【メモリーバンク】記憶ゼロの俺が、量子の魔法で世界を変える ~封じられた過去が今、再構築をはじめる~

カイワレ大根

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第6章

第106話 観測が選ぶ道――

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 ◆揺らぐ選択と“干渉の恐怖”
 崩れかけた通路の隅。
 まだ湿り気を帯びた空気が、かすかに肌を撫でていく。

 その中で、リュークはシャドウファングの肩に静かに手を当てていた。
 傷は深く、応急処置だけでは追いつかない。
 先ほどの裂け目から、再び血がにじみ、毛並みをじんわりと赤く染めている。

「……少しだけ、我慢してくれ」

 そう声をかけて、リュークはそっとポーションの瓶を取り出した。
 ガラスの表面が魔力の色を微かに帯び、淡い脈動のような光が内部で揺れている。
 瓶の栓を外すと、緑がかった液体がほのかに香気を放ち、

 リュークはそれをゆっくりと傷口に注いだ。
 液が皮膚に触れた瞬間、細かな光の粒が広がり、
 血と共に吸い込まれるように消えていく。

 シャドウファングは低く息を吐き、体をわずかにすくめる。
 それでも――逃げるような素振りは見せなかった。

 やがて、赤く裂けていた傷口の縁がゆっくりと収縮しはじめる。
 破れた皮膚がわずかずつ寄り、血の滲みが静かに収まっていく。
 完全には癒えていない。だが、炎症の熱は引き、
 呼吸もほんの少しだけ、落ち着いたように見えた。

 リュークはそっと彼の脇腹に手を添える。
 毛並み越しに伝わってきた体温が、少しずつ穏やかさを取り戻していく。

(……ありがとう。俺なんかを、守ってくれて)

 言葉には出さなかった。
 けれどその思いは、確かに胸の中で結ばれていた。
 沈黙の中、リュークはゆっくりと立ち上がった。

 前を向く。その視線の先、崩れかけた通路の奥に、薄暗い闇が広がっている。
 量子視覚を再度、起動する
 息を整えながら集中を込めると、視界の揺らぎが変化する。
 世界が淡く反転し、通路の先が“多層的な像”として浮かび上がってきた。

 リュークの目に映った通路は――一本ではなかった。
 ふたつの異なる“かたち”をした構造が、薄く重なり合いながら揺れている。

 ひとつは、途中で崩れて塞がった“行き止まりのルート”。
 もうひとつは、なにもなかったかのように、奥へと続いている“開けたルート”。

「……これ、どっちが本物なんだ……?」

 思わず漏れた声。けれど、すぐに気づく。

(……いや、違う。“どちらかが嘘”なんじゃない。

“どちらも、まだ決まっていない”だけなんだ)

 量子視覚は、通常の目では捉えられない“情報の層”を映し出す力だ。
 物の構造、記憶の痕跡、そして――まだ起きていない“可能性”さえも。

 この通路も、いま現在は“分岐の手前”にある。
 崩れてしまう未来と、無事に通れる未来。
 その両方が、視界の中でかすかに揺れて重なっている。

「……でも、視たら――どちらかが“確定”する」

 リュークの声が、低く漏れる。
 視るということは、“観測する”ということ。
 そして、観測されなかった可能性は――消える。

「……選ばなきゃいけない。
 視ることは……決めることだ」

 その呟きに、すぐそばでルミエルの声が重なる。

「そして、壊すことでもあるよ」

 リュークは、その言葉に答えず、ただ目を閉じた。
 背を向けたまま、言葉の重さに耐えるように。
 選んだ瞬間、もう一方の道は“なかったこと”になる。

 そこに誰かがいたかもしれない記憶、
 本当は存在していたかもしれない選択肢。
 その人の“なり得た姿”さえ――すべて、潰えてしまう。

「……干渉は、破壊を伴う」

 世界は、“視ることで初めて形を持つ”。
 量子視覚は、その“決定の引き金”だ。

「これは……ただの通路じゃない。
“選択の場”なんだ。
 観測者にしか踏み込めない、そういう場所――」

 足元に目を落とす。
 傍らにいるシャドウファングの“影”が、地面にふたつ――
 いや、“二重に”伸びていた。

 ひとつは、彼の体に沿って自然に落ちる影。
 もうひとつは、わずかにズレ、違う方向を向いている。

「……これは……」

 その“もうひとつの影”が、こちらに向かって“視ている”気がした。
 静かで、冷たい、どこか意志を帯びたような感覚。
 ほんの一瞬、リュークの背筋を、ぞわりと寒気が走る。

