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第1章「海援隊編(黎明)」
第6話 暗黒剣鬼イゾルデ
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森は夜の匂いを濃くしていた。
火を飲み込んだように赤い月が、梢の切れ間からのぞく。
数日前に村を救ってから、リュオムたちは東の峠道を目指していた。足音は慎重に、息遣いは浅く。ミラの耳が不安げに揺れる。
「……今日、星が見えない」
「雲の上に隠れちゅうだけやろ」
そう言いながら、リュオムは胸の奥のざわめきを隠せなかった。竜魔紋が、微かに疼いている。
シン=トナリは歩みを止め、掌を合わせて夜気を感じ取った。
「血の匂い……古い獣道に、新しい刃の通りあとがある」
次の瞬間――樹々が横一文字に裂けた。
森の闇を、一本の黒い剣が切り拓く。
影が、歩み出る。
黒鉄の鎧。獣の眼光のように紅く灯る瞳。
その男は、低く嗤った。
「……よぉ。久しぶりだな、龍馬」
風が止む。遠い獣の鳴き声さえ消えた。
リュオムの喉が、乾く。
「……以蔵。ほんまに、おまんか」
「――違ぇよ」
仮面の下、口角が吊り上がる。
「俺はもう“以蔵”じゃねぇ。この世界じゃ“イゾルデ”って呼ばれてる」
ミラが小さく息を呑んだ。シンは一歩前に出ようとして、リュオムの袖に触れ、止まる。
「宰相ハルエルの犬だ、とでも言うちょくか?」
「犬でも刃でも構わねぇ。あの人は“秩序”を語った。お前は“自由”を語る」
イゾルデの瞳に、黒い炎が灯る。
「昔からそうだ。理想に酔って、何も守れないままだ」
「違う」
リュオムは一歩踏み出した。竜魔紋が衣の下で脈動する。
「理想を捨てたら、人はただの獣になるき。獣やったら、わしらはもうとうに死んじゅう」
闇と光が、言葉の形でぶつかった。
森が、刃を欲した。
先に火を吹いたのは闇だった。
イゾルデの剣に《黒焔の恩寵》が走る。黒い炎が刃を覆い、熱ではなく“喰う力”で夜気を焼き削る。
踏み込みは影。一瞬で間合いが詰まる。
リュオムは抜いた。
竜魔紋が胸で咆哮する。蒼い稲光が剣線に宿り、反射のまま黒焔を弾いた。
火花――いや、黒と蒼の星が弾け、幹が抉れて薙ぎ倒れ、土がめくれ上がる。
「速ぇな。けど――重さが足りねぇ」
イゾルデの低笑と同時に、刃が回転する。黒焔が渦を巻いて追い縋り、肩口を抉った。
熱はない。ただ、命を“減らす”冷たさ。
血が跳ね、リュオムの視界が揺れる。
「リュオム!」
ミラの叫び。足が出かけるのを、シンが静かに止める。
「まだ、出る時ではない」
リュオムは歯を噛み、足を踏み固めた。
竜魔紋の鼓動が、怒りと痛みを呑み込むように膨れ上がる。
――堕ちるな。師の声が、胸の奥で木刀の音に変わって響く。
「……わしは、まだ終わらんぜよ」
蒼い閃撃が走る。
踏み込み、捌き、返す。竜光が黒焔を裂き、黒焔が竜光を蝕む。
互いの恩寵が、互いの魂を削り合う。
視界の端、赤い月が細く歪んだ。
「面白ぇ……その目だ。その目が、俺をずっと苛立たせる」
「おまんの刃は、己を切っちゅうきに」
「そうだよ。俺は俺を切り続ける。切らなきゃ、立ってられねぇからな!」
黒焔が爆ぜ、イゾルデの剣が唸る。
リュオムはわずかに遅れ、肩の傷がさらに裂けた。砂と血の味。
竜光が滲む。理性が、縁から崩れかける。
「やめて……やめて、二人とも!」
ミラの声が、夜に縫い付けられて消えた。
――光が落ちた。
鐘の音のような静謐が、森の騒擾を一息で洗い流す。
結界の縁が、蒼でも黒でもなく、透明な祈りで二人の刃を隔てた。
「もうやめい、龍馬。以蔵」
シン=トナリが結界の中心に立っていた。
数珠が澄んだ音を立て、彼の足元に光の輪がいくつも広がる。
「慎太郎……どけ」
イゾルデの声は低く、だが揺れた。
「おまえまで、夢を見せるのか。俺たちは――」
