雪原の紅き薔薇は、狼伯爵の腕に咲く

イアペコス

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第三章:顕になる溺愛

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グレイホールド城での私の立場は、いつしか微妙な、しかし確実な変化を遂げていた。「客人」というよりも、むしろ城の「奥方」に近いような扱いを、周囲から受けるようになっていたのだ。それは、他ならぬライオス・グレイウォール辺境伯自身の、私に対する態度が原因であることは明らかだった。

彼の私への配慮は、日を追うごとに細やかさを増していった。私が執務室で書類仕事に没頭していると、いつの間にか侍女が温かいハーブティーと、私の好物であるドライフルーツを添えた焼き菓子を運んでくる。聞けば、「旦那様が、セレスティア様がお疲れではないかと気遣われて」とのこと。私が少しでも眉を顰めたり、ため息をついたりするのを見咎めようものなら、ライオス様は即座に「何か不都合でもあったか?誰がセレスティア嬢を不快にさせたのだ?」と、周囲の侍従たちに氷のように冷たい視線を送る。その剣幕は、彼らが震え上がるほどだった。

私が書庫で古い文献を調べていると知れば、翌日には王都の書店から最新の関連書籍が何冊も届いている。私が庭園の花々を愛でているのを見れば、珍しい品種の球根や種が遠方から取り寄せられ、庭師たちが嬉々としてそれらを植え始める。まるで、私の小さな願いや好みが、彼の絶対的な命令であるかのように、城全体が動いているかのようだった。

当初は戸惑いを隠せなかった家臣たちも、ライオス様の私への並々ならぬ執心ぶりと、私が実際に領地経営に多大な貢献をしている事実を目の当たりにするうちに、徐々にその態度を軟化させていった。むしろ、彼らは「セレスティア様のお気に召すように」と、先回りして私に便宜を図ろうとさえし始めた。

ある晩餐の席でのことだった。隣国の横柄な使者が、酒の勢いも手伝ってか、私に対して侮辱的な言葉を口にしたのだ。
「ほう、これが噂のヴァーミリオン公爵のご令嬢か。王太子殿下に捨てられ、辺境伯に拾われたとは…まことにお気の毒な境遇ですな。まぁ、女の価値など、所詮はその程度のものかもしれませぬが」
その言葉が発せられた瞬間、それまで和やかだった晩餐の空気が凍り付いた。ライオス様の顔から表情が消え、その灰色の瞳は絶対零度の氷のように冷たく光った。彼が静かにナイフを置く音が、やけに大きく響く。

「貴様…今、何と言った?」

彼の声は低く、地を這うようだったが、その奥には抑えきれない怒りの炎が燃え盛っているのがわかった。使者は、ライオス様のただならぬ雰囲気にようやく気づき、顔面蒼白になったが、もう遅い。
「我がグレイウォール辺境伯家が、最大の敬意を払ってお迎えしているセレスティア嬢を侮辱するとは…貴国は、我が領に戦を仕掛けたいと、そう解釈してよろしいか?」
それは脅しではなかった。本気の宣告だった。彼の背後には、いつでも牙を剥く準備ができている「北の狼」の影が見えるようだった。
「い、いえ、滅相もございません!酔った上での失言、どうかお許しを…!」
使者は震えながら床に額を擦り付けて謝罪し、その日のうちにほうほうの体で領地から逃げ帰っていった。

その夜、ライオス様は私の部屋を訪れた。彼は何も言わず、ただ暖炉の前に立つ私の肩を、後ろからそっと抱きしめた。
「すまなかった。あのような不快な思いをさせてしまった」
「いいえ…ライオス様。私は、大丈夫ですわ」
「君を傷つけるものは、それが何であろうと、私が全て排除する」彼の腕に力がこもる。「君は、ただ…ここにいて、笑っていてくれればいい。それだけで、私は…」
彼はそれ以上言葉を続けなかったが、その温もりと、私を見つめる熱のこもった瞳が、何よりも雄弁に彼の想いを物語っていた。それは、単なる庇護欲ではない。もっと深く、もっと個人的な、燃えるような独占欲と、そして紛れもない愛情だった。

この出来事は、城の内外に瞬く間に広まった。「辺境伯は、セレスティア嬢に完全に心を奪われている」「彼女を傷つける者は、たとえ隣国の使者であろうと容赦しない」と。
それは「溺愛」と呼ぶにふさわしいものだった。初めは、彼の過剰とも思える庇護に戸惑いを感じていた私も、いつしかその深い愛情に包まれることに、心地よさを感じ始めていた。彼の腕の中は、世界で一番安全で、温かい場所だと感じるようになっていた。

ある晴れた日、私はライオス様と共に馬で領地を巡っていた。雪解け水の流れる小川のほとりで休憩していた時、彼が不意に私の手を取った。
「セレスティア」
初めて、彼は私のことを「嬢」を付けずに呼んだ。その響きに、私の心臓が小さく跳ねる。
「私は…君なしでは、もう生きていけないのかもしれない」
彼の真剣な眼差しが、私を射抜く。
「君がここにいてくれるだけで、この雪原にも春が来たように感じる。君の笑顔は、どんな太陽よりも温かい」
それは、武骨で言葉数の少ない彼が、必死で紡ぎ出した愛の言葉だった。その不器用さが、かえって私の胸を強く打った。

私は、彼の手に自分の手を重ねた。
「ライオス様…私も、同じ気持ちですわ。あなたのそばにいられることが、今の私の何よりの幸せです」

彼の顔に、これまで見たこともないような柔らかな笑みが浮かんだ。それは、まるで厳冬を乗り越え、ようやく訪れた春の陽光のように、温かく、そして眩しかった。

もはや、私たちの間に遠慮や躊躇いはなかった。彼の愛情は、時に激しく、時に優しく、私を包み込む。そして私もまた、この不器用で、しかし誰よりも誠実な「北の狼」を、心の底から愛していることを自覚していた。かつて「氷の貴婦人」と呼ばれた私の心は、彼の熱い想いによって完全に溶かされ、そこには彼への深い愛情と信頼が、確かな温もりとなって息づいていた。
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