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17話 別世界への招待状
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身体が沈み込みそうな柔らかいソファの上で、エルマーは緊張に身を縮めていた。
彼とローテーブルを挟んで向き合っているのは、ゲラルト・ライヒマンだ。
きちんと整頓され、埃一つ落ちていないゲラルトの執務室は、品の良い内装に、重厚な仕事机などの調度品が無駄なく配置されており、まるで絵画のようだとエルマーは思った。
「勉強で忙しいだろうに、よく来てくれたね」
相変わらず穏やかな表情で、ゲラルトが言った。
「いえ、こちらこそ、お招きいただいて、ありがとうございます」
「そう緊張しなくていいよ。これは、私的な面会なのだからね」
固い口調で挨拶するエルマーに、ゲラルトは優しく微笑みかけた。
そこへやって来た、ゲラルトの秘書だという青年が、二人の前に紅茶茶碗と焼き菓子を恭しく置いた。
紅茶茶碗から立ち昇る、甘く芳しい香りに、エルマーは、ここが自分の住む場所とは別世界なのだと感じた。
「遠慮せず食べてみてくれ。紅茶も焼き菓子も、私の商会で扱っているものでね。紅茶だが、最初は砂糖を入れずに飲んでみるのがお勧めだよ」
言って、ゲラルトは自ら紅茶茶碗を手に取ると、その青い目でエルマーを見た。
エルマーも、紅茶茶碗に、おずおずと手を伸ばした。
文化祭が終わって一週間ほど経った頃、エルマーは、自分の住む寮へ面会人が訪ねてきたという知らせを受けた。
もしかして、故郷の町から代書屋のフーゴが来たのか、彼がわざわざ来るほどの重大な何かが起きたのか――少し不安を感じていたエルマーの前に現れたのは、文化祭でゲラルトに付き従っていた秘書の青年だった。
ステファンと名乗った青年は、ゲラルトから「エルマーの都合の良い日に会いたい」という伝言を預かっていた。
たしかに、文化祭で会った際、ゲラルトは近いうちに会いたいと言ってはいた。しかし、これほど直ぐにとは思っておらず、エルマーには少し恐ろしくさえ思えた。
――俺は、多少学業の成績が良いとはいえ、貴族でもなければ資産家の子でもない。ゲラルトさんほどの人が、忙しい中わざわざ時間を作って会いたいと思うような人間とも思えないが……
内心では様々な思いが渦巻いていたものの、最終的にエルマーは承諾した。自分の「恐れ」が、知らない世界へ入ることへのそれであると考えたのだ。
「……美味しい。紅茶って、砂糖なしでも、こんなに甘みがあるんですね」
紅茶を一口飲んで、エルマーは思わず呟いた。普段、寮の食堂などで飲んでいる、喉を潤す為だけのものとは、味も香りも、そして喉越しさえ別格だった。
「さすが、分かる人には分かるんだね。ステファンの紅茶の淹れ方が上手いというのもあるが」
ゲラルトが、満足そうに頷いた。
「……ところで、今日来てもらったのは、きみに大事な話をしようと思ってのことだ」
「大事な……話?」
真顔になったゲラルトを見て、エルマーは再び緊張した。
「その前に、少し昔話を聞いてもらえるかな」
そう言ったゲラルトが、エルマーの目には少し寂しそうに映った。
「きみも知っていると思うが、私も、ヴァールハイト魔法学院の卒業生だ。しかも、きみと同じく特待生……学費免除を受けていた。私の家は貧しくてね。いくら魔法の素質が高いといっても、何もなければ魔法学院への入学など不可能だった」
「あの……先輩から、ゲラルトさんは、初めて貴族や資産家の子弟ではないのに生徒会長になった方だと聞きました」
「その通りだ。きみも、学院に入って気づいたと思うが、この時代になっても未だに身分制度は色濃く残っている。学院内は社会の縮図、言い方を変えれば、親世代の影響が、そのまま表れているということだ。私は、そんな世界を少しでも変えたいと、まずは学院の生徒の頂点に立つ『生徒会長』を目指した」
エルマーは、いつしかゲラルトの話に聞き入っていた。
