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デュークレットソース
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注文を終えると、ツバキはうーんと体を伸ばした。
「やっっっっっと抜け出せた。本当に、本当に、本当に久しぶりの自由」
ツバキは学園を卒業してから皇妹として粛々と公務をこなしていた。
ジェラルドに見合いをさせると脅されては従うしかない。いつかはと覚悟しているが今ではない。
「帝都を出てしまえばバレないわよね。今日は音楽を聴いているだけだし」
「……」
無言のままのトキツ。
彼の雇用主はツバキではなくジェラルドなので報告義務がある。
雰囲気から危険を察知したツバキはトキツの右手を両手で握った。
「私、頑張ったの。自分で言うのもなんだけど、珍しく、本当に、真面目に、お仕事頑張ったの。今日一日自由にさせてくれたら、明日からまた皇女に戻るから。お願い」
「う……」
上目遣いでウルウルした瞳を向けられて心を射抜かれる。
「わかったよ。言わない」
「忠誠心ねーなー」
ギジーの突っ込みを肘で小突くトキツ。
そういえばツバキと手を握ったのに何もされないと訝しみ隣を見ると、カオウは机に肘をついてうつらうつらしていた。
ツバキはカオウの顔を下から覗き込む。
「カオウ、どうしたの? 疲れたの?」
「んー。座ったら眠くなってきただけ。飯がきたら起こして」
ツバキはわかったと言いながらもどこか不満気だ。少し声を落としてトキツに愚痴る。
「カオウったら、最近いつも眠そうなのよね」
「そうか? 俺といる時は元気だけど」
それを聞いて、ツバキは恨めしそうに相手を睨む。
「私が公務に勤しんでいる間、みんなで遊んでるそうじゃない。随分仲良くなったのね」
「武術の稽古をしてるだけだよ」
「それで疲れてるのかしら。せっかく私の授印だって公表できたのに、全然一緒にいられない」
授印も参加する公務もあるのだが、自分がよくさぼっていた手前、カオウに出てほしいとは言えなかった。
「いいなあ」
「ツバキちゃんも稽古したいの?」
「じゃなくて。学園を卒業したら久々にチハヤさんのところで働こうと思ってたの」
「ま、またそんなこと考えていたのか!?」
「だって活気があって楽しいんだもの。もちろんカオウは働かずにお客さんの話し相手になってただけだけど。常連さんたちとわいわい楽しかったなあ」
遠い目をして微笑むツバキ。
「見合いするから一ヶ月ほど休みたいと交渉してみようかしら。会うだけ会って、断ればいいもの」
「そ、それは……」
トキツは口元を引くつかせた。
そんなことをしたら、隣で寝ているやつが暴れるかもしれない。
やめた方がいいと言おうとしたとき、注文していた料理が運ばれてきた。
匂いでわかったのか、カオウがむくりと起き上がる。
「お待たせしました。ラズランスとほうれん草のクリームパスタと」
ツバキの前に置く。
「ゴルファとマイタケのパスタと」
トキツの前に置く。
「デュークレットソースバックです」
カオウとギジーの前に置く。
「………」
数秒沈黙が流れる。
「何、これ」
ツバキが大きく目を見開いた。他の三人も呆気に取られている。
蟹や海老などの魚介類とこぶし大くらいの野菜が、赤いソースまみれになって大皿に山盛りになっていた。スパイシーな香りが食欲をそそるのだが、魚介類は殻付きでどうやって食べるのかわからない。
「手づかみで食べるって書いてあったから……選んだんだけど……」
ギジーが顔をこわばらせながらつぶやく。フォークを扱い慣れていないから選んだようだ。
「このソースまみれなのを手で? ……私は殻剥かないからね」
ギジーとカオウは助けを乞うような上目遣いをツバキへ向けたがはねのけられた。
どうしよう、と顔を見合わせていると。
「あんたら、これ初めて?」
隣の席にいた男が声をかけてきた。
真っ赤な髪の大柄な男。勝気で自信に満ち溢れた相貌は、周囲の人を惹きつける雰囲気があった。
「食べ方教えようか?」
そう言いながらギジーとカオウの間に椅子を持ってきてどかりと座り、慣れた手つきで殻を剥く。
「ここをこうすれば簡単に剥ける。あ、そこはこうやって指を入れて……そうそう」
教えながら、ちゃっかり自分も食べていく。
「腹減ってるのに知り合いがなかなか来なくてさー」と聞いてもいない事情を話してきた。
カオウは呆れたものの、ツバキが何も言わないのでまあいいかと食べ始める。
「うまいこれ!! 辛いけどやみつきになる」
「だろう? これはデュークレットっていうケデウムで親しまれているスパイスを加えてるんだ。この野菜もケデウム産だ。甘くてうまいだろ」
