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第2章 「交錯する志 ― 維新の胎動 ―」
第10話 関所の檻
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街道の空気が、ひとつ境を越えたように変わった。
昼下がり。三人は小さな宿場を通りかかった。
一見、活気がある。旅人の声、荷車の軋み、煙の匂い。
――だが、何かが違う。
「ねぇ、リュオム。ここ……何か変だよね……」
「変じゃのう」
リュオムは笑ってみせた。けれど胸の竜魔紋が、じくりと嫌な熱を帯びている。
宿場の中央、掲示板に紙が幾枚も貼られていた。
黒い文字が風に揺れ、ぱたぱたと音を立てる。
――秩序を乱す者を見かけたら通報せよ。
――星紋(ほしもん)を帯びし者、特に注意。
――通報者には褒賞を与える。
「……密告の札ばかりだな」
シンが眉をひそめ、数珠を握り直す。
リュオムは掲示板から目を逸らし、淡々と歩き出した。
「王都に近づくほど、息苦しゅうなるきに」
背中の気配が追ってくる。
視線は刃より厄介だ。切れない。折れない。ずっと残る。
――夕刻。
道は大きな柵へ吸い込まれるように絞られていった。
簡易関所。木柵と鉄の鎖。等間隔に立つ兵。
魔導灯の淡い光が、列をつくる旅人の顔を照らしている。
「次の方。旅券を」
「獣耳の方、身分を」
「……星紋の有無を確認します」
兵の横には、針のような金属器具が置かれていた。
触れさせるだけで淡く光が変わる。
誰も騒がない。色が変わった者は、静かに別の列へ案内されていく。
ミラが喉を鳴らし、リュオムの袖をつまんだ。
「ねぇ……あれ、何……」
「……わしらを選別する道具じゃろう」
列が進む。
シンが一歩、前へ出た。
「我々は巡礼の旅だ。私は僧。二人は……護衛と、身寄りのない子」
「旅券は?」
「ない。だが、身分の証なら――」
シンは数珠と小さな木札を差し出した。
兵はそれを受け取り、目だけで測る。人ではなく、書類を見ているようだった。
「……確認する」
針の器具が差し出される。
その瞬間、リュオムの胸がさらに熱を増した。
竜魔紋が、息を飲むほどに脈打つ。
(ここで反応したら――)
リュオムは、ゆっくり一歩前に出る。
そして関所兵の目を、まっすぐ見た。
「……ひとつ、聞いてええか」
「何だ」
「この関所は、誰を守りゆうがぜよ」
「民だ」
「なら、民の腹を満たす札も、ここに貼っちゅうがか」
兵の動きが、ほんの僅か止まる。
「密告の褒賞は貼ってある。けんど、飢えた子に渡すパンの札は見えん」
「……」
兵は怒鳴らない。淡々と答えた。
「秩序があれば、パンは回る。秩序が崩れれば、飢える。宰相ハルエル様の御方針だ」
「……ハルエル」
名が耳に刺さる。
理由もなく喉の奥が乾いた。
シンが咳払いひとつで場を整える。
「我々は争いに来たのではない。通してくれ」
兵は器具を持ち上げ、シンの手首に当てた。
淡い光。変化なし。
次にミラへ。
ミラの耳がぴくりと立ち、唇を噛む。
針が触れ――光が一瞬だけ揺れた気がしたが、兵は何も言わず離した。
「最後、人間」
兵がリュオムを見た。
針が近づく。
竜魔紋が叫びそうに熱い。呼吸が乱れそうになる。
布越しに――ひやりと、何かが触れた。
その刹那。
竜魔紋の熱が、すっと引いた。
誰かが火に蓋をしたように。
針は、色を変えない。
「……通れ」
兵は短く言い、木札に印を押した。
黒い翼と王冠。“通過”の証であり、同時に“記録”でもある。
関所を抜けた瞬間、ミラが息を吐ききった。
「……死ぬかと思った」
リュオムは笑ったが、心の奥は冷えたままだった。
その夜、三人は街道沿いの宿に入った。
宿主はやたら丁寧で、やたら愛想がよくて――やたら目が泳いでいた。
