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ヒエラの夜
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夜店が隙間なく並んだ通りは明かりが煌々と輝き、昼間と変わらない陽気さで観光客を眠らせない。酒が入る分、より騒々しいくらいだ。
トキツは地酒を片手に夜台で買った串刺しの肉を食べながら、一人のんびり歩いていた。
宿泊している屋敷の貴族から夕食の歓待を受けた後、ツバキとカオウは部屋へ戻り、ギジーも別室ですでに寝ている。
本当は武器屋をじっくり見たかったが、あいにくこんな物騒な時間にやっている店はなかった。
仕方なく変わった小道具でもないかと目を走らせる。
すると服のポケットに入っていた白い綿のような魔物がトキツの肩へ登って来た。
『トキツさん、トキツさん』
普段キュイキュイ鳴いているだけの綿伝という魔物が言葉を発した。
『サクラです!』
ツバキの侍女の名だ。
仲間内で意識が繋がっているこの魔物を介せば、遠くにいる人とも会話ができる。印を結んでいなくても使え、ジェラルドからもらったこの綿はツバキとサクラが持っている綿に繋がるらしい。
これをもらってから、ツバキたちが城を出るときサクラが教えてくれるようになった。
以前はいつ城からいなくなるか気にしていなければならなかったので、大分助かっている。
『大変です! カオウがツバキ様を連れて消えてしまいました!』
「ちょうど外にいるから探してみるよ」
慌てた声のサクラとは対照的に、トキツは至って冷静に返事をする。そして能力でどこにいるか探る……はずが、今回は違った。
「さて。どこで時間を潰そうか」
トキツは食べ終わった串を近くのゴミ箱へ投げ入れ、ふと目についた店の品を手に取った。
「うわあ、とっても綺麗!」
ツバキが見下ろしているのは、ヒエラの街の夜景。建物や夜店から漏れる明かりが一直線にきらめいており、昼間とは違う美しさに魅了される。
「でも、もう少し落ち着いた場所で見られたら嬉しいのだけど」
ツバキは空に浮かんでいた。カオウに肩に担がれて。
「どうしていつもこの体勢なの」
「だってこっちのが運びやすいから」
「でも、この体勢でこの高さはさすがに怖い」
すでに地面は遥か下。それを片手一本で抱えられ、頭が下の状態で見ている。カオウが手を離したら、真っ逆さまに落ちて、即死。
「うるさいなあ。こうすればいい?」
カオウは両手でツバキの体を起こそうとした。
しかし、体勢が崩れる。
「きゃあ!」
体が一瞬宙に浮き、ツバキは必死になってカオウに抱き着くように掴まった。顎をカオウの肩に乗せ、恐怖でバクバクする心臓を静める。
「…………」
抱き着かれたカオウは、両手でツバキを抱き締めた。
季節は初夏。心地よい夜風が密着した体を包んでくる。
つい、ツバキの首筋に顔を擦り付けた。
驚いたツバキが顔を上げる。
「くすぐったいよ、カオウ」
「じゃあ、離れる?」
「だめ!」
さらに強く抱き着いてきた。なんだか心がくすぐったくなり、イタズラ心が芽生える。
「離していい?」
「落ちるでしょ! 離しちゃだめ!」
ギューッと思いっきり抱き着いてくる。
(やばい。面白すぎる)
今度は抱えている腕の力を少し緩めてみようかと考えていると。
「やめてね」
先読みされて釘をさされる。
薄目で睨むツバキの顔は怖かった。
怖いが、綺麗な碧色の瞳が近い。
密着する体が熱い。
「突然抜け出しちゃって大丈夫かな」
「トキツには言ってあるから大丈夫」
「そうなの?」
「探すフリして夜店で時間潰しててって言った」
カオウはツバキにもどこへ行くか言わず、泊まっている屋敷からここへ瞬間移動したが、トキツにだけはそうすることを伝えていた。
ただそれは、安心させるというより、邪魔をさせないため。
「少し飛ぶ?」
カオウはツバキを横抱きにして、街の上空をゆっくり飛び始めた。
ツバキがとっさに首の後ろへ手を回す。
そこまで速くないが、ゆっくりでもない。