「夢やない。志じゃ」
シンの声は強くも穏やかで、夜の静けさに馴染んで響く。
「血を流してもええ。けんど、心まで殺したらいかん。おまんの刃は、誰を守るか、それだけを忘れるな」
「心を殺さなきゃ、この世界じゃ生き残れねぇって、もう何度も見てきた」
イゾルデの黒焔が、不意に弱まる。
「殺さなきゃ殺される。あの夜も、そうだった」
リュオムは息を吐き、蒼をしずめた。
「なら、この世界を変えりゃええ」
言葉は、痛みと共に、まっすぐだった。
「わしらは海援隊ぜよ。鎖を断ち、道を拓く。そのための刃や」
短い沈黙。
赤い月が雲に隠れ、闇が一段深くなる。
イゾルデは結界の縁で、剣を一度だけ床に打ち、音を鳴らした。
黒焔が消える。仮面の奥で、微かに笑ったように見えた。
「――宰相が、お前を“見る”と言ってる」
背を向ける。影が木々に溶けていく。
「次は、容赦しねぇ。俺自身のために、な」
「待っちょるき」
リュオムは肩の血を押さえながら、まっすぐ言った。
「何度でも、ぶつかり合おうや」
返事はなく、梢が一度だけ鳴った。闇が、元の闇に戻る。
結界が静かに解け、夜風が肌を撫でた。
ミラが駆け寄り、リュオムの肩に布を巻く。震える手を、リュオムが軽く叩いた。
「だいじょうぶぜよ。……ありがとな」
「全然だいじょうぶじゃない顔してるくせに」
ミラの目尻に、光るものが滲む。
シンは二人のそばに膝をつき、そっと掌を重ねた。淡い癒しの光が、傷の熱を鎮めていく。
「おまんら、忘れるな」
祈りを終え、シンは夜空を見上げた。
「志は三つ、道は一つ。いずれまた、交わる日が来る」
雲が裂け、遅れて星がいくつか顔を覗かせる。
星の並びは、竜の輪郭にも、剣の稜線にも見えた。
リュオムは胸の竜魔紋を押さえ、小さく笑う。
「夜は明ける。――明けさしちゃるがよ」
赤かった月は、その色を少し薄めていた。
森の端で、遠い梟が一声鳴く。
静かな夜が戻ってくる。だが、その静けさは、新しい戦いの前触れのようでもあった。
※第1章「放浪の剣士、異世界に立つ」――了。
星海の門はなお遠く、志の剣は今、鞘を離れたばかり。
火を飲み込んだように赤い月が、梢の切れ間からのぞく。
数日前に村を救ってから、リュオムたちは東の峠道を目指していた。足音は慎重に、息遣いは浅く。ミラの耳が不安げに揺れる。
「……今日、星が見えない」
「雲の上に隠れちゅうだけやろ」
そう言いながら、リュオムは胸の奥のざわめきを隠せなかった。竜魔紋が、微かに疼いている。
シン=トナリは歩みを止め、掌を合わせて夜気を感じ取った。
「血の匂い……古い獣道に、新しい刃の通りあとがある」
次の瞬間――樹々が横一文字に裂けた。
森の闇を、一本の黒い剣が切り拓く。
影が、歩み出る。
黒鉄の鎧。獣の眼光のように紅く灯る瞳。
その男は、低く嗤った。
「……よぉ。久しぶりだな、龍馬」
風が止む。遠い獣の鳴き声さえ消えた。
リュオムの喉が、乾く。
「……以蔵。ほんまに、おまんか」
「――違ぇよ」
仮面の下、口角が吊り上がる。
「俺はもう“以蔵”じゃねぇ。この世界じゃ“イゾルデ”って呼ばれてる」
ミラが小さく息を呑んだ。シンは一歩前に出ようとして、リュオムの袖に触れ、止まる。
「宰相ハルエルの犬だ、とでも言うちょくか?」
「犬でも刃でも構わねぇ。あの人は“秩序”を語った。お前は“自由”を語る」
イゾルデの瞳に、黒い炎が灯る。
「昔からそうだ。理想に酔って、何も守れないままだ」
「違う」
リュオムは一歩踏み出した。竜魔紋が衣の下で脈動する。
「理想を捨てたら、人はただの獣になるき。獣やったら、わしらはもうとうに死んじゅう」
闇と光が、言葉の形でぶつかった。
森が、刃を欲した。
先に火を吹いたのは闇だった。
イゾルデの剣に《黒焔の恩寵》が走る。黒い炎が刃を覆い、熱ではなく“喰う力”で夜気を焼き削る。
踏み込みは影。一瞬で間合いが詰まる。
リュオムは抜いた。