「どうぞどうぞ、良いお部屋を……」
ミラにだけ、菓子をひとつ余計に出す。
親切に見える。だがミラの耳は落ち着かない。
シンは湯を飲みながら、小さく言った。
「……この宿、偽りの空気が濁っている」
「つまり?」
「誰かを恐れている。あるいは……誰かに命じられている」
リュオムは何も言わず、鞘を撫でた。
刃ではなく、鞘の冷たさだけが手のひらに残る。
(縛って守る国……か)
――夜半。
宿の外で、靴音が揃った。
来た。
ミラが跳ね起き、シンが数珠を握り、リュオムは立ち上がった。
窓の隙間から見えるのは兵の列。関所の兵ではない。鎧の形も違う。だが、動きは同じだ。
「開けろ。確認だ」
扉が叩かれる。丁寧な声。だから、逃げ遅れる。
廊下で宿主の震える声が聞こえた。
「すみません……すみません……」
謝罪が、告げ口の証だった。
「裏だ」
シンが低く言う。
三人は窓を開け、裏路地へ落ちた。
――しかし、裏にもいた。
「こちらだ」
兵が静かに前へ出る。
抜刀する者もいる。だが殺気は薄い。狙いは“捕縛”。秩序のための連行。
ミラの肩が震えた。
リュオムは《青海》の柄に触れかけ――止める。
(ここで抜いたら、相手の思惑通りや……)
斬りかかれば、負ける。
血が流れれば、民は恐れ、秩序は強くなる。
「走れ!」
三人は闇へ駆けた。
背後から足音が追う。
矢が飛ぶ。殺す矢ではない。止めるための矢だ。
その時――風が一度、止んだ。
月が薄く曇り、街の音が遠のく。
石畳の隙間から霧が立ち、道を描いた。
まるで見えない川が、そこに流れたように。
声が、耳ではなく胸に落ちる。
――『争ってはいけません』
姿はない。輪郭もない。
ただ、世界の温度だけが変わる。
「……ルミア」
ミラが呟く。
言葉にした途端、霧の道がほんの少しだけ広くなる。
「こっちだ!」
シンが導かれるように走る。
三人は旧街道へ滑り込んだ。
廃れた石の道。倒れた標柱。人の流れが消えた場所。
追う兵の列が、そこで乱れた。
整然とした隊列が崩れ、指示が届かなくなる。
――秩序の刃が、届かない場所。
しばらく走り、ようやく息が落ち着いた頃。
ミラは膝に手をつき、涙をこぼす寸前の顔で笑った。
「……なんでさ。こんな世界なのに……“札”一枚で縛られるの……」
「世界が変わっても、人の怖さは変わらんき」
リュオムはそう言い、ミラの頭を軽く撫でた。
夜明け前。
旧街道の先に、小さな焚き火の跡があった。流れ者の匂い。
「ここから先……“支配”が薄い地帯だ」
シンが言う。
「自由区画――そう呼ばれている場所があるらしい」
リュオムは遠くの空を見た。
王都アガレスの方向に、薄い光が滲んでいる。
「……縛る国と、信じる世界」
呟きは冷たい空気に溶けた。
「どっちが正しいがかは、まだ分からん。けんど……わしは、信じて走る方を選ぶぜよ」
――同時刻。
王城の政務の間。
宰相ハルエルは報告書を一枚閉じた。
「関所を抜けた三名、宿で逃走。追跡失敗……」
部下が身を縮める。
だがハルエルは叱責しない。怒りも見せない。
「捕らえよ。ただし殺すな。民の前で血を流せば、恐怖が増える」
「……拘束のみ、ですね」
「そうだ。秩序は、恐怖で立ててはならない」
その言葉は“優しさ”に聞こえる。
だが、優しさは時に鎖になる。
ハルエルは窓の外の星を見た。
同じ星が、遠い旧街道にも瞬いていることを知らぬまま。
「……名も知らぬ転生者よ。あなたは、何を守ろうとしている」
別室。
黒い“影”が片膝をついていた。
剣の鞘から、わずかに黒が滲む。
「追うな。接触するな。見届けろ」
ハルエルは言う。
「彼が“何を守ろうとするか”だけを」
影は短く答えた。
「……御意」
闇が静かに動き始める。
リュオムは《青海》の鞘を握り締め、心の奥でひとつだけ誓った。
(“札”の檻ごと、壊すんじゃない)
(檻をいらん世に、変えるがぜよ)