体一つで空を飛ぶなど恐怖心が先に立ちそうなものだが、好奇心旺盛なツバキはこういうスリルが好きだ。幼い頃は巨大な蠍の背に乗って飛んだこともある。
「楽しいー!!」
ライトアップされた芸術品のような建物が眼下に流れていく。
空を飛ぶ高揚感と幻想的な光景への胸の高鳴りで、ツバキの顔がこれ以上ないほど満面の笑みになっていた。
そんなツバキを見たカオウの顔が染まる。
しばらく堪能してから、街のシンボルでもある時計台の屋根に降り立った。
やや斜めになった屋根から落ちないよう、ツバキを足の間に座らせて後ろから抱きかかえる。
「楽しかった。ありがとう」
「……うん」
「ずっと公務だったから、こんなに伸び伸びできてうれしい」
「……うん」
「もっといろんなところへ行きたいね。トキツさんとギジーも一緒に」
「…………」
「本当はサクラたちと女同士で遊んだりもしたいんだけどなあ」
いつか皆で抜け出せないかなあとツバキがブツブツつぶやく。
カオウは腕に力を込めた。
「ちょっと痛いよカオウ。そんなに掴んでいなくても、落ちないってば」
「…………」
「どうしたの? ずっと黙ったままで」
ツバキが顔だけ振り返ると、カオウはへの字になっていた口を緩め、何もない空間に手を突っ込んだ。
空間を操る能力を持ったカオウには、自分だけの空間がある。そこから白い真四角の箱を取り出し、ツバキに渡した。
「何?」
「開けて」
箱の中にはイエローゴールドのブレスレットがあった。
中央には深碧の小さな宝石が5粒連なっている。
「やる」
「え? どうして?」
「どうしてって……」
きょとんとするツバキに呆けるカオウ。
「別に、いいだろ。いらないなら返して」
「あっ。いる! ありがとう」
にっこり微笑むツバキ。しかしブレスレットを見つめたまま、動かない。
「つけないのか?」
「落としてしまうといけないから、部屋へ戻ってからにする」
「貸して」
カオウは箱から取り出してつけようとしたが、留め具が小さくてうまく扱えなかった。
「なんだよこれ」
「自分が買ったんでしょう」
「うるさい」
四苦八苦しながらつけると、ツバキの左手を自分の目の高さまで上げて、満足げにうなずく。
これは昼間に雑貨屋で見つけた。城で身につける高価な宝石と比べてしまうとおもちゃのようだが、庶民が買うにしては良い品だ。
そして右手も同じように持ち上げる。
こちらの手首には、先の尖った長い羽根のような金色の印が刻まれていた。カオウが授けた契約の証だ。
左手にブレスレット、右手に印。二つを揃えて見て、自然と口角が上がった。
カオウは今、おそらく空を飛んでいたときのツバキと同じくらい気分が高まっていた。
だから、彼女の次の言葉にいつも以上に反応してしまった。
「あ。ロウにもお土産買っていこうか」
(なんでそこでロウが出てくるんだ!!)
両手に力がこもり、ツバキの顔が苦痛で歪む。
「痛い! 離して!」
ツバキは身を捻ってカオウの手から逃れようとしたが、びくともしない。
「カオウ離し……っ!」
強い口調で叫んでこちらを見たツバキの目が揺れた。血の気が引いて怯え、両手首が小刻みに震えている。
「……ごめん」
ぱっと手を離す。ツバキはまだ怯えている。
カオウは自分がどんな顔をしていたのか、自分でもわからなかった。
「ごめん」
もう一度誤って、ツバキの顔に触れる。
そこで、ライトアップされていた建物の明かりが消えた。
気づけば、夜店の明かりも少しずつ減ってきている。芸術の街もそろそろ眠る時間らしい。
夜風も冷たくなり、さすがに寒い。
もう帰らなければいけないことはわかっていたが、体が思うように動かなかった。
「……カ……オウ?」
震える声で遠慮がちに名を呼ばれる。
明かりが消えた夜ではツバキからカオウの顔は見えないだろうが、夜目がきくカオウからはツバキの顔がはっきりと見えた。
不安げな表情で、目にうっすら涙をためている。
彼女は、瞳と同じ深い碧の石のブレスレットを贈った意味に、ちゃんと気づいただろうか。
出会った頃から変わらない姿の魔物を、どう思っているのだろう。人間にとって気が遠くなるほどの年月を生きていても、精神年齢は幼いまま、背もいつの間にか抜かされてしまった。
