【メモリーバンク】記憶ゼロの俺が、量子の魔法で世界を変える ~封じられた過去が今、再構築をはじめる~

カイワレ大根

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第6章

第105話 二重世界の井戸と罠の代償――

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 ◆古井戸前の“二重世界”と揺らぐ空間
 古びた石造りの井戸の前に立ったとき、

 シャドウファングがピタリと足を止めた。
 そのまま井戸を凝視し、低く唸る。
 尾を下げ、耳を伏せ、全身に警戒の色をにじませていた。

「……どうした、シャドウファング?」

 リュークが声をかけても、狼は一歩も動かない。
 代わりに、喉の奥でごく低く吠えた。
 それは、ただの警戒ではなかった。

「ここは危険だ」

 ――まるで、そう訴えるような声だった。

 昨日と同じ場所のはずなのに、張り詰めた空気の質が明らかに違う。
 気温でも、湿度でもない。空間そのものが、僅かに“軋んでいる”ように感じられる。
 リュークは静かに目を閉じ、意識を集中させた。

「……量子視覚、起動」

 視界が一変する。
 色と線の重なりが揺れ、世界がゆっくりと“別の相”に切り替わっていく。
 井戸の縁――石組みが、かすかにぶれて見えた。

 いや、ぶれているのではない。
 何かが“重なっている”。
 輪郭が微妙にずれ、表と裏が重なり合っているかのように、
 井戸の内壁は“二重写し”になっていた。

(……これは……)

 古い地図と新しい地図を、ずらして重ねたような違和感。
 どちらかが正しいというより、どちらもどこか欠けている。
 一致しそうで一致しない、歪んだ構造。
 表にある井戸と、裏に存在するもう一つの井戸。
 そのふたつが、“同時に存在している”。
 リュークは息をのんだ。

「……この井戸、何度も“作り直された”跡がある」

「えっ?」

 ルミエルが驚いたように身を乗り出す。

「たとえば……建物を何度もリフォームしたような感じだ。
 別の人間が、別の時期に、異なる意図で手を加えた。
 でも、どれも完成しきっていない。
 修復されたようで、どこか歪んだままなんだ」

 リュークは量子視覚を通して、井戸の石組みに映る層をなぞるように目を細める。

「複数の構造が、少しずつズレて重なってる。
 表面の形と、内部の構造が噛み合ってないんだ。
 まるで、過去の形と今の形が“混ざったまま”放置されてるみたいに」

 ルミエルは小さく首をかしげる。

「じゃあ、今見えてるこの井戸って……どれが“正しい形”なの?」

「……どれも正しくて、どれも不完全だ。
 だから、“決まっていない”んだよ。
 誰にもきちんと“視られていなかった”せいで、構造が途中のまま固定されてない」

 量子視覚には、石材のつなぎ目が微かに揺れ、わずかな段差や歪みが複数層に映っていた。
 表層はしっかりと存在しているが、その奥に――不確かな“別の形”が同時に存在している。

「観測されない構造は、不安定で、危険だ。
 でも……触れることはできる。進む余地は、ある」

 リュークの静かな言葉に、ルミエルもゆっくりうなずく。

「誰にも気づかれなかった場所は、“今”になっても、まだ“形”になれてないんだね」

「……ああ。でも、見ることで形は定まる。
 だから、俺たちが――ちゃんと“視る”。
 この井戸の奥に、何があるのかを、知るために」

 シャドウファングが、一歩だけ井戸の縁から距離を取った。
 その動きは逃走ではなく、明確な“警戒”の意志。
 本能的に、そこに“何かがある”と感じ取っているのだ。
 リュークは軽く顎を引いて言った。

「進もう。今なら、まだ行けるはずだ」


 ◆罠と知識の敗北
 地下通路の空気は、沈んでいた。
 薄暗く湿った空間に、足音と水滴の音だけが反響する。
 石畳は古く、ところどころにひび割れや苔の染みが浮いていた。

 だが、それよりもリュークが気にしていたのは――その“感触のズレ”だった。
 歩くたびに、微かに違う。
 左足と右足で、わずかに沈み方が違う。

 石の継ぎ目の間隔が不規則だ。

「……傾斜が変化してる。通路そのものが歪んでるな」

 リュークは立ち止まり、額に意識を集中させ量子視覚を起動する。
 視界が切り替わる。

 壁や床の内部に残る“魔素の痕跡”が、淡い光となって浮かび上がった。
 古びた魔術回路の残り火――だが、それは整った線ではない。
 途中でねじれ、切れ、別の線とぶつかり合い、干渉して歪んでいる。

「……この通路、もとは別の用途だったみたいだ。
 水路か、魔術制御路……でも途中で無理やり上書きされてる」

 後ろから、ルミエルが小さく頷いた。

「時代の違う構造が重なってるんだね。
 しかも整備されてない。“混ざったまま”って、かなり危ない状態だよ」

 シャドウファングが前方で足を止めた。
 鼻を鳴らし、耳を立て、低く唸る。
 警戒の色が濃い。

 リュークも、その様子に足を止めた。

(……何か、おかしい)

 ――カツン。

 右足のかかとが、わずかに沈んだ。
 乾いた金属音が、通路にこだまする。

「今の……音がした?」

 足元を見ると、石畳の一枚にうっすらと線が走っていた。
 肉眼ではほとんど見えない“接合線”。

 リュークが視線を凝らした瞬間、量子視覚が反応する。
 床下に、空洞があった。
 そして、その空洞に沿うように――圧縮された魔力の管が走っている。

「……床の下に、魔力管……?」

 その直後、通路の空気が、ぴくりと緊張を帯びる。

 ――ブシュッ!