 シャドウファング自身は動かない。
 けれど、その“影”は――別の未来、別の可能性、
 分岐の予兆を確かに告げていた。

 リュークは、目の前で揺れる通路と、
 足元に伸びる“重なった影”を見つめながら、
“視る”という行為の重みを、改めて知った。


 ◆罠の回避と知識の応用
 通路の奥へと進むにつれ、空気の密度が明らかに変わっていった。
 ただ湿っているのではない。
 何かが“張り詰めた膜”のように空間を満たし、音すら少し吸い取っているように感じられる。

「……何か、ある」

 リュークが立ち止まり、量子視覚を起動する。
 視界に浮かび上がったのは、通路の床下や壁面に複雑に交差する“魔素の線”。
 まるで神経のように張り巡らされたそれらは、わずかに脈動していた。

「見える。けど……これ、罠だ」

 ただの古い残骸じゃない。
 魔素は今も“生きている”。
 それは、外部刺激に反応して作動する“未発動式”――眠ったままの術式が潜んでいた。

「構造が、違う……床だけじゃない。
 壁の中にも反応点がある。これは……立体的に組まれた罠だ」

「つまり、一か所だけ踏んでも動かないけど、
 ある条件で“力”や“位置”が揃うと……動き出す、ってことだね」

 ルミエルが静かに呟く。
 その言葉に、リュークは短く頷いた。

(前とは違う……今回は、“視える”だけじゃなく、意味が“分かる”)

「――ルミエル、例のチョークを」

「はい、重力感応チョーク」

 リュークはそれを受け取り、慎重に床へと線を引いていく。
 すると、ある一定の範囲に入ったところで、チョークの色がじわりと変化した。

「ここ……重さがかかると、内部に圧が伝わる仕組みだ」

「単純な板罠じゃない……魔力伝導板が床下に仕込まれてる。
 圧が加わると、内部の回路が閉じるように設計されてるのね」

 リュークの視界には、魔素の流れがうっすらと走る。
 まだ作動はしていない。

 だが、一歩の誤差で即発動しかねない精密な構造だった。

「通路の両側……壁に埋め込まれた魔力柱が反応点になってる。
 床と壁、両方のトリガーが同時に揺れれば……多分、また天井が落ちる」

 ルミエルが息を呑む。

「誰がこんな罠、作ったの……? 普通のトラップじゃない」

「多分、“進入させない”ために意図して設計された封鎖構造だ。
 入口ごと……抜け道すら潰すつもりだったんだ」

「どうする? 解除できる?」

「……いや、無理だ。この構造、下手にいじれば連鎖する。
 崩せば、全部が連動して崩れる仕組みだ。“回避”しか選べない」

 そう言って、リュークは道具袋を探る。
 取り出したのは、導通反応紙――
 魔素の流れを色で示す、簡易センサーだ。

「チョークで圧力の偏りを検出、導通紙で回路の流れを可視化。
 量子視覚で“線”の繋がりを追う……これで通れるルートを割り出す」

 しばらくの沈黙。

 リュークの指がすばやく動き、道具と量子視覚から得た情報を照らし合わせる。
 細やかに線を引き、視界の“罠の構造”をなぞっていく。

 やがて、彼は息を潜めながら言った。

「……分かった。“このラインだけを外して進めばいい”」

 床の一部に指を差し、そこから斜めに描いたルートを示す。

「通常の歩き方じゃ踏み外すルートだが……この経路なら、
 トリガーは踏まない。魔力柱にも触れない。連動圧もかからない」

 ルミエルが隣で視線を走らせ、すぐに頷いた。

「確かに……ここなら行ける」

 リュークが手を上げると、シャドウファングが静かに動いた。
 いつもよりも慎重に、足元を確認しながら、指示されたラインをなぞる。
 ……石は鳴らなかった。
 魔素の線も揺れなかった。

