宇宙艦紀アルカディア

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第1章 黎明の航路

第8話 内なる裂け目

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観測者との“接触”から、まだ一日も経っていないのに、《オケアノス》の空気は目に見えて変わっていた。

 誰もが口には出さないが――怯えていた。  光の点ひとつで、世界の「前提」が揺らいだのだ。

 艦内時間の午前。
 副長席の端末に、短く点滅する通知が走る。

「……ログ解析班から。レイナ博士の端末、追加解析完了だ」

 真壁が眉をひそめ、蓮の端末にデータを転送した。

「“追加”? もう全部出たんじゃなかったのか」

「そう思ってたんだがな。――見ろよ、ここ」

 画面には、レイナの残したシステムログがずらりと並んでいた。  一見、ただの研究記録のように見える。だが一つだけ、妙な印がついている行があった。

 《編集履歴:ユーザー不明》《上書き痕検出》

「……誰かが、レイナのログを“書き換えた”痕跡がある」

 真壁の声が低くなる。

「レイナ本人じゃなく?」
「少なくとも、許可されたIDじゃない。船団クルーのどのアクセス記録とも一致しない」

 蓮は喉の奥が冷たくなるのを感じた。

「ってことは……誰かが、レイナを“どこかへ誘導”した可能性があるってことか」

「そうだ。事故じゃなく、誰かの意図で」

 観測者。協定。レイナの失踪。
 そして、船団内部の“誰か”。

 蓮は端末を閉じると、ゆっくり息を吐いた。

「……まずは、現場を見に行こう。《オケアノス》のどこでログが書き換えられてるのか」
「案内は秋庭にさせる。あいつが一番この艦の腹の中に詳しい」

 艦後方、通信・外殻の境界にある保守区画は、常にひんやりとしている。  最低限の保安灯だけが灯り、金属の骨組みとケーブルが迷路のように張り巡らされていた。

「ここです」

 エンジニアの秋庭は、薄暗い通路の先にある一枚のメンテナンススクリーンを指差した。

「レイナ博士の端末から、最後に転送されたデータが、この中継ノードを経由してます。――それと、さっきからこの周辺、異常なノイズが出てる」

 蓮が近づくと、肌を撫でるような微かなざらつきがあった。
 音というより、“空気の粒子”がひしゃげているような違和感。

 スクリーンは本来、灰色の整備メニューだけを映すはずだ。
 だが今は――鏡のように蓮たちを映し返していた。

「……これは」

 秋庭が操作しようとして、手を止めた。

 ふ、と光が走る。
 スクリーンの表面に、ノイズ混じりの映像が浮かび上がった。

 ――レイナだった。

 蓮は思わず一歩踏み出した。

 いつもの白い研究着。
 結い上げた髪。
 しかし、輪郭はわずかに揺らぎ、髪の端はノイズのように欠けては戻る。

 生身ではない。
 これは“記録”の質感だ。

 画面の隅に、薄く文字が滲む。

 《ARCHIVE PLAYBACK : REINA_LOG》

「……こんな表示、見たことないぞ」

 秋庭が息を呑む。
 艦内UIのフォントとは微妙に違う。どこか“借り物”めいた、ぎこちない形だ。

「……記録映像、だな」

 蓮がつぶやいたとき、映像の中のレイナがこちらを向いた。

 目が合った――ように、錯覚する。
 だが視線は、蓮ではなくもっと遠くを貫いていた。

 録画の一瞬にすぎない。
 それでも胸の奥がひりつく。

 やがて、レイナの唇が動いた。

「……ここから先は、危険区域よ」

 声はレイナそのものだ。
 だが抑揚だけが、妙に平坦だった。
 彼女の声と、冷たい警告文言が溶け合ってできたような、不自然な響き。

 続いて、ほんの一瞬だけ。
 映像の中で、レイナの表情に“本当の感情”が刺し込まれる。

「お願い……戻って。
 ここは、もう……私の場所じゃないの」

 その一言とともに、映像がかき消えた。
 スクリーンはただの黒い板へと戻り、保守区画には再び冷たい静寂だけが残る。

 秋庭は青ざめた顔で蓮を見る。

「……今の、再生記録には残ってません。ログが……無い」

「観測者が、艦の記憶を……“借りて”見せたのかもしれない」

 蓮はスクリーンに映る自分の影を見つめながら、つぶやいた。

「レイナは観測者の領域に触れた。危険を知って、警告を残した。――でも、そのログは誰かに書き換えられた」

 内部の“誰か”。
 観測者。
 レイナ。

 線が、少しずつ近づいていく。

 艦橋に戻ると、すでに緊急会議の準備が進んでいた。

 船団会議用のホロ画面には、連邦アーク、大洋連合、東方同盟の代表たちの顔が浮かんでいる。
 そのどれもが、昨日よりも明らかに険しかった。

『……太平洋船団内部で、乗員の失踪だと?』

「行方不明者が一名。現場には、空気の“層”の乱れが残っていました」

 オオトリ船団長が淡々と報告する。
 東方同盟の代表は目を細めた。

『観測者によるもの、と?』

「断定はできません。ただ――観測者と接触してから、艦内の時空に歪みが出ているのは事実です」

 エリザが、あからさまに舌打ちした。

『だから言ったのよ。太平洋船団は隊列から切り離すべきだと』
『あなた方の“特異点”に、他の船団を巻き込むわけにはいかない』

