった。
『君にも呪いがかけられている』
黒稜の言葉が、紫音の脳内をこだまする。
呪いのお守りを寄越した弥生のことを思い出して、紫音は胸が痛んだ。
(結局弥生は、私が邪魔だったのね。お守りなんて言って、私に呪いをかけようとしたんだもの……)
それに、お守りとは関係なくかけられている紫音の呪い。
これは一体誰の仕業で、何のために紫音に呪いをかけたのだろうか。それにどんな呪いがかけられているというのか。
(私の聴力が失われたのも、もしかして呪いの類なの……?)
ある日突然失われた聴力。呪いをかけられていたと言われれば、すんなりと説明がつく。
(旦那様に、訊く機会があればいいのだけれど……)
黒稜は紫音に会ってすぐに、呪いのお守りのこと、紫音にかけられた呪いに気が付いた。かなりの能力者であることが窺える。
強力な呪いは、同じく強大な力を持つ術者でなければ見破れない。紫音に呪いがかけられていること、あの道元ですら気が付いていなかったようである。
(いいえ、もしかしたら私にかけられた呪いなんて、お父様は気にも留めなかっただけかもしれない……)
紫音に呪いがかけられていると知ったところで、わざわざその呪いを解こうなどときっと北条院の者達は思わないだろう。寧ろその呪いに蝕まれて死ぬことこそ、望まれているように思う。
(どちらにせよ、私がこの世界で生きることを望んでくれる人なんていない……)
紫音はそのことを痛感する。
(けれど、ここにいることをお許しくださった旦那様に、この呪われた身体が動かなくなるまで、私は精一杯お力になれるようにしなくては……)
ここにいることを許してくれた。それだけのことが、紫音にとってはとても有難かった。
(どの部屋を使ってもいいと言われたけれど、一体どの部屋を使ったらいいのかしら……)
屋敷は広く、部屋数も多い。紫音は迷った挙句、庭の花々が良く見える日当たりの良さそうな部屋を借りることにした。
部屋に入ると小さな文机があり、その上に空の花瓶が置かれていた。もしかしたら庭の花をこの花瓶に生けていたのかもしれない。
押し入れには布団も入っていたので、少々かび臭くはあったが、紫音はその布団を借りて眠ることにした。
(明日は早くに起きて、朝食の支度をして……それから、各お部屋のお掃除、布団も……干さなくては……)
慣れない長旅と環境に疲れ切った身体は、すぐに眠りに落ちていった。
静かな夜だった。
耳の聞こえない紫音にとって、目を瞑ってしまえば闇と静寂で自分を見失いそうになるのだが、そんな恐怖もなく、久しぶりに穏やかな眠りだった。
妖屋敷と言われているにも関わらず、比較的空気が澄んでいて心地よかった。
少しするとなにか不思議な気配を感じて、紫音は目を開けた。
ぼんやりとした視界の中、目の前には誰かがいて、けれど睡魔に勝つことができずその意識はぼんやりしたままだった。
「旦那、様……?」
ぽつりと呟くと、影はゆらりと動いて紫音の顔を覗き込む。
『気配で起きたのか?』
そこにいたのは確かに黒稜だった。
『好きにしていいとは言ったが、よりにもよってこの部屋を選ぶとはな……』
黒稜の低く通る声が、紫音の頭の中に響いてくるようだった。
(旦那様の声が聞こえる……ということは、これは夢なのかしら……)
紫音に人の声が聞こえるはずはない。もう何年もこの耳は人の言葉を拾っていなかった。
寂しそうな表情を浮かべる黒稜は、紫音の髪をさらりと撫でた。
それを合図にしたかのように、紫音は深い眠りについた。
そうして次に目を開けた時、そこは御影の屋敷の庭だった。
紫音の目の前には、せっせと花の手入れをする、藤色の髪を持った女性。花を慈しむように目を細め、ひとつひとつに愛情を注いでいるのがよくわかった。
(この方が、花の手入れをされている方……?)
道理で花壇だけ綺麗だと思ったと、紫音は合点がいく。
しかし急に地面が揺らいだかと思うと、目の前には、紫陽花を前に仲睦まじく寄り添う男女の姿が見えた。
(誰……?)
目を凝らしてみるも、顔は黒く塗りつぶされていて、上手く見えない。着物を纏った男女は、幸せそうに紫陽花の花を見つめていた。
ふっと意識が浮上する。
いつものように音のない静かな世界。
いつもと違うのは、見慣れない天井に、見慣れない和室。
窓からは太陽の光が漏れていて、もう日が昇っていることがわかる。
紫音が御影家に嫁いで、初めての朝だ。
紫音はゆっくりと身体を起こした。
(なんだか、不思議な夢を見た気がする……)
断片的に覚えている映像には、寂しそうな表情を浮かべる黒稜。そして庭の手入れをする綺麗な女性。仲睦まじく寄り添う二人の男女。
誰だったんだろう……、と想いを馳せていた紫音だったが、はっとして慌てて起き上がる。
(いけない! 朝食の支度をしなくては……!)
慌てて布団を畳み、押し入れに戻し、身なりを整える。着物に着替え、ごわごわの荒れた髪を櫛で溶かし、さっと紐で結った。
そうして部屋を出ると、まだ夜が明けたばかりなのか外は白んで見えた。
庭の花に目を向け、紫音は「よし……」と気合を入れると、台所へと向かった。
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