偽りの剣士と琥珀の絆

くまのこ

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ティエト学院へ

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 正式にティエト学院へ着任する日が近付き、ロデリックはアンネリーゼと共に職員の為の宿舎へと引っ越した。
 職員用宿舎は学院の敷地内にあり、独身者用と家族を持つ者が住めるものに分かれている。
 
「ここが、わたしと、お父さんのおうち? 大きいねぇ」

 三階建ての大きな建物を前に、アンネリーゼが目を見張っている。
 以前住んでいた集落では、全ての家が木造平屋の家屋だった為、彼女にとって石造りの大きな建物は珍しいのだ。

「全部がのものではないよ。集合住宅といって、幾つかの家族が住んでいるんだ」

 ロデリックの説明に、アンネリーゼは分かったような分からないような顔で頷いた。
 二人にあてがわれたのは、居間と簡易な台所の他に、自由に使える部屋が二つ付いているというものだ。
 備え付けの寝台や箪笥などもあり、当面は新しい家具を買い揃えなくとも問題ないと思われた。
 いつでも湯の出る魔導具の設置された浴室や、食材を保存する「冷蔵庫」も置かれていて、田舎と都会の差を、まざまざと見せつけられるようだった。

「これなら、アンネリーゼだけの部屋が作れるな。父さんと狭い寝台に寝なくて済むぞ」

 ロデリックが言うと、アンネリーゼは不安そうな顔で彼の服の端を握った。 

「一人で寝るの? やだ、お父さんと一緒がいい」
「そうか? 分かった、もうしばらくは一緒に寝るか」

 そう言いながら、ロデリックがアンネリーゼの頭を撫でると、彼女は安心した様子で頷いた。

――やはり、まだまだ小さい子だな。学院の幼年科に入学すれば生徒用の寄宿舎に入ることになるし、それまでは一緒に寝るのも良いか。

 翌日、いよいよロデリックが初めて職場へ出る日が訪れた。
 宿舎に併設されている食堂で、ロデリックはアンネリーゼと朝食を摂ることにした。
 この食堂は、学院の関係者であれば自由に使用可能で、生徒や職員たちが入り混じり、いつも賑わっている様子だ。
 
「ここは、自分が食べたいものを好きに選んで取る方式か。アンネリーゼは、何が食べたい? お前の好きな果物もあるぞ」
「どれでも食べていいの? すごいね!」

 腸詰や玉子焼きなど温かい料理や、野菜のサラダや果物などの冷たいもの、数種類のパン、そして飲み物が並べられた台を見て、アンネリーゼは驚きと喜びの入り混じった表情を見せた。
 朝食を済ませた二人は、やはり学院の敷地内にある託児所へ向かった。
 小さな子供を持つ職員が、心配なく業務を行えるよう、子供を預けておく場所である。
 淡い水色や桃色など柔らかな色使いの室内は、明るく清潔さを感じさせた。
 ロデリックとアンネリーゼを迎えたのは、ややふくよかで、人のさそうな中年女性だった。