 真壁が思わず声を荒げかけるのを、蓮は横で制した。

「観測者は、敵じゃありません」

 蓮の声に、ホロ画面の視線が一斉に向く。

「彼らは“なぜ撃った”“またか”と言った。
 それは、俺たちが過去に、何かを壊したからだ。
 怒りじゃなく……“傷ついた記憶”を見せられた」

『根拠は?』
 エリザの視線は冷たい。

「さっき、レイナ博士の“隠されたログ”が再生されました。
 彼女は言っていた。
 人類はすでに一度、触れてはならない領域を侵したと」

 ざわめきが広がる。

『証拠を提出しなさい』
「今、解析班が復元中です。ただ――」

 その時だった。

 艦橋の照明が、一瞬だけふっと落ちた。

 同時に、《オケアノス》の全スクリーンがざらついたノイズに染まる。

「なっ……!」
「各系統、ハイジャック!? 制御信号が書き換えられて――!」

 航海士の叫び。
 コンソールに謎の文字列が走る。

 《…HELLO…HELLO…HELLO…》
 《…COPYING…PATTERN…》
 《…SPEECH…NOISE…MEANING…》

 見慣れないフォント。
 一定のリズムを持つ、学習中のようなログ。

「観測者だ……」

 蓮は直感した。

「人類の通信系を“真似てる”。ここまで踏み込んで模倣してきたのは初めてだ」

「システムへの攻撃と見做せる!」
 エリザが怒鳴る。

『太平洋船団は観測者と共謀しているのでは!?』

「落ち着け!」
 オオトリ船団長の声が重なった。

「制御は奪われていない。観測者は“見ている”だけだ!」

 だが、そのとき。

 蓮の耳だけでなく、艦橋にいる全員の耳に、同じ“ノイズ”が走った。

 ――ザ……ザザァ……

 意味を持たないはずの音が、
 突然、言葉の形を取る。

『――見ている』

 誰かが息を呑む音が聞こえた。
 観測者の“声”が、蓮だけでなく艦全体に流れ込んできていた。

『――なぜ、壊した?』

「今の、聞こえたか……?」

「……ああ。俺にも……」

 真壁の顔が蒼白になる。
 艦橋のクルーたちが一斉に顔を見合わせた。

 ――観測者の声が、蓮だけのものではなくなった。

 ホロ画面の向こう側でも、声が上がる。

『こちらでも、今のノイズを感知した!』
『音声に変換されて……“壊した”と……』

「観測者は、船団全体にメッセージを出した……?」

 蓮は歯を食いしばる。

 観測者は“誤って”開きすぎたのか。
 それとも、意図的に。

 どちらにせよ、
 太平洋船団だけの問題では、もうなくなっていた。

 数時間後。

 解析室には、張り詰めた空気が流れていた。

 スクリーンには観測者の信号ログが並び、その下に、もう一つ別の波形が重なっている。

「……おかしいだろ、これ」

 秋庭が、波形を指差した。

「観測者の信号は、さっきの模倣ログの方だ。――問題は、その“下”にくっついてるやつです」

 蓮は身を乗り出した。

「下?」

「観測者の通信に“ノイズ”みたいに混じっている別のパターン。
 レイナのログを書き換えた痕跡とも一致します」

 解析班長が、乾いた声で続けた。

「観測者とは別系統の信号です。
 周波数特性も、符号化規則も違う。
 もっと粗い。――だが、“意思”がある」

「つまり……」

「観測者のラインに、別の“何者か”が相乗りしている」

 背筋に冷たいものが走った。

 観測者。
 人類。
 それだけだと思っていた図式に、
 第三の影がぬるりと入り込んでくる。

 蓮は、レイナの最後のテキストログを思い出した。

 ――『“彼ら”は一種類じゃない』

 あの「彼ら」は、観測者だけを指していなかったのかもしれない。

「……レイナは、知っていたんだ」

 口の中が乾いていく。

「観測者の向こう側に、もう一つ――
 “何か”がいることを」

 秋庭が、ためらいがちに言った。

「蓮さん。
 さっきの危険区域のログ……あれ、多分、“観測者の領域”だけを指してないですよ」

「どういう意味だ」

「断層の縁には、観測者の信号と……今見ている“粗い方”の信号、両方が重なってる。
 危険ってのは、“二つが混ざった場所”のことじゃないかって」

 蓮は、拳を握った。

 観測者は、ただの“記録者”ではない。
 何かを守ろうとしている。
 そして、その向こうで――別の何者かが、船団の中に指を伸ばしている。

「……行くしかないな」

「どこへ?」

「断層の縁だ。
 観測者の領域と、“もう一つ”の境界線へ」

 真壁が、苦笑とも溜め息ともつかない声を漏らす。

「自分から危険区域に突っ込むのが、太平洋船団のやり方か?」

「誰かが行かなきゃ、誰も帰れなくなる」

 蓮は、静かに言い切った。

「観測者が何を見てきたのか。
 人類が何を壊したのか。
 “あいつら”が何者なのか。
 答えを知らないまま、恐怖だけで決めたくない」

 窓の外には、星々の光と、
 その間にうっすらと揺らめく“細い影”が見えていた。

 それが、見えない裂け目なのかどうか、
 まだ誰にも分からない。

 だが確かに、そこに――
 誰かの“視線”だけは、存在していた。

 第8話 内なる裂け目 完
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