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第五章 フィオレンツァは王宮に舞い戻る。そして…
12 退位の宣言
しおりを挟む宰相がダン・テッドメイン侯爵からスピネット卿に急遽変わるという事態から、二ヵ月が経とうとしていた。
公には宰相の怪我は不慮の事故ということになっているが、ユージーン王太子が彼の屋敷の使用人に無体を働き、それを止めるために負った傷らしいということは、特に高位貴族の間では周知の事実となっていた。その後、ダン・テッドメインは意識を取り戻したものの宰相職に戻るのは不可能として、辞職と隠居を宣言している。
また事件を境に王太子夫妻の姿が王宮から消え、夫婦ともにほとぼりが冷めるまで幽閉されているのではと専らの噂だった。
王命により、伯爵以上の貴族が集められたのは初夏のことだった。
強制ではなく、領地から離れられない事情がある場合は不参加でも構わないとのことだったが、国内のほとんどの高位貴族が王宮に集まった。彼らが通されたのは西館ではなく、本館のホールだ。昼間なので夜会のように浮ついた雰囲気ではなかったが、おしゃべりな貴族たちは呼び出された理由をあれこれ推測して囀った。
「ユージーン王太子は廃嫡確定らしい」
「あら、私はほとぼりがさめるまで幽閉するだけだと聞いたわ。その間に子作りに専念させるとも…」
「知っているか?留学という名目でバザロヴァ王国の公女が王宮に来ているが、どうやら王太子妃にするために呼ばれたようだぞ」
「王太子妃って、どちらの?ユージーン様?それとも…もしや、アレクシス様?」
「その場合、アレクシス様の正妻のフィオレンツァ夫人はどうなるのだ?」
「…まあ、大した後ろ盾もないし、女児しかいないから側妃で落ち着くのでは?」
「いやいや…聞いた話だと、フィオレンツァ夫人は秘密裏に始末されたようだぞ」
「なんだと!?」
「まあ、なんて恐ろしい…。でもあの王妃様ならばやりかねないわ」
「でも大丈夫だろうか、二代続けてバザロヴァ出身の王妃が立つなんて…。情勢は今の王妃様の時とは違んだぞ」
「全くだ。ルーズヴェルト王国がバザロヴァの属国のような扱いになるんじゃないのか」
やがて王族の到着を告げるラッパが鳴り響いた。
参加者たちは全員膝をつく。
「…全員、表を上げよ」
ガドフリー国王の言葉に従って顔を上げた貴族たちは、はてと首を傾げた。玉座には国王ひとりしかおらず、王妃のグラフィーラの姿がなかったからだ。王妃が欠席ならば、その旨は事前に伝えられるはずだ。
皆が不振がる中、従者に渡された書類を読みながら国王はゆっくりと話し始めた。
「まずは急な呼び出しにも関わらず、集まってくれたことに感謝する。王位に関する大事な宣言ゆえ、まずは国内の伯爵位以上の貴族に集まってもらった。…余、ガドフリー・ルーズヴェルトは一年以内に退位する旨を宣言する」
国王の言葉の最中にもかかわらず、一瞬ざわっと空気が揺らいだ。
それでも国王は淡々と続ける。
「余は重い病にかかり、今後国王としての職務を行うことに疑問がある。離宮に移り静養に努めたいという意向を、議会にはすでに通達済みである。そして…後継者に関してだが、王太子のユージーンではなく、現在オルティス公爵位を得ている三男アレクシスを王籍に戻し、これを指名したい。知っている者もいると思うが、王太子ユージーンは王族の信用を失う事件を起こしたため、廃嫡を決定した。対してアレクシスは品行方正で、領地をよく治める能力があり、次期国王として申し分ない。皆には若いアレクシスを支え、ルーズヴェルト王国がより良くなるよう盛り立ててほしい」
ホール内は騒然とした。
ユージーンの廃太子とアレクシスの立太子は噂に上っていたが、国王の突然の退位は誰も予測していなかった。そしてグラフィーラ王妃の不在…これらは何を意味するのだろう。
皆が固唾を呑んで成り行きを見守る。
…そして、その時が訪れた。
「オルティス公爵と、公爵夫人のおなりです」
現れたのはアレクシス。
そして彼がエスコートしているのは、穏やかな笑みを浮かべたフィオレンツァだった。
一部の者は安堵の表情を浮かべ、年頃の娘を持つ者たちは肩を落とした。
やがてアレクシスとフィオレンツァは壇上に上がり、玉座より一段低い場所に立つ。それだけで、アレクシスだけでなくフィオレンツァも後継者として国王と議会に認められていることが知れた。
皆がどよめく中、アレクシスは良く通る声で話し始めた。
「皆に知っておいてほしいことがある。…先ほど国王陛下が宣言された通り、私が立太子することとなった。このことは一ヵ月ほど前から秘密裏に決まって進められていたことだ。ところがこれを機に自らの一族の者を次期王妃にしようと画策する一団が、私の妻の命を狙うという事件を王宮内で起こした」
