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血霧

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 あまりにもつまらない
 標的の命を奪って金を貰い、生計を立てる
 秘密を持つよりも、秘密にする相手を作らない方が確実にバレない
 だから彼女は一匹狼だった
 どこの組織にも所属せずフリーで、殺し道具、標的の情報収集、潜入経路も全て一人で確保する
 たった独りで、こなした仕事はもう数えきれない、つまりそれだけの、標的となった人間を殺していることになる
 薄暗い夜を街灯が煌々と照らす、この周辺は夜の店が多い
 黒いフードをしっかりと被り、片目を眼球が描かれた黒い布でおおった小柄な人物が、建物の三階辺りから下を見下ろす
「アイツか」
 視線の先には品の悪そうな男が、酒に酔ったであろう女性に肩を貸しながら歩いている
 その男と手元の資料を一度見比べ、服の内側から取り出した鋭利な刃物を、窓から投げ捨てる
 扉から部屋を出たのと同時に、外から悲鳴が聞こえ、建物の一階まで降りてくると端末で写真を撮る、先ほど刃物は男の脳天に突き刺さっていた
 この男は女性を酔わせては店に連れ込み、脅しに使える情報を聞き出しては、裏の仕事をさせていたのだ
 脅された挙げ句、その先の人生をめちゃくちゃにされた女性やその家族が、この男を恨まない訳がない
 そのためこの男、裏情報サイトで賞金がかけられていたのだ
 狙った標的は決して逃がさない、正体不明神出鬼没、最恐の殺し屋と裏社会で噂される彼女、白狼・血霧、男は今日の獲物であった
 大きな黒いパーカーを脱ぎ、顔に巻いた布を取ればずいぶんと印象が違ってくる
 ウェーブのかかった黒い髪には、赤いリボンが風に揺れ
 水色の瞳は、誰にも先ほどまで殺人を犯していた人間だとは悟らせないほど、平然としている
 華奢な体はどこに人を殺す力があるのか問いたくくなる程だ
 仕事を終えると、隠れ家から少し離れたところにある商店街に向かう、その一角には小さな生花店があり、通うのは日課だった
 生花店で売られている、花の香りがする香水が目当てだ
 これは特殊な香水で、吹き掛けると他の香りが消え、入浴すると香水の香りもしなくなる、つまり血の匂いを消すのには最適なのだ
 花屋でバイトとして働いている青年は、とても明るく人懐っこい、香水を作っているのは彼である
 名札には植花・香と書かれており、香水を買うといつもおまけで花を一輪袋にいれてくれる
 体格は小柄でも大柄でもなく平均と言えるが、はっきり男とわからるたくましい体型に、顔立ちも和やかな表情がなければ、どちらかと言うと強面だろう
 つまり見た目は男らしい、そんな彼にはあまり合わないような名前と、ほのかな花の香り
 初めてこの生花店に足を踏み入れたときにはかなり印象に残った
「あっ、下斗米さん!」
 下斗米・永久それが今使っている偽名だ、ボロがでないように人物としての設定もしっかり作成してある
「今日も遅くまで残業ですか、薬品関係って大変なんですね?」
「ええ、薬品の匂いは慣れても、あまりいい気分はしませんし、ここの香水は重宝しています、同僚からの評判もいいんです」
 薬品製造会社で働いているというのも、設定の一つだ、これなら頻繁に香水を買いに来るのが、薬の匂いを消すためだと認識させられる
 彼のギフトは花弁香、自身の体から生える生花の花びらを液体に溶かすと、その花の香りがする香水が作れるというものだ
「いつかお金を貯めて、オリジナルの香水販売するショップを経営するのが夢なんです、生き別れた弟や幼馴染も、応援してくれていたので、頑張りたいです」
「ショップの経営者ですか…」
 今日はネメシアとラベンダー、二つの香水を購入した
「またのお越しをお待ちしています!」
 いつものように笑顔で見送る香にたいし、控えめな会釈で返した
 血霧は香に対し、素直に応援することができなかった
「植花・香、どこまで逃げ切れるかな」
 彼女が愛用している裏賞金サイトに、彼のことが載ってるのを知っているから
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