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第2幕
第21話 静かなる刃
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ヴェルサイユ宮殿の奥深く——
夜の帳が下り、廊下に響く足音すらも遠慮がちに感じられるほど、宮廷は静まり返っていた。だが、その静けさの裏に、確かに何かが蠢いていることを、マリー・アントワネットは感じ取っていた。
王妃としての装いを整えた彼女は、鏡の前でそっと髪を撫でながら、冷たい視線を自らに向ける。
(この場所は美しすぎるほど、閉ざされている)
日々耳に入るのは、貴族たちの戯言と、民衆の不穏な囁き。笑顔の裏に潜む野心と、忠誠の皮をかぶった裏切り。彼女はそれを感じながら、ただ微笑をたたえ続けていた。
——それが、役目だったから。
ふと、扉の向こうに気配が走る。
「王妃様。夜間の巡回が完了しました。異常はございません」
扉をノックした男の声は、落ち着いていて威厳があった。マリーは小さく頷き、扉越しに返す。
「ありがとう、シャレット。無理はしないで」
声の主は、王宮近衛の一人。だが実際には、彼はただの衛兵ではなかった。彼を含む数名——“選ばれし近衛”たちは、サンジェルマン伯爵の手引きによって、王妃を密かに守る任務を負っていた。
シャレット、ピシグリュー、ド・モード——
かつて王宮に入る前からの知己であり、マリーが唯一心から信頼する存在たち。彼女にとって彼らは、ただの護衛ではない。言葉なくとも心を通わせられる、かけがえのない絆だった。
(あなたたちがいるから、私はこの場所に立っていられる)
その夜、侍女の一人が密かに届けた文に、王妃は目を通す。紙片には簡潔な一文。
「西翼の回廊にて、動きあり。警戒を。」
筆跡は、彼女が信頼を置く内通者のものだった。
王妃はすぐに立ち上がる。慎重にマントを羽織り、侍女にだけ静かに合図を送った。
「扉の前にはシャレットが控えているわね?」
「はい、王妃様」
「彼に伝えて。私の散策に付き添うように、と」
それは暗号だった。王妃が“散策”という言葉を口にするとき、それは何かを探る意図がある時と、限られた者たちだけが知っている。
シャレットは即座に王妃のもとに現れ、無言でその前に立つ。そして、気配を悟ったように、二人の影が背後に加わる。ピシグリューとド・モードだった。
マリーは微笑みながら彼らを見つめ、小さく囁いた。
「あなたたちと歩く夜道は、不思議と心強くなるわ」
ド・モードが穏やかな笑みを浮かべて言った。
「私たちも、あなたのもとで剣を振るえることが、誇りなのです」
ピシグリューは肩をすくめて微笑む。
「昔みたいに気軽に語らえる夜が、また来るといいんですがね」
マリーはその言葉に、わずかに切なげな笑みを返した。
夜の回廊を、静かに歩み出す王妃。月の光が大理石の床に差し込む中、彼女の足音がまるで音楽のように響いていた。
——この宮殿には、あまりにも多くの“嘘”が存在する。
彼女はその中で、“真実”を見つけなければならなかった。
それが自らに課せられた使命であり、この時代において、自分が果たすべき“役割”だと信じて。
(サンジェルマン様……私は、まだ演じきれているでしょうか?)