うまいうまいと手づかみでどんどん食べていくたび、机の上に赤いソースが跳ねていく。
ツバキはなんとも言えない表情でそれを眺めていた。
やがて満足した男はソースにまみれた口と手をおしぼりで拭いた。
「観光で来たのか?」
「まぁ、そんなところ」
「どこから?」
「帝都からよ。あなたはここの人?」
「まぁ、そんなとこ。どう? ケデウムは」
「とっても素敵ね。キレイだしおしゃれだし、観るところがたくさんある」
歴史的な建造物や美術館、荘厳な時計台、広大なラベンダー畑などなど。
最近人気なのは別名恋人の聖地と呼ばれる泉らしい。二人の名前を書いた特殊な紙を泉に浮かべて一分以内に溶けたら二人は永遠に結ばれるという言い伝えがあるという。恋人がいないツバキも興味はあった。
「おい、転化が解けてきてるぜ」
男の指摘に全員ギグりとなりギジーに視線が集まる。必死になって蟹の殻を剥いていたギジーの手が獣のそれになっていた。
「……やべーぞトキツ、バレちまった」
ギジーは殻を落として真っ青になり男の顔色を伺う。
すると男は今さらだ、と苦笑いを浮かべた。
「さすがにこんな至近距離にいたら気づく。御馳走になったし店員には言わないから安心しな」
「お前いいやつだな」
ギジーはまた殻剥きを再開しようとして、殻ごと食べちゃえばいいんじゃ、と口に放り入れた。バリバリと音が聞こえる。
「ケデウムは帝都と比べたら授印が少ないだろ」
「そうねえ、人型になってる訳じゃないのよね?」
「違うな。授印を持たなくなってきてるんだ。それどころか魔力のない人が増えてるしな」
「そうなの?」
「モルビシィアは貴族の街だからそんなやつはいないが、レイシィアには多少なりともいる。だから街を歩くときは、ぶつからないように気を付けたほうがいい」
魔力がまったくないと魔物は見えない。
ギジーはトキツの仕事柄人目を避けて移動することに慣れているので問題はないが、カオウは気をつけなければならないだろう。
「……これからもっと増える。いつまでも魔力にこだわってるのは皇族貴族だけさ」
「え?」
男の言葉に引っ掛かりを感じたとき。
バン!
という破裂音がした。
振り返ると店員が倒れていた。脇腹から血が。
近くにいた女性客が悲鳴をあげる。
「動くな! 動いたら殺すぞ!」
何か黒い物体を持った男が叫ぶ。仲間と思われる男が同じ物を持って店の入り口をふさいでいた。
「金目の物を全部出せ!」
どうやら銃を持った強盗が現れたらしい。
「やっっっっっと抜け出せた。本当に、本当に、本当に久しぶりの自由」
ツバキは学園を卒業してから皇妹として粛々と公務をこなしていた。
ジェラルドに見合いをさせると脅されては従うしかない。いつかはと覚悟しているが今ではない。
「帝都を出てしまえばバレないわよね。今日は音楽を聴いているだけだし」
「……」
無言のままのトキツ。
彼の雇用主はツバキではなくジェラルドなので報告義務がある。
雰囲気から危険を察知したツバキはトキツの右手を両手で握った。
「私、頑張ったの。自分で言うのもなんだけど、珍しく、本当に、真面目に、お仕事頑張ったの。今日一日自由にさせてくれたら、明日からまた皇女に戻るから。お願い」
「う……」
上目遣いでウルウルした瞳を向けられて心を射抜かれる。
「わかったよ。言わない」
「忠誠心ねーなー」
ギジーの突っ込みを肘で小突くトキツ。
そういえばツバキと手を握ったのに何もされないと訝しみ隣を見ると、カオウは机に肘をついてうつらうつらしていた。
ツバキはカオウの顔を下から覗き込む。
「カオウ、どうしたの? 疲れたの?」
「んー。座ったら眠くなってきただけ。飯がきたら起こして」
ツバキはわかったと言いながらもどこか不満気だ。少し声を落としてトキツに愚痴る。
「カオウったら、最近いつも眠そうなのよね」
「そうか? 俺といる時は元気だけど」
それを聞いて、ツバキは恨めしそうに相手を睨む。
「私が公務に勤しんでいる間、みんなで遊んでるそうじゃない。随分仲良くなったのね」
「武術の稽古をしてるだけだよ」
「それで疲れてるのかしら。せっかく私の授印だって公表できたのに、全然一緒にいられない」
授印も参加する公務もあるのだが、自分がよくさぼっていた手前、カオウに出てほしいとは言えなかった。
「いいなあ」
「ツバキちゃんも稽古したいの?」
「じゃなくて。学園を卒業したら久々にチハヤさんのところで働こうと思ってたの」
「ま、またそんなこと考えていたのか!?」
「だって活気があって楽しいんだもの。もちろんカオウは働かずにお客さんの話し相手になってただけだけど。常連さんたちとわいわい楽しかったなあ」
遠い目をして微笑むツバキ。
「見合いするから一ヶ月ほど休みたいと交渉してみようかしら。会うだけ会って、断ればいいもの」
