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第2話 天才科学者・深山京一郎
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夜更けの静かな部屋で、電気椅子のようなリクライニングチェアに一人の男が縛られていた。
手足を伸ばしたまま、関節という関節を強固なゴムバンドでチェアに拘束され、口元には棒状の猿轡まで嚙まされている。
頭部にはコード付きの電極が無数に挿さったヘッドギアが装着されており、それすらもヘッドレストにがちがちに固定されている。
もはや、まばたきすること以外の自由が完全に奪われた状態に見える。
ただ、彼は自ら望んでこうなったのだ。
彼の名は深山京一郎。
自他共に認める天才科学者だった。
三十前にして准教授であることも、その優秀さの証左となるだろう。
どうして彼がこのような状況に置かれているのかという話は、今より三日前に遡らねばならない。
******
「承服しかねますっ!!」
藤枝大学理工学部、先端テクノロジー専攻・大嶋研究室の教授部屋に怒号が轟いた。
その声の主はこの部屋の主である大嶋教授ではない。
彼の部下である深山京一郎である。
「これだけのデータが揃ってなお、臨床試験の実施が許可されないのは全く理解できない!」
白衣を着た京一郎がその手にあった分厚い書類の束をこれ見よがしに高級木目調のデスクに叩きつけた。
対峙する壮年の教授は彼の迫力に怯むこともなく、つとめて落ち着いた口調と毅然とした態度で答えた。
「深山君、これは教授会の総意による決定だ。君の活動は性急が過ぎる」
「どこがですか! 折角我々が先んじている研究が他の国に追い抜かれるかどうかの瀬戸際だというのに!」
「かといって従来のプロセスを無視してはいかんよ。例えば上に断りもなく他大学に押しかけ、廃止予定の研究室から実験動物を引き取るなど……君は根回しというものを軽く見すぎだ」
「今はそんなまどろっこしいものに構ってる場合では——」
「そういう考えが君の思い上がりなのだ」
教授は深いため息をついた。
確かにここにいる深山京一郎という男は科学者として天才であることに疑問の余地はない。だが、その才能故に様々な場所で軋轢を生んでいるのを知っている。それだけに、教授にはそれが心底もったいないと思わざるを得ないのだった。
「それに加えて、君の開発したオーガニックナノマシンを投与された動物の約九割が即時死亡した結果を教授会は非常に重く見ている」
「その件については原因も判明し、緩衝剤を並行投与することで解決できたとレポートにも書いたでしょう! 直近のニホンザルを対象とした実験でも、死亡した個体は無くなっている!」
「実験の安全性は飛躍的に向上した、そのことは誰もが理解しているよ。だが、一度起きた重大なインシデントは無かったことにはならないのだ」
「実験動物が死ぬ可能性があるのは至極当然のことではないですか」
「最初の実験も可能な限り配慮してあの結果だったのだろう? それでも未知の要因があの死亡率に繋がった。動物実験がうまくいったからといって人間での臨床試験で再び想定外のことが発生しない保証は全く無い」
「そうですが、そんなことを言っていたら新薬開発など何もできないではないですか!」
「だからこそ! 人間で実験を行うというのには、まず第一に信頼が無ければならないのだ!」
教授はここで初めて語気を荒げて目の前の京一郎を睨みつけた。
京一郎は若干気圧されてトーンが下がる。
「……私にはその信頼が足りないと?」
「心当たりくらいはあるだろう?」
「ぐっ……」
そう言って、京一郎は苦い顔をした。
流石に自分が周囲にどう見られているかの自覚が無いほど馬鹿ではない。
「確かに君には才覚がある。記憶力も理解力も発想力も、行動力すら君に及ぶ人間はそうはおるまい。たが科学の世界、いや現実の社会というのはそれだけで回っているものではない。これほどの実績を上げながら、なぜ未だに君を教授に推す声が一つも聞こえないのか、そろそろ君も本気で考える時期に来ているとは思わんかね」
「……一番重要なのは結果です」
「科学ではそうかもしれん。だが、それだけではいつか足元を掬われるぞ」
「私がそんなミスをすると?」
「大した自信だ。しかし、君ならば公正社会仮説というものだって知っているだろう。真に正しい人間だろうが、時にはいくらでも不幸な目に遭うものだ。いわんや、真に正しい人間などこの世にいると思うかね?」
京一郎は教授の言説に納得のいく部分を感じながら、一方で高過ぎるプライドが反発を抑えきれないというジレンマに、ただただ押し黙るしかなかった。
「こう見えて、私だって議論することにおいては君よりも三十年は研鑽を重ねた身だ。年寄の老婆心として聞き入れてはもらえんかね?」
「では、この研究はどうなるんですか!」
「おそらく今のままではいくら待っても無駄だろう。誰か広く信頼のおける代理人を立てて再び審議にかけるしかない」
「代理人を立てれば、これは共同研究ということになって、手柄の半分がその人のものになるのも同然ではないですか!」
「無論、そうなる」
「私はこの研究を九割九分九厘自分自身の力で推し進めてきたという自負がある。それを残り1パーセントにも満たない作業でただ名前を貸すだけの人間に、利益も名声も割譲せよと言うんですか!」
「君にとっては到底納得のできるものではないと承知はしている。だが、これもいい勉強だと思って受け入れたほうが、結局は君のためにもなると思うがね」
「……納得できません」
「だが理解はできるだろう。それでも自分一人でやりたいなら他所に行くしかない」
それは京一郎に突きつけられた最後通牒だった。
いつかどころではない。京一郎が足を掬われているのは今現在のことだと教授は暗に言っているのだ。
「……少し時間を頂きたい」
「そうだな、君にはそれが必要だ」