「……あと十分だけ」
カオウはツバキの肩に額を乗せて抱きしめた。
喉まで出た言葉を、無理やり飲み込んで。
トキツは地酒を片手に夜台で買った串刺しの肉を食べながら、一人のんびり歩いていた。
宿泊している屋敷の貴族から夕食の歓待を受けた後、ツバキとカオウは部屋へ戻り、ギジーも別室ですでに寝ている。
本当は武器屋をじっくり見たかったが、あいにくこんな物騒な時間にやっている店はなかった。
仕方なく変わった小道具でもないかと目を走らせる。
すると服のポケットに入っていた白い綿のような魔物がトキツの肩へ登って来た。
『トキツさん、トキツさん』
普段キュイキュイ鳴いているだけの綿伝という魔物が言葉を発した。
『サクラです!』
ツバキの侍女の名だ。
仲間内で意識が繋がっているこの魔物を介せば、遠くにいる人とも会話ができる。印を結んでいなくても使え、ジェラルドからもらったこの綿はツバキとサクラが持っている綿に繋がるらしい。
これをもらってから、ツバキたちが城を出るときサクラが教えてくれるようになった。
以前はいつ城からいなくなるか気にしていなければならなかったので、大分助かっている。
『大変です! カオウがツバキ様を連れて消えてしまいました!』
「ちょうど外にいるから探してみるよ」
慌てた声のサクラとは対照的に、トキツは至って冷静に返事をする。そして能力でどこにいるか探る……はずが、今回は違った。
「さて。どこで時間を潰そうか」
トキツは食べ終わった串を近くのゴミ箱へ投げ入れ、ふと目についた店の品を手に取った。
「うわあ、とっても綺麗!」
ツバキが見下ろしているのは、ヒエラの街の夜景。建物や夜店から漏れる明かりが一直線にきらめいており、昼間とは違う美しさに魅了される。
「でも、もう少し落ち着いた場所で見られたら嬉しいのだけど」
ツバキは空に浮かんでいた。カオウに肩に担がれて。
「どうしていつもこの体勢なの」
「だってこっちのが運びやすいから」
「でも、この体勢でこの高さはさすがに怖い」
すでに地面は遥か下。それを片手一本で抱えられ、頭が下の状態で見ている。カオウが手を離したら、真っ逆さまに落ちて、即死。
「うるさいなあ。こうすればいい?」
カオウは両手でツバキの体を起こそうとした。
しかし、体勢が崩れる。
「きゃあ!」
体が一瞬宙に浮き、ツバキは必死になってカオウに抱き着くように掴まった。顎をカオウの肩に乗せ、恐怖でバクバクする心臓を静める。
「…………」
抱き着かれたカオウは、両手でツバキを抱き締めた。
季節は初夏。心地よい夜風が密着した体を包んでくる。
つい、ツバキの首筋に顔を擦り付けた。
驚いたツバキが顔を上げる。
「くすぐったいよ、カオウ」
「じゃあ、離れる?」
「だめ!」
さらに強く抱き着いてきた。なんだか心がくすぐったくなり、イタズラ心が芽生える。
「離していい?」
「落ちるでしょ! 離しちゃだめ!」
ギューッと思いっきり抱き着いてくる。
(やばい。面白すぎる)
今度は抱えている腕の力を少し緩めてみようかと考えていると。
「やめてね」
先読みされて釘をさされる。
薄目で睨むツバキの顔は怖かった。
怖いが、綺麗な碧色の瞳が近い。
密着する体が熱い。
「突然抜け出しちゃって大丈夫かな」
「トキツには言ってあるから大丈夫」
「そうなの?」
「探すフリして夜店で時間潰しててって言った」
カオウはツバキにもどこへ行くか言わず、泊まっている屋敷からここへ瞬間移動したが、トキツにだけはそうすることを伝えていた。
ただそれは、安心させるというより、邪魔をさせないため。
「少し飛ぶ?」
カオウはツバキを横抱きにして、街の上空をゆっくり飛び始めた。
ツバキがとっさに首の後ろへ手を回す。
そこまで速くないが、ゆっくりでもない。
体一つで空を飛ぶなど恐怖心が先に立ちそうなものだが、好奇心旺盛なツバキはこういうスリルが好きだ。幼い頃は巨大な蠍の背に乗って飛んだこともある。
「楽しいー!!」
ライトアップされた芸術品のような建物が眼下に流れていく。
空を飛ぶ高揚感と幻想的な光景への胸の高鳴りで、ツバキの顔がこれ以上ないほど満面の笑みになっていた。
