【完結】カエルレア探偵事務所《中》 〜アクビスの里〜

千鶴

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 潜入初日、夜。
 
 涼子は遥と同様、用意された部屋へと戻っていた。カメラや盗聴器の類はない。
 
「涼子さん、大丈夫っすか!?」
「ええ。なんとか持ち堪えたけど、頭が痛いわ。遥に言われた通り『人を殺したことがある』そう言った途端、美帆は目の色変えて……恐ろしかった」
 
 会話を続けながら、涼子はピアスを外すと鏡台に置く。
 
 遥の刑務所——もとい、小ぶりな部屋とは違い、涼子に用意された部屋は個室トイレや風呂洗面台、小さなキッチンまで着いたまるでホテルの一室のような場所だった。
 
「あの手の人間は共感性を持てる相手には優しくします。コントロールしやすいと認識するんです。でもそれも諸刃の剣。少しでも自分とすれ違ったら、好意は一気に敵意へと変わります」
 
 遥は辺りに人が居ないかを警戒しながら、ギシギシときしむ硬いベッドに横になって、小声で話す。
 涼子と美帆との会話を、遥は翔太から既に聞いていたのだ。
 
 通信機器は、本人の声は聞き取れても会話相手の声までは拾えない。翔太は今回ばかりは呪力を活用し、その超越した聴力で涼子と美帆の会話を感知していた。
 
「洸太さんのこと、彩美さんになんて言えばいいのかしら」
「そうですね。美帆があそこまで振り切ってるとは思いませんでした。まさか自分の弟まで」 
「俺、あんな人間の声聞いたことないっすよ。マジで下品」
「ていうか、ザラムは何者? かなめから転生したマウト?」
「いや、声を聞く限りそれはないし、なんなら別問題発生っす。美帆が言っていたアヌビス。あれが関わっているとしたら、マウトはおそらくこの日本を入れ替える気なんだと思います」
「日本を、入れ替える?」
 
 遥が言えば、翔太は順を追って話し出す。
 
「ずっと考えていたんです。マウトは永遠に転生し続けることで、一体何がしたいのかなって。初めは単純に死にたくない、それが願いだと思った。だけどそれにしてはやることが具体的で目的があるように思えた。じゃあそれはなんなのか。そこで出てきた、アヌビスです」
 
 涼子は化粧を落とすとソファに身を沈めた。
 
「あたしも調べたわよ。アヌビスってミイラ作りの神なのよね。死者の魂を冥界に送るっていう」
「その通りです。マウトが転生するのに必要なカエルレアの石は、死者の魂を冥界に送るために必要なものなんです。でもアヌビスの呪力があれば、石を使わずしてその儀式が行える。そしてもう一つ、アヌビスは死者の魂を人間に宿せるんです」
「それが日本を入れ替えるってことにどう繋がるの?」
 
 里のすぐ近くに車を停め、そこから通信機の電波を拾う翔太。彼もまた、辺りに人気ひとけがないことを確認すると運転席のリクライニングを倒した。

「日本の神がどういう理屈だかは分かりませんが、人類の仕組みは皆同じ。生まれた生命に魂と寿命を宿し、成長過程で行う様々な経験を冥界に持ち帰る。それがこの世の営み、ルールです。俺は生命を生み出し魂を宿す、そこまでが仕事。だから俺は、マウトを最優先に生み出す必要がありました。寿命を宿さなければならないからです。生まれてから八日の間に寿命を宿さなかった命は、冥界に帰ります」
 
 涼子はぎゅっと、瞬きをする。
 
「なんだか難しい話になってきたわ」
「要するに、マウトは俺の代わりを見つけたんです。オシリスは生命を生み出すだけの、意思のない神。そしてオシリスが生み出した生命に、アヌビスが死者の魂を宿す。ここにマウトが加われば、いびつでもちゃんとした生命体が完成します。マウトはこのアクビスの里に人を集め、三十六人を選出。そのうち二十八人の人間を器とし、魂をアヌビスに入れ替えさせ里から解放。残りの八人を、自分の転生のための生贄にしてるんです」
「なるほどね。解放したマウト製の人間が外で子孫を残せば、そのうち日本はマウトの生み出した人間であふれかえる。それが、日本の入れ替え」
 
 遥は自分で言っていて、どこか現実味のないこの話をまだ他人事のように感じていた。
 
「アヌビスが扱える死者の魂は、古代エジプトのもの。俺たち神への信仰も厚い。マウトはその魂を増やして支配者になるつもりです。アヌビスはオシリスとネフティスの間にできた子供。オシリスを取り込んだマウトに協力しても、なんら不思議じゃない」
 
 その時ふと、涼子が疑問を口にする。
 
「白井くんは、どう思うの?」
「え?」
「あたしたち人間にとって、マウトの行動は常軌を逸するものだと思う。結局、日本中をこのアクビスの里みたいにして支配しようとしてるってことだから。でも白井くんは? そうなっても、特に実害はないんじゃないの? どうしてあたしたち人間の味方になってくれるの?」
 
 涼子のその純粋な疑問に、翔太は微笑む。
 
「最初は浅はかな気持ちでした。人間になれば……沢山の人に囲まれれば、孤独じゃなくなるんじゃないかって」
 
 遥はベッドに、涼子はソファにそれぞれ横たわり、天井を見ながら翔太の話を聞く。
 
「だけど結局、人間として生きてみてもそれは変わらなかった。生きていれば孤独で悲しくて、理不尽なことに我慢して。ひょんなことで恨みを買い、石を投げ付けられたこともあった。俺、それが凄くおかしくって。だって神も人間も、たいした違いがなかったんすもん」
 
 そのことに気がついてから、翔太は考え方を変えた。
 
「自分が一番不幸、自分が一番苦しいんじゃない。俺が生み出した生命だからといって俺の思い通りにはいかないし、逆に予想だにしないところから幸せが訪れたりする。今ある幸せを、今この時に、今ある記憶で懸命に生き抜く。俺はそうやって生きると決めたんです」
 
 ——沈黙。
 
「ごめんなさい。白井くんにこんな質問、愚問だったわ。おやすみ」
 
 涼子はイヤホンを鏡台に置くと、ベッドに向かう。
 
「翔太のくせに。まともなこと言い過ぎ。じゃあね」 
 
 涼子に続いて遥が言えば、翔太はその若干のディスりにツッコミを入れて笑った。
 
「俺は支配するのもされるのも、ごめんですから」
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