風が吹いた。
霧がほどけ、空が少し明るくなる。
秩序の国も、自由の旅も。
同じ夜明けへ向かって、歩み始めていた。
昼下がり。三人は小さな宿場を通りかかった。
一見、活気がある。旅人の声、荷車の軋み、煙の匂い。
――だが、何かが違う。
「ねぇ、リュオム。ここ……何か変だよね……」
「変じゃのう」
リュオムは笑ってみせた。けれど胸の竜魔紋が、じくりと嫌な熱を帯びている。
宿場の中央、掲示板に紙が幾枚も貼られていた。
黒い文字が風に揺れ、ぱたぱたと音を立てる。
――秩序を乱す者を見かけたら通報せよ。
――星紋(ほしもん)を帯びし者、特に注意。
――通報者には褒賞を与える。
「……密告の札ばかりだな」
シンが眉をひそめ、数珠を握り直す。
リュオムは掲示板から目を逸らし、淡々と歩き出した。
「王都に近づくほど、息苦しゅうなるきに」
背中の気配が追ってくる。
視線は刃より厄介だ。切れない。折れない。ずっと残る。
――夕刻。
道は大きな柵へ吸い込まれるように絞られていった。
簡易関所。木柵と鉄の鎖。等間隔に立つ兵。
魔導灯の淡い光が、列をつくる旅人の顔を照らしている。
「次の方。旅券を」
「獣耳の方、身分を」
「……星紋の有無を確認します」
兵の横には、針のような金属器具が置かれていた。
触れさせるだけで淡く光が変わる。
誰も騒がない。色が変わった者は、静かに別の列へ案内されていく。
ミラが喉を鳴らし、リュオムの袖をつまんだ。
「ねぇ……あれ、何……」
「……わしらを選別する道具じゃろう」
列が進む。
シンが一歩、前へ出た。
「我々は巡礼の旅だ。私は僧。二人は……護衛と、身寄りのない子」
「旅券は?」
「ない。だが、身分の証なら――」
シンは数珠と小さな木札を差し出した。
兵はそれを受け取り、目だけで測る。人ではなく、書類を見ているようだった。
「……確認する」
針の器具が差し出される。
その瞬間、リュオムの胸がさらに熱を増した。
竜魔紋が、息を飲むほどに脈打つ。
(ここで反応したら――)
リュオムは、ゆっくり一歩前に出る。
そして関所兵の目を、まっすぐ見た。
「……ひとつ、聞いてええか」
「何だ」
「この関所は、誰を守りゆうがぜよ」
「民だ」
「なら、民の腹を満たす札も、ここに貼っちゅうがか」
兵の動きが、ほんの僅か止まる。
「密告の褒賞は貼ってある。けんど、飢えた子に渡すパンの札は見えん」
「……」
兵は怒鳴らない。淡々と答えた。
「秩序があれば、パンは回る。秩序が崩れれば、飢える。宰相ハルエル様の御方針だ」
「……ハルエル」
名が耳に刺さる。
理由もなく喉の奥が乾いた。
シンが咳払いひとつで場を整える。
「我々は争いに来たのではない。通してくれ」
兵は器具を持ち上げ、シンの手首に当てた。
淡い光。変化なし。
次にミラへ。
ミラの耳がぴくりと立ち、唇を噛む。
針が触れ――光が一瞬だけ揺れた気がしたが、兵は何も言わず離した。
「最後、人間」
兵がリュオムを見た。
針が近づく。
竜魔紋が叫びそうに熱い。呼吸が乱れそうになる。
布越しに――ひやりと、何かが触れた。
その刹那。
竜魔紋の熱が、すっと引いた。
誰かが火に蓋をしたように。
針は、色を変えない。
「……通れ」
兵は短く言い、木札に印を押した。
黒い翼と王冠。“通過”の証であり、同時に“記録”でもある。
関所を抜けた瞬間、ミラが息を吐ききった。
「……死ぬかと思った」
リュオムは笑ったが、心の奥は冷えたままだった。
その夜、三人は街道沿いの宿に入った。
宿主はやたら丁寧で、やたら愛想がよくて――やたら目が泳いでいた。
「どうぞどうぞ、良いお部屋を……」
ミラにだけ、菓子をひとつ余計に出す。
親切に見える。だがミラの耳は落ち着かない。
シンは湯を飲みながら、小さく言った。
「……この宿、偽りの空気が濁っている」
「つまり?」
