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CASE:4

ササキ

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 パソコンを前に、更新ボタンをクリックし続ける千聖ちひろ
 
「あれ、嘘、なんで」
 
 何かの間違いだ。データの表示ミスに違いない。そう願いを込めて、人差し指を何度もマウスに押し込めるも、画面の内容は変わらなかった。

 羅列する英字の下の四角い枠内。そこには、昨日まで50万ドル余りの残高が表示されていたはず。

 千聖は施したての長いジェルネイルに傷がつかないよう、器用にスマートフォンを操作して電話をかけた。
 
「もしもし」
 
 電話口の美咲の声があまりに冷たいせいで、千聖は一瞬かける相手を間違えたかと錯覚する。
 
「ちょっと。残高のあれ、どういうこと? なに勝手にお金引き出してんのよ」
「マズかったです? 今ちょっと忙しいんですけど」
 
 千聖が耳を澄ませば、美咲の声の背後には聞き覚えのあるアナウンス。
 
「あんた今、空港にいるの?」
「ええ」
「仕事は?」
「辞めたわ」
 
 千聖は瞬きを速めた。
 
「裏切るの? このまま姿を消すなら、あたし何もかもぶちまける。言ったでしょう? あたしのパパは検事なの。あたしの血液が付着したあんたのハサミだって証拠に持ってる。庵野美容外科クリニックに今までの脅迫相手があんただってタレ込めば——」
「それはやめた方がいいわ。父は身内の不祥事を全力で揉み消す。もっとも、身内以外の処遇がどうなろうと知ったことではないわね。最悪、あなたに火の粉が飛ぶとも限らない。あなたのお父様と対等、いやそれ以上に優秀な弁護士を用意するはずよ」
 
 千聖は理解が追いつかなかった。
 
(父? 身内? こいつ、一体なんの話をしているの?)
 
 黙り込む千聖に、美咲は更に続けた。
 
「私ね、ずっとうんざりしていたの。クリニックは優秀な姉が既に継ぐことが決まっていて、私はいっつも爪弾き者。なにもかも二番煎じ。医者になる頭も無ければお金もかけてもらえなくて、惰性で看護師になったのよ。父に適当にあてがわれた男と結婚して、ついには妊娠。この先の未来がほぼ確定して安心した反面、窮屈な毎日にため息ばかりついていた。夫は他の女に夢中だったしね」
「な、なんの話?」
「聞いて。あなたには感謝してる。あの日、あなたが待合室を抜け出してVIPルームへと向かう背中を見て私、胸が疼いた。あの部屋にある死体とあなたが対面して、クリニックの医療ミスが明るみに出て、転がり落ちるように何もかも失う父と姉を想像したら、頬が緩んだの。でもあなたはそれ以上のことを成し遂げようと私に言ったわ。脱税の証拠を元に、クリニックから金を強請ゆすり取ろうって」
 
 千聖の脳内にかぶさったもやが、徐々に消えていく。
 
「お腹まで刺して本当、あなたのニヤついた顔、最高だった。こちらまで顔が綻びそうになるのを抑えるのに必死だったわ。あなたに脅されて仕方なく従う自分を演出しながら、父や姉があたふた狼狽える姿を見るのは最高にスカッとした。だからあなたの整形費用、ずいぶんと賄ってあげたでしょう? あれはお礼よ。返さなくていいわ」
「あんた、まさか」
 
 
 If you have a seat number from 80 to 85, please proceed to the boarding gate.、
 
 
「残念だけど時間ね。それからひとつ忠告。あなた、やりすぎよ。カルテ見たけど、このままじゃ痛み止め無くしては生きられない一生になる。あ、もうなってるか。とにかく、大概になさいね。それじゃあ」
「ちょっと、待ってよ!」

 美咲は最後に、細く長い息をゆっくり吐いてから、小さく笑った。

「さようなら。これでようやく、解放される」
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