「アンネリーゼちゃんと、お父様ですね。エルッキ理事長から、お話はお聞きしています。娘さんは責任を持ってお預かりしますので、ご安心ください」

 ハンナと名乗った中年女性は、託児所の責任者だという。彼女の雰囲気に、ロデリックは集落で世話になったカイサを思い出した。

「それじゃ、お父さんは、お仕事に行ってくる。夕方には迎えに来るからな」
「うん……いってらっしゃい」

 ロデリックの言葉に、アンネリーゼは少し寂しそうに頷いた。

「すぐ慣れるわよ、アンネリーゼちゃん。お友達が何人もいるから、みんなで遊びましょうね」

 ハンナに手を引かれて建物の奥に向かうアンネリーゼを見送りながら、ロデリックは胸の詰まるような感覚を覚えた。

――皆、このような気持ちで子供を預けているのだろう。俺だけではないのだ……

 彼は自分を奮い立たせ、職場となる武術科の講師控室へ向かった。

「あんたが、ロデリックか。俺はホセ、武術科講師のまとめ役をやっている。分からん事は何でも聞いてくれ」

 控室で最初にロデリックを迎えたのは、ホセと名乗る五十がらみの男だった。筋骨隆々で、見るからに武人という外見だ。

「まだ講師補助という立場だから、最初は俺たちの手伝いという感じでやってもらう。指導要綱は読んできたか?」
「はい、一応は」

 「コンラート」の記憶もあるとはいえ、給料をもらう立場で正式に働くのは初めてであり、ロデリックは、これまでになく緊張していた。

「あんた、理事長じきじきに引き抜いてきた逸材って聞いてるぞ。期待してるぜ」

 トビアスと名乗った、二十代に見える若手が口を挟んだ。

「元傭兵ってことは、実戦も経験があるってことか?」
「ええ、まぁ」

 経験したのは「コンラート」だが――心の中で呟きつつ、ロデリックは答えた。

「実物の戦場も大変だろうが、生徒を相手にするのは、また違った大変さがあるからな。自信過剰で生意気な奴も多いが、困ったことがあれば相談してくれ」

 そう言ってトビアスが差し出した手を、ロデリックは、しっかりと握った。

「トビアスも、学生時代は手を焼かせてくれたからな」
「その話は、勘弁してくださいよ」

 ホセが悪戯いたずらっぽい表情で言うと、トビアスは首を竦めた。どうやら、彼も学院の卒業生らしい。
 二人の話を聞いて、ロデリックは、一つの事実に気付いた。

――そうか、人間たちには、年齢の分だけ積み重ねた過去があるのか。そう考えると、俺は「生まれて」まだ数年というところかもしれないが……これから、まだまだアンネリーゼとの記憶を積み重ねていけると思えばいい……

 始業前の打ち合わせが済むと、講師たちは、それぞれ幾つかに分かれた鍛錬場や座学の為の教室へ向かった。
 ロデリックは、先刻話したホセとトビアスに付いて、最上級生である武術科六年生の指導を見学することになった。
 板張りの鍛錬場では、三十人ほどの生徒たちが準備運動をして体を温めている。
 彼らは、新顔のロデリックが姿を見せると、興味津々な様子を見せた。

「彼は新任のロデリック先生だ。今は着任したばかりで講師補助という立場だが、経験を積んだら講師に昇格する予定だ。よろしくな」

 ホセに紹介され、ロデリックも挨拶した。

「講師補助として勤めることになった、ロデリックです。元傭兵だが、人に教えるのは初めてなので、気付いたことがあれば何でも言ってほしい。よろしく」

 第一関門を突破したと胸を撫で下ろしたロデリックは、ホセたちの後ろに下がろうとした。
 しかし、そこで一人の生徒が手を挙げた。

「ロデリック先生、俺と手合わせしてもらえませんか? 元傭兵の人が、どれくらい強いのか見てみたいです」

 いかにも気の強そうな、大柄な生徒が、そう言って不敵に笑った。

「ネリオ、いきなり過ぎるだろう。まだ授業も始まっていないのに」

 トビアスにたしなめられ、大柄な生徒――ネリオは肩を竦めた。

「俺は、構いませんが」

 ロデリックは、事もなげに言って、上司であるホセに目を向けた。

――あの生徒は、腕に覚えがあるようだ。自分より弱い者に指導されたくないのだろう。群れを作る野生動物は、強さによる序列を重視することが多いが、それと似たようなものか。

「ふむ、ロデリック先生が承諾したなら、構わないだろう。他の者たちの勉強にもなるだろうしな」

 ホセの一声で、ロデリックとネリオの手合わせが行われることとなった。
 講師二人と生徒たちが見守る中、ロデリックとネリオは、それぞれ訓練用の木剣を構えた。
 ネリオは、半身になって左肩を前に出し、剣を右後方へ引いた、脇構えと呼ばれる構えをとっている。

――無防備に見える左半身を狙わせて、後の先カウンターで対処するつもりか。その自信に見合った実力はあるようだな。

 正眼の構えから、ロデリックは先に動いた。

――誘いには乗ってやる。さて、どうするかな。

 左肩へのロデリックの打ち込みをかわし、ネリオの後の先カウンターが炸裂した――それは、誰の目にも明らかと思われた。
 しかし、ネリオが振り下ろした剣は空を切った。
 既に、ロデリックは目にも留まらぬ速さでネリオの背後に移動していた。
 相手の姿を見失い、動揺したネリオの後頭部を、ロデリックは指で弾いた。

「あいたッ!」

 振り向いたネリオの顔に、驚愕の表情が浮かんだ。

「本物の戦場なら死んでいたところだ。練習で、よかったな」

 ロデリックが微笑むと、ネリオは脱力したように座り込んだ。
 自信満々だった分、完膚なき敗北は、より衝撃だったのだろう。

「うむ、見事だった」
「俺の目でも、動きが見えなかった……ここまでとは」

 ホセとトビアスも、心底感心したように頷いている。
 それからは通常の授業が始まったが、終了してから、ロデリックは生徒たちに囲まれた。

「あのネリオの技、生徒で破れる者はいないんですよ! どうやったんですか」
「どんな訓練をすれば、あんなふうに動けますか」

 次の授業の打ち合わせもあるし――と、ロデリックが内心困っているところに、ネリオが割り込んできた。

「お前ら、先生が困ってるだろ、散れ散れ」

 他の生徒たちを押しのけ、ネリオが片方の口角を上げた。

「先生、気に入ったぜ。あの回避技、俺に一番に教えてくれよな」
「ずるいぞ、ネリオ! 僕たちだって色々聞きたいのに」

 結局、ロデリックが生徒たちから解放されるまでは、かなりの時間を要した。

――どうやら、教える側として力を認めてもらえたようだな。

 講師控室に向かって走りながら、ロデリックは少し安堵していた。
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