「当時は、今よりも更に身分ごとの分断が大きくてね。学費免除や減額を受けられるような、経済的に苦しい階層の出身者が生徒会に入ることさえ考えられないと言われるほどだった。だから私は、学業の成績では常に学年一位を取り、魔法の実技、特に、対人魔法戦闘では誰にも負けることの無いよう修練を積んだ。きみの学年も、そろそろ対人魔法戦闘の実技が始まると思うが、あれは生徒同士の序列に大きな影響があるからね」
「すごい努力をされていたんですね……」
「そうだね。ある意味、今よりも厳しい生活をしていたと思うよ。もちろん、妬み嫉みによる嫌がらせも無くはなかった。『富裕派』からすれば『学費減免派』は、最初から所有していた優位性を努力や才能で脅かしてくる存在だからね。だが、能力を持つ者が、生まれに関係なく、それを生かせる世界のほうが素晴らしいと思わないかね?」
「それは、その通りだと思います」
エルマーは、ゲラルトの情熱と努力に感銘を受けていた。
「学院を卒業した後、私は魔法管理省の研究所へ研究員の一人として招かれた。数年勤務して貯金し、また人脈を広げてから、頃合いを見て退職し、起業したんだ」
そこまで話すと、ゲラルトは、再び寂しげな表情を見せた。
「私には、歳の離れた妹が一人いた。学院を卒業して間もなく両親が亡くなり、私が親代わりに妹の面倒を見ていた。もちろん、それが苦痛だなどと思ったことはなかった。妹も成人して少し経った頃、知り合いの官僚の中から申し分ない男を結婚相手として紹介しようと思ったのだが……あの子には、既に恋人がいたんだ」
ゲラルトが、苦しげに眉根を寄せて言った。
「相手は、才能はあったかもしれないが、まだ世に認められていない画家でね。当然、私は彼との付き合いを反対したよ。しかし、逆効果だったのか、妹は『探さないでくれ』と書き置きして、恋人と共に姿を消してしまった。私は、ひどく後悔して、二人を無理に探すことはしなかった。そうそう、妹の名は、フリデリーケというんだ」
その言葉を聞いたエルマーは、心臓を掴まれたような気分になった。フリデリーケという名は、けっして珍しくはないと思ったものの、彼の胸の中に生まれた騒めきは、どんどん大きくなっていった。
彼とローテーブルを挟んで向き合っているのは、ゲラルト・ライヒマンだ。
きちんと整頓され、埃一つ落ちていないゲラルトの執務室は、品の良い内装に、重厚な仕事机などの調度品が無駄なく配置されており、まるで絵画のようだとエルマーは思った。
「勉強で忙しいだろうに、よく来てくれたね」
相変わらず穏やかな表情で、ゲラルトが言った。
「いえ、こちらこそ、お招きいただいて、ありがとうございます」
「そう緊張しなくていいよ。これは、私的な面会なのだからね」
固い口調で挨拶するエルマーに、ゲラルトは優しく微笑みかけた。
そこへやって来た、ゲラルトの秘書だという青年が、二人の前に紅茶茶碗と焼き菓子を恭しく置いた。
紅茶茶碗から立ち昇る、甘く芳しい香りに、エルマーは、ここが自分の住む場所とは別世界なのだと感じた。
「遠慮せず食べてみてくれ。紅茶も焼き菓子も、私の商会で扱っているものでね。紅茶だが、最初は砂糖を入れずに飲んでみるのがお勧めだよ」
言って、ゲラルトは自ら紅茶茶碗を手に取ると、その青い目でエルマーを見た。
エルマーも、紅茶茶碗に、おずおずと手を伸ばした。
文化祭が終わって一週間ほど経った頃、エルマーは、自分の住む寮へ面会人が訪ねてきたという知らせを受けた。
もしかして、故郷の町から代書屋のフーゴが来たのか、彼がわざわざ来るほどの重大な何かが起きたのか――少し不安を感じていたエルマーの前に現れたのは、文化祭でゲラルトに付き従っていた秘書の青年だった。
ステファンと名乗った青年は、ゲラルトから「エルマーの都合の良い日に会いたい」という伝言を預かっていた。
たしかに、文化祭で会った際、ゲラルトは近いうちに会いたいと言ってはいた。しかし、これほど直ぐにとは思っておらず、エルマーには少し恐ろしくさえ思えた。
――俺は、多少学業の成績が良いとはいえ、貴族でもなければ資産家の子でもない。ゲラルトさんほどの人が、忙しい中わざわざ時間を作って会いたいと思うような人間とも思えないが……