「誰かを恐れている。あるいは……誰かに命じられている」
リュオムは何も言わず、鞘を撫でた。
刃ではなく、鞘の冷たさだけが手のひらに残る。
(縛って守る国……か)
――夜半。
宿の外で、靴音が揃った。
来た。
ミラが跳ね起き、シンが数珠を握り、リュオムは立ち上がった。
窓の隙間から見えるのは兵の列。関所の兵ではない。鎧の形も違う。だが、動きは同じだ。
「開けろ。確認だ」
扉が叩かれる。丁寧な声。だから、逃げ遅れる。
廊下で宿主の震える声が聞こえた。
「すみません……すみません……」
謝罪が、告げ口の証だった。
「裏だ」
シンが低く言う。
三人は窓を開け、裏路地へ落ちた。
――しかし、裏にもいた。
「こちらだ」
兵が静かに前へ出る。
抜刀する者もいる。だが殺気は薄い。狙いは“捕縛”。秩序のための連行。
ミラの肩が震えた。
リュオムは《青海》の柄に触れかけ――止める。
(ここで抜いたら、相手の思惑通りや……)
斬りかかれば、負ける。
血が流れれば、民は恐れ、秩序は強くなる。
「走れ!」
三人は闇へ駆けた。
背後から足音が追う。
矢が飛ぶ。殺す矢ではない。止めるための矢だ。
その時――風が一度、止んだ。
月が薄く曇り、街の音が遠のく。
石畳の隙間から霧が立ち、道を描いた。
まるで見えない川が、そこに流れたように。
声が、耳ではなく胸に落ちる。
――『争ってはいけません』
姿はない。輪郭もない。
ただ、世界の温度だけが変わる。
「……ルミア」
ミラが呟く。
言葉にした途端、霧の道がほんの少しだけ広くなる。
「こっちだ!」
シンが導かれるように走る。
三人は旧街道へ滑り込んだ。
廃れた石の道。倒れた標柱。人の流れが消えた場所。
追う兵の列が、そこで乱れた。
整然とした隊列が崩れ、指示が届かなくなる。
――秩序の刃が、届かない場所。
しばらく走り、ようやく息が落ち着いた頃。
ミラは膝に手をつき、涙をこぼす寸前の顔で笑った。
「……なんでさ。こんな世界なのに……“札”一枚で縛られるの……」
「世界が変わっても、人の怖さは変わらんき」
リュオムはそう言い、ミラの頭を軽く撫でた。
夜明け前。
旧街道の先に、小さな焚き火の跡があった。流れ者の匂い。
「ここから先……“支配”が薄い地帯だ」
シンが言う。
「自由区画――そう呼ばれている場所があるらしい」
リュオムは遠くの空を見た。
王都アガレスの方向に、薄い光が滲んでいる。
「……縛る国と、信じる世界」
呟きは冷たい空気に溶けた。
「どっちが正しいがかは、まだ分からん。けんど……わしは、信じて走る方を選ぶぜよ」
――同時刻。
王城の政務の間。
宰相ハルエルは報告書を一枚閉じた。
「関所を抜けた三名、宿で逃走。追跡失敗……」
部下が身を縮める。
だがハルエルは叱責しない。怒りも見せない。
「捕らえよ。ただし殺すな。民の前で血を流せば、恐怖が増える」
「……拘束のみ、ですね」
「そうだ。秩序は、恐怖で立ててはならない」
その言葉は“優しさ”に聞こえる。
だが、優しさは時に鎖になる。
ハルエルは窓の外の星を見た。
同じ星が、遠い旧街道にも瞬いていることを知らぬまま。
「……名も知らぬ転生者よ。あなたは、何を守ろうとしている」
別室。
黒い“影”が片膝をついていた。
剣の鞘から、わずかに黒が滲む。
「追うな。接触するな。見届けろ」
ハルエルは言う。
「彼が“何を守ろうとするか”だけを」
影は短く答えた。
「……御意」
闇が静かに動き始める。
リュオムは《青海》の鞘を握り締め、心の奥でひとつだけ誓った。
(“札”の檻ごと、壊すんじゃない)
(檻をいらん世に、変えるがぜよ)
風が吹いた。
霧がほどけ、空が少し明るくなる。
秩序の国も、自由の旅も。
同じ夜明けへ向かって、歩み始めていた。
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