「そ、それは……」
トキツは口元を引くつかせた。
そんなことをしたら、隣で寝ているやつが暴れるかもしれない。
やめた方がいいと言おうとしたとき、注文していた料理が運ばれてきた。
匂いでわかったのか、カオウがむくりと起き上がる。
「お待たせしました。ラズランスとほうれん草のクリームパスタと」
ツバキの前に置く。
「ゴルファとマイタケのパスタと」
トキツの前に置く。
「デュークレットソースバックです」
カオウとギジーの前に置く。
「………」
数秒沈黙が流れる。
「何、これ」
ツバキが大きく目を見開いた。他の三人も呆気に取られている。
蟹や海老などの魚介類とこぶし大くらいの野菜が、赤いソースまみれになって大皿に山盛りになっていた。スパイシーな香りが食欲をそそるのだが、魚介類は殻付きでどうやって食べるのかわからない。
「手づかみで食べるって書いてあったから……選んだんだけど……」
ギジーが顔をこわばらせながらつぶやく。フォークを扱い慣れていないから選んだようだ。
「このソースまみれなのを手で? ……私は殻剥かないからね」
ギジーとカオウは助けを乞うような上目遣いをツバキへ向けたがはねのけられた。
どうしよう、と顔を見合わせていると。
「あんたら、これ初めて?」
隣の席にいた男が声をかけてきた。
真っ赤な髪の大柄な男。勝気で自信に満ち溢れた相貌は、周囲の人を惹きつける雰囲気があった。
「食べ方教えようか?」
そう言いながらギジーとカオウの間に椅子を持ってきてどかりと座り、慣れた手つきで殻を剥く。
「ここをこうすれば簡単に剥ける。あ、そこはこうやって指を入れて……そうそう」
教えながら、ちゃっかり自分も食べていく。
「腹減ってるのに知り合いがなかなか来なくてさー」と聞いてもいない事情を話してきた。
カオウは呆れたものの、ツバキが何も言わないのでまあいいかと食べ始める。
「うまいこれ!! 辛いけどやみつきになる」
「だろう? これはデュークレットっていうケデウムで親しまれているスパイスを加えてるんだ。この野菜もケデウム産だ。甘くてうまいだろ」
うまいうまいと手づかみでどんどん食べていくたび、机の上に赤いソースが跳ねていく。
ツバキはなんとも言えない表情でそれを眺めていた。
やがて満足した男はソースにまみれた口と手をおしぼりで拭いた。
「観光で来たのか?」
「まぁ、そんなところ」
「どこから?」
「帝都からよ。あなたはここの人?」
「まぁ、そんなとこ。どう? ケデウムは」
「とっても素敵ね。キレイだしおしゃれだし、観るところがたくさんある」
歴史的な建造物や美術館、荘厳な時計台、広大なラベンダー畑などなど。
最近人気なのは別名恋人の聖地と呼ばれる泉らしい。二人の名前を書いた特殊な紙を泉に浮かべて一分以内に溶けたら二人は永遠に結ばれるという言い伝えがあるという。恋人がいないツバキも興味はあった。
「おい、転化が解けてきてるぜ」
男の指摘に全員ギグりとなりギジーに視線が集まる。必死になって蟹の殻を剥いていたギジーの手が獣のそれになっていた。
「……やべーぞトキツ、バレちまった」
ギジーは殻を落として真っ青になり男の顔色を伺う。
すると男は今さらだ、と苦笑いを浮かべた。
「さすがにこんな至近距離にいたら気づく。御馳走になったし店員には言わないから安心しな」
「お前いいやつだな」
ギジーはまた殻剥きを再開しようとして、殻ごと食べちゃえばいいんじゃ、と口に放り入れた。バリバリと音が聞こえる。
「ケデウムは帝都と比べたら授印が少ないだろ」
「そうねえ、人型になってる訳じゃないのよね?」
「違うな。授印を持たなくなってきてるんだ。それどころか魔力のない人が増えてるしな」
「そうなの?」
「モルビシィアは貴族の街だからそんなやつはいないが、レイシィアには多少なりともいる。だから街を歩くときは、ぶつからないように気を付けたほうがいい」
魔力がまったくないと魔物は見えない。
ギジーはトキツの仕事柄人目を避けて移動することに慣れているので問題はないが、カオウは気をつけなければならないだろう。
「……これからもっと増える。いつまでも魔力にこだわってるのは皇族貴族だけさ」
「え?」
男の言葉に引っ掛かりを感じたとき。
バン!
という破裂音がした。
振り返ると店員が倒れていた。脇腹から血が。
近くにいた女性客が悲鳴をあげる。
「動くな! 動いたら殺すぞ!」
何か黒い物体を持った男が叫ぶ。仲間と思われる男が同じ物を持って店の入り口をふさいでいた。
「金目の物を全部出せ!」
どうやら銃を持った強盗が現れたらしい。
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