 両側の壁の継ぎ目から、勢いよく何かが吹き出した。
 冷たい風……ではない。
 粘性のある水のような感触と、魔力の粒子が混ざった――高密度の“魔力水”。

 それが壁を裂くように噴き出し、床に叩きつけられた。

 ――バシャッ! ズンッ!

 液体の重さが、床材を鳴らす。

 次の瞬間――

 ――ガギッ! ガンッ!

 通路の天井で、鉄骨がずれるような重く鈍い“連動音”が響いた。
 リュークは叫ぶ。

「連結式の罠か……! 水圧をトリガーにして、次が来る!」

 リュークは即座に後退しようとした――が、足元が滑った。
 苔に濡れた石床と、魔力水の薄膜が踏ん張りを奪う。

 ズルッ――ガッ!

 靴底が空転し、体勢を崩す。
 その瞬間、視界の上で、天井の石板がギシリと鳴った。

「……ッ!」

 ――ズズッ……ゴリッ……!

 音を立てて、天井の石がわずかにズレる。
 その時だった。

「グルルッ!」

 シャドウファングが、横から飛び込んできた。
 その巨体が、リュークの脇腹にぶつかる――

 ドンッ!

 勢いのまま、彼を通路の端へと押し飛ばす。

 ――ガラララッ……ドガァン!!

 天井の石板が崩れ落ちた。
 粉塵が舞い、石の破片が床を弾く音が重なる。
 その中に、ひときわ鈍い衝突音――

 ゴガッ……!

 リュークが身体を転がして起き上がると、そこには倒れ伏したシャドウファングの姿があった。

「シャドウファング!」

 慌てて駆け寄る。
 狼の肩口には、砕けた石の角が深く食い込み、血が滲んでいた。
 裂けた肉に石片が埋まり、赤黒い血が毛皮を濡らす。

「くそっ……!」

 怒りとも焦りともつかぬ声が漏れた。
 何に対しての怒りなのか――分かっている。自分だ。
 守れなかった。視えていた“はず”なのに。

 急いで布を引き裂き、傷口に押し当てる。
 シャドウファングはうめくような低い唸り声を漏らしながら、それでも意識は保っていた。

「……大丈夫か……」

 応急処置は可能だ。だが、すぐに癒える傷ではない。
 リュークは顔を上げ、再び通路を睨んだ。
 額に集中を込めて、量子視覚を起動する。

 ――今になって、ようやく視えた。
 床下の魔力管、壁から吹き出した水の経路、

 そして、天井を支えていた魔力柱が“緩んだ”タイミング。
 すべてが、いま“発動した後”の痕跡として視界に浮かんでいた。

「……でも、もう遅い」

 そう呟いた瞬間、胸の奥にじくりと、刺すような痛みが走る。
 見えたのは、“結果”であって“未来”ではなかった。
 分かっていたはずだ。量子視覚は万能ではない。
 なのに――それに頼りきって、判断を怠った。

(俺がもっと理解していれば……こんなことには……!)

「“感覚”だけじゃ避けきれない。
 視えているつもりでも、それがどう繋がるかを理解してなきゃ……意味がない」

 歯が軋むほどに噛み締めた。
 悔しさが喉元までこみ上げる。

(俺は……何もできなかった)

 ただ“視ていた”だけの自分への苛立ちと、
 傷ついた仲間を前に、何ひとつ防げなかった情けなさが胸を押しつぶす。

 通路に仕掛けられたのは、ただの罠ではない。
 空間全体が、連鎖する“構造”として設計されている。
 リュークは傷口に手を当てながら、強く噛みしめた。

「……俺は、“ただ視えていただけ”だったんだ」

 それは、敗北の痛み。
 仲間を守れなかったという現実が、胸を突き刺す。
 だが同時に、確かに理解した。
 “視る”だけでは届かないものがあることを。
 構造の意味を、力の流れを、結果の因果を――

 すべてを“選んで動く”ためには、知識と理解が必要だ。
 その手が、シャドウファングの傷を確認しながら、ほんの僅かに震えた。

(このままじゃ……また誰かを、守れない)

 悔しさを噛み殺すように、拳を固めた。
 次こそは。
 次こそは、“視る”だけで終わらせない。


 次回:観測が選ぶ道――
 予告:傷を抱えたまま迫られる“観測=選択”の決断。
 立体罠を読み解き突破した先で、霧と同化する魔が姿を現す——
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