竜魔紋が胸で咆哮する。蒼い稲光が剣線に宿り、反射のまま黒焔を弾いた。
火花――いや、黒と蒼の星が弾け、幹が抉れて薙ぎ倒れ、土がめくれ上がる。
「速ぇな。けど――重さが足りねぇ」
イゾルデの低笑と同時に、刃が回転する。黒焔が渦を巻いて追い縋り、肩口を抉った。
熱はない。ただ、命を“減らす”冷たさ。
血が跳ね、リュオムの視界が揺れる。
「リュオム!」
ミラの叫び。足が出かけるのを、シンが静かに止める。
「まだ、出る時ではない」
リュオムは歯を噛み、足を踏み固めた。
竜魔紋の鼓動が、怒りと痛みを呑み込むように膨れ上がる。
――堕ちるな。師の声が、胸の奥で木刀の音に変わって響く。
「……わしは、まだ終わらんぜよ」
蒼い閃撃が走る。
踏み込み、捌き、返す。竜光が黒焔を裂き、黒焔が竜光を蝕む。
互いの恩寵が、互いの魂を削り合う。
視界の端、赤い月が細く歪んだ。
「面白ぇ……その目だ。その目が、俺をずっと苛立たせる」
「おまんの刃は、己を切っちゅうきに」
「そうだよ。俺は俺を切り続ける。切らなきゃ、立ってられねぇからな!」
黒焔が爆ぜ、イゾルデの剣が唸る。
リュオムはわずかに遅れ、肩の傷がさらに裂けた。砂と血の味。
竜光が滲む。理性が、縁から崩れかける。
「やめて……やめて、二人とも!」
ミラの声が、夜に縫い付けられて消えた。
――光が落ちた。
鐘の音のような静謐が、森の騒擾を一息で洗い流す。
結界の縁が、蒼でも黒でもなく、透明な祈りで二人の刃を隔てた。
「もうやめい、龍馬。以蔵」
シン=トナリが結界の中心に立っていた。
数珠が澄んだ音を立て、彼の足元に光の輪がいくつも広がる。
「慎太郎……どけ」
イゾルデの声は低く、だが揺れた。
「おまえまで、夢を見せるのか。俺たちは――」
「夢やない。志じゃ」
シンの声は強くも穏やかで、夜の静けさに馴染んで響く。
「血を流してもええ。けんど、心まで殺したらいかん。おまんの刃は、誰を守るか、それだけを忘れるな」
「心を殺さなきゃ、この世界じゃ生き残れねぇって、もう何度も見てきた」
イゾルデの黒焔が、不意に弱まる。
「殺さなきゃ殺される。あの夜も、そうだった」
リュオムは息を吐き、蒼をしずめた。
「なら、この世界を変えりゃええ」
言葉は、痛みと共に、まっすぐだった。
「わしらは海援隊ぜよ。鎖を断ち、道を拓く。そのための刃や」
短い沈黙。
赤い月が雲に隠れ、闇が一段深くなる。
イゾルデは結界の縁で、剣を一度だけ床に打ち、音を鳴らした。
黒焔が消える。仮面の奥で、微かに笑ったように見えた。
「――宰相が、お前を“見る”と言ってる」
背を向ける。影が木々に溶けていく。
「次は、容赦しねぇ。俺自身のために、な」
「待っちょるき」
リュオムは肩の血を押さえながら、まっすぐ言った。
「何度でも、ぶつかり合おうや」
返事はなく、梢が一度だけ鳴った。闇が、元の闇に戻る。
結界が静かに解け、夜風が肌を撫でた。
ミラが駆け寄り、リュオムの肩に布を巻く。震える手を、リュオムが軽く叩いた。
「だいじょうぶぜよ。……ありがとな」
「全然だいじょうぶじゃない顔してるくせに」
ミラの目尻に、光るものが滲む。
シンは二人のそばに膝をつき、そっと掌を重ねた。淡い癒しの光が、傷の熱を鎮めていく。
「おまんら、忘れるな」
祈りを終え、シンは夜空を見上げた。
「志は三つ、道は一つ。いずれまた、交わる日が来る」
雲が裂け、遅れて星がいくつか顔を覗かせる。
星の並びは、竜の輪郭にも、剣の稜線にも見えた。
リュオムは胸の竜魔紋を押さえ、小さく笑う。
「夜は明ける。――明けさしちゃるがよ」
赤かった月は、その色を少し薄めていた。
森の端で、遠い梟が一声鳴く。
静かな夜が戻ってくる。だが、その静けさは、新しい戦いの前触れのようでもあった。
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