その問いは、誰に向けたものでもない。ただ、自らの奥底にある微かな不安と覚悟とを、確認するようなものだった。
やがて王妃の一行は、西翼の奥、人気のない通路へと辿り着いた。
そこには微かに残る、何者かの気配——
そして、それを迎え撃つように、三つの影がそっと前へ出た。
シャレットが、静かに剣に手をかける。
「王妃様、こちらでお待ちください」
マリーは彼に向けて、ごくわずかに笑みを浮かべた。
「ええ、信じているわ……私の三銃士たち」
背中に月の光を受けながら、彼女の瞳は一層冴えていた。
——物語は、さらに深く、そして複雑に動き出す。
第22話「偽りの刻印」
西翼の回廊——
月明かりが差し込む石造りの廊下に、重たく冷たい空気が張り詰めていた。
シャレット、ピシグリュー、ド・モードの三銃士は、音もなく前方へと歩を進める。わずかな気配と空気の揺らぎを読み取り、侵入者の存在を確信していた。
「……この先だ」
シャレットが囁き、剣の鍔に軽く手を添える。
三人が角を曲がった瞬間、黒衣をまとった影が一人、素早く窓の外へと身を投じようとしていた。
「待て!」
ピシグリューが声を上げるが、影は反応すらせず、ロープを伝って素早く地上へと滑り落ちる。
ド・モードが即座に投擲用の短剣を構えるが、シャレットが制止する。
「……追うより、これを」
シャレットは、逃げ去る影が落としていった一通の封筒を拾い上げた。
封筒には、王妃の印章が押されていた。
「これは……」
ド・モードが眉をひそめる。
「どう見ても、王妃殿下のものだ。しかし、印章の押し方も筆跡も、わずかにだが違う。巧妙だが——偽物だな」
ピシグリューは紙を広げ、一読して顔をしかめた。
「“王妃の名において、近く反革命派と通じる交渉を行う”……だと?」
シャレットが静かに頷く。
「王妃を陥れるための、偽造書簡だろう。これが本物として出回れば……王家は完全に孤立する」
その言葉に、三人は沈黙した。
数分後——
彼らは王妃の私室へと戻り、事の一部始終を報告した。
マリー・アントワネットは書簡を受け取り、微かに震える指でそれをなぞった。
「……私の名が、こうして利用される日が来るとは」
彼女の声は静かだったが、その奥には怒りと悔しさが滲んでいた。
「宮廷の中の誰かが、この陰謀に加担しているのでしょうね」
ド・モードが低く言う。
「間違いない。これは内部の者でなければ仕掛けられない罠だ」
ピシグリューも言葉を重ねる。
シャレットは一歩前へ出て、王妃を見つめた。
「殿下、お許しいただけるなら、我ら三人でこの出所を探り、陰謀の根を断ちに参ります」
マリーは三人を順に見つめ、深く頷いた。
「お願い……この宮廷の中には、私を見下ろす“目”と“牙”が潜んでいる。それが誰なのかを、知りたいのです」
その瞳は、もう迷ってはいなかった。
——偽りの刻印。
それは、王妃を貶め、王政を崩すために投げられた一手。
だがそれは同時に、三銃士とマリーの反撃の始まりでもあった。
闇に潜む影を追い、真実の刃が、静かに抜かれようとしていた。
夜の帳が下り、廊下に響く足音すらも遠慮がちに感じられるほど、宮廷は静まり返っていた。だが、その静けさの裏に、確かに何かが蠢いていることを、マリー・アントワネットは感じ取っていた。
王妃としての装いを整えた彼女は、鏡の前でそっと髪を撫でながら、冷たい視線を自らに向ける。
(この場所は美しすぎるほど、閉ざされている)
日々耳に入るのは、貴族たちの戯言と、民衆の不穏な囁き。笑顔の裏に潜む野心と、忠誠の皮をかぶった裏切り。彼女はそれを感じながら、ただ微笑をたたえ続けていた。
——それが、役目だったから。
ふと、扉の向こうに気配が走る。
「王妃様。夜間の巡回が完了しました。異常はございません」
扉をノックした男の声は、落ち着いていて威厳があった。マリーは小さく頷き、扉越しに返す。
「ありがとう、シャレット。無理はしないで」
声の主は、王宮近衛の一人。だが実際には、彼はただの衛兵ではなかった。彼を含む数名——“選ばれし近衛”たちは、サンジェルマン伯爵の手引きによって、王妃を密かに守る任務を負っていた。
シャレット、ピシグリュー、ド・モード——
かつて王宮に入る前からの知己であり、マリーが唯一心から信頼する存在たち。彼女にとって彼らは、ただの護衛ではない。言葉なくとも心を通わせられる、かけがえのない絆だった。
(あなたたちがいるから、私はこの場所に立っていられる)
その夜、侍女の一人が密かに届けた文に、王妃は目を通す。紙片には簡潔な一文。
「西翼の回廊にて、動きあり。警戒を。」
筆跡は、彼女が信頼を置く内通者のものだった。
王妃はすぐに立ち上がる。慎重にマントを羽織り、侍女にだけ静かに合図を送った。
「扉の前にはシャレットが控えているわね?」
「はい、王妃様」
「彼に伝えて。私の散策に付き添うように、と」
それは暗号だった。王妃が“散策”という言葉を口にするとき、それは何かを探る意図がある時と、限られた者たちだけが知っている。
シャレットは即座に王妃のもとに現れ、無言でその前に立つ。そして、気配を悟ったように、二人の影が背後に加わる。ピシグリューとド・モードだった。
マリーは微笑みながら彼らを見つめ、小さく囁いた。
「あなたたちと歩く夜道は、不思議と心強くなるわ」
ド・モードが穏やかな笑みを浮かべて言った。
「私たちも、あなたのもとで剣を振るえることが、誇りなのです」
ピシグリューは肩をすくめて微笑む。
「昔みたいに気軽に語らえる夜が、また来るといいんですがね」
マリーはその言葉に、わずかに切なげな笑みを返した。
夜の回廊を、静かに歩み出す王妃。月の光が大理石の床に差し込む中、彼女の足音がまるで音楽のように響いていた。
——この宮殿には、あまりにも多くの“嘘”が存在する。
彼女はその中で、“真実”を見つけなければならなかった。
それが自らに課せられた使命であり、この時代において、自分が果たすべき“役割”だと信じて。
(サンジェルマン様……私は、まだ演じきれているでしょうか?)
