雪原の紅き薔薇は、狼伯爵の腕に咲く

イアペコス

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第二章:狼の牙と温もり

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グレイホールド城での日々は、驚くほど穏やかに、そして密やかに過ぎていった。王都の社交界のような華やかさや虚飾は一切なく、そこにあるのは厳しい自然と向き合い、日々の務めを実直にこなす人々の生活だった。私はいつしか、この静謐な環境に順応し始めていた。

ライオス様の信頼を得てからは、私は彼の執務室に呼ばれることが多くなった。それは単なる相談相手というよりも、まるで彼の右腕のように、領地経営の様々な課題に共に取り組む日々だった。初めは訝しげな視線を向けていた古参の家臣たちも、私が提案する具体的で実現可能な計画や、数字に基づいた的確な分析を目の当たりにするにつれ、徐々にその態度を改めていった。

「セレスティア様の策は、確かに理に適っておりますな。長年我々が見過ごしてきた盲点でした」
かつては私の発言に懐疑的だった老練な財務官が、そう言って頭を下げた時、ライオス様は微かに口元を緩めた。その表情は、「見たか」と言わんばかりの誇らしさを滲ませていたように私には見えた。

私は、凍結する河川を利用した冬季限定の輸送路の整備、保存食料の新たな製造方法の導入、そして辺境伯領の厳しい気候でも育つ薬草栽培の奨励など、次々と具体的な計画を立案し、実行に移していった。それはかつて父のもとで学んだ知識と、王都では発揮する機会のなかった私の分析能力が、この地で初めて活かされた瞬間だった。自分の知識が誰かの役に立ち、目に見える形で領地が豊かになっていく実感は、私にとって何物にも代えがたい喜びだった。

ライオス様は、私の働きぶりを常に静かに見守り、必要な権限と資源を与えてくれた。彼の判断は迅速かつ的確で、迷いがなかった。そして、私が何か新しい提案をするたびに、彼の灰色の瞳には深い興味と信頼の色が浮かぶのだった。

ある日、私たちは領内の小さな村の視察に出かけた。その村は、以前は度重なる獣害に悩まされていたが、私が考案した罠の改良と、猟師たちとの連携強化策によって、被害が大幅に減少していた。村長は私たちを心から歓迎し、村人たちは収穫したばかりの作物や手作りの保存食を差し出して感謝の言葉を述べた。

「セレスティア様のお陰で、今年の冬は安心して越せそうです。本当に、女神様が舞い降りたようですじゃ」
老婆が皺だらけの手で私の手を握り、涙ながらに言った。その温かい言葉に、私の胸は熱くなった。王都では「氷の貴婦人」と揶揄され、誰にも理解されない孤独を感じていた私が、この地では感謝され、受け入れられている。

視察の帰り道、空模様が急変し、猛烈な吹雪に見舞われた。視界は真っ白になり、馬も怯えて進もうとしない。私たちはやむなく、近くにあった古い狩猟小屋に避難することになった。小さな小屋の中は冷え切っており、暖炉に火を起こしても、隙間風が容赦なく吹き込んでくる。

ライオス様は、自分の外套を私の肩に掛け、唯一の毛布を私に譲ろうとした。
「私は構わん。君が風邪でも引いたら大変だ」
「いいえ、ライオス様こそ。この寒さでは…」
私たちはしばらく譲り合った後、結局、一つの毛布を二人で分け合い、凍える体を寄せ合うことになった。暖炉の心許ない炎が、彼の彫りの深い横顔を照らし出す。沈黙が支配する中、彼の規則正しい呼吸と、すぐそばに感じる体温だけが、現実感を伴っていた。

「なぜ…なぜ、あのような場所から私を救い出してくださったのですか?」
ずっと胸の内にあった疑問を、私は小さな声で口にした。
彼はしばらく黙っていたが、やがて静かに語り始めた。
「君が王都で孤立していたのは、ずっと前から知っていた。君の正しさと聡明さは、あの腐敗しきった宮廷では異端だったのだろう。初めて君が国家財政会議で発言した時、私は驚嘆した。まるで濁流の中に咲いた一輪の蓮の花のように、君の言葉は清冽で、的を射ていたからだ」

彼の言葉は、飾りがなく、率直だった。
「私は、君の才能が埋もれてしまうのを惜しいと思った。そして…あの夜会での君の姿は、あまりにも痛々しかった。あの場で君を悪し様に罵る者たちは、誰一人として君の本質を理解していなかった。私はただ、真実を見抜ける者がいることを示したかったのかもしれない」

彼の声には、普段の厳しさとは違う、どこか優しい響きがあった。彼の腕が、無意識にか私を庇うように引き寄せられる。その温もりに、私は安堵感を覚えた。この人は、ただ冷酷なだけではない。その氷のような仮面の下には、深い洞察力と、そして他者の痛みを理解する心があるのだ。

「君は…私が連れ帰ったことを後悔しているか?」
不意に彼が尋ねた。
私は首を横に振った。「いいえ。むしろ、感謝しています。ここでは…息ができますわ」
それは偽らざる本心だった。王都での息詰まるような日々とは違い、ここには偽りがない。厳しいけれど、真実の場所だ。

吹雪は一晩中止むことはなかった。私たちは寄り添い、時折言葉を交わしながら、夜明けを待った。彼の腕の中で、私はいつしか眠りに落ちていた。それは、あの断罪の夜以来、初めて心から安眠できた夜だったかもしれない。

翌朝、吹雪は嘘のように止み、太陽の光が雪原をキラキラと照らしていた。小屋を出ると、ライオス様は私のために道を開けるように、深い雪を力強く踏み固めて進んでくれた。その大きな背中を見つめながら、私は思った。この人は、確かに「北の狼」の異名を持つに相応しい、荒々しさと力強さを持っている。しかし、その牙は決して私に向けられることはなく、むしろ私を守るために振るわれるのだと。そして、その厳しさの奥には、思いがけないほどの温もりが隠されているのだと。

私の心の中で、ライオス・グレイウォールという男に対する感情は、単なる恩人や庇護者というだけではない、もっと複雑で、温かいものへと変わり始めていた。それは、信頼と尊敬、そして…おそらくは、もっと別の何かが混じり合った、名付けようのない感情だった。
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