内心では様々な思いが渦巻いていたものの、最終的にエルマーは承諾した。自分の「恐れ」が、知らない世界へ入ることへのそれであると考えたのだ。
「……美味しい。紅茶って、砂糖なしでも、こんなに甘みがあるんですね」
紅茶を一口飲んで、エルマーは思わず呟いた。普段、寮の食堂などで飲んでいる、喉を潤す為だけのものとは、味も香りも、そして喉越しさえ別格だった。
「さすが、分かる人には分かるんだね。ステファンの紅茶の淹れ方が上手いというのもあるが」
ゲラルトが、満足そうに頷いた。
「……ところで、今日来てもらったのは、きみに大事な話をしようと思ってのことだ」
「大事な……話?」
真顔になったゲラルトを見て、エルマーは再び緊張した。
「その前に、少し昔話を聞いてもらえるかな」
そう言ったゲラルトが、エルマーの目には少し寂しそうに映った。
「きみも知っていると思うが、私も、ヴァールハイト魔法学院の卒業生だ。しかも、きみと同じく特待生……学費免除を受けていた。私の家は貧しくてね。いくら魔法の素質が高いといっても、何もなければ魔法学院への入学など不可能だった」
「あの……先輩から、ゲラルトさんは、初めて貴族や資産家の子弟ではないのに生徒会長になった方だと聞きました」
「その通りだ。きみも、学院に入って気づいたと思うが、この時代になっても未だに身分制度は色濃く残っている。学院内は社会の縮図、言い方を変えれば、親世代の影響が、そのまま表れているということだ。私は、そんな世界を少しでも変えたいと、まずは学院の生徒の頂点に立つ『生徒会長』を目指した」
エルマーは、いつしかゲラルトの話に聞き入っていた。
「当時は、今よりも更に身分ごとの分断が大きくてね。学費免除や減額を受けられるような、経済的に苦しい階層の出身者が生徒会に入ることさえ考えられないと言われるほどだった。だから私は、学業の成績では常に学年一位を取り、魔法の実技、特に、対人魔法戦闘では誰にも負けることの無いよう修練を積んだ。きみの学年も、そろそろ対人魔法戦闘の実技が始まると思うが、あれは生徒同士の序列に大きな影響があるからね」
「すごい努力をされていたんですね……」
「そうだね。ある意味、今よりも厳しい生活をしていたと思うよ。もちろん、妬み嫉みによる嫌がらせも無くはなかった。『富裕派』からすれば『学費減免派』は、最初から所有していた優位性を努力や才能で脅かしてくる存在だからね。だが、能力を持つ者が、生まれに関係なく、それを生かせる世界のほうが素晴らしいと思わないかね?」
「それは、その通りだと思います」
エルマーは、ゲラルトの情熱と努力に感銘を受けていた。
「学院を卒業した後、私は魔法管理省の研究所へ研究員の一人として招かれた。数年勤務して貯金し、また人脈を広げてから、頃合いを見て退職し、起業したんだ」
そこまで話すと、ゲラルトは、再び寂しげな表情を見せた。
「私には、歳の離れた妹が一人いた。学院を卒業して間もなく両親が亡くなり、私が親代わりに妹の面倒を見ていた。もちろん、それが苦痛だなどと思ったことはなかった。妹も成人して少し経った頃、知り合いの官僚の中から申し分ない男を結婚相手として紹介しようと思ったのだが……あの子には、既に恋人がいたんだ」
ゲラルトが、苦しげに眉根を寄せて言った。
「相手は、才能はあったかもしれないが、まだ世に認められていない画家でね。当然、私は彼との付き合いを反対したよ。しかし、逆効果だったのか、妹は『探さないでくれ』と書き置きして、恋人と共に姿を消してしまった。私は、ひどく後悔して、二人を無理に探すことはしなかった。そうそう、妹の名は、フリデリーケというんだ」
その言葉を聞いたエルマーは、心臓を掴まれたような気分になった。フリデリーケという名は、けっして珍しくはないと思ったものの、彼の胸の中に生まれた騒めきは、どんどん大きくなっていった。
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