紅の継承者と闇の封印

くまのこ

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16話 思わぬ来訪者

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 エルマーたちは、いよいよ文化祭当日を迎えた。
 下町の食堂を意識した内装を見回し、エルマーは養父クルトの店を思い出した。
 教室の机をくっつけた即席のテーブルには、花柄や格子模様など様々な柄のテーブルクロスが敷かれており、素朴な雰囲気をかもし出している。
 エルマーは、他の生徒たちと力を合わせ、前日から大きな鍋二つに仕込んだスープを、カウンターの中に設置されている魔導焜炉まどうコンロの上に置いた。
 魔導焜炉まどうコンロを点火すると、ふつふつと煮立ち始めた鍋から、旨そうな匂いが漂ってくる。

「鍋の焜炉コンロは弱火のまま保って、パンは注文が入ったら温めて。食器を温める準備はできているかな?」
「パンは私たちに任せてください。頑張りましょうね」

 アヤナが、一緒にパンを作った生徒たちと動きながら言った。

「うん、頼りにしてるよ」

 エルマーが言うと、アヤナは嬉しそうに笑った。
 開店前に何度も確認を済ませたものの、エルマーは緊張していた。

 ――店をやるって、こんなに色々と考えることがあるんだ。父さんは、すごいな……
 
 少し離れたところでは、実家が飲食店だという女生徒が、給仕係の生徒たちに最後の指導をしている。

「ヨーンくんは、もう少し愛想よくして。ロルフくんも、いつもみたいに、にこにこして。客商売なんだから、そんな固い顔しないの」

「自分が側だと、こんなに緊張するものなんだね」
「まったくだ。これからは、今まで以上に接客業の人たちを尊敬するよ」

 皆と揃いの前掛けを着けたヨーンとロルフが、そう言って苦笑いした。
 
 開店時間が過ぎると、来場者が一組また一組と訪れ始めた。

「校舎の中に、楽しそうな貼り紙が貼ってあったから、来てみたの」

 生徒の父兄であろう子連れの女性が、席に案内されながら微笑んだ。

「貼り紙の宣伝効果、すごいじゃないか」

 貼り紙を制作した生徒が、エルマーにねぎらわれて顔を赤らめた。
 その後も、外部からの来場者と学院の生徒たちが続々と訪れた。肌寒くなってきた気候と、スープを食べてみた者たちによる噂が合わさった結果らしい。
 と、客たちの中にイザークの姿があるのに、エルマーは気づいた。傍らには、彼の母親らしき貴婦人も立っている。
 髪や目の色は異なるが、顔立ちはイザークによく似た、艶やかな花のごとき美女だ。
 作業を一時的に他の生徒に頼んだエルマーは、テーブルに着いたイザークの元へ自らスープとパンを運んだ。

「やぁ、きみが来てくれるなんて思わなかったよ」

 配膳しながらエルマーが言うと、イザークも口元を綻ばせた。

「ああ、模擬店とは、どのようなものかと思ってな。そうだ、こちらは私の母だ」

 イザークに紹介された貴婦人が、柔らかな微笑みを浮かべた。

「もしかして、あなたがエルマーくん? この気難しい子がね、唯一、自分が認める相手だと言うから、どんな子かと思ったけど。なるほど、賢そうな子ね」
「母上、余計なことは言わなくていいです」

 恥ずかしそうに唇を尖らせるイザークは、普段の大人びた態度とはかけ離れた、年相応なものを感じさせた。

「そういえば、『星組』は研究発表の展示をやってるんだよね。あとで見に行くよ」

 エルマーが言うと、イザークは肩を竦めた。

「こちらの『星組』は、『月組』のようなに欠けるからな。あまり手のかかることはできなかったんだ。私は、午後に大講堂でピアノの独奏をするから、時間があれば来てくれ」
「そうか、なんとか時間を作ってみるよ」

 イザークたちに挨拶をして、エルマーは持ち場に戻った。
 「星組」はがないというイザークの言葉に、エルマーは「富裕派」の生徒たちとのいさかいを思い出した。

 ――イザーク、少し寂しそうに見えたな。もしかして、俺たちのような模擬店などをやってみたかったんだろうか。

 そんなことを思いながら、エルマーはイザーク親子を見やったが、彼らがスープとパンを美味しそうに食べている様子を目にして、何とはなしに安堵した。

「彼、『星組』のイザークさんでしょ」
「お母様も、綺麗な人ね。男の子は、母親に似るって言うよね」

 有名人であるイザークの訪問に、女生徒たちは頬を染めながらささやき合っている。
 イザーク親子の外見だけでなく、上品な仕草までが似ているのを微笑ましく思っていたエルマーは、不意に、養父のクルトが話していたことを思い出した。

 ――あれは、俺が近所の人から自分が拾われた子だと聞かされた時……父さんが、俺の本当の母について話してくれたんだっけ。

 エルマーの母は、彼が育ったあの町で行き倒れていたという。クルトと彼の妻が保護した時には、既にひどい肺炎を起こしており、医師の手当ても空しく亡くなった。母の身元が分かるものはなく、彼女が亡くなる前に聞き出せたのは「フリデリーケ」という名前のみだった。
 幸いにも、フリデリーケが抱いていた赤ん坊は無事に生き延び、エルマーと名付けられてクルト夫妻の養子になったのだ。

