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二十五 結婚後七月 C
「それでは、どうもお世話になりました」
「…奥様」
クエッカは必要なものだけを詰めた鞄を抱いて、家令に深く挨拶をした。
当てこすりのつもりはないけれど、家令は渋い顔をしていた。
「もう奥様ではないですよ」
「離縁が成立するまでは、奥様ですから」
この状態でまだ復縁の可能性があると思っているのか。
クエッカはやや呆れた。
「…今この屋敷を出てどちらに戻られるのですか」
「そうですね…とりあえず生家、でしょうか」
家令はあからさまにホッとした顔をしている。
クエッカにとっては一番無い選択肢が生家なのだけれど、説明してやる義理はない。
「奥様、どうか今一度、旦那様と話し合いをされてから決断すべきでは…」
「話し合いはしましたよ。これ以上は互いに利益はないです」
家令は言うか言うまいか、逡巡した後、ついに言葉にした。
「…旦那様は奥様を愛していらっしゃいます」
「はい?」
何か聞き間違いですか?といった風のクエッカに、家令はなんとも言えない顔をする。
「旦那様が、望んで奥様と結婚したのだと聞かされていましたから」
「…執事さんは大変ですね。屋敷の事だけでなく、旦那様のフォローまでしなければならないなんて」
「いえ、そうではなくて」
上手く伝わらない、家令とクエッカには意思疎通に隔たりがあった。
「…今更ではあるのですが」
「…奥様?」
「私、芸術関係は壊滅的なのです。音痴というやつでして」
脈絡のない話しに家令は戸惑った。
「生家でも此処でも衣装を破かれるなんてことがままあったので、生活必須のために常に繕い物はしていました。趣味にまでそれをする気になれませんし、体質的に娯楽本は読まないようにしているのです」
家令は知らない事実を突きつけられ、自分が思っている以上にクエッカを見ていなかったと気付かされる。
しかし、クエッカには嫌がらせの行為は生家時代から日常で特に気にとめていない。
そんなわけで昔から信頼できるものが側に居なかった為、誰にも話したことはない。
クエッカには目にした物を記憶する固有スキルを持っていた。
それ故、読書の類は読むべき本は厳選せばねば、ずっと頭に残ってしまう。
どうしても、貴族夫人の好むような娯楽本は読む気にはなれない。
堅い法学書や知識書籍などは、旦那様…いや元夫の私室に多くあった。
なぜ知っているのかといえば、夫婦の部屋をつなぐ扉に鍵がなかったので、夜な夜な忍び込んで読んでいたのだ。
そこで『初夜義務』の法と『純潔証明』の存在を知り、これは離縁できそうだなと思った。
「だから、執事さんがよかれと勧めてくれた刺繍も読書も楽器も、手を付けなかったのです。蔑ろにしたつもりはなかったと…理由を説明しておくべきだったと反省しています」
「そうでしたか」
「それにこの屋敷の庭は素晴らしかったですから。良い時間を過ごせたと思います」
「気に入っていただけたのなら幸いです。…思えばいつもお一人でお世話されていましたね」
家令の言葉に、クエッカは曖昧に笑う。
「…此方の庭師は、」
「庭師?ええっとディゼル爺さんの事ですか?多分そこら辺にいるのではないですかね?まだ面識はありませんよね。お会いになりますか?」
「…いえ。大丈夫です。素敵なお庭でしたとお伝えください」
「わかりました」
クエッカは屋敷の門に向かって歩き始めた。
家令はそれをじっと見つめている。
しかしすぐに歩を止め、クエッカは家令を振り返った。
「貴方に感謝していることが一つあります」
家令は期待する顔をしているが、きっとそれには応えることはない。
「あの夜、あの方を引き入れてくれたおかげで離縁が円滑に進みました。ありがとうございます」
クエッカは自分の腹を撫でて伝える。
これは当てこすりだ。
これくらいの仕返しなら可愛いものだろう。
途端に泣き出しそうな顔をした家令を、今度こそ振り返ることなく、クエッカは七ヶ月住んだ屋敷を出ていったのだった。