どよめきが強くなる。それはフィオレンツァの命が狙われていたという宣言のためだけではなかった。
アレクシスが一息つくと同時に、目立つ黒服の男にエスコートされて一人の令嬢が現れたからだ。男と対になるような朱色のドレスに身を包んだ令嬢の髪色は、グラフィーラ王妃と同じピンクブロンドだ。勘のいい者たちは、すぐに彼女の正体を察知した。
「イリーナ・ナジェイン公爵令嬢…こちらへ」
話題の人物の一人だった、グラフィーラ王妃が呼び寄せた王太子妃候補。しかし呼ばれた彼女は壇上には上がらず、従者と共にアレクシスたちの前で膝を折った。
「国王陛下、並びにオルティス公爵様、公爵夫人にご挨拶申し上げます。イリーナ・ナジェインでございます」
「…楽にせよ」
イリーナが顔を上げると、アレクシスが再び口を開いた。
「イリーナ公女は隣国の王太子の婚約者候補の一人で、一ヵ月前からこの国に留学されていた。そんな時に妻が狙われる事件が起き、居合わせたイリーナ公女は素早く妻と子供たちを保護し、不届き者の排除に協力してくれたのだ。いま愛する妻が私の隣に立っていられるのは、イリーナ公女のおかげだ。この場で彼女の勇気と知性を讃えたい。これからもバザロヴァ王国との関係は良好なものになるだろう」
アレクシスの言葉が終わるとともに、一斉に拍手が沸き起こる。
真実を知る者たちにとっては完全な三門芝居だが、イリーナは完璧な笑顔で拍手に答え、美しいカーテシーを披露するのだった。
「いやー!さすがアレクシス様!太っ腹!!これで堂々とバザロヴァに戻れますわ」
イリーナ公女は示された証文を確認してほくほく顔だった。
そこに示されていたのは今回の彼女の功績に対する、ルーズヴェルト王国からの報酬だ。
バザロヴァ王国と隣接する一部の地域を、そのままイリーナ公女のものとして割譲するという内容だった。そこはルビー鉱山が含まれており、太っ腹と言われてもおかしくないものだ。
「でもよろしいのですか?この土地だけでかなりの税収になるでしょう?」
ルスランの質問に、アレクシスは首を振った。
「その分警備も厳重にしなければならず、王都から遠いので維持が難しかったのです。それにバザロヴァだけでなく他の国とも隣接している辺境ですからね。いっそ手放してしまおうと」
この案を考えたのはアレクシスだ。王子である時から、この辺境地を手放した方がいいのではないかと思っていた。
辛うじて収益は出しているが、小競り合いも頻繁に起きて死傷者が毎年出ている。僅かな収益のために人命が損なわれる状況を憂いていた。
そして今回、イリーナ公女への報酬として割譲する案を出したのだ。
バザロヴァ王国は今回イリーナ公女を送り込んで、ルーズヴェルト王国を後々の属国にしようと目論んだ。しかし目論見は失敗し、このままではイリーナ公女の立場は危うい。しかもグラフィーラが幽閉されるという結果になった以上、下手をすれば裏切り者の烙印を押され、罪に問われてしまうだろう。
そこでアレクシスはスカーレットたちと一計を案じ、真偽を織り交ぜた別のストーリーを作り上げた。イリーナ公女は祖国の命令通りアレクシスの妻になるべくルーズヴェルト王国に乗り込んだが、グラフィーラ側には内通者がいて、その計画は反国王派には筒抜けだった。到着してからそのことに気づいたイリーナ公女は、戦争を回避するために反国王派に協力を申し出た…というものだ。
バザロヴァ王国もルーズヴェルト王国だけでないいくつかの国との摩擦を抱えており、戦争は避けたいというのが本音だった。
それに仮にグラフィーラの計画が上手く言ったとして、それが実を結ぶのは数年、数十年先のことだ。だというのに、イリーナ公女は一ヵ月ほどでお宝を抱えた領地を土産に持って帰って来れば、しばらくはルーズヴェルト王国と事を構えようとしないだろう。バザロヴァ国王とグラフィーラの兄妹としての関係も薄く、ルビー鉱山を含む領地とは天秤にかけるべくもなかった。
「でも本気なんですか?この国に亡命するつもりだというのは」
「ご心配なく。姿を消すのはバザロヴァに戻ってからです。そちらにご迷惑はかけませんわ」
「…そういうことを言っているわけでは。…でもどうやって姿を消すのかは聞かない方がいいみたいですね」
イリーナ公女はにっこりと笑い、ルスランは困った顔をしながら肩をすくめた。
数か月後、祖国に戻ったイリーナ・ナジェイン公爵令嬢が自領で野盗に襲われ、馬車ごと姿を消したというニュースが二つの国を駆け巡ることになる。
さらに二年後、ルーズヴェルト王国で没落寸前だったとある子爵領が遠縁から養子を迎え、領地をあっという間に立て直した。新たな子爵の傍らにはバザロヴァ王国の商家出身だという、ピンクブロンドの妻が寄り添っていたらしい。
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