「いま思うと、フリデリーケさんは、髪や目の色は違うけど、顔立ちはエルマーにだな。綺麗な人だったよ。男の子は、母親に似ると言うからね」

 ――たしかに、父さんは、そう言っていた。どうして、今の今まで、こんな大事なことを思い出しもしなかったんだろう。

 エルマーは、突然呼び起こされた記憶に心が波立ったものの、店内が賑やかになるにつれ、それも薄れていった。
 
 昼食時が近づき、店は更に混雑し始めた。
 給仕の手が足りなそうだと、注文を取ったり配膳したりといった業務を手伝っていたエルマーは、教室の入り口に現れた人物を見て目を丸くした。

「これは、本格的だね」

 そう言って店内を見回しているのは、大企業「ライヒマン商会」の会長、ゲラルト・ライヒマンだった。傍らには、秘書と思われる二十代半ばの男が付き添っている。

「い、いらっしゃいませ」
「やぁ、久しぶりだね。一年生とは思えない模擬店だね。匂いに誘われて、来てしまったよ」

 驚きと緊張で、ぎこちなくなっているエルマーの気持ちを解きほぐすかのように、ゲラルトが鷹揚な笑顔を見せた。
 テーブルに着いた二人のもとに、エルマーはスープとパンを載せたトレイを運んだ。

「会長、あまり時間が……」
「なに、大丈夫だろう。それより、旨そうなスープじゃないか」

 ちらちらと懐中時計を見ている秘書をよそに、ゲラルトは匙ですくったスープを口に運んだ。

「これは、商品として出してもいい出来だが……どこかで食べた味に似ているな」
「あの、それは、父の調理法レシピを元に、俺が皆と作りました」

 エルマーが言うと、ゲラルトは納得したという様子で頷いた。

「道理で……この食器は、使い捨てではないようだが、わざわざ購入したのかね?」
「いえ、クラスに飲食業の方に伝手のある人がいて、不要品を貰ってきてくれたんです」
「ほほう、やはり、人の縁は大事ということか」

 そう言ってから、ゲラルトはエルマーにだけ聞こえる声でささやいた。

「近いうちに、個人的に会う機会を作りたいのだが、構わないかね」
「えっ……でも、どうして俺なんかを」

 想像もしていなかった言葉に、エルマーは息を呑んだ。

「私が、きみを気に入ったから、という理由では、納得できないかい?」
「そ、そんなことないです」
「よかった。では、心の隅にでも留めておいてくれ」

 そうゲラルトに言われたエルマーは、頭の中に少しかすみがかかったような気分になった。

「あれ、『ライヒマン商会』の会長だろ?」
「そんな人と知り合いなんて、エルマーは、すごいや」

 カウンターの中に戻ったエルマーは、級友たちからの羨望の眼差しを感じて、何とも言えない気持ちになった。

 ――全ては、ゲラルトさんが父さんの料理を食べて気に入ったことから始まったんだ……すごいのは、父さんだ。

 鍋の中で湯気を上げるスープを見つめながら、エルマーはクルトの面影を思い出していた。

 昼過ぎになると、用意したスープとパンは売り切れてしまい、「月組」の模擬店は惜しまれつつ閉店することになった。

「来年も、やりたくなってきたね」
「それなら、もっと沢山用意しないとね」

 後片付けをしながら話し合う級友たちを見て、エルマーも、模擬店をやって良かったと心から思った。

「エルマー、きみ働きづめだったじゃないか。他のクラスの展示とか、見てくれば?」
「片付けなら、僕たちだけでもできるし」

 ヨーンやロルフに言われたエルマーは、彼らの言葉に甘えることにした。

 ――たしか、もうすぐイザークの演奏が始まるんだっけ。

 大講堂に着いたエルマーは、空いている席を見つけて座った。
 舞台上では、上級生たちが劇を上演していた。
 ちょうど終盤の盛り上がる部分らしく、魔法を使った美しい光の演出に観客たちが歓声を上げている。
 魔法の使い方には色々あるのだとエルマーが感心するうち、拍手の中で劇は終わった。
 一旦降ろされた幕が再び上がると、舞台上には一台のピアノが鎮座していた。

「次は、一年星組のイザーク・ディートリヒくんによる、ピアノの独奏です」

 紹介の声と共に、舞台の袖から礼服姿のイザークが現れた。絵に描いたような貴公子の姿に、女生徒たちがため息を漏らす音が聞こえる。
 客席に向かってうやうやしくお辞儀をしてから、イザークがピアノの前に座った。
 彼の繊細な指がピアノに触れる。最初の一音から、エルマーは頭が痺れるような感覚を覚えた。
 細やかで大胆で激しくも切ない、あらゆる感情を呼び起こすイザークの演奏に、エルマーは感動しながらも、複雑な気持ちだった。

 ――俺は、音楽を聴くのは好きだけど、歌うのは得意じゃないし、まして演奏なんかできない……嫉妬なのだろうか。どうやっても手が届かないものを前にした時の、この気持ちは。

 美しい旋律の余韻に浸りつつ、エルマーは観客らと共に惜しみない拍手を送った。
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