白衣を翻し、教授の部屋を後にする京一郎。
その顔は強張り、眉間には深い皴が刻まれていた。
手足を伸ばしたまま、関節という関節を強固なゴムバンドでチェアに拘束され、口元には棒状の猿轡まで嚙まされている。
頭部にはコード付きの電極が無数に挿さったヘッドギアが装着されており、それすらもヘッドレストにがちがちに固定されている。
もはや、まばたきすること以外の自由が完全に奪われた状態に見える。
ただ、彼は自ら望んでこうなったのだ。
彼の名は深山京一郎。
自他共に認める天才科学者だった。
三十前にして准教授であることも、その優秀さの証左となるだろう。
どうして彼がこのような状況に置かれているのかという話は、今より三日前に遡らねばならない。
******
「承服しかねますっ!!」
藤枝大学理工学部、先端テクノロジー専攻・大嶋研究室の教授部屋に怒号が轟いた。
その声の主はこの部屋の主である大嶋教授ではない。
彼の部下である深山京一郎である。
「これだけのデータが揃ってなお、臨床試験の実施が許可されないのは全く理解できない!」
白衣を着た京一郎がその手にあった分厚い書類の束をこれ見よがしに高級木目調のデスクに叩きつけた。
対峙する壮年の教授は彼の迫力に怯むこともなく、つとめて落ち着いた口調と毅然とした態度で答えた。
「深山君、これは教授会の総意による決定だ。君の活動は性急が過ぎる」
「どこがですか! 折角我々が先んじている研究が他の国に追い抜かれるかどうかの瀬戸際だというのに!」
「かといって従来のプロセスを無視してはいかんよ。例えば上に断りもなく他大学に押しかけ、廃止予定の研究室から実験動物を引き取るなど……君は根回しというものを軽く見すぎだ」
「今はそんなまどろっこしいものに構ってる場合では——」
「そういう考えが君の思い上がりなのだ」
教授は深いため息をついた。
確かにここにいる深山京一郎という男は科学者として天才であることに疑問の余地はない。だが、その才能故に様々な場所で軋轢を生んでいるのを知っている。それだけに、教授にはそれが心底もったいないと思わざるを得ないのだった。
「それに加えて、君の開発したオーガニックナノマシンを投与された動物の約九割が即時死亡した結果を教授会は非常に重く見ている」
「その件については原因も判明し、緩衝剤を並行投与することで解決できたとレポートにも書いたでしょう! 直近のニホンザルを対象とした実験でも、死亡した個体は無くなっている!」
「実験の安全性は飛躍的に向上した、そのことは誰もが理解しているよ。だが、一度起きた重大なインシデントは無かったことにはならないのだ」
「実験動物が死ぬ可能性があるのは至極当然のことではないですか」
「最初の実験も可能な限り配慮してあの結果だったのだろう? それでも未知の要因があの死亡率に繋がった。動物実験がうまくいったからといって人間での臨床試験で再び想定外のことが発生しない保証は全く無い」
「そうですが、そんなことを言っていたら新薬開発など何もできないではないですか!」
「だからこそ! 人間で実験を行うというのには、まず第一に信頼が無ければならないのだ!」
教授はここで初めて語気を荒げて目の前の京一郎を睨みつけた。
京一郎は若干気圧されてトーンが下がる。
「……私にはその信頼が足りないと?」
「心当たりくらいはあるだろう?」
「ぐっ……」
そう言って、京一郎は苦い顔をした。
流石に自分が周囲にどう見られているかの自覚が無いほど馬鹿ではない。
「確かに君には才覚がある。記憶力も理解力も発想力も、行動力すら君に及ぶ人間はそうはおるまい。たが科学の世界、いや現実の社会というのはそれだけで回っているものではない。これほどの実績を上げながら、なぜ未だに君を教授に推す声が一つも聞こえないのか、そろそろ君も本気で考える時期に来ているとは思わんかね」
「……一番重要なのは結果です」
「科学ではそうかもしれん。だが、それだけではいつか足元を掬われるぞ」
「私がそんなミスをすると?」
「大した自信だ。しかし、君ならば公正社会仮説というものだって知っているだろう。真に正しい人間だろうが、時にはいくらでも不幸な目に遭うものだ。いわんや、真に正しい人間などこの世にいると思うかね?」
京一郎は教授の言説に納得のいく部分を感じながら、一方で高過ぎるプライドが反発を抑えきれないというジレンマに、ただただ押し黙るしかなかった。
「こう見えて、私だって議論することにおいては君よりも三十年は研鑽を重ねた身だ。年寄の老婆心として聞き入れてはもらえんかね?」
「では、この研究はどうなるんですか!」
「おそらく今のままではいくら待っても無駄だろう。誰か広く信頼のおける代理人を立てて再び審議にかけるしかない」
「代理人を立てれば、これは共同研究ということになって、手柄の半分がその人のものになるのも同然ではないですか!」
「無論、そうなる」
「私はこの研究を九割九分九厘自分自身の力で推し進めてきたという自負がある。それを残り1パーセントにも満たない作業でただ名前を貸すだけの人間に、利益も名声も割譲せよと言うんですか!」
「君にとっては到底納得のできるものではないと承知はしている。だが、これもいい勉強だと思って受け入れたほうが、結局は君のためにもなると思うがね」
「……納得できません」
「だが理解はできるだろう。それでも自分一人でやりたいなら他所に行くしかない」
それは京一郎に突きつけられた最後通牒だった。
いつかどころではない。京一郎が足を掬われているのは今現在のことだと教授は暗に言っているのだ。
「……少し時間を頂きたい」
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白衣を翻し、教授の部屋を後にする京一郎。
その顔は強張り、眉間には深い皴が刻まれていた。
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