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四章 動き出す世界
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慌ただしい一日が過ぎ、また日が昇る。
(旦那様の書斎、遅くまで明かりが付いていたわ……まだお仕事をされているのかしら……)
夜中に喉が渇き台所へ向かう途中、黒稜の書斎を通ったが、どうやらまだ起きているらしかった。
黒稜は仕事で街に降りる以外、ずっと書斎に引き籠っている。仕事をしているのか、何か調べ物をしているのかはよくわからなかった。
(お忙しい旦那様のために、しっかり力のつく料理を作らなくては)
紫音は気合を入れ、朝食の準備を始める。
新鮮なお野菜で作った煮物は、すごく美味しそうにできた。
しかし、紫音は不思議に思い、鍋に鼻を近付ける。
(いつもだったらものすごくいい香りがするのだけれど、今日はあまり感じない……。もしかして、鼻風邪でも引いてしまったかしら……)
鼻が詰まっているような感覚はないが、炊き立ての白米の匂いも、味噌汁の香ばしい香りも、今日の紫音はあまり感じなかった。
(私もしっかり食べさせていただいて、ゆっくりしよう)
紫音はそう思いながら器に煮物を盛り付ける。
紫音も黒稜も、ここのところしっかりと食事を取っているせいか、顔色が大分よくなっていた。
支度を終え居間にやってくると、黒稜が新聞に目を通しているところだった。
「おはよう、ございます。旦那様」
紫音の挨拶に、「ああ、おはよう」と紫音に顔を向けて、黒稜が挨拶する。
紫音はその様子に、少し顔を綻ばせた。
(旦那様はいつだって、耳の不自由な私にわかるよう、丁寧に言葉を紡いでくださる。本当に、お優しい方……)
初めのうちは自分のことに手一杯で全く気が付かなかったが、この家で穏やかな時間を過ごすたび、紫音は黒稜の優しさに気が付くようになった。
そんな些細なことが、紫音にとっては嬉しい事だった。
「いただきます」
二人一緒に手を合わせて、朝食を食べ始める。
今日の煮物はすごくよく出来たと思った紫音は、こっそり黒稜の様子を窺ってみた。
するとちょうど黒稜が煮物の皿に手をつけ、里芋を摘まんで口に入れたところだった。黒稜は表情一つ変えず、淡々と食べ続ける。
視線に気が付いた黒稜の唇が、「なんだ?」と形作る。
「い、いえ!なんでも!」
紫音は慌てて自分の食事に目を落とした。
里芋を口に入れると、ほろっと崩れ優しい味が口内に広がる。
(よかった。匂いがあまりしなかったけれど、味はしっかりするわ。風邪の引き始めかもしれない)
嗅覚と味覚は連動していることが多い。嗅覚が弱っているように感じたが、味覚は問題なくいつも通りのようだった。
しかし翌日。前日は早めに休んだというのに、まったく匂いがしなくなっていたどころか、何を食べても味がしなくなっていた。
(風邪、拗らせてしまったかしら……)
今朝の朝食の準備中も匂いがしなかったし、今口にしている漬物も全く味がわからなかった。
聴力のない紫音にとって、嗅覚と味覚に異常があることは心もとなかった。
音が聞こえない以上、嗅覚に頼ることも多かったのだが、今はそれが使えない。
もしかしたら声もくぐもったような鼻声になっているのかもしれないが、それすらも聞こえない紫音では、確認することすらできなかった。
黒稜は特に何も言っていないが、そもそもそんな些細なこと口にしないかもしれない。
今日も早めに休ませてもらおう、そう紫音は思っただけだった。
しかしそれからまた三日が過ぎても、紫音の病状はよくならなかった。
紫音がなにやらやたらとご飯の匂いを嗅いでいたり、口の中で野菜を味わっている様子に、さすがの黒稜も不思議に思い口を開いた。
「どうかしたのか?」
「あ、い、いえ! なにも!」
心配をかけまいと、紫音は言葉を濁した。
(旦那様に余計な気苦労をかけたくないわ)
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