その問いは、誰に向けたものでもない。ただ、自らの奥底にある微かな不安と覚悟とを、確認するようなものだった。
やがて王妃の一行は、西翼の奥、人気のない通路へと辿り着いた。
そこには微かに残る、何者かの気配——
そして、それを迎え撃つように、三つの影がそっと前へ出た。
シャレットが、静かに剣に手をかける。
「王妃様、こちらでお待ちください」
マリーは彼に向けて、ごくわずかに笑みを浮かべた。
「ええ、信じているわ……私の三銃士たち」
背中に月の光を受けながら、彼女の瞳は一層冴えていた。
——物語は、さらに深く、そして複雑に動き出す。
第22話「偽りの刻印」
西翼の回廊——
月明かりが差し込む石造りの廊下に、重たく冷たい空気が張り詰めていた。
シャレット、ピシグリュー、ド・モードの三銃士は、音もなく前方へと歩を進める。わずかな気配と空気の揺らぎを読み取り、侵入者の存在を確信していた。
「……この先だ」
シャレットが囁き、剣の鍔に軽く手を添える。
三人が角を曲がった瞬間、黒衣をまとった影が一人、素早く窓の外へと身を投じようとしていた。
「待て!」
ピシグリューが声を上げるが、影は反応すらせず、ロープを伝って素早く地上へと滑り落ちる。
ド・モードが即座に投擲用の短剣を構えるが、シャレットが制止する。
「……追うより、これを」
シャレットは、逃げ去る影が落としていった一通の封筒を拾い上げた。
封筒には、王妃の印章が押されていた。
「これは……」
ド・モードが眉をひそめる。
「どう見ても、王妃殿下のものだ。しかし、印章の押し方も筆跡も、わずかにだが違う。巧妙だが——偽物だな」
ピシグリューは紙を広げ、一読して顔をしかめた。
「“王妃の名において、近く反革命派と通じる交渉を行う”……だと?」
シャレットが静かに頷く。
「王妃を陥れるための、偽造書簡だろう。これが本物として出回れば……王家は完全に孤立する」
その言葉に、三人は沈黙した。
数分後——
彼らは王妃の私室へと戻り、事の一部始終を報告した。
マリー・アントワネットは書簡を受け取り、微かに震える指でそれをなぞった。
「……私の名が、こうして利用される日が来るとは」
彼女の声は静かだったが、その奥には怒りと悔しさが滲んでいた。
「宮廷の中の誰かが、この陰謀に加担しているのでしょうね」
ド・モードが低く言う。
「間違いない。これは内部の者でなければ仕掛けられない罠だ」
ピシグリューも言葉を重ねる。
シャレットは一歩前へ出て、王妃を見つめた。
「殿下、お許しいただけるなら、我ら三人でこの出所を探り、陰謀の根を断ちに参ります」
マリーは三人を順に見つめ、深く頷いた。
「お願い……この宮廷の中には、私を見下ろす“目”と“牙”が潜んでいる。それが誰なのかを、知りたいのです」
その瞳は、もう迷ってはいなかった。
——偽りの刻印。
それは、王妃を貶め、王政を崩すために投げられた一手。
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