「…奥様」
クエッカは必要なものだけを詰めた鞄を抱いて、家令に深く挨拶をした。
当てこすりのつもりはないけれど、家令は渋い顔をしていた。
「もう奥様ではないですよ」
「離縁が成立するまでは、奥様ですから」
この状態でまだ復縁の可能性があると思っているのか。
クエッカはやや呆れた。
「…今この屋敷を出てどちらに戻られるのですか」
「そうですね…とりあえず生家、でしょうか」
家令はあからさまにホッとした顔をしている。
クエッカにとっては一番無い選択肢が生家なのだけれど、説明してやる義理はない。
「奥様、どうか今一度、旦那様と話し合いをされてから決断すべきでは…」
「話し合いはしましたよ。これ以上は互いに利益はないです」
家令は言うか言うまいか、逡巡した後、ついに言葉にした。
「…旦那様は奥様を愛していらっしゃいます」
「はい?」
何か聞き間違いですか?といった風のクエッカに、家令はなんとも言えない顔をする。
「旦那様が、望んで奥様と結婚したのだと聞かされていましたから」
「…執事さんは大変ですね。屋敷の事だけでなく、旦那様のフォローまでしなければならないなんて」
「いえ、そうではなくて」
上手く伝わらない、家令とクエッカには意思疎通に隔たりがあった。
「…今更ではあるのですが」
「…奥様?」
「私、芸術関係は壊滅的なのです。音痴というやつでして」
脈絡のない話しに家令は戸惑った。
「生家でも此処でも衣装を破かれるなんてことがままあったので、生活必須のために常に繕い物はしていました。趣味にまでそれをする気になれませんし、体質的に娯楽本は読まないようにしているのです」
家令は知らない事実を突きつけられ、自分が思っている以上にクエッカを見ていなかったと気付かされる。
しかし、クエッカには嫌がらせの行為は生家時代から日常で特に気にとめていない。
そんなわけで昔から信頼できるものが側に居なかった為、誰にも話したことはない。
クエッカには目にした物を記憶する固有スキルを持っていた。
それ故、読書の類は読むべき本は厳選せばねば、ずっと頭に残ってしまう。
どうしても、貴族夫人の好むような娯楽本は読む気にはなれない。
堅い法学書や知識書籍などは、旦那様…いや元夫の私室に多くあった。
なぜ知っているのかといえば、夫婦の部屋をつなぐ扉に鍵がなかったので、夜な夜な忍び込んで読んでいたのだ。
そこで『初夜義務』の法と『純潔証明』の存在を知り、これは離縁できそうだなと思った。
「だから、執事さんがよかれと勧めてくれた刺繍も読書も楽器も、手を付けなかったのです。蔑ろにしたつもりはなかったと…理由を説明しておくべきだったと反省しています」
「そうでしたか」
「それにこの屋敷の庭は素晴らしかったですから。良い時間を過ごせたと思います」
「気に入っていただけたのなら幸いです。…思えばいつもお一人でお世話されていましたね」
家令の言葉に、クエッカは曖昧に笑う。
「…此方の庭師は、」
「庭師?ええっとディゼル爺さんの事ですか?多分そこら辺にいるのではないですかね?まだ面識はありませんよね。お会いになりますか?」
「…いえ。大丈夫です。素敵なお庭でしたとお伝えください」
「わかりました」
クエッカは屋敷の門に向かって歩き始めた。
家令はそれをじっと見つめている。
しかしすぐに歩を止め、クエッカは家令を振り返った。
「貴方に感謝していることが一つあります」
家令は期待する顔をしているが、きっとそれには応えることはない。
「あの夜、あの方を引き入れてくれたおかげで離縁が円滑に進みました。ありがとうございます」
クエッカは自分の腹を撫でて伝える。
これは当てこすりだ。
これくらいの仕返しなら可愛いものだろう。
途端に泣き出しそうな顔をした家令を、今度こそ振り返ることなく、クエッカは七ヶ月住んだ屋敷を出ていったのだった。
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