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【第1部】転落編

決断

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逼迫ひっぱくした状況だとお見受けしました。ですから私はメッセージをお送りしたのです。まあ、無視をされてしまいましたが」
 
 芹はミルクのたっぷり入ったカップに口をつける。店内のアラビアンなBGMが、海里の脳内で速度を上げた。
 
「これはもうお会いするのが一番早い。野中様が先ほどの競馬場で最終レースに賭けようとしていらっしゃることは把握済みでしたので、会場でお待ちしていた次第です」
 
 カチャン、とカップをソーサーに置くと、芹はテーブルの上で両掌を組み、ズイっと身を乗り出す。
 
「さて、質問にはお答えしました。次は私の番です。あなたの人生、私に買い取らせては頂けませんか?」
「あの、それは具体的にはどういう……人生を買い取るというのはその、つまるところ人身売買や臓器売買なんかの——」
「いやいやいやいや、そんな恐ろしいことしないよ。怖いなあ、海里くんは」
 
 け反りながら否定する芹。急なキャラの変わりように海里が面食らっていると、その表情に気づいたのか、芹はひとつ咳払いをしてテンションを元に戻す。
 
「人生。と言っても当然、全てではありません。あなたがこれから生きるであろう未来の日にちを、ほんの少しだけ頂きたいのです。仮に5日間で契約が成立するとします。そのかん野中様には私が指定した場所で過ごしてもらい、時間が来たらお帰り頂く。それでしまいです。あなたはその5日後からまた、あなたの人生を今まで通りに歩んで頂けます」
「それだけ? たったそれだけですか? 因みに5日間で契約したら、いくらもらえるんですか?」
「そうですね。1000万円でいかがでしょうか」
「いっ?!!」
 
 桁外れの金額に、海里はまばたききを増やす。
 
「ただし。文字通りあなたの人生から、その5日間は跡形もなく消え去ります。その5日間で起きたことは他言厳禁。その後の人生でその5日間を重要に思うことがあっても、取り戻すことは叶わない。これは絶対のルールです」
 
 海里は意味がわからなかった。人生のうちのたった5日間に、一体どれほどの価値があるというのか。ましてや今の海里は借金、無職、一文なし。更には自宅で人が死んでいるという爆弾を抱えている。選択の余地なんてない、答えは一択だ。
 
「売ります。僕の5日……いや、10日! そしたら金額は倍の2000万円ですよね?」
 
 海里の申し出に、芹は申し訳なさそうな苦笑を浮かべて顳顬こめかみを掻いた。
 
「人生の価値は変動します。年齢や状況、立場や境遇などを加味し、人それぞれ、その都度適正な価値を提示させて頂いております。うーん、そうですね。野中様の場合ですと、10日なら1500万円といったところでしょうか」
「1500万……」
 
(借金は480万円。いや。今も利子が膨らみ、もっと高額になっているはず。借金を返して、欲を言えば新たな就職先を見つけるまでの預金が欲しい)
 
 海里は瞬時に、頭の中でそろばんを弾いた。
 
「1ヶ月。俺の人生、1ヶ月で幾らになりますか」
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