そんなツバキを見たカオウの顔が染まる。
しばらく堪能してから、街のシンボルでもある時計台の屋根に降り立った。
やや斜めになった屋根から落ちないよう、ツバキを足の間に座らせて後ろから抱きかかえる。
「楽しかった。ありがとう」
「……うん」
「ずっと公務だったから、こんなに伸び伸びできてうれしい」
「……うん」
「もっといろんなところへ行きたいね。トキツさんとギジーも一緒に」
「…………」
「本当はサクラたちと女同士で遊んだりもしたいんだけどなあ」
いつか皆で抜け出せないかなあとツバキがブツブツつぶやく。
カオウは腕に力を込めた。
「ちょっと痛いよカオウ。そんなに掴んでいなくても、落ちないってば」
「…………」
「どうしたの? ずっと黙ったままで」
ツバキが顔だけ振り返ると、カオウはへの字になっていた口を緩め、何もない空間に手を突っ込んだ。
空間を操る能力を持ったカオウには、自分だけの空間がある。そこから白い真四角の箱を取り出し、ツバキに渡した。
「何?」
「開けて」
箱の中にはイエローゴールドのブレスレットがあった。
中央には深碧の小さな宝石が5粒連なっている。
「やる」
「え? どうして?」
「どうしてって……」
きょとんとするツバキに呆けるカオウ。
「別に、いいだろ。いらないなら返して」
「あっ。いる! ありがとう」
にっこり微笑むツバキ。しかしブレスレットを見つめたまま、動かない。
「つけないのか?」
「落としてしまうといけないから、部屋へ戻ってからにする」
「貸して」
カオウは箱から取り出してつけようとしたが、留め具が小さくてうまく扱えなかった。
「なんだよこれ」
「自分が買ったんでしょう」
「うるさい」
四苦八苦しながらつけると、ツバキの左手を自分の目の高さまで上げて、満足げにうなずく。
これは昼間に雑貨屋で見つけた。城で身につける高価な宝石と比べてしまうとおもちゃのようだが、庶民が買うにしては良い品だ。
そして右手も同じように持ち上げる。
こちらの手首には、先の尖った長い羽根のような金色の印が刻まれていた。カオウが授けた契約の証だ。
左手にブレスレット、右手に印。二つを揃えて見て、自然と口角が上がった。
カオウは今、おそらく空を飛んでいたときのツバキと同じくらい気分が高まっていた。
だから、彼女の次の言葉にいつも以上に反応してしまった。
「あ。ロウにもお土産買っていこうか」
(なんでそこでロウが出てくるんだ!!)
両手に力がこもり、ツバキの顔が苦痛で歪む。
「痛い! 離して!」
ツバキは身を捻ってカオウの手から逃れようとしたが、びくともしない。
「カオウ離し……っ!」
強い口調で叫んでこちらを見たツバキの目が揺れた。血の気が引いて怯え、両手首が小刻みに震えている。
「……ごめん」
ぱっと手を離す。ツバキはまだ怯えている。
カオウは自分がどんな顔をしていたのか、自分でもわからなかった。
「ごめん」
もう一度誤って、ツバキの顔に触れる。
そこで、ライトアップされていた建物の明かりが消えた。
気づけば、夜店の明かりも少しずつ減ってきている。芸術の街もそろそろ眠る時間らしい。
夜風も冷たくなり、さすがに寒い。
もう帰らなければいけないことはわかっていたが、体が思うように動かなかった。
「……カ……オウ?」
震える声で遠慮がちに名を呼ばれる。
明かりが消えた夜ではツバキからカオウの顔は見えないだろうが、夜目がきくカオウからはツバキの顔がはっきりと見えた。
不安げな表情で、目にうっすら涙をためている。
彼女は、瞳と同じ深い碧の石のブレスレットを贈った意味に、ちゃんと気づいただろうか。
出会った頃から変わらない姿の魔物を、どう思っているのだろう。人間にとって気が遠くなるほどの年月を生きていても、精神年齢は幼いまま、背もいつの間にか抜かされてしまった。
「……あと十分だけ」
カオウはツバキの肩に額を乗せて抱きしめた。
喉まで出た言葉を、無理やり飲み込んで。
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