 リュークとルミエルも続いて通る。
 風の音すら立てずに、二人は同じルートを踏破する。
 罠は――動かなかった。
 そう思った、そのときだった。

 カシュッ。

 壁の隅で、乾いた音が弾けた。

「……!? 今の音、何?」

 リュークが即座に立ち止まり、量子視覚を再起動する。
 視界には、通路脇に設置された薄い魔力板が“起動”の兆候を見せていた。

 そこに集まるのは、熱――足元から伝わる体温に反応していた。

「これは……感圧じゃない、“温度反応式”の罠だ!」

 その直後、壁の石がパキッと音を立てて外れ、
 天井の隙間から金属線の束が、スルスルと降りてくる。
 銀色に鈍く光るその糸は、細く、鋭く、
 まるで蜘蛛の巣のように空間を塞ぐように広がっていく。

「シャドウファング、下!」

 狼が即座に体を伏せ、滑るように身をかわす。
 同時に、ルミエルが咄嗟に風の魔法を詠唱――

「空間固定――エアーシールド!」

 風が渦を巻き、舞い落ちる金属糸を巻き上げる。
 ふわりと浮いた糸が絡まりながら宙に留まり、
 それ以上の展開を阻まれた罠は空中で動きを止めた。

「……予備の仕掛けか」

 リュークが糸の降下孔を睨みながら呟く。

「温度反応……俺たちの体温か、装備の金属に反応したんだ。
 魔力流じゃない、“素材”に反応する罠……」


「なるほど。最初のとは別方向……“人間”を意識したトラップ。
 直接の攻撃じゃなくて、足止めを狙った妨害型……」

 ルミエルが呼吸を整えながら、真剣な眼差しで言った。

「ここ、本当に防衛目的で作られてるんだね。進入者を“確実に捕らえる”ための設計だ」

 リュークはポーチから魔力測定グラスを取り出し、罠の反応点に焦点を合わせる。
 レンズの奥で、微かな揺らぎが魔力の反応を映し出す。

「……次からは熱源にも注意しないと。
 どれだけ視えていても、判断を誤れば踏み抜く……」

 その声には、痛みを知った者の自戒と、確かな経験からくる静かな確信が混じっていた。
 ほんの一歩の油断。
 それが仲間を傷つける。

 シャドウファングの負傷が、リュークの胸にまだ生々しく残っていた。
 彼は拳を強く握り直す。
“視えるだけでは足りない”――あの教訓が、再び胸に刻まれていた。

「……抜けた」

 通路を抜けた瞬間、リュークの胸にひとつの実感が走った。
 ただ視るだけではなく、理論があり、準備があり――

 そして、仲間がいたからこそ、ここまで来られた。
 あの時の“失敗”が、確かに今ここで意味を持った。

 そのとき――
 通路の奥から、ぬるりと濃密な霧が立ち上がる。
 視界がぼやけ、じわりと肌を濡らすような湿気が空気を染めていく。
 ただの温度差ではない――どこか、内側にまで染み込んでくるような重さがある。

「……この気配……ただの霧じゃない」

 リュークはすぐに量子視覚を起動する。
 視界に、淡く揺れる“魔素の渦”が浮かび上がる。
 まるで生きているかのように、空間の中心で蠢いていた。

 そして、その中から――
 ぬらり、と形を成した何かが現れる。

「魔物……?」

 半透明の身体が揺らめき、霧と一体化するようにして形を変える。
 輪郭は不明瞭で、霧の膜をまとったような不定形。

「これは……“湿性霧体”かもしれない。
 粘液系の変異種、霧散能力を持つ個体……」

 ルミエルが一歩退き、すでに詠唱の構えに入っていた。

「ようやく姿を現したか……」

 リュークは腰の装具にそっと手を添える。
 通路を進む中で、ずっとまとわりついていたあの異常な湿度――
 その正体が、ついに姿を見せたのだ。

 今のリュークは、もはや視えるだけの観測者ではない。
 罠を読み、行動し、知識と視覚の融合で突破してきた。

「もう、“見えないまま”戦うんじゃない……」

 手の内にある武器に、静かに力がこもる。

「今度こそ、“観測して、倒す”――それが、俺のやり方だ」


 次回:硫黄反応と結晶、連動罠の只中で
 予告:封圧×化学反応×風結界で“湿性霧体”を観測封殺へ。
 だが霧は結晶の刃と連動罠で反撃——理論と勘
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